過激派組織「イスラム国」の犠牲になったとされる日本人2人を追悼する集会が今月、各地で開かれた。人びとは合言葉をプラカードに掲げて参加した。

 I am Kenji

 I am Haruna

 後藤健二さん(47)、湯川遥菜さん(42)と無念の思いを共有し、テロと暴力の根絶を目指す――。「私は健二」「私は遥菜」には、市民のそのような決意がにじんでいる。

 この事件の急展開から半月余りが経ち、日々忙しい日本社会で2人のことが語られる機会も少し減った。しかし、中東の現地で「人質事件」はまだ、過去のものとはなっていない。

 2人のように、「イスラム国」に拘束されたジャーナリストらが、依然として解放を待ち望んでいるとみられている。何より、地元の何百万人もの市民が、事実上の人質状態に置かれている。

 今回の事件を機に、「イスラム国」による恐怖支配の下で暮らす彼らにも思いをはせたい。その苦悩を共有してこそ、国境を超えた連帯が生まれ、「イスラム国」壊滅への道が開けるに違いない。

 「私は……」の言葉には、背景や事情は異なろうとも被害者や犠牲者に寄り添いたい、といった意識が込められている。2001年の米同時多発テロの際、仏ルモンド紙は1面に「我ら皆米国人」と題する社説を掲げた。先月フランスで週刊新聞社「シャルリー・エブド」などが襲われた連続テロでは、「私はシャルリー」が合言葉となった。

 同じ言葉を、「イスラム国」支配下の人びとにも送りたい。支配地域から漏れ聞こえてくる情報や証言からも、大変な悲しみと怒り、不安を抱えていることがうかがえる。

 「イスラム国」支配の恐怖に加え、地元の市民は米主導の有志連合軍による空爆にもさらされている。二重の苦難。後藤健二さんがフリージャーナリストとして伝えようとしたのも、さまざまな苦難からの解放を願う人びとの姿でなかったか。

 人質は「イスラム国」に限らない。ナイジェリアでは昨年4月、イスラム過激派「ボコ・ハラム」によって200人以上の女子生徒が誘拐された。この事件が未解決のまま、現地では子どもたちを対象にした新たな誘拐も起きている。

 彼女ら彼らもKenjiやHarunaと同様、一人ひとりがかけがえのない名前と人生を持つ。一日も早い解放に向けて何ができるか、模索したい。