フランスをことし襲った惨劇にあまりに似た構図に見える。同じ欧州のデンマークで、銃撃事件がおきた。

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた画家を招いた集会が襲われた。そのスウェーデン人画家は、過激派から殺害予告を受けていたという。

 画家は助かったが、参加者の一人が死亡した。翌日未明には約3キロ離れたユダヤ教礼拝所が襲撃され、1人が死亡した。

 パリでは先月、ムハンマドの風刺画を掲載した新聞社や、ユダヤ人が集まるスーパーなどが襲われ、17人が犠牲になったばかりだ。

 デンマークの集会は「芸術と神への冒(ぼうとく)、表現の自由」をテーマに話し合おうとしていた。どんな背景であれ、許し難い暴力だ。言論活動が標的なら、改めて言語道断というほかない。

 今回の過激派の行動からは、パリの事件が市民に与えた恐怖感を他の国にも広げようとする意図が感じられる。ユダヤ教の施設が狙われたことも看過できない。欧州で宗教間の分断を狙っている可能性もある。

 しかし、欧州社会はそんな挑発に乗ることなく、できるだけ平静さを保ってほしい。

 各国で警察などによる警戒を強めるのは当然だが、同時に自由の制限などで社会を息苦しくさせては過激派の思うつぼだ。冷静に、着実に、暴力の拡散を抑える手立てを探りたい。

 なにより、ふつうのイスラム教徒をテロリストと同一視するような憎悪の連鎖は断ち切らなければならない。異なる民族や宗教、文化が平和的に共存する民主社会のありようこそ、テロから守るべきものである。

 このスウェーデン人画家は07年、ムハンマドを犬にたとえる風刺画を描いていた。イスラム教徒の反発は理解できる。過度に挑発的だったと見られても仕方あるまい。

 デンマークでは、他の欧州諸国と同様に、イスラム世界からの人々を含む移民への反発が高まっている。05年にも保守系の新聞がムハンマドの風刺画を掲載し、イスラム各国の社会が反発するきっかけをつくった。

 しかし、どんな事情があろうとも人の命を奪うことは正当化できない。不満があれば、言論なり裁判なり、暴力を使わない手段で応じるべきだ。

 その原則を確認しつつ、考え続けたい。テロを抑えながら、誰もが住みやすい国際社会を築くには何が必要なのか、と。

 デンマークとイスラム教徒を含む世界の人びととの連帯をいっそう深めるときである。