インタビュー ここから「作家・真山仁」 2015.02.12


シリーズ4作品の発行部数が180万部を超えるベストセラー小説「ハゲタカ」
「目標はただ一つ。
安く買って高く売る事。
腐ったこの国を買いたたく」。
熾烈な企業買収の世界を描きテレビドラマに
「許せない!」。
金融ビジネスの闇にメスを入れそのリアリティーが話題となりました。
「ハゲタカ」を執筆した真山仁さん。
神戸市在住の小説家です。
時代を照らす鋭い視点に多くのファンが魅了されています
おっいいとこ読んでますね!それ教えましょうか誰か。
金融ビジネスの世界をはじめ原発や遺伝子組み換え作物など幅広い社会問題をテーマに作品を描いてきました。
そんな真山さんがこれまでのイメージを覆す作品を発表しました。
主人公は神戸出身の関西弁の教師。
東日本大震災の被災地の小学校に赴任し東北の子供たちと心を通わせる物語です
この作品を描いた原点は20年前の阪神・淡路大震災を体験した事
震災で生き残った自分には使命が与えられたと感じています
阪神大震災から20年。
真山さんは震災とどう歩んでいこうとしているのかその決意を聞きました

真山さんはここ神戸市垂水区で被災しました
ちょうどこの橋の架かってる明石海峡。
ここが震源ですもんね。
そうですね。
改めて見てすごい近い所だなというのは実感しますね。
揺れた瞬間はマンション…?7階建てのマンションの1階に住んでまして当時。
実はまだフリーライターをしてたんですけども5時15分まで原稿を書いてたんですよ。
直前まで起きてた?起きてたんです。
結構大きな仕事で割と不安定だった生活がこれで落ち着くなという非常に大事な原稿で連休明けに入稿ができる状態で一息ついて寝ようと。
寝たのが5時15分でもう朝だなと思っていた30分後にまず音だと思いますねものすごい音がして轟音がしてそのあとどど〜ん!みたいな音がしたんですね。
最初はマンションにトレーラーでもぶつかったのかなと。
あるいは上から何か落ちてきたのかなみたいな感じだったんですけれどもそれが更に激しく揺れ続けた事で「あっ地震!」っていう。
ずっと関西に住んでましたから地震に対しての感覚が全然ないのでああこれが地震かというのとその次に思ったのは自分の寝てる足元が多分震源地だろうなぐらいのすごい上下動を感じましたね。
これだけ激しく揺れていてしかも自分は7階建ての1階に住んでるわけですよね。
という事はきっと天井が落ちてくるだろうなと。
このまま激しい動きが続くと。
天井をず〜っとこうやって見てて普通は恐怖が湧くはずなんですけれど怒りが湧いたんですよ。
怒り?はい。
新聞社を辞めて小説家になるための生活費を稼ぐためにフリーライターをやってたんですね。
少しずつ小説家への道を自分の中ではステップアップをしてるさなかにまあその大きな揺れがあってこんな死に方するのかって思ったんですよ。
自分はやりたい事がたくさんあっていつもいつもリスクを取りながら選択をしてきたのにそれがだんだん自分の中で現実が見えつつある中ででも何もできてない中で死ぬのかと。
こんな理不尽な人生だったら生まれてこなきゃよかったぐらいの怒りがすごい冷静に湧いてきたんです。
本当にものすごい顔つきで天井をにらんで「なんやこれ。
こんな事であんた私殺すんか」というのはすごく覚えてますね鮮明にね。
真山さんは大学を卒業したあと新聞社で記者として働き始めます
その後小説家を目指して退社。
震災当時はフリーライターとして下積みの生活を送っていました
「これで死ぬな」と思った時に信じてもいない神様に毒づいたわけですよね。
「こんなもんで殺すのか」と。
そしたら返事は「生き残れ」という結果になったわけですよね。
だとすれば「じゃあ書いてみろよ」と言われたんだろうなと。
小説家になって自分が思っている社会の問題や例えばこの震災で被災した自分を書いてみろとそういうふうに言われたんだろうなというのはすごい感じましたねやっぱりそれは。
平成7年1月17日の早朝に発生した阪神・淡路大震災。
神戸市などで震度7を観測。
10万棟を超える建物が全壊し6,434人が亡くなりました。
真山さんは自宅の周りの被害を確かめるために近くの駅まで歩いてみたといいます
神戸の時ってせり出すように家がスライドして道路に出てた所っていっぱいあったじゃないですか。
ありました1階がずるっと。
ありますよね。
ここも何となくちょっとそういう所が一部あったりただ倒壊したりとかそういうのはこの商店街の中自体はなかったんですよ。
ただこうのぞくと例えばのぞいた向こう側の民家がバシャッとなってたりとかそういうのはすごいあったんです。
とりあえず駅がどうなってるか見たくて何となく上っちゃったんですよねここを。
駅の改札。
ここからもう見えるので。
とにかくレールがこんな状態でアメのようになっていてすごい地震がここも来てたんだというのは感じましたね。
水道もガスも止まってしまった神戸の街。
真山さんは一旦大阪の実家に身を寄せる事にしました
ちょっと大阪で落ち着かれた?そうですね。
ただやっぱり大阪に着いて落ち着いてまず思ったんですよ。
「あのタイミングで出てよかったのかな」。
やっぱり曲がりなりにも短い間でも記者をやってましたし社会派の小説を書きたいと思ってた人間からすると命懸けであそこに残ってそれを小説に書けばいいのにというのも。
だんだんこう生き残ってきた事によっていろんなものが出てきますよね。
一番あったのはテレビを見ていくと自分の所は震源地から恐らく10キロぐらいしか離れてないと。
なのに30キロぐらい離れた所で亡くなった方がいらっしゃると。
この差は何なんだろうかと。
そんな事を思っちゃいけないんでしょうけど結構早い段階から生きててよかったのかなとか更に逃げたお前は何なんだと。
偉そうにジャーナリズムとかというのはもちろんずっと思ってそれをどう小説にしようかと思ってた人間が目の前でそういう事が起きてるのにそれを背を向けて逃げたというのは結局は卑怯じゃないのかというのが結構逆に余裕ができた事でそれは何かぼ〜っとしてるとその感情ばっかりが湧いてくる時期でしたね。
その時にペンを走らせるという事はなかった?なかったですね。
だからその…あまりにも近すぎて一体どうやってこれを書こうとすればいいのかと。
例えばどうしても社会派の小説をやろうとすると何か批判めいた事をやらなきゃいけない問題提起をしなきゃいけない。
そうするには自分はあまりにも早く現場を離れすぎてるんですね。
更に何ていうのかう〜ん…多分今から考えると勇気がなかったんでしょうね取材する。
神戸に戻った真山さんは震災を書けないもどかしさを抱えながら生活の糧を得るための仕事に打ち込みます
そして平成16年企業買収の世界を描いた「ハゲタカ」で念願だった小説家としてのデビューを果たします。
阪神大震災から9年がたっていました
「ハゲタカ」はテレビドラマに続いて映画にもなり真山さんは一躍人気作家となりました
「ハゲタカそのものだあんた!」。
小説家としてデビューをしてそして経済小説「ハゲタカ」これはその後ドラマ化され映画化され大ヒットになりました。
真山仁さんの大きなジャンル土台が出来たと思うんですがそのあとでさあ震災を書くという事にはならなかったんですか?2004年に「ハゲタカ」がデビュー作なんですけど書いてそれなりに評判をとって最初に言ったのは「震災をテーマにして小説を書きたい」と。
最初に言われたのは「なるほどいい話ですね」って。
「何を書くんですか?」といったらあれは決して天災だけの問題じゃないと思うと。
いろんな行政の仕組みとかそこに人災的な要素がたくさんあってそこってやっぱりすごく考えてみたいと。
「面白そうですね」って言うんですけどそれは一人ではなくて何人かに言われたんですけど「他でやってほしい」と。
「しばらくはこれをやって下さい」と言われ続けて。
それは編集者?そうですね出版社に。
他にいっても「もうちょっと経済寄りにならないですか」と。
結果的にはそこを自分がねじ伏せられるだけの提案力もなかった。
その後真山さんは「ハゲタカ」の続編をはじめ幅広い社会問題をテーマに相次いで作品を発表。
その一方で震災の事は書けずにいました
平成23年3月11日。
宮城県三陸沖を震源とした東日本大震災が発生します。
死者・行方不明者は2万人を超える未曽有の大災害でした
正直「ああ起きてしまった」と思いました。
つまり自分がいじいじしてる間に95年の震災の事を1行も書けない間にまた大きな地震が起きてしまったと。
やっぱりそれは正直ショックでしたし何やってたんだお前ってすごい思いました。
今度は本当にリアルタイムで…離れてますけど東北ですからでもリアルタイムにずっと報道を見ててどうすれば小説が書けるかと思ってました。
ある出版社から被災地を応援する雑誌を出すと。
ひいては阪神と東北で被災経験のある人だけに限定したいんだと。
真山にやらないかって言って下さったんですよ。
その時はもう二つ返事です。
「是非やらせてほしい」と。
その時にやっぱり一つ言ったのは「ものすごく阪神にこだわる事になると思うけどそれでもいいか」。
「そのためにお願いしてるので是非そうしてほしい」と。
真山さんは東北の被災地を何度も訪ねその惨状を胸に刻みました
前の阪神の時はいろんな意味で逃げてしまったんですね。
それで今自分はもう逃げる理由がない所に行ってやりたい事をしている。
そういう意味では多分95年の阪神がいずれ自分の中で熟成してきた時にあったのは「負けない」という覚悟だったんですよ。
でもそれが結果として東日本の起きた時に自分の立場と自分の状況の中でやっぱり出てきたのは今度はやっぱり「逃げない」という事ですね。
だからすごく攻撃的になったと思いますいろんな事に。
積極的になりましたし発言をすごくするようになりました。
目の前にあるいろんな大きな悲劇だったり大きな問題だったりそういう事を自分が直視してまっすぐ前に進めるか。
実はこれ「負けない」より「逃げない」の方がステージとしてきついんですよね。
そこが大きく変わりましたね。
阪神大震災から19年。
ついに真山さんは震災をテーマにした小説を書き上げます
神戸の経験を元にした初めての作品です。
物語は阪神大震災を経験した神戸の小学校の先生が東北の小学校に着任するところから始まります
「みんなの元気をもらいに来ました」。
小野寺は東北の教師とは全く違う話を子供たちにします
「そして大人たちにしっかりせんかいと言おう」。
主人公は神戸の小学校の先生で関西弁の小野寺と。
「許せへんと思う事を壁新聞に書け」と言ってわっと東北の子供たちの中に入っていくわけですね。
この小野寺という教師に何を言わせようとしたんでしょうか?東北で起きている震災は阪神を経験した人がもっと積極的にいろんな…入っていって経験を語るべきじゃないかというのがまず一つありました。
もう一つはこれは日本の社会にありがちなんですけど経験者だからこそ踏み込めるエリアというのがありますね。
甘えるなとかあるいはそんな事じゃ駄目でこの人たちにもっと文句を言えよというようなほんとの被災された人の側に立って時には応援するんですけど時には叱るという事のスタンスからするとやっぱり経験者がそこに入っていくというのが非常に説得力がある。
子供たちに「我慢するな」と「言いたい事を言っていけ」と小野寺は言うわけですけれどもそういう我慢して言う事を言えない子供たちの姿これはやっぱり阪神・淡路でもお感じになってた事ですか?そうですね。
やっぱりメディアを通じてですけどやっぱり「子供たちすごいな。
避難所でも明るく振る舞ってるしかいがいしく大人を手伝ってるやんか」って。
そういう話ってああいう災害報道があるとある時間から完全にそれ一色になりますよね。
つまり明るい話いい話応援してる。
でも子供がじゃあ本当に強いのかというとそんな訳ないですよ。
でも子供の多分DNAの中にある大人が駄目な時は子供がかいがいしくけなげに頑張る。
それはやっぱりいびつで特に阪神の時にすごく問題になったのは2年目にPTSDがバーッと出始めて結局ものすごく問題になった。
心がしんどくなってきた蓄積して。
なぜかというと我慢するからですね。
なら今回は一番震災を描くにはその明るい子供たちにちゃんと視点を当てて作るのがいいんだろうなと思ったんですね。
「黙とう」。
阪神大震災が起きた1月17日の早朝に行われる追悼式典です
小野寺先生は東北の子供たちに促されるようにして初めて式典を訪れます。
真山さん自身もある決意をもって去年初めてここに足を運びました
真山さんも何か吹っ切れたものというのがあったんですか?そうですねやっぱり私は自分の中ですごく思ってるのは私は「被災した」と言う資格はないとどこかで思ってたんですね。
でもやっぱりここを小説で使う以上は自分の目で見て寒さもあるいはいろんな人の雰囲気も肌で感じなきゃいけない。
それも一つの言い訳だったと思うんですけどちゃんと自分も神戸で起きた事を全部ちゃんと背負おうと。
そこをやりたかったので結構決意は要ったんですけどまあ半分取材ですけど半分やっぱり自分も被災した一人としてちゃんとここを訪れるべきだと思って来ました。
神戸市にある人と防災未来センターです。
市民から寄せられた資料や記録が展示されています
真山さんは今後も阪神大震災をテーマに小説を書きたいと考えています
震災では多くの人の命が失われてこれは二度と戻ってこなかった。
一方で生き残った私たちは次の日からまた生きていかなきゃいけない。
そんな中で真山さんのこれまでの震災をテーマにした小説何か阪神・淡路大震災の中で俯瞰して「このテーマかな」というのがあるとしたらどこでしょうかね?若干哲学的な答えになるかもしれないんですけどどうしてもああいう震災の被害を受けて生き残った人たちが思うのは生きてる意味を探そうとするんですよ。
生きてる意味探すのって確かに重要なんですけどそれを探す事はすごいつらい事ですね。
じゃあ自分が生きてるのと亡くなった方の意味の違いがあるのかとか重さや軽さがあるのか。
実はそうではなくてですね生きてる事に意味があるんですよ。
自分が被災した時をもう一度思い出すとですね自分が小説家になろうとするのを災害が邪魔するのかと思ったわけですよね。
こんな死に方するのかと。
でも死ななかったんですよね。
ずっと私自身さっきと矛盾しますけど自分で生き残った意味を考えていって小説家になれてそれでやっぱりそこで答えを出すとすればそれはやっぱり自分が感じた事を踏まえてあの震災は何だったんだろうという事を小説でやる事が私にとってこれはほんと生き残った意味だと思ってます。
自分が過ごしてきた20年も大事ですけどこれからのために私は生き残った以上ちゃんと自分が体験した事を小説に昇華していわば変な言い方ですけどノンフィクションに逃げないで小説に昇華する事によって多くの人に面白いけれども考えなきゃいけないというものを書くのは私が死ぬまでに必ずやらなきゃいけない一つだと思います。
2015/02/12(木) 00:10〜00:33
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「作家・真山仁」[字][再]

ドラマや映画にもなった「ハゲタカ」で知られる小説家・真山仁さん。阪神・淡路大震災から20年。被災経験を元にどんな作品を書いていくのか、その決意を聞きました。

詳細情報
番組内容
NHKのドラマや映画にもなった経済小説「ハゲタカ」で知られる小説家・真山仁さん。阪神・淡路大震災の経験を元に小説を書きたいと思い続けてきましたが、目の当たりにした大きな被害をなかなか言葉にすることができませんでした。震災20年を前に、ようやく震災をテーマにした小説を出版することができた真山さんに、今後震災とどう向き合っていこうとされているのか、その決意を聞きました。
出演者
【出演】小説家…真山仁,【きき手】住田功一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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