誰かを恨んだり、不幸を人のせいにしないためには、好きなように生きるしかない。―「傷口から人生。」発売によせて
2月10日に、拙著「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫、626円)」が発売した。
この本を通して私が書きたかったのは、
「他人や社会を恨まないためにも、自分の好きに生きたほうがいいよ」という事だ。
インターネットを覗けば、恨みと怒りが溢れている。
ヘイトスピーチ、社会的な不平等、性差、育児問題、恋愛、社会への不満。
「外国人が、男が、女が、夫が、妻が、会社が、上司が、日本の社会の仕組みが、恋愛のあり方が」、"私たちに、不幸を運んでいる"。
誰かのせいにして、批判する意見ばっかりだ。
まったくもってくだらないと思う。くだらないけれど、同時に、そうなってしまう仕組みもとてもよく分かる。
みな、恨みたくないけど恨んでしまう何か、あるいは恨みたいけど恨みきれない何か、に対して怒っている。
その怒りが、社会や他人への不満として噴出している。
また、私はブログで家族問題や対人関係、恋愛について多く書いているせいか、よく読者から悩み相談のメールが来る。
「就活に失敗して苦しいです」
「母が私のことを分かってくれません」
「コミュニケーションが苦手で友達ができません」etc。
私はそういうメールに対して、よほどのことがない限りは返事をしない。他人の悩みに関わり続けるのは、とても難しいからだ。
その代わり、そういうメールをくれる人に対して、
「あなたがもし自分を"イケてない"と感じているならば、それは他人や社会を恨んでいるからだ」という事を突きつけたくて、この本を書いた。
この話は、「軟弱で、不幸を社会や他人のせいにしていた女の子が、母親を殴り殺して、自立する話」だ。
私は長い間、母親を恨んでいた。
母親だけではない。今から振り返ってみれば、就活しかり、仕事しかり、恋愛しかり、その都度、社会や他人も恨んでいた。
そのせいで、だいぶ遠回りしてしまった。
今となっては、それは自分のせいだと分かるけど、その恨みの渦中に居る間は、自分を受け入れてくれない社会や母親を恨んでいた。
恨んで、そして、逃げていた。
本当は、「自分がしたいようにしていない」だけなのに。
ずっと前に、毒母問題のシンポジウムを見学しに行った時に、壇上でパネリストの人が、母親から受けた被害やトラウマについて延々と訴えたり、怒りを吐露したりしていた。
その時、パネリストの一人に、有名なカウンセラーの女の人がいて、その人は、会場にいる誰よりも怖い顔で「母親なんか許さなくていいんですよ!」と叫んでいた。
私は、その怖い顔を間近に見ながら、「この人のほうがカウンセリングが必要なんじゃないか」とぼんやり思った。
この会に来ている人たちは、他人の、母親に対する恨みや怒りを聞いて、スカっとするかもしれない。でもそれは、リストカットがスカっとするのと同じで(なぜリスカがスカっとするかについては、拙著の中の「私はいかにして、自傷をやめたのか」という章に書いてある)
根本的な解決にはならないんじゃないかなとは思った。
また、よく「他人を許さないと幸せになれないよ」と言う人もいる。
それは圧倒的に正しいとは思うけど、でもそういうことを言う人はたいがい説明不足だ。
「なぜ他人を許さないと」「幸せになれないのか」のロジックについて、恨んでいる最中の人が納得できるように説明している人を、私は今までに見た事が無い。
私もうまく説明できない。だから、代わりにこの本を書いた。
「他人を許さないと幸せになれないよ」とか「親を愛さないと自分も愛せないよ」とか言うことは、「親なんて許さなくていいんですよ!!」と激怒することと、正反対に見えて全く一緒だと思う。
人が、誰かを許したり、恨みを止める過程、そこにたどり着くまでのプロセスというのは千差万別だから(それは佐々木俊尚さんの「愛の履歴書」のインタビューをしてみて思ったことだ)
何が正しいかは私にも分からない。「こうしたらいいですよ」と言うのは言えない。
ただ、この「許さなくていいんですよ!」という怒りと「許さないと幸せになれない」という振り幅の、その間にある繊細な葛藤を書きたいと思った。
恨むんだったらとことん恨み尽くしてもいいと思う(それは、たいてい、やる前には思いもしなかった結果をもたらすものだけど)。
ただ、誰かを恨んでしまうことに苦しさを感じたり、恨みたくないのに恨んでしまうのを、もう辞めたいと思うなら、人生の中の、「誰かのせいで好きに生きれないなあ、しんどいなあ」という部分を解決しようとフォーカスするのではなく、「自分の好きに生きる」領域を、少しずつ、押し広げてゆくことが有効なんじゃないかと思う。
"どうにもならない今の時点"の中で、「自分の好きな事、快適にいられること」を押し広げてゆく。本当に、1ミリ1ミリでいいから。
そうしているうちに、思いも知らなかったやり方で、いつか、恨みから脱却していると思う。
(蛇足だけれど、「自分の好きな事、快適にいられること」を押し広げるためには、そのことについて、自分で言語化することがけっこう重要だな、と思う。そのために、文章を書いたり、カウンセリングを受けたり、あるいは誰かと話したりすることは、役に立つのかなと思う。)
これだけたくさんの人間がいる世の中だから、いつだってままならない事はいっぱいあるし、社会のひずみというのはどうしたって生まれてしまうものだけど、でも、「自分が心地よく、快くいられる方法」を探す事は、誰にだって許された権利だし、今は辛くて、ああ、もうだめだ。自分なんかにはそんな権利がない、と思ってしょげている人にも、それを求める力は、身体の奥深くで眠っているものだと思う。
だから、今、何かが上手くいかなくて、苦しかったりもやもやしたり、自責感に苛まれている人は、安心してほしい。
無理に、元気を出す必要もない。
もやもやした人生を、ただ、快なるままに過ごすだけでいいと思う。誰にどう思われるか、他人に迷惑をかけていないか、社会的にどうかなど気にせずに、ただ、すこしずつ、一個一個の不快のスイッチを、快に切り替える作業に淡々と励めばいいと思う。
そうしているうちに、人生が自分をどこかに運んでくれる、ということがある。
悩みのメールをくれる人に対しては、私は返事はしないけど、ただ、それぞれが、自分の快なる道を歩んでほしいと、そう強く願う。
小野美由紀さんの『傷口から人生。』、取材帰りに買って、我慢できなくて阪急ガーデンのベンチでむさぼり読み。面白かった。生の声が聞こえてくるような文章。お見かけした時のすらっとした姿を思い出した。親子のカルマの物語としても読める。 pic.twitter.com/Rb7jWWO8Ys-- 小池みき (@monokirk) 2015, 2月 10
母親との関係を変えようとした時、(自分との関係よりも)母親と祖母の関係がまず変わった、というのが実にクリティカルな出来事だと思う。いくつになっても、親こそがその人の人生の課題の芯みたいなものだったりする。 -- 小池みき (@monokirk) 2015, 2月 10
ひょんなきっかけで、小野美由紀さんの『傷口から人生』を読んだ。 これは人気が出るのは間違いない。 マイナス思考、自分に自信が持てない人、周りの人間関係がうまくいってない人は絶対に読んだ方が良い。 ヒントが必ずどこかにある。 pic.twitter.com/smQAPrCegv -- 黒い彗星@流星 (@suiseinanpa) 2015, 2月 14
文頭に『自信というのはある日突然湧き出すものじゃないんだ、溜めるものなんだ。そのバケツがいっぱいになった時、その一滴一滴が何であったか理解するんだ。』という話が出ている。 これは物凄い腑に落ちた。 メンヘラがどうだとか、そういうフィルターをかけないで、素直に見て欲しい本ですね。 -- 黒い彗星@流星 (@suiseinanpa) 2015, 2月 14
今生きていて何か言葉にできない引っ掛かり、胸のつっかえ、漠然とした違和感、あるいはなんとなく気持ち良く歩が進まない、そういう人は読んでみたら面白いと思うんですよ。小野美由紀さんの『傷口から人生。』
-- 市川剛史 (@kuroshism) 2015, 2月 13
本の題材は鬱の話、機能不全家庭の話と暗いけど、本人が今前向きで、何が問題だったかを掘り下げているから、全然どん底感はない。自分をどうにかしようと奮闘してるのがすごい。母校の先生の話に感動。
-- k (@jangmech) 2015, 2月 12
「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」小野美由紀さんのエッセイ。タイトルからいくとメンヘラか、就活失敗した人向けに思われるかもしれませんが、就活にとりあえず成功している方も読んだら面白いかも。 pic.twitter.com/K3MjNUppQb -- Kanako (@kanakob) 2015, 2月 11
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