当ブログは開設されて2週間余りの出来立てホヤホヤであるが、著者とはてなサービスとの付き合いはすこぶる長い。アンテナから始まり、ブクマ、グループ、匿名ダイアリーと色々使ってきた。なんやかんや、はてなと二人三脚でネットライフを歩んできたと言っても過言ではない。いや、それは過言か。
実名のIDでサービスの利用を始めたのをきっかけに、そんな自分のはてな遍歴を振り返ってみたい。
自分語りのちら裏話なので『そういう自意識過剰な人の話は嫌やわほんまウザい目障り気持ち悪い』という方は、タブ並びにウィンドウをそっ閉じ頂ければと思いますどうぞよろしくお願い致します。
1. はてなアンテナ開始(2002年)
はてなを使い始めたのは、アンテナサービス開始直後である。巡回先のニュースサイト経由で存在を知った。ブラウザのブックマークに登録していたサイトの更新状況が瞬時にわかる画期的なサービスで、『これは便利ぞいや』ということで早速使い始めた。ローンチ直後にID登録していたとなれば、古参度で言うと、はてな村の有名IDさん達と肩を並べるのではないか。(ドヤァ) まあ、戦闘能力はカマキリと芋虫くらいの差があるのだが。
当時登録していたのはテキストサイト・絵日記サイト等である。大小カラフルなフォントを操って、軽妙な文体でおもしろおかしく自分の私生活を暴露するテキストサイトに憧れて、ランキングサイトReadmeJapanの上位サイトを毎日巡回していた。このころはまだ、ブログサービスを利用したネット民は多数派ではなく、自作HPが中心だった。当時のブログ機能ではうまくフォント弄りができないというのも背景にあったと思われる。
はてなアンテナサービスはすこぶる評判が良く、またたく間にユーザー数が増えていった。当時は被アンテナ登録数がHPの人気の指標だった。
2. 初ブログ(2004年)
人生初のブログがはてなダイアリーである。大学の友人に勧められて、当時好きだったエンタメ系の話、ポストモダン哲学の話、左翼系の話等を書いていた。初投稿の記事はラーメンズについてであったが、最初についたコメントは『不快です、死んでください』的な内容で、ネットという空間は人が拳と拳で語る場所なのであるなぁと思ったものである。(震え声)
当時の話題を振り返ると、モヒカン論争・非モテ論争・疑似科学論争などであった。今のはてなブログのように、"こんなもの食べたよ♪"・"今日買った便利な小物を紹介します(๑˃̵ᴗ˂̵)و"・"現在連載しているおすすめ漫画10選(テヘペロ)"等とぬるいテーマで記事を書こうものなら、棍棒を振りかざしたごっついおっさん連中に亡き者にされる、そんな場所であった。元始、はてなは世紀末であった。
こういう論争に興味がありながらも、あまり積極的には絡まずに、ほそぼそとブログを運営していたのだが、はてなの論客として名を馳せた人に糞リブという名のトラックバックを送ったことがある。送った次の日に、スクロールバーが米粒になるほどの長文の反論が返ってきたので、『うっせーばーかばーか』というコメントだけを残して著者はその場を去った。(遠い目)
良く覚えているのは非モテに関する論争である。その中心に居たのははてな民のアイドルid:amiyoshidaさんとid:churchillさんであった。サブカル・女子・教養といったキラキラ武器をかざす彼女たちに、サブカルクラスターの人間は諸手を上げて地面に額を押し付けた。彼女達が『光あれ』というと光があったのである。
そんなブログを続けていたが、特に読者が増える訳でもなく、そして自分が人気の無いブログ運営に興味を失っていき、ついに更新をやめてしまうのはその数年後のことである。
3. はてなブックマーク開始(2005年)
はてブ利用も、サービス開始直後だ。ネット上で自分の過去IDのブックマークを見つけたが、社会学・経済学・統計学といったネタを積極的にブックマークしていた。ブクマ総数は数千。ウェブサーフィンの度にブクマをして、コメントを加えていた。直近のブクマは2010年のニコ動であった。
ホッテントリを眺める度に、同じIDを見かけ、『やだこの人ここにもブックマークしている』と思ったものだが、最近は自分もそうなりつつある。
4. はてなダイアリーで交換日記(2006年-2008年)
元始、著者の彼女ははてな民であった。先ほど非モテ論争が記憶にあると書いたが、当時の彼女さんはその渦中にいた人であった。最初に書いた記事がバズって、一躍はてなのヒエラルキーのレッダーを登り詰め、id:kanoseさん等を含むはてな村の人たちととオフ会をするまでになった。著者はその話を聞きながら『はてな民って非実在中年じゃかったんだ』と思ったものである。
その彼女さんに、アメリカでの大学生活を報告するために、二人だけのグループを作って、交換日記のようなものを始めた。結構マメに毎日くらいの頻度で更新していた。彼女さんにアメリカ生活の雰囲気を伝えるために、色々とった写真をブログにのせるため、はてなフォトライフを使い始めたのもこのころである。
人生において日記というものを書き始めたのはこれが最初であった。
4. 増田デビュー(2007年~)
あまりに自分のブログに人が来ない。しかし、トラックバックを人に送ったり、はてぶで自己アピールしてまで人に来てほしくは無い。「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」の精神でブログを続けてきたが、このころに限界を迎える。
読者が居ないブログなんて、玉ねぎが入ってない牛丼みたいなもんだ、知らんけど。
特定の読者が居なければ、不特定多数のたくさんの読者に見てもらえばいいのでは、と思い立ち、このころにはてラボの登録をする。
アニメやらネット文化やら統計学やら、色んなテーマで匿名ダイアリーを書いた。書いたら後は誰かがブックマークをしてくれるのを待つだけ。箸にも棒にもひっかからなければ、広大なログの海に消えていくだけ。
幸い、結構な打率でバズったのである。人の目にさえ触れさえすれば俺の文章はイケてるのだ、人の目に触れさえすればなどと、瀕死のフリーザみたいな感想を抱きながら、匿名の自由を謳歌した。
5. そうだ、小説を書こう(2009年)
もう中二病の根がしっかりと脳にぶっ刺さって根付いた時から小説家になりたかったものですから、ネットで小説を書き始めることに何の戸惑いもなかったわけで、とある小説を書くグループに参加した。全く続かなかったし、そもそも新人賞に送る小説は公開しちゃだめだろ的ワナビー糞野郎の発想ですぐにサイトを閉鎖した。
この後も小説家になろうで連載していたこともあるのだが、それはまた別の話である。
6. 短歌、エッセイ(2010年-2011年)
短歌にはまっていた時期である。ツイッターでハッシュタグをつけて短歌を詠んだり、結社に所属して短歌を投稿したりしていた。はてなブログでも題詠をしているのを見かけると短歌の血が騒いだり騒がなかったりする。
大好きな歌人穂村弘に憧れて、彼の書くエッセイを真似したアンニュイなブログを書いていた。
しかし、記事の定型スタイルとして、末尾に必ず記事の主題にあった短歌を添えるという粋な試みをしてみたのだが、記事の内容に加えて短歌を考える面倒さが巨大な壁となり、このブログも頓挫することになる。
7. ですます調で批評します(2012年-2013年)
直近に書いていたブログである。はてなブログリリースから1年程経っていた。
このブログでは初めてですます調を採用した。何がいいって、文字数を稼げるところである。なんとなく語りかけるように文章をつくっていけば、記事っぽくなるのである。
このころ見ていたアニメの感想を書きたくてブログを開いたのがきっかけであったが、その他にも様々なテーマを取り扱っていた。
割と長続きしたほうで、読者も居た。何より、読者数を増やすために、せっせと好きなブログのところへ行ってそっとスターを置いてくる仕事を続けたおかげで、自分のブログへのアクセスが増えた。こういうのが、大人の社交である、知らんけど。
このままブログを続けて行こうかと思った矢先、私生活で色々あって、結局更新が途絶えてしまった。
8. そして実名へ(2015年~)
とまあ、2002年から始まって、色々な付き合いをしてきたはてなとシナモンと私である。
長文を書いてしまったので、果たしてココまで読む人がいるのかは定かではないが…、振り返ってみると色々使ってきたのだなあと感慨深い気持ちになる。
今回のブログでは、匿名やコテハンを辞めて、実名を出してみた。いや、歌ってみたみたいに出してみたというのもどうかと思うが、色々覚悟をもって始めたのだ。
果たしてどこまで続くのか分からないけれど、少しでも多くの人に読んでもらえるように、いっぱい書いていきたい。
ああそれと、株式会社はてな様、昔からはてなサービスを使っている特典として著者のはてなブログProの料金の無料化をご検討頂ければと思いますどうぞよろしくお願い致します。(ゲス顔)