ドイツといえば、さっそうと走るベンツやBMWや、切れ味鋭いゾーリンゲンの刃物やおいしいドイツビール、そして最近では香ばしいドイツパンというイメージを持つ方が多いだろう。そして、これらのドイツ製品の背後に、ドイツの職人やマイスターのイメージを心の中に描いている方も多いに違いない。
実際、ドイツは今でも技術立国である。例えば、1998年の時点で国際特許出願数の上で、ドイツはアメリカにつぐ世界第2位
の国である。EU15カ国の中では歴然として第1位で、何と出願数だけで言えば、EU全部の41.1%を占めている。(ちなみにEU第2位
のフランスは16.3%である。) 本稿では、このようなドイツの技術を伝統的に根本で支えていると思われる職業教育とマイスター制度について、紙面
の関係上、要点を絞って簡潔に記述することにする。 順序としては、職業教育も教育の一環である以上、ドイツの教育制度一般
について略述し、その次にデュアル・システムと呼ばれるドイツの職業教育の概要を説明し、最後にマイスター制度について述べる。
1.義務教育と学校制度
まず最初にドイツの社会と教育制度についての原則的に重要な点を説明することにしよう。
ドイツは各州が連合して一つの国を作っている連邦制の国家である。東西ドイツが再統一して10年以上経ったが、旧西ドイツが11州、旧東ドイツが5州で、州の数は全部で16である。
ドイツの学校教育制度の基本的な権限は、これらの全部で16の各州にある。したがって、学校制度そのもの、各学校の就学年数等、各州によって少しずつ違っている。日本では文部省というのは中央に一つしかないが、ドイツでは各州にそれぞれの文部省があり、それに対応して16人の文部大臣がいるわけである。中央レベルでは連邦教育学術・研究・技術省という省があるが、高等教育や研究等の一部の領域にしか権限をもっていない。各州に文部省があって、それぞれの学校法、学習指導要領を定めているわけだが、そのままだとドイツ全国での統一が全くとれず、それこそ他州への転校が不可能になったり、他州への大学の入学資格問題が生じたりするので、各州の文部大臣によって構成され、出席して行われる州文部大臣会議によって、教育課程や内容の重要な点に関してはできる限り全国的な統一化が行われている。この州文部大臣会議が、ドイツの教育制度における事実上の最終決定機関となっている。
それでは、ドイツの教育制度の各論に入ることにしよう。以下の記述では各州の細かい違いを基本的に度外視することにし、全国的にほぼ共通
であることを紹介していく。また、東西ドイツが分裂していた1990年まで、旧東ドイツでは社会主義体制に基づき、旧西ドイツとはかなり異なった学校教育が行われていたが、東西ドイツ統一後は、旧東ドイツ地域においても基本的に旧西ドイツの教育システムを導入実施している。したがって、ここでの説明は、統一後は東西両ドイツ、統一前の時期については旧西ドイツのことと考えていただきたい。
(1)基礎学校(小学校)
就学年齢(小学校に入る年齢)は満6歳であり、日本と同じである。義務教育期間は最低9年間であり、基本的には日本と同じである。ドイツの小学校は基礎学校と呼ばれ、就学期間は6年間ではなく、4年間である。(ただし、ベルリンとブランデンブルクの2州は6年間である。)入学日は、4月上旬ではなく、8月1日である.毎年、その年の6月30日までに満6歳に達している子供は、基礎学校へ就学する義務があり、その保護者は各市町村の学校課に出生証明や予防接種等の証明書を提出し、就学テストを受け、就学能力証明書を発行してもらう。テストは、子供が精神的にも肉体的にも就学しても一応は問題なくやっていけるがどうかを調べる簡単なもので、就学が無理と判断された子供たちは、就学が一年間延期される。
(2)中等教育(中学校と高校)
この誰にも共通な四年間の初頭教育段階、基本学校を終了すると、子供たちには以後進学する学校形態に関して基本的に三つのコースがある。基幹学校、実科学校、ギムナジウムの三つで、小学校を卒業すると皆、中学校に行く日本とは違い、このように中等教育段階が三つに分かれる三分岐制になっているところにドイツの特徴がある。
基幹学校は5年制で、卒業後すぐに後述する二元的職業教育を受ける生徒が多い。実科学校は6年制で、将来の中級技術者や中下級ホワイトカラーをめざす者が多く、専門上級学校や専門大学に進学する者も結構いる。ギムナジウムは9年制で、大学進学をめざす者たちが大学入学資格(この資格のことをドイツ語ではアビトゥアと言う)を得るために行く。
ここで重要な事は、将来の具体的な職業はいざ知らず、少なくとも大まかな方向性について、通
常、満10歳、日本でいえば小学校4年生終了時に決定しなければいけないことであろう。この年齢ですでに子供の将来にとっての重大な進路決定が行われるのは、早すぎるのではないかという議論がドイツでも当然ある。この年齢では、どうしても親の希望が強く出され、子供自身の希望や能力はあまり省みられることになりやすい。例えば、親がブルーカラーで大学を出ていない場合、子供が大学進学コースのギムナジウムに行くだけの能力や意欲があっても、親がそれを望まず基幹学校にやってしまうとか、逆に親がホワイトカラー管理職で大学を出ている場合で、子供がギムナジウムに行く能力や意欲がないにもかかわらず、無理に行かせようとするといったことである。
進路決定は、教師が子供の成績を参考資料として保護者と面談して行うが、最終的判断は保護者が行う。前述した後者の例、子供が無理にギムナジウムに行かされた場合には、そこでの成績が悪いと留年したり、あるいは実科学校や基幹学校に転校せざるをえない事態も生じてくる。しかし、前者の例、子供がギムナジウムに行く意欲と能力があるにもかかわらず、例えば基幹学校に行かされた場合には、修正することは困難である。
そこで、このような事態を改め、教育の機会均等を進めようという教育改革の動きが1960年代から起きた。改革の一つは、この進路決定の時期を2年間延長するというものである。つまり、基礎学校4年終了の時点ではなく、就学から5年目と6年目の2年間をオリエンテーション段階とするというもので、一部の州や学校で導入された。もう一つの改革は、これまでの基幹学校、実科学校、ギムナジウムという3つの学校形態に加えて、新たに四番目の学校形態として、総合制学校をつくるというものである。総合制学校とは、一つの学校のなかに、これまでの3形態の学校の教育課程を入れ、生徒の希望と能力に応じて1つの学校で、3つのコースの選択ができるというものである。
ドイツの中等教育をもう一度まとめて言うならば、基幹学校、実科学校、ギムナジウム、総合制学校、そして肉体的、精神的、知的なハンディーがあるために前述の四つの学校に通
学するのが困難な生徒が行く特殊学校という計五つの学校形態がある。従って、最近では、三分岐制と言わずに、五分岐制という言い方をされることも多い。さて、この5つの学校を訪れている生徒の比率であるが、ドイツ連邦統計局の概算によると、1995年現在、満13歳の生徒たちを学校別
にみてみると、基幹学校が約27%、実科学校が約26%、ギムナジウムが約31%、総合制学校が約9%、特殊学校が約7%になっている。
次の節で述べる二元的職業教育を受けるのは、主に基幹学校、実科学校、総合制学校の卒業生たちである。また、在学している時から、卒業する前の学年や卒業する学年で2、3週間、各企業で生徒たちは実習を行う。そうすることによって、生徒たちは実際の職業世界にふれ、卒業後の職業選択のための判断の材料にする訳である。この実習は、基幹学校、総合制学校、特殊学校では義務付けられていて、実科学校やギムナジウムでもこの実習を行っているところがほとんどである。
2.職業教育 --二元制度(デュアル・システム)
前節で述べたように義務教育を終えた青少年、特に基幹学校や実科学校を修了した青少年は、二元制度(デュアル・システム)と呼ばれる職業教育を受けることになる。この職業教育を受けるのは、ギムナジウムの修了者も少なからずいて(つまり、大学入学資格があるにもかかわらず、手に職をつけるために職業教育を優先させる者)同一年齢の青少年の約70%がこの教育を受けている。この制度は、1969年に旧西ドイツ連邦議会による職業教育法の制定をうけ、それまでの歴史的伝統が改めて法的に定式化された。
(1)二元制度(デュアル・システム)
それでは、この二元制度というのは一体何なのであろうか。これは実践的なことを民間企業や公共事業体等、実際の職場で習い、理論的なことを職業学校で習い、実践と理論との二つのことを同時に統一させるということで、二元制度と言っているわけである。期間は、職種や州によって2年から3年半という幅があるが、通
常は3年である。この3年間の間に、実践と理論はいわば車の両輪のようなものであるから、その統合をはかるというわけである。職業教育は、ドイツでは法的に義務付けられていて、18歳未満で、ギムナジウム等の他の全日制学校に通
っていない者は、職業学校通学の義務がある。この職業教育期間が終わると、実技と理論と両方の面
で、修了試験が行われる。 職場での実践的な教育と職業学校での理論的な教育との時間的な配分は、週5日制を基準とし、3、4日が職場、1、2日が学校である。これは、1週間のなかで職場における実践と学校における理論教育とを分配したものであるが、職種や地域によっては、週何日は職場、週何日は職業学校というようにではなく、1年間を単位
とし、1年のうち職場での実践が9、10ヶ月、職業学校での理論的教育が2、3ヶ月というように、それぞれまとめて行うということもなされている。(このように1年単位
で数ヶ月ごとにまとめて授業を行うことを、ドイツではブロック授業という。)
このように個人から見て学習する場所が二つあるという意味で、二元的なのであるが、法的、制度的な面
から見ても、二元的である。というのも、職業学校はあくまでも教育制度の一環であり、前節で述べたように、学校教育は各州の権限に属するから、法的な根拠としては、各州の教育法にある。実践の教育を受ける各職場、事業体は経済制度、労使の利害が錯綜する雇用体系の一環であり、法的にはドイツ全国に通
用する労働法や経済法に関係があることになる。 基幹学校や実科学校や総合制学校を修了しようとする生徒たち、あるいはギムナジウムに行ったが、少なくともすぐには大学に進学しようとはしない生徒たちの中で、職業教育を受けようとする者は、自分の希望する職種の職業教育を実施している事業所を見つけ、各事業所での実習を行い、その実習の対価として、給与と呼ベるほどの額ではないが、月々の手当てをもらいながら、各州各自治体の職業学校に通
う。自分の希望する職種と言っても無制限にあるわけではなく、数限りない職種の中から中央の政府、連邦政府が選定した1999年現在で356の職種から一つを選択する。(現実には細かくみると、ドイツには現在約2万種類の職種があると言われている。)
そして、この認可された職種の職業教育修了に関する試験は、その職域に応じ商工会議所、手工業会議所、農業会議所、自由業会議所のうちのいずれかで行われる。各会議所は日本とは違い、各事業体、各事業主の加入が義務付けられ、公的な性格を持っている。
(2)職業学校
職業学校は、他の学校形態と同じようにドイツ連邦共和国を構成する計16の各州の管轄である。授業時間数は州や学校によって若干の違いがあるが、週12時間が通
常である。その約3分の2が生徒が習得している職業に関する専門科目の授業(各事業所での実習教育を専門理論的に促進、補完する授業)で、その約3分の1が一般
教養科目の授業である。前節でギムナジウムでも職業実習の機会を設け、頭でっかちにならず職業世界に目を向けさせていると述べたが、職業学校では逆に一般
教養科目の授業をし、実践だけにならないように、両者がバランスを取っているわけである。
職業学校の形態は職業分野によって、分類されている。各州によって違いはあるが、製造・建設業、商業、農業、家政、それらの混合等に分類される。職業教育に関する学校は、職業学校の他にも、直接は二元制度に関係していないが、全日制の職業専門学校、職業教育の後に特定の職種希望者が知識を深める専門学校等いくつかの学校がある。また、後述するように、二元制職業教育を受ける者は、各自実習を受ける職場を探さなくてはいけないのだが、その職場がみつからなかった生徒のために、次の年まで実習の職場がみつかるまでの1年間、準備の年をもうけ、その期間通
う準備学校を設けている州も多い。
(3)職場における実習教育
次に職場における実習であるが、生徒たちはどのようにしてこれから3年間自分たちを実習生として雇用してくれる事業所を見つけるのであろうか。
まず第一には、基幹学校や実科学校の在学中に、2、3週間実習をした企業に応募するという方法がある。これは実習生も雇用主もお互いに面
識があり、短期間ではあるがすでにその職場を知っているということもあり、お互いにリスクが少ないというメリットがある。次には、いわゆる知り合いの勧誘や仲間の口コミやコネを通
じて、見つけるという方法がある。こういう仕方で自分が希望する実習先が見つからない場合には、各地域にある労働局の紹介(日本でいうハローワーク)によって見つけたり、商工業会議所や手工業会議所の紹介によっても見つけたりする。労働局には特にそのために職業情報センターが設置されている。これらの実習生求人の掲示板は、インターネットでも検索されるようになっている。
また、すべての事業所が実習生を教育できるわけではなく、職業教育法によって定められた人格、専門知識、設備等に関する規定を満たしている事業所のみが実習生を教育できる。実際に実習生を職業教育できるのは、公的な資格を持った職業教育指導者のみである。この指導者は比較的小規模な企業が多い手工業では、マイスターである。つまり手工業ではマイスターのみが後進の育成ができるわけである。手工業以外では、マイスターか、または、職業教育指導者の試験に合格している者のみである。
先ほど職業教育上、公認された職種は356あると述べたが、生徒たちが希望する職種、つまり人気がある職種はいくつかの限られた職種に集中している。男子の場合のベスト5は、自動車整備工、電気工、左官、家具職人、ガス・水道配管工の順で、女子のベスト5は、医療助手、事務員、店員、歯科助手、美容師の順である。ベンツやBMWのお国だけに、特に男子の自動車整備工に対する人気は絶大で、職業教育を受ける男子生徒の12人に1人は自動車整備工になりたがっている。
さて、希望の職場を見つけた者は、職業教育が始まる前に、雇用主と職業教育契約を結ぶ。この契約は必ず文書にし、実習生と雇用主の双方が保持していなくてはいけない。契約には、職種、実習の開始日や期間、手当ての額等九つ項目が記入されなくてはいけない。実習だけでなく、正式に就職するときに、雇用主と被用者の間で雇用契約が結ばれ文書にされるのは、言うまでもない。
実習生が月々にもらう手当ての額についてであるが、業種や地方によって違いはあるが、端的に言って、給与と呼ぶほど高くはないが、小遣い銭と呼ぶほど安くはない額である。各業種の熟練労働者の月給の約3割程度が目安である。また、どの業種も2年目、3年目と年度が進むにつれて額が上がる。これは、実習生が次第に仕事を覚え、実際の労働力としても使いものになっていくためでもある。
ここで確認しておかなくていけないのは、ドイツの全ての事業所がこのような職業教育を行っているわけではなく、職業教育を行う資格があり、そしてそれを希望する事業所だけが、職業教育を行っていることである。職業教育を行なっているからといって、何らかの助成金を国や地方自治体からもらえる訳ではないし、また逆に職業教育を実施していない事業体が罰せられるわけでもない。また、この二元制度に基づく通
常3年間の職業教育期間が修了試験の合格で終わると、実習生はその事業体に残って働き続ける義務はないし、逆に事業体の方も実習生を正式採用する義務はない。実際には、せっかくこの事業体で教育を受けたのだから、双方の間で合意がなされ、そのままそこの正式な従業員になる場合も結構ある。しかし、修了試験に合格したのだから、例えば「おまえは一応、一人前の自動車整備工だ。だから、他のところでも勤まるだろう」と雇用主が言う場合もあるし、逆に実習生の方で「自分は、他のところでも通
用する資格をとったのだから、他で働く」というケースも多い。見方を変えると、自分のところでは職業教育をしていないのに、他の企業で職業教育を受けた人たちを採用している企業もあるということである。
このように、自分のところで職業教育した実習生が他の企業で働くかもしれないのに、職業教育のために実習生を事業所が雇用するのは、以下の理由からである。
第一の理由は、やはり歴史的伝統である。自分たちの業界の後進を育てていくのは、自分たちの責任であるという認識が、全ての企業とは言えないが、多くの企業に共有されていて、それが事業所の社会的責任となっていることであろう。
第二の理由は、他の企業で働く実習生たちもいるけれども、ある一定数は自社に勤めることになり、教育をした方がよいという考えからである。つまり、そのためには教育期間が終わって、他の企業に就職する実習生が少々いても仕方がないということである。
第三の理由は、実習生は各企業にとって負担だけではなく、使える労働力となっているということである。特に2年目からは、日本でいうアルバイトよりも、はるかにたくさんの仕事をこなすということを、いろんな経営者からもよく聞かされる。
(3)超企業職業教育センター(事業所外実習教育センター)
職場での実習に関しての設備や装置は十分に備わっているところもあれば、そうでないところもある。ベンツやフォルクスワーゲン等の大企業では、自分のところに大規模な職業教育施設(例えば学習工場や実験室や学習室等)を備え、体系的に職業教育を行なっている。だが、中小企業、そのなかでも特に零細企業では、そういうわけにはいかない。つまり、自分のところだけでは、通
常は3年間におよぶ職業教育の実習に必要な設備をまかないきれない。しかし、そのままだと実習生の職業教育上、著しい欠陥が生じることになる。
そこで、このような問題を解決するためにつくられているのが、超企業職業教育センターである。これは、職業学校ではなく、あくまでも職場における実習教育を補うために、特に中小零細企業の実習教育をカバーするために、つくられているセンターである。手工業会議所によって運営されているところが比較的多く、実習生は1年間のうち数週間、ここでの実習教育にあてられる。つまり、ここでの教育を受ける実習生たちは、二元教育どころか、職業学校、職場、そしてこの超企業職業教育センターの三つ、トリプルシステム、三元制度の教育を受けるわけである。また、業種によっては、その業種の包括的な技術に関することは、むしろ体系的な設備が備わっているそのようなセンターで教えた方がいい場合もある。この超企業職業教育センターを積極的に利用しているのが建設業である。
実習生たちが、前述した3年間の職業教育を終え、手工業会議所や商工業会議所等の各会議所で行なわれる試験に合格すると、はれてその職種で資格があるとみなされる。実習生は歴史的には「徒弟」(Lehrling)と呼ばれてきたのであるが、「徒弟」が試験に合格して一人前になると「職人」(Geselle)になるわけである。
ただし、現在、正式には、手工業の場合は今でも職人と呼んでいるが、商工業の場合はブルーカラーが熟練労働者、ホワイトカラーが専門従事者と呼び方を変えている。
そして、希望する者はそれから先、マイスターへの道が開かれる。
3.マイスター制度
(1)マイスターとは
日本でも通常は「親方」「名人」と訳されることの多いマイスターという言葉が、最近では定着しているが、このマイスターという言葉は、ラテン語から来たもので、マイスター(Meister)という単語を独々辞典でひいてみると、以下のいくつかの意味がのっている。
1. 職人の時代を経て、公的な試験に合格し、徒弟(実習生)を教育する権利がある者。
2. すごいことができる人。傑出した専門家。名人。達人。(特に芸術やスポーツの分野で)
3. 指導者、先生、お手本となる人。
4. 上司。命令を下す人。主人。支配者。
細かく分けると他にも微妙な意味があるが、大雑把には以上の意味で使われることが多い。ここでは、1の意味である。言葉というものが長い歴史の中でできあがってきたものである以上、ドイツ人がこの言葉を使う場合には、2,3,4といったニュアンスも含まれていることに着目していただくと、イメージがもっとはっきりするであろう。
(2)マイスター制度の歴史
マイスターの起源は今から約800年〜700年前にさかのぼると言われる。13世紀頃、ヨーロッパは中世の時代であった。ヨーロッパ、とくにその中でもドイツでは中世都市が栄え、手工業者たちも住んでいた。この中世都市の手工業者の間で次第に、徒弟、職人、そしてマイスターという三つの身分ができあがっていった。徒弟が数年間の修行をつんで、試験に合格すると職人になり、職人がさらに修行をして、もっと上の試験に合格すると、マイスターになるという具合である。マイスターは徒弟を弟子として受け入れ、一人前の職人になれるよう教育した。
この試験を実施したのが、ツンフト(Zunft)と呼ばれる各都市に職種別に作られた同業者組合である。ツンフトの正式会員が手工業マイスターである。ツンフトはこのように後継者の育成といった教育活動だけでなく、材料を協同で購入したりとか、価格をコントロールしたりとか、それぞれの職種の共通
の利害を守るために、政治経済活動も行なった。別の言い方をするならば、マイスターたちはツンフトの活動を通
じて、各職種の営業に関することをとりしきったのである。このような特権的地位
が世襲制によって代々固定化していくと、この特権的地位に参入することのできない職人と特権的地位
を保持しようとするマイスターとの間に対立を生み出すようになっていった。しかし、このツンフト制度は、時代による紆余曲折を経ながらも、19世紀半ばまで続く。
しかし、産業革命による機械制大工業が広まると、状況は一変することになる。イギリスやフランスに大幅に遅れをとりながらも、ドイツでも19世紀始めから産業革命が始まり、特に19世紀の半ばを過ぎると、この遅れを一気に取り戻す急速な工業化が進む。これまでの小規模な手工業制度から、大規模な機械制工業への転換が行なわれていくし、営業の自由の妨げになっていたツンフト制度は解体していく。そして、1869年ドイツ営業法の制定によって、営業の自由を保証するために、数百年間にわたって続いてきたツンフト制度は廃止されたのである。
しかし、手工業者たちは、黙ってこのような事態を受け入れはしなかった。自分たちの利益、そして伝統を守るために、同業者組合(Innung)運動を起こし、19世紀末の一連の立法によって、同業者組合は国から正式に公益法人として認められるようになったのである。そして、これら各職種ごとの同業者組合を、業種に関係なくまとめて、地域的にも同業者組合より広い範囲でつくられた公益法人が手工業会議所である。20世紀の始めには一般
化し、手工業会議所の重要な仕事として、徒弟が職人になる時の試験、職人がマイスターになる時の試験を行なうことが明文化されるようになった。
規模が大きい工場が中心的になっていく工業化時代にあっても、このように手工業者たちが社会運動、政治運動を通
じて自分たちの制度を確立、発展させていった背景には、もちろん手工業が大工業ではできない独自の活動をしていたり、大工業を補完するといった経済的な理由もある。しかし、もっと重要な理由としては、長年の伝統からくる社会的、文化的理由である。つまり、多くの手工業者たちは、「機械制大工場が広まる前のずっと昔から、自分たちはドイツの伝統をずっと支えてきた。そして、マイスターや職人や徒弟の間には、近代的な資本主義企業にはないような暖かい人間関係があり、単なる冷たい経済活動だけではなく、職業を通
じて人格を完成させていく教育活動も行っている。マイスターは普通の大企業家と違うし、職人は普通
の工場労働者とも違う。」という意識をもち、手工業者以外の他の比較的広範な社会層において、このような考えが受け入れられたためである。
だが、手工業者たちのこのような抵抗運動があるからと言って、工業化が進み、手工業が工場制へ編入されていく過程を逆にさせることはできない。熟練した手工業過程が大工場での機械制に適用させながら、それまで自営業者であり独立した生産者、経営者であったマイスターは機械制工場の主である企業家に雇われ、独立性を失い、企業家から企業において現場の監督、管理、指導をする役割を与えられるようになる。また、職人や徒弟は、工場において賃労働者として、それぞれ熟練労働者、非熟練労働者となるのである。このように、手工業が工業に編入される過程でできたシステムが、それまでの手工業マイスターとは区別
される工業マイスター制度である。この工業マイスター制度は、1920年代からいくつかの企業で若干見受けられるようになり、制度として正式に発足したのは第二次大戦後からである。
したがって、現在のドイツのマイスター制度を考える場合でも、大別して、伝統的な手工業マイスター、そして制度としては新しい工業マイスターの二つの種類があると言うことを確認しておこう。
(3)現在のマイスター制度
それでは現在のマイスター制度について述べる。現在の制度の法的基盤の中心になっているのは、1953年に制定された手工業規則と1969年に制定された職業教育法である。マイスター制度において中核を占めているのが、前述したように手工業マイスターである。そして最近特に重要性を増してきているのが工業マイスターである。また、数は圧倒的に少なくなるが、農業マイスター、家政マイスター、海運マイスターがある。しかし、紙面
の関係もあり、以下、手工業マイスターと工業マイスターの二つについて述べる。
手工業で事業所を営むためには必ずマイスターの資格を持っていなくてはいけない。また、後進の職業教育をすることができるのもマイスターの有資格者のみである。工業マイスターの場合には、自営業者としてよりも、企業の従業員として働くことが多く、その分野での現場管理職として働くことが多い。つまり、工業マイスターは計画立案と実施の間に立つ指導者として、生産手段の準備、設置に協力し、部下の従業員に指示を与え、訓練し、労働の成果
とコストを管理し、工場災害、労働災害防止の責任の一端を担う。
(4)手工業マイスター
手工業マイスター試験は、各地の手工業会議所にて行われる。まず受験資格であるが、通
常は三年間におよぶ前述した職業教育教育修了試験に合格した者、つまり職人になった者で、その後、基本的には最低三年間それまで学んだ職業に従事した者である。マイスター試験は、全部で四つの試験から構成される。
1.実技試験。これには自作品を提出。
2.受験生の専門分野に関する理論知識の試験。
3.経済的、法律的知識の試験。主に、簿記、経理、原価計算、会社法、財務、クレジット、市場立地条件、店舗開業条件、支払条件、広告等について試験。法律に関しては、商法、民法、労働法、社会保障法、税法についての試験。
4.職業教育学的、労働教育学的知識の試験。受験者が職業教育を自らしっかり受け、後進を指導する能力があるかどうかがが問われる。
1と2は、いずれも個々の職業に関するものであるが、3と4に関してはすべての手工業分野の職業の応募者に共通
の試験内容となる。4は内容的には,前述した職業養成訓練担当者の適性検査に対応し、工業界、商業界、その他の職業分野でも職業訓練生を教育するための前提条件となっている。
(5)工業マイスター
工業マイスター試験は、各地の商工業会議所で行なわれる。受験資格は手工業マイスターと基本的には同じで、通
常は三年間におよぶ前述した職業教育教育修了試験に合格した者、つまり熟練労働者や専門従事者になった者で、その後、基本的には最低三年間それまで学んだ職業に従事した者である。ただし、各商工会議所が独自の判断をし、これに該当しなくても例外的に受験資格を認めることが多々ある。
試験内容についての手工業マイスターとの違いは、マイスター課題作品の製造をする必要がない事と、将来自営業者になることを想定していないので、簿記、会社法等の試験がないことである。あとは、基本的に手工業マイスターと同じである。
現在このマイスター制度については、EU化やグローバル化の流れ、IT革命、高学歴化といった社会的潮流を受け、修正の動きも起きている。しかし、そうしたことも含めて、これからの日本の技能者育成、技能伝承、職業教育を考えていく上で、参考となると思われる。
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