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■「大きな宿題」を抱えた理由
『ことばと国家』 [著]田中克彦 (岩波新書・778円)
福島で過ごした小学生時代、音楽の授業が嫌で嫌で仕方ありませんでした。どうして嫌だったのかと振り返ると、主に西洋の音楽の価値基準で「正しいもの」が教えられていたから。でも、そもそも音楽には無数のバリエーションがある、何が正しくて何が間違いというのはないし、だれでも自由につくれる……。小学校では、そんな「音楽の根っこにある大事なもの」を教えてほしかったな。そんなことを考えるようになったのは本書と出会ってから。生まれてくる子どもは親からごく自然に言葉を学ぶのに、その母語が、あるものは野卑な方言とされ、あるいは権威あるものとされるのはなぜかという「ことばの差別の諸相」を世界の事例から指摘します。
方言は標準語より劣っているのか? ドラマ「あまちゃん」は人々のそのビミョーな感覚を描いていた。岩手にいて標準語を話す足立ユイちゃんと、東京から岩手に引っ越してきて急になまってしまう天野アキちゃん。話すことばで自分がどんなポジションに属しているかをアピールしたい、普通の人々の中に潜む心理を非常にうまくついていて、うなりました。
音楽も、例えばクラシックやジャズは立派で、歌謡曲や演歌はそうじゃないのかと。あっちは立派でこっちはさげすむべきものだという考えはおかしいですよね。個人的な好みだったらいいけれど。
差異を差別に変えるのは人だと本書は指摘します。ことばのことを書いた本ですが、音楽にも通じると強烈に感じました。
この本は20代のころ、在日としての自分のあり方に悩んでいた親友の音楽仲間が教えてくれたんです。ずっと福島弁を使わないようにしてきた自分の姿も見えてくるようで、読み終えて、大きな宿題を出されたと感じました。折に触れ、手にとっています。震災後は特に。「地方」と「中央」のことを考えるのにとてもいいんです。いまもその宿題をコツコツやっている感じです。
(構成・加来由子)