イスラム主義と左派――シャルリ・エブド襲撃事件に記して


イラン革命から35年が経ってなお、宗教復興の時代、今でいえば「ポスト世俗主義」の時代を、左派の人間やこれに賛同する人(多少距離のある人も含め)は、これを理解するのに苦労しており、理解することすらも拒んでいる。私たちは「世界の脱魔術化」を心待ちに、近代化が達成された暁には科学の勝利と世俗主義がもたらされるだろうと信じてきた。その後、私たちはニック・コーエンが記すように「啓蒙主義の教えを忘れて、あらゆる過激な信仰は圧政を生み出す可能性がある」のを目撃するに至った。

 

今日では、世界のあらゆる宗教が復興の明らかな途上にある。復興を遂げた宗教は、麻薬というよりは、刺激的な興奮剤である。1970年代以降、特にこの10年、この興奮剤はイスラム世界で最も強く効いている。パキスタンからナイジェリア、そしてヨーロッパの一部で、現代のイスラム教は多くの人々、特に男性に多くの影響を与えている。そして、宗教は、その名において人を殺し、自爆をも選択させている。

 

 

拡大するイスラムフォビア――左派の立ち位置をめぐって

 

それゆえ、イスラムの復興は左派にとって一種の試金石である。それは「はたして私たちは『圧政の可能性』を認識し、それに抵抗できるのか」という問いへとつながる。中には圧政に抵抗する者もいるに違いない。しかし私たちの多くは、むしろ進んで屈することになるのではないだろうか。

 

敗北をもたらす理由の一つは、イスラムフォビア(イスラム教に対する不当な偏見、嫌悪感)という病理に、左派が犯されているのではないかと思われることの恐怖心から来ている。反米主義や極端な文化相対主義もこの敗北につらなるが、これらの病理は時代遅れになろうとしている。今の病理はもっと新しい。すなわち、左派の多くは、不合理なイスラムフォビアを道理もなく恐れると同時に、理性を欠くイスラム教徒のことも根拠もなく脅威に感じている。だから、世の中で今起きていることを、左派はまともに説明できなくなっているのである。

 

この見方が見当違いでないことは、「イスラムフォビア」をグーグル検索し、出てくるリンクの長いリストをみればわかる。リストの多くは、フォビアそれ自体を解説しているものもあるが、私の目を引いたのは、反イスラムフォビアのウェッブサイトだ。それは左派のオンライン空間が拡がる刺激的な空間で、多様で、かつ私がこれまで知ることにない世界の住人と出会う場だった。他方で、現実世界の左派の悪癖がオンラインにもあることを知って、多少なりともがっかりしたのも事実だ。

 

しかし、ここで注目すべきなのは、オンラインでもオフラインでも集合的な左派はもはや存在していないにせよ、左派のまとまりというのは明らかに存在していること、そして彼らの中に現代宗教の統治、イスラム原理主義の政治に懸念を示す者がいなかったことだ。

 

私にとって、宗教に基づく好戦的な態度はいかなるものでも、いつも脅威に映る。インドのヒンズー至上主義集団、イスラエルの救世シオニスト、そしてミャンマーの仏教徒の暴動も脅威である。ただ、中でもイスラム過激派が最大の脅威であることを認めざるを得ない。なぜなら、現時点でイスラム諸国(もちろん常に、あるいは今後も永遠にという保証はないが)が、とりわけ熱狂的で過激だからだ。実際に、政治的なコミットをするイスラム教徒は、現代の十字軍と看做すのには最もふさわしい存在ではないだろうか。

 

 

11世紀の十字軍にみる宗教的過激派――合理的恐怖とフォビアの狭間で

 

このように考えることは、単なる恐れの表明ではなく、反イスラム教の立場、すなわちフォビアといえるかどうかと問うこともできるだろう。この考えは偏見や敵意からくるものなのか。まずは恐れとフォビアとの大まかな類似点をみてみよう(類似点というものは一般的に大まかなものである)。

 

もし私が、11世紀のキリスト教が征伐的な宗教であり、それゆえユダヤ教徒やイスラム教徒にとっての脅威だとして(中にはフォビア的なものもあるとして)、私は反キリスト教主義者である、といえるだろうか。もちろん、私は十字軍による聖戦の熱狂がキリスト教の本質でないことは知っている。それはキリスト教史でたまたま十字軍が現れ、その約200年後に消え去ったという、歴史の偶然に過ぎない。それだけである。サラディンは十字軍に終止符を打つのに貢献したかもしれないが、彼がいなくとも十字軍はいつしか収束しただろう。

 

私は十字軍に反対したキリスト教徒が少なからず存在したことも知っている。今日では、彼らを「穏健派」と呼ぶこともできるだろう。そして、11世紀のキリスト教徒の大半は、十字軍の聖戦などに興味がなかったはずだ。彼らは教会で説教を聴き、エルサレムに巡礼し、帰路についた。それでもなお、11世紀に生きたキリスト教徒の身体、財産、知識が十字軍に投じられたことは、まぎれもない事実なのだ。

 

十字軍が西洋諸国における最初のイスラムフォビアとしてあげられることもある。十字軍の戦士が、イスラム教への不合理な脅威に奮い立たされていたとするのも正しいかもしれない。しかしそれ以上に、ユダヤ教に対する不合理な恐怖のほうが、彼らの行動を導く原動力になっていた。このことはすなわち、彼らが恐れたのは宗教的な「過激派」なのであって、このように断定することが反キリスト教主義である、ということにはならないはずだ。

 

今日のイスラム教徒についても、同じように言えると考えるべきだ。ジハードの暴力がイスラムの教義に基づくものでないとしても、あるいは、大半のイスラム教徒が宗教的暴力に反対する穏健派であるとしても、そして、多くのイスラム教徒が異教徒や異端者の来世の運命をとりわけ気にしているわけではないにしても、である。私は、「魂(内へ)のジハード」だけでなく、「剣(外へ)のジハード」という言葉があることを知っている。そしてムハンマドは、前者をより大きなジハードだとしたのである。

 

もちろん、イスラム教の世界も決して一枚岩ではない。新聞に目を通せば、数多く存在するイスラム過激派はそれぞれ異なることもわかる。アルカイダ、タリバン、イスラム国(ISIS)、ヒズボラ、ハマス、ボコ・ハラムと有名なものを数えても、それらが同じものでないことは明らかだ。集団の教義上の解釈にも明白な違いがあることだろう。また、インドネシアやインドの何百万というイスラム教徒はこれら過激派に惑わされていないものの、他方で東南アジアのイスラム過激派のジェマ・イスラミアに賛同するインドネシア国民がおり、テロ事件で彼らが起訴されているという事実もある。

 

こうした様々な要件をもってしても、「外へのジハード」は今日、とてつもなく強大になっていることは確かであり、多くのムスリム世界の無信心者や異教徒、世俗的な自由主義者、社民主義者、自由を求める女性にとっての脅威となっている。そして、その恐怖は極めて合理的なものだ。

 

繰り返すが、そのような状況にあっても、イスラム過激派を公然と非難するというより、イスラムフォビアとみなされることをいかに回避すべきかに腐心する左派に出くわすことは多い。これは今日のムスリム世界と左派の関係に鑑みれば、不思議な立ち位置である。確かに、西欧やとりわけアメリカでは、移民してきたイスラム教徒は、差別、警察からの監視や暴行、世間の敵意の対象となっているから、こうした立ち位置はある程度、理解できる。ここから、イスラム教徒を「新たなユダヤ人」と呼び慣わそうとすることを耳にすることもあるが、これは適切な言い換えではない。西欧諸国における今日のイスラム教徒は、十字軍の征伐の対象になったこともなければ、国から次々と追放された経験もないからだ。固有の衣服の着用を強制されているわけでも、特定の職に就くことが禁止されているわけでもない。ナチスの虐殺の対象となったわけでもない。そればかりか、今の欧州のイスラム過激派は反ユダヤ主義の主要な伝道者にすらなっているのである(彼らはフランスやドイツ、その他の国のネオファシストから沢山の支援を受けている)。

 

アメリカでも「新しいユダヤ人」のレッテルはさほど意味を持たないだろう。例えば、FBIの調査によれば、2002年から2011年の間にイスラム教徒へのヘイトクライムは1,338件だったのに対し、ユダヤ系アメリカ人へのヘイトクライムは9,198件、黒人へのそれは25,130件にも上る。あらゆるヘイトクライムの被害者に保護が提供されなければならないのはもちろんのことだ。ただ、より大きな危険に直面しているのが誰であるのかは、認識されるべき点である。【次ページにつづく】

 


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困ってるズ 日本語で読む α-synodos03-2

vol.166 特集:ジェノサイド

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