それぞれが下す決断にご注目下さい
はい!竹内美晴離婚相談室です。
(テーマ音楽)宮城県利府町にあるグランディ・21のメインアリーナです。
スポーツ大会やコンサートなどが行われる県内で最大規模の総合運動施設です。
震災直後ここは人の生と死が隣り合わせになった場所でした。
施設の総務課長を務めていた…合宿所を避難所として開放する一方メインアリーナを遺体安置所にする事を受け入れました。
あの日利府町は震度6弱の揺れに襲われました。
高橋さんたち職員はすぐに被害の状況を確認します。
プールの天井から大型スピーカーが落下しましたが建物に大きな被害はありませんでした。
しかし交通機関は止まり施設には多くの来場者が取り残されました。
高橋さんは帰れなくなった人たちを敷地内の合宿所に誘導します。
合宿所は近くの住民も合わせおよそ60人が身を寄せる避難所になりました。
その日の夜午前2時ごろ。
県の災害対策本部から連絡が入ります。
施設を遺体安置所として使わせてもらいたいという要請でした。
要請の電話から5時間後アリーナに次々と遺体が運ばれてきました。
朝になって家族を捜している人たちが集まり始めます。
高橋さんはアリーナの受付で順番を待つ家族の案内を担当する事になりました。
アリーナは数日間で遺体を納めたひつぎでいっぱいになります。
遺体をきれいに洗うため震災直前に入れ替えたばかりのプールの水が使われました。
施設には毎日100人以上の人たちが家族を探しに訪れました。
遺体安置所での対応が続く一方避難所にもまだ多くの人たちが残っていました。
そんな中避難している人たちが手を取り合って一緒に料理を作る姿に高橋さんは勇気づけられたといいます。
遺体安置所が閉鎖されたのは震災から4か月後。
この間施設に運ばれた遺体はおよそ1,000に上りました。
2015/02/15(日) 23:55〜00:00
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県利府町 高橋一治さん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県利府町の高橋一治さんは、管理していた総合運動施設を避難者に開放する一方、遺体安置所として多くの遺体を受け入れた。
詳細情報
番組内容
あの日、東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県利府町の高橋一治さんは、管理していた総合運動施設を避難者に開放する一方、遺体安置所として多くの遺体を受け入れた。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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