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# 229  ■ タカシ・就職活動の頃 ( その 3 )


─────── 内定を切れ ! ───────


無事 ( ? ) ○○銀行への就職内定が決まった直後、人事部の担当者は私を電話の前に座らせ、以下のように言いました。


人事担当者 「タカシさん、あなたが現在内定をもらっているすべての会社に電話を入れて、この場で内定を断ってください。私、横で見てますので。じゃ、どこから電話しましょうか ?」


タカシ 「あのぅ …… 御社以外からは内定もらってないんですけど …… 」


人事担当者 「あのね、タカシさん。( 内定を ) 握っておきたい気持ちはわかるんだけど、今切っておかないと、あとあと厄介なことになるんで、隠さずにお願いしますよね …… 」


タカシ 「隠してない ! ホントなんだってば !」


周りを見渡すと、今日内定をもらったと思しき学生たちが、一斉に断りの電話を入れていました。平均 5 社ぐらいの内定を持っているのが普通とのこと。ほかに内定がないなんて、私だけのようです。


人事担当者 「本当にないんですね。いやぁー、失礼、失礼 …… それにしても珍しい人だなぁ、ははは ……」


んなもん、結局 1 社しか就職しないんだから、複数から内定もらってもしょうがないやろがぁーーー ! そう言えば私、高校も大学も「滑り止め」を受けずに 1 本で勝負していましたっけ。そんなに自信満々で生きているわけでもないんですが、なんか面倒なんですよね、滑り止めって。われながら、リスクの高い人生なのかもしれません。


─────── コウソク旅行 ? ───────


しばらくすると、大阪支店で内定をもらった学生全員が、大きな会議室に集められました。関西圏の大学の内定者 =「大阪採用」の学生、総勢 30 名です。


「バスは 6 時に出発しますので、それまでの間、映画を観ていてください。なお、くれぐれも許可なく、外部に連絡しないように !」


? ? ? 6 時に出発 ? バス ? 外部に連絡禁止 …… ? ? ?


何がなんだかわからない私は、そばにいたヒロユキに尋ねました。


タカシ 「一体、何が始まるんですか ? 早く帰って、金八先生の再放送見たいんですけど …… ( 冗談ですが )」


ヒロユキ 「アホか、おまえは …… これから、コウソク旅行に行くんやんけ …… 」


タカシ 「コウソク旅行 ? 」


コウソク旅行 …… 「高速」ではありません、「拘束」です。拘束旅行とは、内定を出した学生が他の銀行に逃げないように、数日間どこかの場所に缶詰にすることを目的としたもの。家に戻った頃には、銀行の「X デー」は終了しており、事実上、内定者は拘束旅行に参加した銀行に就職せざるをえない状況になっているという、世にも恐ろしい慣習です ( ちなみに、東京採用の同期に聞いてみると、東京採用組では、泊りがけのよな露骨な拘束旅行はなかったようです。大阪ならではの、「悪習」だった可能性高し。大阪商人の考えること、おそるべし …… )


タカシ 「じゃ、今日はどっかに泊まるってことですね …… なんだぁ、金八先生見逃したぁ(T-T)( まだ言うか ! )。ちょっと、家に電話しときますよ、しばらく帰らないって …… 」


ヒロユキ 「あっ、ちょっと待てや ! 電話するんやったら、話す内容を横で聞かせてもらうさかい」


タカシ 「なんで ?」


ヒロユキ 「ほかの銀行に電話されたら困るやん …… 」


私は本気で、「アホか、こいつは …… 」と思いました。しかし、当時はそういうことを平然と、かつ真剣にやっていたのです。私の大学からの内定者は私 1 人でしたので、ヒロユキは常に私の横で「マンツーマン・ディフェンス」をしていました。ホンマに、暑苦しいっちゅうねん ……


────── 何でも買ってよし ! ──────


その後、私たち内定者はトム・クルーズの「デイズ・オブ・サンダー」という映画を無理やり観せられ ( 結構面白かった …… )、6 時になると観光バスに乗って、京都と奈良の県境にあるリゾートホテルに連れて行かれました。


「内定されたみなさん、このホテルはわが銀行と某企業による共同開発プロジェクトによって建設された、次世代型リゾートホテルです。これから 2 日間、ここでゆっくりと就職活動の骨休めをしてください ……」


見渡すと、そこは夢の楽園。ゴルフ場に、テニスコート、豪華なプールにジャグジーまでついています。当時はバブルの絶頂時。こんな人里離れたへんぴなところに、超豪華なリゾートホテルを建てまくっていたんですね、この銀行 …… こりゃ、破綻するわけだ ……


しかし、当時学生だったわれわれにとっては、そこはまさに異次元の世界でした。これから飛び込む金融の世界というのは、こんな大きなプロジェクトを実現していく、夢のステージなんだと確信するのに十二分な経験だったのです。


「さぁ、食事のあとはテニスでもプールでもボウリングでも、好きなことをしてください」


連れてこられた学生の大半は、スーツ姿で着の身着のまま。着替えさえ持っていません。


タカシ 「ヒロユキさん、テニスやれって言われても、ラケット持ってないんですけど ……」


ヒロユキ 「買えばええやん」


タカシ 「へ ?」


ヒロユキ 「テニスのラケットもシューズも、明日の着替えも、ホテルのショップで買うてええよ。けど、ゴルフクラブは借りろよ。クラブセットまで買われたら、たまらん ……」


なんちゅう太っ腹ぁーーーーーーーーーーーー ! ホンマにええんかーーーーーーーーー ! 私は仲良くなった貧乏学生たちと一緒に、テニス用品一式と、水着、明日の着替えをホテルのショップで買いあさりました。締めてン万円なり ! まさに、「サル状態」です。ウキッキー。ホテルのすし屋で、トロ食べ放題。日焼けサロンにサウナ、ルームサービスでワイン飲み放題。ヨロレイヒー。まさに、至福のときやぁーーー。


一方で、私たち貧乏学生グループと一線を画するように、関西圏のお坊ちゃん大学の連中や気弱な学生諸君は、派手な行動は控えていたようです。冷静に考えれば当然の判断かもしれません。現状はあくまでも「内定」なのであって、「確定」ではありません。この拘束旅行での振舞いも、人事部の連中は見ているかもしれないのです。しかし結論から言うと、この心配は全くの杞憂でした。むしろ拘束旅行で大騒ぎした連中の方が、入社後の仕事の出来もよかったような気がします。ま、ハメをはずせるときに思いっきりはずすという、「ON」と「OFF」の切り替えがうまい連中は、仕事もよくできるということではないかと思います。まさに、Work hard ! Play hard !! ( よく学び、よく遊べ ! ) ということですね。ま、私の場合は、単に物欲と食欲に駆られただけという説もありますが。


(「On and Off バランスライフ」 – Work hard !, Play hard ! – http://www.daijob.com/dj/ja/onandoff.shtml )


─────── 祭りのあと───────


以上のような形で、私の就職活動は終わりました。この翌年、銀行に入社してからというもの、本当に「これでもか ! 」というぐらいこき使われましたので、「アメ」としての拘束旅行の 10 倍以上を「ムチ」として返されたイメージです。私たちの翌年の採用から、銀行業界の「X デー」は鳴りをひそめ、それに伴って拘束旅行もなくなりました。それはちょうど、バブルの崩壊と同じ時期でした。


このエピソードを 20 代の連中に話すと、一様に羨ましがられます。それはホテルで大騒ぎをしたことではなく、学生の「超売り手市場」だったことについてです。確かに、90 年代後半以降、就職戦線は「超氷河期」に入りました。私の頃なら両手に抱えきれないほどの内定を取れたような優秀な学生さんでも、なかなか内定をもらえないと聞きます。でも、私の頃の方が恵まれていたとは言い切れないような気がします。


私の時代の就職活動は、いわば「お祭り」みたいなものでした。企業側、学生側双方に大したポリシーもなく、単に成り行きで事を進めていたような印象があります。会社に入ればそれなりに働くのですが、そもそもそれほどの思い入れもないため、高度成長期に団塊の世代が見せたような凄まじい働きを見せるわけでもなく、可もなく不可もない働きぶり。社会の仕組みが大きく変わる時代に適応するのが、予想以上に下手な世代。これが、昭和 60 年頃から平成 3 年頃の世代に共通する特徴です。


一方で、ここ 10 年ほどの間に就職した人たちは、難関の就職戦線を切り抜けてきたために、仕事に関する「こだわり」を持っているような気がします。こだわりが強いがために、自分が思い描いた仕事ができなかったり、ノンポリ上司についたりすると、驚くほどあっさりと転職してしまったりします。この世代に対して、「転職ばかりして、こらえ性がないヤツだ」と揶揄する人もいますが、それは違います。学生時代から、常に自分のキャリアについて真剣に考えるという、欧米ではごく当たり前のプロセスが、日本にもやっと浸透してきたのです。ですから、私が就職した頃と今の学生さんを比較すると、今の方がずっと「大人」に映ります。厳しい就職戦線を勝ち抜く中で自分を見つめなおすことで、人間的に大きな向上がはかれるのだと思います。


就職活動を始めた学生さんへ。なかなか内定がもらえないと焦ってくると思います。でも、いくら内定をたくさんもらったところで、所詮は 1 社にしか就職できません。自分のやりたいことは何なのか、10 年後、20 年後のために、今自分は何をすべきなのか、それが明確になった人が真の勝者なのだと思います。どうか、健康に気をつけて、頑張ってください !

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奈良タカシ 1968年7月 奈良県生まれ。
大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。3年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。
「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。