ニート支援:痛みと恐れ…命懸けの詩残し…29歳での死

毎日新聞 2015年02月16日 07時30分(最終更新 02月16日 09時36分)

入院先の病院で闘病中の森田有紀さん=福岡市東区で2014年5月9日、津村豊和撮影
入院先の病院で闘病中の森田有紀さん=福岡市東区で2014年5月9日、津村豊和撮影

 がんと闘った末、昨年6月に29歳で亡くなった福岡県古賀市の森田有紀(ゆうき)さんの詩が、文芸思潮現代詩賞の「奨励賞」を受賞した。アルバイトの傍ら引きこもりの若者を支援する活動をし、闘病記をつづったブログには1日に1万人を超えるアクセスがあった。10月に受賞の連絡があり、15日、東京都内で授賞式が行われた。代理で出席した母恵子さん(58)は「受賞を知ったらものすごく喜んだでしょう」と涙を浮かべた。【金秀蓮】

 森田さんが体調を崩したのは2012年末。眼科でメラノーマ(悪性黒色腫)が見つかり、13年4月の検査入院で末期の肺がんと判明した。既に全身の骨に転移していた。

 「生きたくても死んでほしいの?」。告知を受けた直後、気持ちの動揺を表現した言葉だ。しかし取り乱すことはせず、開設したブログに若年性のがん患者の生活や症状、痛み、つらさを冷静にユーモアを交えて記した。ブログを見る人は日を追って増えた。顔も名前も知らない人から「奇跡を信じます」「あなたを忘れないよ」とメッセージを受け、同じ病の人とも励まし合った。ブログで知り合った人が病院を見舞い、森田さんに「たくさん励まされた」と感謝することもあった。

 小・中学校時代は学校に行けなくなった時期もあったが、福岡県内の私立高校へ進学し、16歳のころから詩や文章を書くようになった。大学を中退した後、アルバイトをしながら、ニートや引きこもりの人を支援する活動を始めた。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用し、インターネットやテレビ電話、時には会って相談に乗った。彼らが集う場を直接訪れ、その情報を発信するなど闘病中も活動を続けた。

 森田さんが詩を応募することを決めたのは昨年の4月。「生きる希望になれば」とボランティアとして支えていた福岡市の波多江伸子さん(66)が勧めた。体力は落ち、会話も難しい状況だったが、過去にブログに掲載した作品を選び、練り直して投稿した。「ブログに訪れる仲間以外の人にも読んでほしい」。森田さんの願いだった。

 受賞作の「見つかりやすいウォーリー」は、がんによって自らの体が衰えていくさまを客観的に表現している。波多江さんは「森田さんにとって、詩や文章を書くことは命がけの生きがいだったと思う」と言う。恵子さんは「息子が形に残してくれた詩は宝物」と話した。

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