「日本百名山一筆書き人力踏破グレートトラバース」。
登山家で作家の深田久弥が品格歴史個性に優れた山を選んだ「日本百名山」。
その100の頂を南から北へと一気に駆け抜ける前代未聞の挑戦だ。
挑んだのはプロアドベンチャーレーサーの田中陽希。
世界大会で何度も入賞した実力者だ。
やったぞ〜!2014年4月1日鹿児島県屋久島の宮之浦岳をスタート。
そこから一切の交通機関を使わず自分の足だけを頼りに一筆書きで北上。
海を渡る区間はカヤックを使う。
ゴールの北海道利尻島の利尻岳まで全行程7,800キロ。
登る標高は累計10万メートルにも及ぶ。
田中はそれを200日余りで完全踏破した。
7か月に及んだグレートトラバース。
それは想像を絶する困難の連続だった。
6月残雪に覆われた日本アルプス。
3,000メートル級の山々で田中はさまざまな試練に直面した。
北アルプスでは断崖絶壁の岩場が続く。
常に死と隣り合わせの道を進んだ。
7月そんな田中の挑戦は大勢の人の共感を呼んだ。
8月本州最後の山岩木山で遭遇した激しい雷雨。
(雷鳴)絶体絶命の大ピンチ!10月ゴールを目前にした利尻水道。
田中は北の海に投げ出された。
試練と感動の日々。
田中は何を見て何を感じたのだろうか?「グレートトラバース完全踏破編」。
田中陽希が成し遂げた7か月7,800キロの足跡をたどる。
世界遺産の島…洋上のアルプスといわれる1,800メートル級の山々。
その最高峰宮之浦岳が一つ目の百名山だ。
(取材者)321スタート。
オーケー行ってきま〜す。
行ってらっしゃい!
(拍手)2014年4月1日午前0時。
日本百名山を全て自分の足で踏破するグレートトラバースが始まった。
午前5時半宮之浦岳の登山道に入った。
この登山コースは普通に歩けば17時間。
早くても1泊2日はかかる。
それを田中は一日のうちに10時間ほどで踏破しようという計画だ。
一般登山者の倍近いスピードで登り続ける。
午前6時空が白み始める。
スタートから6時間標高1,600メートルを越えるとうっそうたる森が開け突然視界が広がった。
海抜0メートルから歩き続けて7時間標高は1,800メートルを超えた。
やった〜!やった〜!着いた!あああったあったあった。
着きました!宮之浦岳標高1,935メートル。
九州で一番高い山です。
登頂!イエ〜イ!イエイ1個目。
4月1日午前8時。
百名山完全踏破の1番目として田中は屋久島の最高峰宮之浦岳の頂上に立った。
山頂に到着した田中。
何かを探している。
あっここか。
道がそっちについてるから…。
うわ狭っ!おっとっとっとっとちょっと…屋久島に伝わる山岳信仰…浜辺の砂や塩などを山頂の祠に供え山の神へと祈願する古くからの習わしだ。
行ってきます。
よろしくお願いします。
翌日陽希さんは次の百名山開聞岳を目指しカヤックで薩摩半島へ。
2日間83キロパドルを漕ぎ続けました。
開聞岳を踏破し3つ目の百名山霧島山へ。
霧島山は大小20を超える火山群の総称。
目指すは高千穂峰と韓国岳2つの山。
そこでは地球の神秘を思わせる壮大な光景が待っていました。
午前11時登山口を出発。
アドベンチャーレース仲間の池田さんと渡辺さんも同行する。
登り始めて30分。
突然目の前にこれまで見た事もないような絶景が現れた。
直径およそ600メートル深さおよそ200メートルの御鉢の火口。
最後の噴火は大正12年90年ほど前の事だという。
高千穂峰へはその御鉢の火口の淵を歩く。
幅3メートルほどの通称馬の背越えだ。
高千穂峰を覆う溶岩ドームの断面がむき出しとなっていた。
高千穂峰の山頂付近に白いものが見える。
山頂付近が白かった理由は木々についた美しい霧氷だ。
通常冬にしか見られないはずだが前夜雨が降り気温も下がったため幸運にも見る事ができた。
高千穂峰に登頂。
コースタイム1時間半の道のりを1時間ほどで登り切った。
山頂から見渡せる360度の展望。
霧島の火山群が一望できる。
霧島山の最高峰標高1,700メートルの韓国岳。
田中は霧島山の踏破にはこの最高峰も登る必要があると考えていた。
午後4時30分韓国岳山頂に到着。
コースタイム2時間を1時間半で登頂した。
山頂には夕景を見るために残っていたという2人の女性がいた。
田中が話しかけると…。
お手製の甘酒をごちそうしてくれた。
頂きます。
都城市に住む友達同士の2人。
霧島登山を20年間続けているという。
思わぬ出会いに心を癒やされた田中。
次の百名山を目指す。
霧島山を登った陽希さんはその後阿蘇山などを巡り九州最後の百名山九重山まで計5座の百名山を10日間で踏破しました。
ところが次の百名山鳥取県の大山はなんと480キロも離れていました。
山と山をつなぐ距離としては全行程中最も長い道のりです。
大山の麓まで10日はかかると見込んでいた陽希さん。
それでも一日に50キロも移動しなければなりません。
7つ目の百名山は遠くかなた。
過酷なロードへの挑戦となりました。
4月23日午後6時半。
大山の麓米子市内まではあと14キロだ。
遠くにうっすらと目指す百名山大山が見えてきた。
ようやく。
標高1,729メートル。
中国地方の最高峰大山。
この旅初めての雪山。
その状態が気になる。
だがそんな心配もよそに田中の心は躍っていた。
実に10日ぶりの登山なのだ。
標高1,300メートル。
ここからが雪が積もる急斜面だ。
雪は思いの外軟らかかった。
それでも一歩一歩慎重に進む。
雪が残る大山の北壁。
この時期ならではの絶景だ。
登山口から歩く事1時間半。
標高1,600メートル付近の稜線に到着。
すると山頂が見えてきた。
登頂しました。
オーケー着いた〜。
しかし遠かったな本当。
田中が歩いてきた日本海沿岸が見える。
10日ぶりに見る山頂からの風景。
中国地方最高峰からの大展望だ。
次に目指す百名山は四国愛媛県の石鎚山。
大山からはおよそ250キロだ。
翌25日夜11時。
大山の麓からここまで70キロ。
一日の行程としては最長の道のりを歩いてきた。
だがここで予想外の事態が起こる。
あ〜足痛い。
この旅始まって以来初めてのマメが出来ていた。
九州から休まず進んできた長い舗装道路の道。
足への負担は想像以上だ。
この日も出発から既に12時間が経過していた。
連日50キロを超える過酷な移動。
体力は既に限界だ。
強烈な眠気が田中を襲う。
田中は舗装された平たんな道すら険しいと感じていた。
大山のあと四国に入った陽希さんはまず石鎚山を踏破。
続く剣山で念願の御来光に感動。
そして紀伊水道を渡り大峰山へ。
更に北上し信仰の山白山を踏破。
旅は日本アルプスへ突入します。
3,000メートル級の山が連なり百名山の3分の1が集中する旅のクライマックスです。
まずは南アルプス。
6月予想をはるかに超える残雪が冬山経験の浅い陽希さんを苦しめました。
でもその果てには息をのむ絶景が待っていたんです。
6月1日。
旅を始めてから2か月がたった。
この日は3,100メートルを超える高峰赤石岳に登る。
お〜っすごい。
すごい。
すごいっす。
雲海の上に浮かんでいるのは中央アルプス。
そして北アルプスだ。
今日は雲一つない。
やばいねこの今日の天気。
目の前に赤石岳がひときわ大きくそびえ立つ。
注意深くアイゼンとピッケルを雪に突き刺し登り始めた田中。
中腹を過ぎいよいよ難所にさしかかる。
重心に注意を払いながら一歩一歩登る。
雪の壁の傾斜は次第に厳しさを増していく。
40度の急傾斜。
雪の感触を確かめながら慎重に登る。
ここで足を滑らせれば確実に命はない。
慣れないアイゼンとピッケルで格闘する事30分。
田中は見事雪の壁を登り切った。
あれこんなに近いんだ。
いや〜…。
やった〜。
赤石岳。
到着です。
頂からの圧倒的な絶景。
数々の困難を乗り越えた者だけが見る事を許されるご褒美だ。
南アルプス3つ目の百名山赤石岳に登頂。
富士山をはじめとする日本の屋根。
その絶景を独り占めした。
田中は残雪が多く厳しい山行となった南アルプス10座を10日間で踏破した。
陽希さんは中央アルプスを越えていよいよこの旅最大の難関北アルプスへと入ります。
3,000メートル級の峰々が連なる北アルプスでは数々の名峰と険しい難所が陽希さんを待っていました。
これ雨降ってたらちょっとやめた方がいいね。
あっ!いいねこの山頂。
ヒョコッて見える。
よいしょ!登頂しました〜!北アルプスの最難関岩と雪の殿堂剱岳。
予想を超える残雪によりルート変更を余儀なくされた田中。
だがその道も苦難に満ちていた。
剱岳へのルート。
通常の夏道は小屋から剱沢へ下りたあと稜線に登り切り立った岩稜をたどって山頂へと向かう。
だが今年は雪が多く残っている事から稜線のルートは滑落の危険性が極めて高い。
そこで田中が選んだのは剱沢を600メートルほど下りそこから平蔵谷と呼ばれる雪渓を直登するルートだ。
落石や雪崩の危険はあるものの稜線よりリスクは小さいと田中は判断した。
6月23日。
剱岳に向かう田中の前に朝日が昇る。
午前5時半最小限の荷物を持ち小屋を出発する。
40分後登るべき谷の入り口が見えてきた。
(取材者)これ登るんですか?ここが平蔵谷だ。
右側は切り立つ岩壁。
その下には多くの落石が転がる。
万が一当たれば命はない。
田中は谷の左側を一直線に登っていく。
高度差は700メートル。
通常のルートとは違い踏み跡はない。
クレバスに注意しながら一歩一歩歩を進める。
谷の上部に進むにつれ斜面の角度が増す。
息があがり全身の筋肉が悲鳴をあげる。
長く休むと体が動かなくなる事を田中は経験から知っていた。
登り始めて1時間。
田中は標高差700メートルの平蔵谷を登り切った。
剱岳山頂まで標高差150メートル。
だが巨大な壁が立ちはだかる。
カニのたてばいと呼ばれる難所だ。
垂直に近い岩盤を1本の鎖を頼りに登る。
足場を固め体を引き上げる。
その繰り返しで高度を上げていく。
最後はガレ場の急坂を進む。
小屋を出てから3時間ようやく頂上が見えた。
岩と雪の殿堂剱岳を制した陽希さんはその後次々と北アルプスの難所を克服。
南アルプスに足を踏み入れてから1か月で日本アルプス百名山28座を登頂しました。
その後信越の山々を巡り八ヶ岳へ。
うわ〜風強え!総距離45キロを1日で駆け抜けるスピード登山でした。
そして7月16日日本の最高峰富士山へ。
肩の脱臼に見舞われながら無事登頂を果たします。
その後伊豆半島天城山を巡り関東地方に入った陽希さんを待っていたのは数多くのファン。
日を追うごとに陽希さんの挑戦に共感を寄せる人が増えていきました。
7月21日朝6時。
丹沢山の登山口大倉の公園に大勢の人たちが集まっていた。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
この日田中は丹沢登山を前に声援を送ってくれるファンの方々との交流イベントを開いていた。
アイドル顔負けの撮影会も行われた。
この日集まったファンは200人以上。
遠く沖縄から来た人もいたという。
どうもありがとうございました!
(拍手)ありがとうございます。
初めまして田中と申します。
あっありがとうございます。
行くさきざきで田中は自分に寄せるファンの期待を実感した。
ありがとうございます。
(シャッター音)どうもありがとうございます。
じゃあ…。
あ〜いいです。
だが一方で重いプレッシャーも感じ始めていた。
そして容赦なく降り注ぐ真夏の日ざし。
関東平野の横断は田中の身も心もすり減らしていった。
筑波山や赤城山など北関東の山々6座を踏破した陽希さん。
8月に入り群馬県と新潟県の県境に位置する谷川岳の麓に到着します。
険しい岩壁と複雑な地形で多くのクライマーたちを魅了してきた谷川岳。
この山に登る頃炎天下で旅を続けてきた陽希さんの疲労はピークに達しようとしていました。
ベッドに横たわる田中。
病院で点滴をうっていた。
前夜39度近くまで熱が上がり下がらなくなったのだ。
原因は極度の過労によるものと診断された。
その翌日。
この日も熱が一向に下がらず精密検査を受ける事にした。
医師によれば腸の不調により水分の吸収が妨げられ熱が下がらなくなっているとの事。
数日間の安静が必要と診断された。
どうもありがとうございました。
それから田中の熱が下がるまでに5日を要した。
8月6日。
1週間の休養で熱は引いたものの体調が完全に戻った訳ではない。
それでもこれ以上予定を遅らせる事はできないと出発を決断した。
午前6時50分田中は谷川岳の登山道へ入った。
ここから急な登りが続く。
必死にペースを保つ田中。
既に大量の汗をかいているようだ。
午前8時10分標高1,320メートルの天神平に到着。
コースタイム3時間を1時間20分ほどとかなりのハイペースだ。
このペースで登れば谷川岳の頂まで1時間半ほどのはずだ。
ところが天神平から1時間ほど歩いた地点で突如田中のペースが落ちた。
(荒い息遣い)足取りは更に重くなる。
(荒い息遣い)座り込んで休みを取る。
やはりいつもの田中ではない。
(荒い息遣い)座り込んでから15分後再び歩き始めた田中。
午前10時30分。
予定より1時間以上遅れて谷川岳の山頂オキノ耳に到着。
70座目の百名山はこれまでで最も苦しい登山となった。
まあ…。
最大のピンチを乗り切った田中。
旅は更に北へと続く。
ここまでおよそ4,500キロを踏破した陽希さん。
その後苗場山や魚沼駒ヶ岳など上信越の百名山4つを登り尾瀬ヶ原に入りました。
いよいよ旅の舞台は東北へと移ります。
頑張って下さい。
頑張って下さい。
磐梯山や安達太良山など会津の山々を巡り福島山形新潟3県にまたがる飯豊山にたどりついたのは8月下旬。
夏の間も消える事のない雪渓。
その恩恵を受けこの時期でもかれんな高山植物が咲き乱れていました。
8月22日午前6時登山口を出発。
山の更に奥にあるという飯豊山。
長い一日になりそうだ。
これだ。
うわっ!うわ〜!めっちゃ冷たい。
午前8時飯豊山の南に位置する三国岳に到着。
あっあれかな?ここでようやく飯豊山がその姿を見せた。
夏の間も完全に消える事のない雪渓は飯豊山独特の自然も育んできた。
飯豊山では短命な夏の花をほかの山に比べ長い期間楽しむ事ができる。
それは夏の間ゆっくりと雪が解けていく事で雪の下から次々と新たな花が咲きだすからだ。
次第に天候は下り坂。
いつの間にか頂も雲の中に隠れていた。
よいしょ。
着いた着いた。
ようやく着きました。
こんにちは。
おお〜。
こんにちは。
すごいですね。
午前10時コースタイムの半分ほどで82座目の飯豊山の頂に到着。
残る百名山は18座。
ゴールまではおよそ2,500キロだ。
続いて陽希さんは鳥海山早池峰山八甲田山を巡りました。
そしていよいよ本州最後の山岩木山へ。
津軽富士と呼ばれるほど美しい山ですがここで陽希さんは絶体絶命の大ピンチに陥ったのです。
9月10日午前7時半登山開始。
この日の天気は午後には下り坂になり所によっては雷雨になる可能性があるという予報。
田中は天気が崩れる前の午前中に下山する計画を立てていた。
お疲れさまです。
おはようございます。
(拍手)おはようございます。
あっ着いた。
午前9時半本州最後の百名山岩木山に登頂。
あ〜着いた。
すると天候が悪化し始めた。
予報よりもかなり早い。
急いで下山を開始する。
下り始めて1時間。
雨が降り始めた。
(雷鳴)遠くに雷鳴が聞こえる。
(雷鳴)岩木山は平地の中に立つ独立峰。
落雷の危険性は高い。
少しでも高度を下げようと全力で走る。
(雷鳴)ところが…。
(雷鳴)田中の目の前に雷が落下。
大真面目に危ない危ない。
(取材者)上来た!上来てるよ。
(雷鳴)こうなったらもう動く事はできない。
真上だ真上。
真上真上。
やぶの中に身を潜めて雷が通り過ぎるのを待つ。
(雷鳴)じっとして待つ事30分。
どうやら雷は去ったようだ。
舗装路に出るまでは。
午後0時半無事赤倉神社に下山。
疲れました。
落雷直後は握った手が開かずストックをなかなか手放せなかったという田中。
雲が去り日がさし始めるとようやく緊張が解けた。
9月12日津軽海峡はおおむね凪。
陽希さんはカヤックで海を渡り故郷の北海道に上陸します。
後方羊蹄山を登り続いて幌尻岳へ。
日高山脈の主峰にして北海道の最深部に位置する難関の山。
この山で陽希さんは予想外のアクシデントに見舞われます。
9月23日林道を歩く事4時間。
登山道に入る。
道は決して快適ではない。
難関の山だけあって登山者も多くはない。
ようやく幌尻岳の稜線が見えた。
だが標高差はまだ1,000メートル以上ある。
急な登りに入ると田中はペースを上げた。
あ〜ああ〜!あえぎながらもスピードは落ちない。
あ〜あ〜あ〜あ〜…。
標高が1,200メートルを超えると森が色づき始めた。
この旅で初めて目にする紅葉だ。
登山口から1時間半。
標高1,600メートル付近。
そこはすっかり秋の色に染まっていた。
(取材者)草紅葉?きれいですね。
先を急ぎたいはずの田中も美しい草紅葉にしばし足を止める。
(シャッター音)稜線が近くなると岩場の急登が続く。
登山口から2時間ようやく山頂が見えてきた。
よっしゃ〜。
やったぞ。
無事幌尻岳の登頂を果たした。
2,052メートルの山頂からは秋空に映える日高の山々を一望する事ができた。
下山を開始して3時間林道に入った。
その時田中の顔がゆがみ始めた。
右足の痛みが限界を超えたのだ。
痛て…痛ぇ痛てててて…。
実は前日田中は34キロに及ぶ林道歩きで右足のすねを痛めていた。
幌尻岳へはその痛みを押して登っていたのだ。
その後田中は富良野にある実家で休息を取る事にした。
医者によると完治には最低1週間休む必要があるという。
だが大事をとって休みを延ばせば季節は着実に冬へ近づき北海道の山は雪に閉ざされてしまう。
暦は10月になった。
富良野に着いてから7日目ザックを背負った田中が家から出てきた。
(取材者)どうですか?足の具合は。
張りはありますけど…。
6日間しっかり休養を取った田中いよいよ出発の時だ。
だが突然痛みだしたりしないだろうか。
不安を抱えたまま十勝岳へ挑む。
負傷明けの陽希さんでしたが見事十勝岳に登頂。
その後復活をアピールするかのように北海道の最高峰大雪山旭岳99座目の羅臼岳を踏破します。
百名山完全踏破まで残り1座に迫りました。
99〜!半年以上かけて目指してきたゴール。
100座目の利尻岳が見えてきた。
ゴールを目前にして不安げな田中。
この旅最後の難関が待ち受けていた。
利尻島との間に横たわる利尻水道。
潮の流れが速い上風も強い。
万一北へと流されれば外洋まで行ってしまう。
これまでとは比較にならない危険な海峡だ。
気になるのは風の強さ。
この秋口は一年で最も風の強い季節だという。
波も高そうだ。
予報によるとこの日沖合の波の高さは3メートルに達するという。
田中は地元のガイドに相談の電話をかけてみた。
だがガイドによれば明日以降海は更に荒れしばらく渡れない日が続くという。
頑張ってこいよ!うん。
頑張って下さい!は〜い。
ありがとうございます。
今日を逃せば当分渡れない。
田中はカヤックを漕ぎ出す事を決断した。
利尻島までの距離はおよそ25キロ。
ふだんなら3時間ほどで渡れる距離。
だがこの日は3時間たっても半分にも達していない。
南西からの風は時間とともに強まり11時には風速10メートルを超えた。
風に流されないよう必死にパドルを漕ぐ。
出発してから7時間向かい風の中漕ぎ続けてきた田中。
疲労の色が濃い。
午後4時突然島からこの日一番の風が吹いてきた。
風速20メートルに迫る強風だ。
一瞬田中の姿が見えなくなった。
突風でカヤックが転覆。
田中は冷たい海の中に放り出されていた。
波にもまれながらも必死に乗り込もうとする田中。
再び転覆。
もう一度トライ。
だが打ち寄せる波に阻まれなかなか乗り込む事ができない。
ようやくカヤックに収まった。
転覆してから7分。
この間奇跡的に風が弱まっていたため大きく流される事はなかった。
夕闇の中田中は最後の力を振り絞り港を目指す。
利尻島に着いたのは午後5時半。
9時間にも及ぶ長い航海だった。
ホッとした途端田中の目から涙があふれた。
田中はこの旅の過酷さを改めて痛感した。
海上に浮かぶ独立峰利尻岳。
この山が7,800キロ7か月に及ぶ旅のフィナーレとなる。
だが翌10月24日島には強風が吹き荒れた。
田中は利尻岳の8合目で撤退を余儀なくされた。
更にその翌日も海は大しけとなった。
風も更に強まっている。
予報によると2日後には一番の強い寒波が来るという。
雪に覆われてしまえば利尻岳への登頂はより難しくなる。
その翌朝4時。
夜が明ける前田中が玄関から出てきた。
これから利尻岳へ登るというのだ。
予報によると朝6時から8時の2時間だけ風が弱まるという。
その僅かな隙をついて田中は登頂を狙う。
出発してから2時間7合目まで登ってきた。
霧で見通しはよくないが予報どおり風は夜明けとともにやんでいた。
風がないうちに登ってしまいたい。
田中はスピードを上げる。
9合目を過ぎると火山特有の小石で足元が滑りやすくなる。
右側が切れ落ちた稜線に出た。
ここで突風に吹かれたらひとたまりもない。
(風の音)風が吹き始めた。
…とその時。
あっ!来たぞ〜!最後の頂が見えた。
12345678910!やった〜!ハハハハハッ!やりました!うお〜!屋久島宮之浦岳から北海道利尻岳まで7,800キロ。
208日と11時間15分。
自らの力で日本百名山を完全踏破した。
本当に。
ありがとうございました〜!冬の日本海。
2015/02/11(水) 13:05〜14:20
NHK総合1・神戸
グレートトラバース 完全踏破編「百名山一筆書き7,800kmの旅」[字]
プロアドベンチャーレーサーの田中陽希が百名山一筆書き人力踏破に挑んだ「グレートトラバース」。BSプレミアムで放送され好評だったシリーズのハイライトを74分で紹介
詳細情報
番組内容
プロアドベンチャーレーサーの田中陽希が、屋久島宮之浦岳から利尻島利尻岳まで7800km、日本百名山を自分の足とカヤックで約7か月間かけ、人力踏破に挑んだ冒険ドキュメント「グレートトラバース〜日本百名山一筆書き踏破〜」。昨年BSプレミアムで5回にわたって特集が放送され、また現在も朝の15分ミニ番組が評判のこのシリーズの全貌を、今回74分に再編集。見どころ満載のハイライトシーンを中心に紹介する。
出演者
【出演】アドベンチャーレーサー…田中陽希,【語り】岩井証夫,眞鍋かをり
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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