エボラ蔓延、シエラレオネはなぜ無防備だった?
ナショナル ジオグラフィック日本版 2月16日(月)9時58分配信
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| エボラ出血熱で錯乱し、隔離病棟を飛び出した男性。12時間後に死亡した。(Photograph by Pete Muller, Prime for National Geographic) |
厳戒態勢が続くエボラ最大の被害国の一つ、アフリカ西部のシエラレオネを現地取材した。エボラ被害はなぜここまで拡大したのか。世界報道写真賞を受賞した写真とともに検証する。
【ギャラリー】シエラレオネのエボラ・レポート(世界報道写真賞受賞作品)
さびたブリキ屋根の小屋が、遠くに見える海まで延々と続いていく。
ここはアフリカ西部の国シエラレオネ。首都フリータウンのスラム街クルーベイでは、粗末な家々のすき間で、人々は炊事・洗濯をし、用を足し、ラジオやエンジンを修理する。
「Ebola: No Touch Am」(エボラ:触るな)と書かれた白い横断幕が、崩れかけた塀から垂れ下がり、殺人ウイルスが今なおこの国で猛威を振るっている現実を思い出させてくれる。触るなといわれても、1部屋に家族6人が寄り添うように生活し、路地をすれ違えば肩が触れてしまうこの町では無理な話だ。
エボラウイルスがシエラレオネを襲ってから7カ月以上が経過した2014年12月、首都フリータウンとその周辺は一大流行の中心地と化していた。
町外れにあるコンクリートの建物の陰で、女性が横になっていた。その日、エボラウイルスの感染が疑われる4人の病人が、家から運び出されたのを見たという。政府職員たちは、完成したばかりの一時隔離センターへ患者たちを搬送し、検査をする。けだるそうに話す女性は、お腹が空いて疲れている、と付け加えた。そのまま私たちは、眼下に広がるスラム街と、サハラ砂漠の砂塵でかすんだ海を見つめていた。
2014年9月初めの時点で、首都のあるシエラレオネ西部で報告されたエボラ患者数は79人だったが、12月末にはその35倍の2766人に膨れ上がっていた。潜在的患者数はもっと多いと見られている。隔離されずに家庭から回収された遺体の3分の1が、ウイルス検査で陽性反応を示していたからだ。この人々が死ぬ前の1週間、発汗、嘔吐、出血を繰り返し、それと一緒に大量のウイルスが体外へ流出、周囲の人間へ感染させた可能性は十分にある。
12月の終わり、フリータウンに建設された新しいエボラ治療センターで、「国境なき医師団」のシエラレオネ代表を務めるティリー・ゴフー氏に会った。疲労の色を見せるゴフー氏は、「流行が始まって半年以上になりますが、フリータウンではエボラがより活発になる可能性がまだあります。尋常ではありません」と語った。
同じころ、シエラレオネは外国政府やNPO(非営利組織)の支援を受けて、対策を強化していた。ここにきてようやくその効果が表れつつあるらしく、感染拡大のペースが落ち着き始めている。しかし、フリータウンがなぜこれほどまで大流行に対して無防備だったのかを詳しく調査し、何かを学び取ることができれば、今後のエボラ対策や別の災禍に備えて役立つこともあるだろう。
最終更新:2月16日(月)19時22分
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