廃墟の風景

美祢の炭鉱跡

2013/6/23
EOS 5D
 
    
明治期に開発された美祢の炭鉱は、無煙炭を産出することから、軍艦の燃料などに使用され石炭の一大産地となった。
石炭輸送のために明治38年(1905)に敷設された美祢線大嶺支線は平成9年(1997)に廃止された。
終点の大嶺駅跡付近には、海軍のマークが入ったキーストーンを使ったモニュメントがある。
 
   
■桃の木炭鉱・奥畑坑

国道435号線から少し入った美祢市化石採集場へ行く途中にある。
入口にはフェンスがあり鍵がかかっているので、美祢市歴史民俗資料館で許可を受ける必要がある。
   
■山陽無煙鉱業所・美祢斜坑
 
国道435号線から県道38号線を北へ約2km、大嶺郵便局がある。ここが、かつての大嶺駅跡。
少し進むと右手に赤錆びたトタン板の高い塀がある。ここが宇部サンド工業。塀が途切れた先で右折すると、広い駐車場が見えてくる。
日曜日なので工場はお休みで人影がまったくなかった。
 
宇部サンド工業は宇部興産の関連会社で1985年設立、人造珪砂・珪石粉の製造販売を行っている。
珪砂・珪石は珪酸分(SiO2)を主成分とする石英片岩で、ガラス原料などに使用されている。
 
駐車場の端に見えるのが、美祢斜坑・材料坑道の坑口。 


坑口の裏手にある坂道を進む。坂道を登りきったところに、美祢斜坑の坑口がある。
秋吉台近くの平野山鉱山で採掘された珪砂・珪石をトラックでここへ運び、右手のホッパーからベルトコンベアに落とし、工場へ運んでいるようである。
かつては石炭採掘の坑道であった設備の一部が活用されているので、もはや廃墟とは言えないのかもしれない。
下に見えるのは沈殿槽で、何に使われているのか分からないが、硫黄のような鼻を突く匂いがしていた。 

道路の反対側に、同じデザインの坑口がある。後ろに見えるのは炭鉱時代の建物と思われる。

    

坂道のむこうにトンネルが見える。

坂道の右手にあるホッパー。


トンネルをぬけた先の左手に倉庫のような建物が残されていた。

■吉部鉱業・荒川水平坑

宇部サンド工業から県道38号線を北へ、麦川小学校の先で左折し荒川方面へ約1km。
荒川にかかる橋を渡る手前で左折し坂道を登る。
坂道を登り切ったところに廃車などが置かれた工場のような建物があり、左手奥に坑口が見える。

    

坑口遠景。左手は炭鉱時代の事務所ではないだろうか。

川のそばにあるホッパー跡。ここから大嶺駅へトロッコ軌道があった。

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