糸井重里さん・前編 生き方が「インターネット的」とは?
2015年02月16日
2001年に刊行された糸井重里さんの「インターネット的」(PHP研究所)が文庫で復刊した。情報技術としてのインターネットよりも大事なのは、生き方が「インターネット的であること」だ。そう説いた同書は、主宰するサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営を通じて、糸井さんが体感的に学んだことが体系的に語られている。今でこそ「その後のインターネット論を先取りしていた」と評価されるが、当時は「売れなかった」という。糸井さんの議論はなぜ広がらなかったのか。インターネット的に生きるとはどういうことなのか。そもそも、インターネットって何なのか? 技術論は一切抜きにしたインターネット論を2回にわけてお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】
◇フラット、リンク、シェア
−−文庫で復刊された「インターネット的」。ご自身で読み返しても面白かったとか。どこが面白いと思いましたか。
糸井さん 自分が本で書いたことは大抵忘れるからどれも面白いです。「良いこと書いてあるね〜」とかスタッフに言うことがある。この本は「あっ、おれはこの時から、言っていたのか」と思ったんですよね。僕自身が最近、発見したと思ったことが書いてあった。
−−タイトルの「インターネット的」。この「的」がすべてだと思います。技術論としてのインターネット論ではないですね。
糸井さん インターネットというと、みんな技術的なところから入ろうとします。でも、僕にとって大事なのはインターネットにあらわれてくる価値観でした。この本の中では、お皿と料理の関係で例えていますね。
技術としてのインターネットは「情報を伝える道具」でお皿。お皿を作る喜びもあるけど、僕がやりたいのは、お皿にのせる料理をどう作るか。何をのせるかです。人と人をつなげるのがインターネットですから、人がどう使っていくかが大事なんです。どう使えばいいのかな、と考えて大事なことを三つにまとめてみました。それが「リンク」「シェア」「フラット」です。インターネットというお皿に、三つの価値をのせればより面白い社会になると思う。
ヒエラルキーや被抑圧的な社会というのは価値観の固定から始まっていると思うんです。立場や性別に発言が固定されたり、社長ならこうやって振る舞うとかが決まっていたりね。それに対して、インターネット的なフラットというのは立場や性別に関係なくなること。発信の中身が大事にされて、いろんな価値観が交わっていることです。いろんな価値観がフラットに混ざり合っているのが社会で、そのことがインターネットで見えやすくなる、と思ったんですね。
リンクというのは、つながっていくことです。僕が何かプロジェクトをやりたいと話した時に、それまで僕と関係ないと思っていた人が「やっぱり、それは面白い。僕も役に立てます」と言ってくれることです。あるいは、「ほぼ日」で開いたイベントで知り合った人同士で「よく飲んでいます」というのもリンクですね。つまり、ふとしたきっかけで、それまで必要ないと思っていたことがつながっていく。これがリンクなのです。
シェアは「これ、持っていって」というもの。僕がシェアした時に気づいたのは、持っていった人が思わぬ使い方をしてくれる喜びですよね。シェアしている人がいて、僕がおこぼれにあずかる経験もしました。両方経験して、どっちもいいなと思ってきた。これが社会に広まったら、短期的な損得を超えた社会全体の価値を上げるということに役に立つし、なにより僕自身が生きやすくなると思った。
つまり人の生き方の問題なんですよね。インターネットという技術よりも、インターネットをどう使うか。大事なのはそこです。パソコンがどうこうとか、つながる速度がどうこうという話ではありません。インターネットではなく「的」にいろんなものを込めている。社会でこういう価値観が広がれば面白いというのが大きいのです。
◇情報の流れが変わった!
−−フラット、リンク、シェアは今でこそ、誰もがインターネットの特性として当たり前のように指摘するようになりました。糸井さんが気づいたのは「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社文庫)にお書きになっているようにサッカーの掲示板の話ですか?
糸井さん そうですね。この時(1997年秋)には気づいていたと思います。
サッカーファンが日本代表を応援する掲示板があって、それを読んだ時に、情報の流れが決定的に変わったと思いましたね。そこをのぞくと、現地にいる商社マンが対戦相手の練習を見にいって、さらっと重要な情報を書いている。僕はびっくりしたんです。新聞に載っていない情報が掲示板には書いてある、と。サッカーが好きな人が発信した内容がプロを上回っていたんですね。でも、これは「その時」の話です。
その限界も分かったのが今ですよね。当時はスポーツ紙の記者もその頃は野球を担当していた人がサッカーにいきなり変わったりする時代だった。サッカー経験者のサポーターが解説する方が、野球をメインに取材してきた記者が知ったように語ることより、その時では上だったんですよ。でも、その水準はすぐに一般化しました。
今はサッカーをやってきたサッカー記者がいて、取材して記事を書いています。専門性の高い記事も増えました。ここに上下はありません。サポーターと記者がお互いの領域を認め合うことが必要になりますよね。素人の領域、プロの領域、どちらも必要です。どちらが上かとか、「俺の方がすごい」になっていてはダメだと思うのです。
「半可通」(いいかげんな知識で通ぶる)という言葉があります。これも悪いことではないと思うのです。「ほぼ日」では半可通であることですごい人のすごさが分かる、というスタンスでコンテンツを作ってきました。宮沢りえさんの対談(「試練という栄養。」)は大勢の人が読んでくれました。りえちゃんの熱心なファンだけでなく、何となく知っているし、見たことがあるという読者も多いと思います。いわば半可通ですね。このページを読んで、一番うれししかったのが「本当にすごい人だというのは読めばわかります」という言葉でした。
詳しく知らなくても、彼女の言葉を読めばすごさがわかる。これは僕にとって、美しいあり方なんです。本物のすごさがわかる瞬間。これがインターネットが僕らにプレゼントしてくれた情報のあり方かもしれないと思う。
うちの会社もインターネットがなければ今の形はないですよね。
−−「ほぼ日」では長い対談やインタビュー記事にいち早く取り組んできたという印象があります。どのような「料理」を意識したのでしょうか。
糸井さん インターネットって非面積のメディアなんですよ。これまでの新聞や雑誌は決まった面積があって、載るものが決まってきた。紙面という面積を売るという前提で作っていった文化になっています。
ほぼ日はインタビューや対談でも「はい」という言葉を残すことがあるんです。雑誌や新聞だと削りますよね。無駄だからね。でも、相づちの「はい」でも何かがあるじゃない。この一言が残るかどうかがインターネット的だと思うのです。
これも勘違いすると冗長になったり、本当にいらない部分まで残したりすることになってしまう。全部は必要ない。ほぼ日も初期はインタビューなどはベタ打ちに近かったんです。当時はどこにもないから新鮮だと思っていたけど、これは勘違いでしたね。品質は今の方がずっと高い。すべてを載せたからといって喜ばれるものではないし、無駄を削りすぎても喜ばれない。
残しすぎず、削りすぎず、対談の空気を伝える「はい」を残す。これがうちの作ったスタイルだと思う。
◇「インターネット的」はなぜ売れなかったのか?
−−当時、ほぼ日上で開設した「インターネット的」の特設ページでは「100万部への道」という言葉もありますね。結果的には狙った以上に売れなかった。なぜだと思いますか。
糸井さん 通じなかったんじゃないかな。「100万部」というのは冗談であり、批評です。「100万部」売れたらいいんだという考え方に対する批評であり、それでも多くの人の目に触れたらうれしいという気持ちはある。それを両方表現しているんですよ。両方が人の中にもありますからね。
なぜ通じなかったのか。それは読んで「あぁ、得した」と思えないからでしょう。これを知らないとダメだ、と脅かしていないですし、これを読めばお金がもうかるとも書いていない。得したいと思っている人たちは、今、この本を読んでも「知ってる」と思うんじゃないかな。そんなことは誰でも分かっているよと言うと思う。
−−「インターネットでもうける」という本や「知らないとまずい」という本はあったと思います。そうした分かりやすい路線を取らなかったのは当時、糸井さんが感じていた広告業界への違和感があったのでしょうか?
糸井さん 業界全体に違和感はありましたよ。僕には「自分が代表して何かをやってやろう」という大それた生き方はできない。「おれが生きやすい社会でありたい。そのための仕事をしよう」と枠をはめています。それが自分への約束というか。
「ほぼ日」を始めたころの広告業界は「間違いない」ことをやろうとしているように思いましたね。これは自分に向いていないと思った。「そんなことをしていたら俺は面白くもないし、誰かに大事にもされないし、誰かを大事にする機会もなくなるし、周りにいるみんながつまらなくなる」と思ったんですね。
あそこで仕事を引き受けていたら、今ごろはどこかの会社の顧問になって、受付を通さず会社に入っていって、その姿を見た社員から「あの人、誰」「社長の友達で顧問をしていて、お金もらっているんだって。腹立つね」とか言われる人生になる可能性があった。それって嫌だよね。
◇「これからは○○だ」と言うのは一つの仕事
−−今もインターネットが何かを変えるという議論は多いですね。再発売された本をどう読んでほしいですか。
糸井さん どう読んでほしいというのはないです。大事なのは、人が中心に動いているのは変わらないということですね。僕は人をよく見るので、技術だけでは変わらないって思っています。
「○○で世界が変わる」といったキャッチフレーズでみんなが同じ方向を向けばそこに市場が生まれますよね。「変わる」と言う人は自分の本を売りたいとか、会社がうまくいくとか、どっかに利害があると思うんだ。でも、そう簡単に人間の本質は変わらない。
「これからは○○だ」と言うのは一つの仕事であり、ジャンルがあると思えばいいんです。時流に乗っているように見える人が「これからは○○」と言う、それに反応する人がいる、評論する人がいる、本にする人がいる、大学で教える人がいる……。これ自体が一つの産業みたいなものです。でも、実際に広がってみると、「あれ?」ってことがほとんどじゃないですか。そういう流行を作るとか大衆操作的なことって僕は嫌いなんです。人を数で見ることも嫌い。
流行を作ることはゲームとして面白いと思いますよ。例えば黒い服をはやらせて、街を黒くしようと。ファッション業界が仕掛けて、そこにテレビというメディアの魔力を加える。結果、黒い服をみんなが着るようになる。これができれば、仕掛ける側は面白いよね。
でも、それはゲームとしての話で、大事なのは批評があることだと思っています。昔、百貨店との仕事で「ほしいものが、ほしいわ。」とコピーを書いたことがあります。その百貨店も業界全体も小さな変化を中心に売っているように僕にはみえました。それでいいのだろうか。問いをもっと大きく広げて、「共感して買ってもらえるものはないか。本当にほしいものは何か」を考えないといけないのではないか、という問題意識をコピーにしました。
吉本隆明さん(戦後日本を代表する思想家、2014年に死去)にインターネットについて聞いた時に「情報技術が発達しても人間の身体や精神は変わらない。人間がしゃくにさわると怒るとか、おかしい時は笑うとかは古くから変わっていない」ってお答えになったんですよ。すごく、勉強になりましたよ。今起きていることが人間にとって普遍的な現象なのか、単なる時代の流行なのか、すぐには区別がつかないんです。でも、それを確かめていくのが、僕らの仕事であり、生きるということなんだと思う。
もう少し、話を広げますね。誰かにご飯を作って喜ばれたという経験ありますか?
◇「利益」って何だろう
−−あります。
糸井さん 年を取るとね、そういう喜びってもっと増えてくるんだ。自分が何度か作って味を知っていても、好きな人が食べて「あぁ、おいしい」って言ってくれたら、その瞬間って最高にうれしいですよね。
そこで考えます。食事を僕が作って食べさせているだけだから、経済的には損なんですよ。コストもかけているし。でも、おいしいと言ってくれたら、僕は利益を受け取っていると思う。贈与して喜んでもらうことで、僕はうれしさを得る。これって利益なんじゃないかって思うんです。
東日本大震災の後、被災地のお手伝いをしました(「気仙沼のほぼ日」など)。僕たちはそこで得たものが多い。得たものというのはお金じゃないんです。
震災のおかげでお金をもうけた人もいるかもしれない。でも、ちゃんと手伝った人は経済的なものではないけど、きちんと利益を得た人はいる。
感謝や喜ばれるのはお釣りみたいなもので、お手伝いをすることで僕は喜んでいて、もう利益は得ている。そこが「インターネット的」の先にあって、僕が大事だと思うことです。
気仙沼ニッティングってあるでしょ。あそこのセーターは「ほぼ日」でもちゃんと売れるんです。1着7万5000円とか、高いものだと20万円近い手編みのセーターですよ。
これが売れ始めると、(気仙沼ニッティングについて)話をしてくださいという依頼もいただきます。多くのご依頼はブランド論をテーマにしてほしいというものです。どうして、そんなブランドを確立できたのですかって話ですね。
大事なのは、気仙沼ニッティングではブランド論をやっていないことなんですよ。僕たちは一番、愉快な寄付の形を考えた。お金で寄付するよりも、関わってくれるみんなが喜び、自分たちも喜ぶ新しい寄付を開発しようというのが出発点です。
「こうに決まっている」という常識をどれだけ破れるか、疑えるかが大事なんですね。高価格帯で手編みのセーターを作っているのは、自宅でできる仕事だし、きちんと商品を作ることで誇りを持てると思ったんですね。編み手の方にお渡しするお金は初めから高いわけですから、ちゃんと時間をかけてくれた分の仕事になります。そして、お渡しする価格にあわせて売価も自然と高くなります。
値段をつけた理由を記しておけば、お客さんも「それくらいはするよね」と納得してくださいます。説明する努力を怠って2万5000円のセーターを2万4000円で売ったり、ブランドで高く売ることばかり考えていても、しょうがないんです。
「自由にやりたいことをやる」ために考えることが大事だと僕は思うな。
(「後編」に続く)