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help RSS ゼロ戦とはどんな飛行機だったのか?

<<   作成日時 : 2013/07/26 20:14   >>

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時代が移ればちょっと奇妙なものも出てくる、とは感じる。

 堀辰雄の「風立ちぬ」が堀の共通点で堀越二郎技師のゼロ戦物語になって
しまうのだから、・・・・・・。

 「風立ちぬ」の主人公はモデルは堀辰雄でなく、実は詩人の立原道造であ
る。まずこれを知っておかないとあらぬ誤解をしてしまう。

  モデルの立原道造

  
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 その恋人?

 
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 まあ、立原道造が東大工学部建築学科卒の理系だったのでその連想も、も
しやあったのかもしれないが、・・・・。

 「空にあこがれて」、・・・ゼロ戦?ちょっと違うとうか、あまりにも筋違いのよう
に思えるが、・・・・・。それにさえ違和感を社会が感じない時代になったという
事実こそが興味深いし考えさせられる。

堀越二郎に関して言えば、96式艦戦の成功がベースで堀越も「ゼロ戦より
96式艦戦を見て欲しい」と言っていたくらいだ。

  堀越技師は最初に設計の七試艦上戦闘機の失敗にこりて、96式艦上戦
闘機のプロトタイプとなる九試艦上戦闘機を設計した。これはコルセアみたい
な逆ガル翼だった。

 実際、逆ガル翼は迎角が大きいときの失速もあって96式艦上戦闘機では
採用されなかったが、96艦戦成功とは九式艦上戦闘機の成功がベースで
あって、アニメ「風立ちぬ」での「登場」もなかなか慧眼と言える。

 かくして

 「風立ちぬ」アニメを見ていたら主人公の堀越技師が逆ガル翼の模型を
飛ばすシーンがあるが、それがこの九試艦上戦闘機、・・・・という意味だが、
実際、軍用機開発の鉄の規律、秘密の中、・・・・恋人相手にこんな場面が
あり得たとは思えないのだが、・・・・・アニメということだろう。

  
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 さて、ゼロ戦のコンセプトが「徹底軽量化と大型化の共存で操縦性向上」は
ゼロ戦21型くらいまでが良くて、あとは性能低下の一途。

 さらに雷電という惨憺たる失敗作、また機体大型化による操縦性向上の夢
が捨てきれず、ついに烈風という設計思想の完全な動脈硬化を露呈するに及ん
では、もう設計者としての限界を感じさせるとしか言えない。

 さて、・・・・・

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」とはポール・ヴァレリーの「風が起きた、さあ、生
きることを試してみようか」という言葉の堀流の翻訳というか、アレンジだが、・・。

 「生きめやも」も「め」は意思の「む」の已然形、「やも」は反語。でも古文で「め
やも」などという例は見かけたことはないが、・・・・。「生きるべきか、どうか」とい
うヴァレリーに比べ、消極性があって、・・・結核だから仕方ないが、・・・堀辰雄
らしいとは言えるにしても、・・・・・。

 堀辰雄の作品は著作権消滅だから青空文庫にほぼ全作品が収録されている。

 著作権はなくなっても、・・・・スタジオ・ジブリのこの企画はちょっと疑問が残る。

 原作とまるで無関係なストーリーに仕立ててあるし、まして戦闘機では、・・。

 今でこそゼロ戦の時代で,・・・戦後はある意味、ゼロ戦の時代であるが、終戦
まで国民は全くゼロ戦なんて知らなかった。

  戦時下であっていかなる些細な情報も徹底管理され、まして設計者がロマン
をもって誰か女に語るなんてあり得ないことである。

 海軍戦闘機は徹底した秘密主義で戦後になって初めて国民が知ったのであり、
ゼロ戦もまさに戦後になって国民に明らかになったのである。国民一般にゼロ戦
の存在が知られ始めたのは戦後十年ちかくたってからの話で、・・・・・その後、
子供向き週刊誌、雑誌で爆発的なゼロ戦(そして大和)ブームが起こった。

 「戦時中、日本にこんな戦闘機があったのか、・・・」という驚きであった。

 逆に陸軍戦闘機は愛称を募集したくらいで数多くの戦時中、映画にもなって
親しまれていた。その反対が海軍戦闘機。

 坂井三郎氏によると「名称」すらなく、パイロットは「あの飛行機」と言っていた
そうだ。

  だから「風立ちぬ」を軍用機の話に持っていくのは荒唐無稽だが、それでも
陸軍戦闘機の隼なら絶対無理とは言えないかもしれないが、ゼロ戦では歴史
的に1000%想定も出来ない。

 ゼロ戦とは、・・・・徹底した軽量化、機体の「密度」が低い、ことによる操性
の向上、特筆すべきは上昇性能の高さであった。

 1.ゼロ戦は実はサイズの大きな戦闘機であった!

 これは意外に感じられるかもしれないが初めてゼロ戦を見た関係者が驚いた
ことは、・・・・

 ゼロ戦の巨大さであった。それまでの戦闘機の小柄ぶりからして、・・・

 「まるで艦攻(魚雷攻撃機)みたいだ」と言って唖然としたくらいであった。

 これは同一縮尺の模型を比較して分かるが、ゼロ戦は確かに胴は細いが
非常に大きいのである。メッサーシュミットやF4Fに比べると大きさが際立つ。

 確かにF6Fなどの米国の巨大戦闘機に比べると小さいが、それほど遜色
はないレベルである。

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 胴の細さが際だつ。

 2徹底した軽量化!

 防弾、防御の完全無視!これは同じエンジンを搭載した類似戦闘機の陸軍
の一式戦闘機隼が早くから燃料タンクに防弾装備を施したのと対照的な割り
切りであった。

 、・・・・つまり


 寸法自体は大きく軽い、・・・・密度が低い

 いくら小型でもメッサーシュミットのように重く、「空飛ぶ敷石」と言われる密度
の高さでは、ゼロ戦のようなフワリフワリの軽快な操縦性は望めない。

 3.軽さこそは上昇性能を決める

  住友軽金属だったか、・・・・超々ジュラルミンの開発、実用化。

 これは2000馬力級のF6Fが96式艦戦に上性能で振り切られたことに見られる。
概して重量級の米国大型戦闘機の上昇性能は低く、F4Uコルセアなどは悲惨で
あった。

 (もちろんパワーはないよりあった方がいいのでコンパクト化したグラマンF-8-F
はゼロ戦を遥かに凌駕する驚異の上昇性能を持っていた)

 だから三舵のバランスも悪く上昇性能も低いF4Uコルセアは緒戦の惨敗で、
基本的にゼロ戦のカモにされた。

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 4.操縦系における剛性低下方式が大きな操縦性向上に

 飛行機は三舵のバランスを一本の操縦竿で行う。これが操縦性を決定的
に決めるが軽量な機体の特性を生かすために反応をマイルドにすべくワイアー
の剛性を低下させた。

 つまり操縦性を向上させようと思えば誰しも三舵に通じるワイヤーの剛性を
高めるものだが、逆にワイヤーの剛性を低下させ、軽量の機体の特性を活かす
べく、操縦のレスポンスに「遊び」をつくったことであった。

 5.軽量化による機体の強度、剛性の低さ、下降性能の低さ

 軽量化による弊害は防弾能力の欠如とともに降下性能の低下、速度の制限
となって現れた。

 敵機は上昇でなく降下してゼロ戦から容易に逃げられる。

 米国戦闘機の水平最高速に劣るゼロ戦の降下制限速度!

 逆に言えば急降下で逃げられない低空での戦闘ではゼロ戦の有利は明らか
だった。

 6.航続距離の長さ

 これは緒戦で大きなメリットとなった。翼の銃器が20mm機関砲一丁づつと
いう翼内スペースの余裕である。

 7.国民に戦時中は完全に隠蔽されて誰も知らなかった、に等しい。

 8。栄エンジンのパワーは不十分。戦争後半で馬脚を露わした。

 9.高度性能が2段2速のスーパーチャージャーを実現できず低かった。これ
は日本の全ての当時の軍用機で実用化できなかったことで日本の技術のレベル
の低さだった。

 10.武装が半端

 20mm機関砲は実質無益でまた7.7mm機関銃は破壊力に欠けた。

 結局、ゼロ戦とは優れた操縦性,上昇性能、長い航続距離に尽きる。

 初期型こそベストでその後はコンセプトに反する低性能化であった。

 性能発展能力の欠落は徹底軽量化による操縦性向上がコンセプトの
事実上全てであったことによる。

 坂井三郎氏が喝破したように「ゼロ戦の歴史は性能低下の歴史で
ある」わけだ。

 、・・・現在になってゼロ戦ロマンも歴史の事実を考えればおかしいが、
それはそれで認めるべきかもしれない。

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