一冊の詩集が世に出ました。
作者は彫刻家の高村光太郎。
収められた詩は全て妻の智恵子をうたったもの。
2人の出会いから別れまで共に歩んだ27年間の記録です。
出版されるやいなや類いまれな愛の詩集として注目され戦争中にもかかわらず記録的なベストセラーに!今日の我々の晩餐はくさやの干物にたくわんにのりだ!まあ豪勢ね!貧しさにも負けず2人は夢を追い続けました。
智恵子に次々と不幸が襲いかかります。
智恵さん!そして訪れた悲劇…。
智恵さん起きろ智恵さん。
おい!さまざまな困難を乗り越え最後まで愛を貫いた2人。
その純愛の物語です。
明治時代の終わり東京のとある絵画塾に男たちに混じって絵を描く一人の女性がいました。
まだまだ考えられなかった時代。
それは誰もが戸惑う光景だったようです。
彼女の名は…着物の上にコバルトブルーのマントを羽織り西洋風に束ねたモダンな髪形。
街をさっそうと歩く智恵子は画家を夢みるおしゃれな女性でした。
明治19年智恵子は福島県の二本松に生まれました。
実家は造り酒屋。
家の裏には雄大な安達太良山と青い空。
美しい自然に囲まれて智恵子は少女時代を送りました。
幼い頃から絵を描く事が好きだった智恵子は…東京で智恵子が通った絵画塾が今も続いています。
女性の生徒がほとんどいなかった当時男性の中に混じって絵を描く事は大変でした。
こちら智恵子が描いたデッサン。
なんと男性のヌード!若い女性が男性の裸を描くなんてと…周りになじめず独りぼっちの智恵子。
しかし大好きな絵を描いている時はそんな事も気になりませんでした。
このころの油絵が残っています。
葉や茎などはもちろん時には実際に緑ではないものまでエメラルドグリーンを使いました。
キャンバスは智恵子にとって心の赴くまま自分を表現できる自由な世界でした。
ところが…。
智恵子がいつものようにエメラルドグリーンをふんだんに使って人物を描いていると…。
(先生)この色は不健康だね…。
人体を描く時には不健康な色は使わない方がいいでしょう。
特にエメラルドグリーンは一番の不健康色。
…慎みなさい。
先生は智恵子の色使いを頭から否定しました。
このころは油絵の世界でもまだまだ型にはまった考え方が支配的だったのです。
なぜ…。
どうすればいいのだろう…。
智恵子は悩みます。
そんなある日智恵子はふと手にした雑誌で思いがけない言葉を目にします。
「緑色の太陽を描いても良い」。
それはまさに智恵子にとって天からの救いの言葉のように響きました。
高村光太郎…どんな人なのかしら?幼い頃より父から彫刻の英才教育を受け美術学校を卒業後欧米に留学。
このころフランスでは伝統を打ち破る新しい芸術が次々と現れていました。
人の顔を描くのにも赤や緑黄色などの強烈な色を大胆なタッチで組み合わせて斬新な表現を生み出しています。
こうした新しい芸術の洗礼を受けて帰国した光太郎は保守的な日本の芸術界に反旗を翻します。
雑誌を舞台に芸術とは自由なものだと主張したのです。
智恵子は友人のつてをたどり思い切って光太郎のアトリエを訪ねます。
高村さん!ああ…。
お話した長沼智恵子さんですよ。
そうでした。
ごきげんよう。
長沼智恵子と申します。
高村です。
「太陽を緑に塗っても良いのだ」という光太郎との出会い。
それは初めて自分の芸術を受け入れてくれる人との運命の出会いとなりました。
程なく2人は交際を始めます。
光太郎の話を聞けば聞くほど智恵子は光太郎に引かれていきました。
一方光太郎にとっても智恵子は特別な存在になっていきます。
光太郎は新しい芸術論を雑誌などに次々と発表するものの彫刻の注文はなく収入はほとんどありません。
光太郎もまた不安にさいなまれていたのです。
そんな時出会ったのが智恵子でした。
芸術とは自由であるべき。
そんな光太郎の考えに深い共感を寄せる智恵子は光太郎にとってもいつしか心の支えになります。
ところが翌年智恵子に悩ましい問題が起こります。
既に26歳。
女性は10代で結婚するのが当然とされた時代両親の我慢も限界に達していました。
ふるさとに帰って結婚すれば画家になる夢は諦めなければなりません。
思い悩んだ智恵子は光太郎に打ち明けます。
私田舎に帰って結婚しようと思うんです。
両親から勧められて…。
お相手は?お医者様です。
光太郎はそれ以上何も言いませんでした。
しばらくして…。
智恵子は思いもよらないものを目にします。
「N女史に…」。
それは光太郎が雑誌に書いた詩でした。
題名は「Nー女史に」。
Nとは智恵子の名字長沼の頭文字のようです。
それはなんと光太郎から智恵子への熱烈なラブレター!芸術の道を歩みながら共に生きていける男性は光太郎しかいない。
智恵子は確信します。
(汽笛)智恵子は家を飛び出しました。
向かったのは千葉県の犬吠崎。
この時光太郎はここへスケッチ旅行に出かけていました。
智恵子は光太郎のもとへと駆けつけます。
そして2人はお互いの心を確かめ合ったのです。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今宵のお話は詩集「智恵子抄」で知られる高村光太郎と智恵子愛の軌跡です。
2人が出会って間もない頃から光太郎は折に触れ智恵子をうたった詩を書きためていました。
それをまとめたものが「智恵子抄」。
私も10代のころ夢中になって読んだ記憶があります。
太平洋戦争が始まる僅か4か月前の事でした。
当時は軍国主義の時代。
男女の自由恋愛などケシカラン!という風潮の中で心の赴くまま愛を貫く2人の姿はたちまち共感を呼びベストセラーに!そして今や「智恵子抄」は日本人の純愛の代名詞とまで言われるようになりました。
さてお互い心の支えとして引かれ合うようになった智恵子と光太郎。
しかし2人の行く手には大きな試練が待ち構えていました。
個性的な2人らしく新婚生活は型破りなものでした。
光太郎は昼間は彫刻夜は詩や評論の原稿を書きます。
智恵子は油絵。
親戚づきあいなど嫁としてのしがらみを気にする事なく智恵子には自由に生きてほしい。
そんな光太郎の願いがあったからです。
智恵さん出来たよ!今日の我々の晩餐はくさやの干物にたくわんにのりだ!まあ豪勢ね!生活は決して楽ではありませんでした。
収入は父の仕事の手伝いと原稿で稼ぐ僅かなものでした。
俺たちそのうち餓死するかも…。
私火あぶりの方がいいわ!貧しくても智恵子は平気でした。
互いに支え合いながらすばらしい作品を生み出したい。
それこそが智恵子の夢だったのです。
しかしその夢をかなえるのはなまやさしい事ではありませんでした。
このころの光太郎の彫刻「手」。
簡潔な中にも生き生きとした動きと力強さが見事に表現された作品です。
こちらは光太郎の自画像。
彫刻だけでなく片手間に描く油絵でも光太郎は光り輝く才能を発揮しました。
智恵子は光太郎に負けない作品を生み出そうと努力します。
しかしなかなか思うように描けません。
(泣き声)しまいにはいくら色を塗り重ねても満足できず絵を完成させる事ができなくなってしまいます。
光太郎は絵の前で涙を流す智恵子の姿を見て慰めの言葉もかけられなかったといいます。
光太郎と共に芸術家として成長する事を願っていた智恵子にとって絵の世界での行き詰まりは何よりもつらくこたえました。
智恵子に関する著作のある…夫の吉村昭さんと共に作家夫婦として歩んできました。
更なる不幸が降りかかります。
苦しみを募らせる智恵子。
おしゃれなコートで街を闊歩したかつての姿は失われ着る物にも無頓着になっていったといいます。
そんな智恵子の姿を光太郎は美しい詩にうたいあげました。
褒められればうれしいもの。
しかしそれは智恵子にとって次第に重荷ともなっていきます。
誰かに悩みを打ち明ける事もできず東京の片隅で智恵子は独り思い詰めていました。
そんなある日の事こんな言葉をつぶやきます。
東京には空がない。
えっ?ほんとの空が見たい。
阿多多羅山の上の青い空がほんとの空なの…。
ふるさとの空を見たい。
それはもしかしたら智恵子が光太郎に発したSOSだったのかもしれません。
更に智恵子に追い打ちをかけるような出来事が起こります。
もはや智恵子には帰る所すらなくなってしまいました。
智恵さん?そして…。
智恵さんおい!智恵さん…。
智恵子はとうとう大量の睡眠薬をのみ自殺を図ります。
おい智恵さん起きろよ!幸い一命は取り留めたもののこのころから智恵子は心を病んでいきます。
私もうじき駄目になる…。
何を言ってるんだ智恵さん?私もうじき駄目になる!その後病状は悪化。
しがらみにとらわれず自由に芸術を追い求めたい。
そんな2人の理想の生活は終わりを迎えました。
東京の片隅でふるさと福島の山の上に広がる空を懐かしむ智恵子。
智恵子はふるさとの自然を愛しそこに住む両親や弟妹たちをとても大切に思っていました。
それをうかがわせるものが残っています。
こちらは智恵子が妹のために作った小物入れ。
かわいいハート形の箱をこしらえその上に着物のはぎれを色とりどりに貼っています。
赤い太陽を背に大きく跳びはねるウサギは本当に動き出しそう。
こんなに手の込んだ作品を妹のために作るなんて智恵子は本当に優しいお姉さんだったんですね。
しかしそんな創作意欲すら失われ病に侵されていく智恵子。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
光太郎の愛が奇跡を生みます。
現実に対して固く心を閉ざしまるで自分ひとりの世界に住むかのようでした。
光太郎が訪ねても反応を示さない。
そんな日々が続きます。
どうしたら智恵子は心を取り戻してくれるのか光太郎は思いをめぐらせました。
(ノック)智恵さんごきげんよう!今日はねとってもいいものを持ってきた!ほら!ある日光太郎は智恵子が好きだった千代紙を渡します。
すると智恵子は目を輝かせ一心にその紙を折り始めました。
鶴だね!すごいね!見違えるように生き生きとした表情を見せる智恵子。
これをきっかけに智恵子の創作意欲が再び羽ばたき始めます。
(ノック)ごきげんよう!光太郎!おっ智恵さんおいおい。
やがて驚くべき事が起こります。
智恵子が大切そうに差し出したもの。
それはさまざまな色紙や包装紙封筒などを使って作られた切り絵でした。
これは何だい?おかず昨日食べた…。
おかずか。
そうか!すごい。
これは本当にすごいよ智恵さん…。
智恵子が病室で作った切り絵は光太郎を心底驚かせるほどのすばらしい作品となっていました。
智恵子の切り絵は今も残されています。
晩年の光太郎と親交を結んだ北川太一さん。
この切り絵には智恵子の人生の全てが詰まっていると言います。
智恵子は切り絵を作り始めてから心の状態が安定し…光太郎は智恵子の切り絵を「他にはない特別なもの」という思いを込めて…まるで2人が暮らし始めた当時に戻ったかのように幸せそうな笑みを浮かべる智恵子。
しかしもうその時には若い頃から智恵子をむしばんできた結核が進行していたのです。
間もなく智恵子は病床に伏せるようになります。
ついにその日がやって来ました。
智恵子の最期の様子を光太郎は詩に残しています。
智恵子を失った光太郎は仕事も手につかず呆然と日々を過ごします。
智恵子の死から3年光太郎はある決意をします。
それは折に触れて智恵子をうたった詩をまとめて出版する事でした。
巡り合い共に笑い励まし合いそして永遠の別れに至った光太郎と智恵子。
そうした2人の歩みを光太郎は全て世に出す事にしました。
昭和16年8月詩集「智恵子抄」が出版されます。
2人のひたむきな愛の姿とその生き方が大きな感動を呼びました。
智恵子と光太郎。
2人が共に歩んだ日々は人々の心の中で永遠の命を宿す事となったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
家を失った光太郎は知り合いの招きでこの地に身を寄せます。
戦後も東京に戻る事なくひとり山小屋に籠もって自給自足の生活を続けました。
光太郎の暮らした小屋がそのままの状態で保存されています。
雪国の厳しい冬もこの囲炉裏一つで耐えました。
光太郎はこの山奥で何を思い暮らしていたのでしょうか?近所に住む…当時光太郎に度々差し入れをしていたと言います。
そんな光太郎に山を下りる決意をさせたのも智恵子でした。
昭和27年山暮らしも8年目を迎えた光太郎に彫刻の依頼が舞い込みます。
光太郎はそうつぶやいたといいます。
光太郎は山を下りアトリエを借りて彫刻の制作に取りかかりました。
既に69歳。
文字どおりこの仕事に最後の力を振り絞ったのです。
青森県の…湖のほとりにその彫刻はあります。
手を合わせて向かい合う2人の女性。
それぞれ智恵子の外面の姿と内面の姿を表したものとも…。
女性の像ですが光太郎と智恵子を重ね合わせたものとも言われます。
この彫刻の完成から3年後光太郎は世を去りました。
しかし2人が命を燃やして貫いたその愛は永久に輝き続けているのです。
2015/02/11(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集“智恵子抄”」[解][字]
詩集「智恵子抄」で知られる彫刻家・高村光太郎と妻・智恵子の純愛。芸術への夢を追い求める二人を待っていた哀切な運命とは?日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届け。
詳細情報
番組内容
彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。
出演者
【出演】前田亜季,鈴木一真,【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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