しばらくブログを書かないうちに、なんと年が明けてしまいました。
みなさん、あけましておめでとうございます。
みなさん、あけましておめでとうございます。
それにしても新年って不思議ですよね。
ただ日付が変わるだけなら一年365日、毎日繰り返されていることなのに、大晦日から元旦に変わるだけで、なんだかすごく特別で神聖なことのように思えます。
おそらくそれは、日本中の、いや世界中の人たちが共有する「暦」という感覚があるからこそなのだと思います。
12月31日から1月1日にかけて、この地球のどこかで一時間刻みにいろんな国の人々が「おめでとう!」と叫んでハグしたりキスしたりしているかと思うと、それだけで幸せな気持ちになります。
さて、そんな年末年始ですが、私はすごく平凡な感じに迎えました。
大晦日は年越しそばを食べて紅白歌合戦を見て、元旦は朝寝坊してお雑煮を食べ、年賀状を見ました。
その紅白歌合戦、久しぶりに真面目に見たせいか、とても感動してしまいました。
私が特に心を打たれたアーティストさんが二組いらしたのです。
その第一が、長渕剛さんです。
私よくわかっていなかったのですが、長渕さんが歌われた「明日へ続く道」っていうのは、新曲だったんだそうですね。
東日本大震災の被災者の方々に向けた応援ソングだと思うのですが、「諦めないで、何度でも立ち上がってやれ」っていうメッセージに、心を大きく揺り動かされました。
翌日になって、もう一度歌詞を確認したくてネットで検索して読んだのですが、涙でよく文字が見えませんでした。
私は、被災者ではありません。
だからこそ思うんです。
三年前に被災して、私などからは想像もできないぐらいつらい思いをされた方がたくさんいらして、それでも諦めずにまた立ち上がって復興に努力されている方がいる。
引き比べて、私なんかが抱えている悩みなんてほんとうに些細なことです。
それでも時々、自分でもどうしたらいいかわからないほど落ち込んでしまうこともあって。
そんな私に、「諦めないで、何度でも」のメッセージは、とてもとても強く深く心に響いてきました。
長渕剛さんは、ご自身が何度も被災地に入って、地元の子供たちを励ます活動をされていると聞いたことがあります。
そんな方の言葉だからこそ、私の心を大きく揺り動かしたのだと思います。
そう考えると、歌っていうのは小手先の技術や耳障りのいい言葉じゃないな、と痛感します。
そう考えると、歌っていうのは小手先の技術や耳障りのいい言葉じゃないな、と痛感します。
歌い手の生き方そのものが聞き手に伝わるとき、大きな感動を生むのではないかな、と思いました。
そして、長渕剛さんに続いては、サザンオールスターズです。
彼らが紅白に出るのは31年ぶり、ということだったのですが、本当かなあと思うぐらい私にとっては超メジャーなグループです。
コンサートに行ったことはないんですけれど、CDなら何枚も持っています。
そんな彼らが紅白で歌った「ピースとハイライト」は、サザンの中では異色な歌なんじゃないかと思います。
受け取り方は人それぞれでいいと私は思うんですが、私には現在の世の中に警鐘を鳴らしているように聞こえました。
私が感動したのは、歌の内容より何より、彼らが31年ぶりの晴れ舞台で、批判を覚悟でこうしたパフォーマンスをやりきったというところです。
話はずいぶんと小さくなってあれなのですが、こんな私でも弱小ブログを持っていると、ちょっとした記事の書き方や何かでご批判をいただくことがあるんですよ。
それが怖くて、だんだん自分の言いたいことが自由に言えなくなってきたなあと感じることもあります。
ましてや大晦日の紅白で、強いメッセージ性を込めた歌を歌う勇気って、いったいどれほどのものなんだろうと思うと、途方に暮れてしまいました。
サザンが何十年も厳しい世界で生き残ってきたのは、才能や実力よりも何よりも、この熱いスピリッツのなせるわざなのではないかな、なんてことを感じました。
長渕剛さんもサザンオールスターズも、私にはとてもとても「かっこいい大人」に見えました。
「かっこいい」という感覚は、人それぞれに違うと思います。
私にとっての「かっこいい」は、どんな困難にもくじけず、何度でも立ち上がる人のことです。
そして心の中にある思いを、自分の作品に堂々と込める人のことです。
ああ私も、そんなかっこいい大人になりたいと強く思った年頭でした。
今年は、何よりもまず、ほったらかしになっている小説サイトを再開したいです。
そして去年書いた新作長編を、ぜひみなさんに読んでいただきたいと思っています。
そしてそして、毎年言っていますが今年こそ、みなさんがのた打ち回るぐらい面白い小説を書きたいと思っています。
今年も頑張ります!
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
沙色みお