日本を訪れた外国人は昨年、過去最多の千三百四十万人に達しました。異なる文化、生活習慣に触れる機会はさらに増えそうです。その機会を大切に。
紀伊半島の南端、和歌山県串本町でこの冬、日本とトルコの合作映画「海難1890」の撮影が行われました。
監督は田中光敏さん。内野聖陽さん、忽那汐里さん、トルコ側メーンキャストのケナン・エジェさんらが出演しています。串本町の人たちもエキストラを務めたり、ボランティアで炊き出しをしたりして撮影に協力しました。
今年十二月に公開予定のこの映画は、明治二十三年、つまり一八九〇年にこの地で起きたトルコの軍艦エルトゥールル号遭難をめぐる史実が題材になっています。
親善交流のためオスマン帝国から日本に派遣されたエルトゥールル号は帰国途中の同年九月、今は串本町になっている紀伊大島の沖で台風に巻き込まれて沈没、乗員五百人以上が亡くなる大惨事に。
遭難を知った大島の住民は暴風雨の中、総出で救助を続けたといいます。負傷者を手当てするため戸板に乗せて集落に運ぶ。漁師たちが裸になり、冷えきった遭難者を抱いて温める…。こうして、言葉も文化も異なる六十九人の命が救われました。
救助された乗員が帰路についた後も、島の住民たちは粘り強く捜索を。海中にも潜り、遺体を見つけては埋葬する。浜に打ち上げられる軍装品や硬貨などの遺品を集め、トルコに返還する…。
◆言葉も文化も超えて
遭難海域を見下ろす高台には殉難者の墓地と慰霊碑がつくられ、五年ごとに営まれる慰霊祭は今も続いています。
地元の人たちが静かに語り継いできたエルトゥールル号の逸話が脚光を浴びたのは、遭難から九十五年後の一九八五年でした。
イラン・イラク戦争が激しさを増し、互いにミサイルを撃ち合う事態になっていました。
イランの首都テヘランにも危機が迫り、外国人が一斉に避難する中、自国の航空機が就航していない日本人は二百人以上も空港に取り残されてしまいます。その時、トルコが「エルトゥールル号の恩返しだ」と、二機の救援機を飛ばして助けてくれたのです。
古い話では、あります。でも、国際交流や相互理解を深める道筋を考えるとき、今なお、たいへん示唆に富む話でもあります。
日本を訪れた外国人は昨年、千三百四十万人に達しました。初めて一千万人を超えた前年から、さらに三割もの急増です。
円安の追い風に加え、ビザの緩和や免税品目拡大など、政府の取り組みも後押しした格好です。
その経済効果は大きく、外国人が滞在中に使ったお金は前年から四割以上増え、約二兆円に。
政府は、東京五輪開催の二〇二〇年に訪日外国人二千万人という目標を掲げています。あるいは、中部北陸九県の「昇龍道プロジェクト」のように、外国人観光客の受け入れ拡大を目指す各地の官民の試みも活発です。
人口が減少に転じる中、訪日外国人の増加にはビジネスの面から大きな期待が集まる。でも、せっかくの好機です。市場の拡大というだけでなく、相互理解を深める機会にもしなくては。
例えば、東南アジアなどのイスラム教国からの訪日客の増加に伴い、イスラム教の戒律に沿った食品などに与えられるハラル認証への関心が高まっています。
商売に欠かせぬ知識であるばかりでなく、多様な文化や生活習慣への見識を深めるきっかけでもあるはず。相手をよく知り、違いを超えて向き合うことが、それこそ「おもてなし」では。
◆市場拡大だけでなく
エルトゥールル号の極東への大航海は、オスマン帝国の国威発揚が狙いでもありました。救助された乗員を明治政府が二隻の軍艦でトルコに送り届けたのも、坂の上の雲を目指して駆け上がる日本の力を諸国に示すため、とも。
でも、双方の人々の心を結び付けたものは、国家のメンツや利害打算を超え、食べ物や衣類を惜しみなく提供し、遭難者を懸命に助けようとした島の人たちの寛容の精神だったようです。
国や企業がつくる交流の枠組みを超え、人と人とが心を結べるかどうか。異文化との摩擦が起きやすいグローバル化の時代だからこそ、問われる課題でしょう。
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