里に秋風が吹く頃この川には帰ってくるものたちがいる。
福島県楢葉町を流れる木戸川。
本州で一番多くのサケが上る川だと言われてきた。
原発事故があってもサケたちは4年でふるさとの川に帰ってきた。
しかし人間は4年でふるさとに帰る事はできなかった。
原発事故で今も全住民が避難を続ける楢葉町。
いつふるさとに帰るのかそれが最大の関心事である。
松本幸英町長は今年の春には住民が帰還する時期を判断すると表明している。
楢葉町は人口7,500の町だった。
事故を起こした福島第一原発から20km圏にあるため国の避難指示が出ている。
原発から近い割には放射線量が低い。
その上除染が進んだ事で国が目標としてきた放射線量の50%削減をおおむね達成している。
今なお全町避難を続ける福島の自治体の中で最初に帰還できるのは楢葉だというのが衆目の一致するところである。
帰還を望む人たちは住宅の修繕に取りかかっている。
宿泊はまだ認められていないが昼間なら自由に出入りする事ができる。
3年以上放置していた家は荒れ果てそのままで暮らす事はできそうになかった。
大工の棟梁猪狩安正さん。
今この町で一番忙しい男と言われる。
また来てる?避難している人たちから家の修繕建て直しの注文がひっきりなしだ。
これいうたら直すところですね。
(取材者)じゃあ直すとこが1234…。
123…678910。
(取材者)10軒。
(安正)これが24689軒。
(取材者)新築9軒。
山寺の和尚さんは放射線測定器を持ち歩いていた。
避難指示が出たのは原発事故の翌日だった。
室町時代から続く寺は荒れるに任せるしかなかった。
宝鏡寺第30代住職早川篤雄さん。
住民の帰還が可能になったらいの一番にここに帰ってきたいと考えている。
ジャングルのようになってしまった境内の手入れに追われていた。
3年半でこんなあんばいだよ。
こんな大木になっちゃう根っこが。
桐は育ちが早いから。
廃屋同然ですよ。
家の中もね。
庭見て下さっても分かるでしょ。
全て…全てご破算にされてね今将来への展望も開けないままで過ごしているわけで。
昼間は人々の息遣いを感じる町も夜には無人の町となる。
原発事故で今も避難が続く福島県楢葉町。
ふるさとへの帰還をめぐる住民の複雑な思いを見つめた。
夏は5時なんだよね。
お勤めの時間が決まってる。
宝鏡寺住職の早川篤雄さんは75歳。
今まで朝夕の勤行を欠かした事がなかった。
しかし今ここで経を読むのは避難先から帰ってきた時だけだ。
宝鏡寺の開山は室町時代の初め1395年とされ由緒ある寺である。
(読経)原発事故で墓に納める事ができなかった遺骨が並んでいる。
600年余りの寺の歴史の中でこの本堂から初めて御本尊様の姿が消えた。
住職の早川さんと共に避難をしたのである。
(読経)無人の町の山寺に早川さんの読経の声だけが響き渡る。
宝鏡寺の檀家は130軒。
遠い昔からこの土地で暮らしてきた人たちが眠っている。
だからどんなに避難生活が長引いてもここを捨てて他に移る事など考えられない。
(測定音)
(早川)0.1ぐらいいくか。
(取材者)0.1ぐらいのもんなんですか?
(早川)いくね。
0.112…13…。
(取材者)高くはないですね。
(早川)そうそうそう。
楢葉町は全体として低いから。
まあだいぶ…3年たつからさセシウム134は半減期短いからさ。
(測定音)
(早川)0.15ぐらいになるか。
原発事故で故郷を追われた楢葉町の住民は大半がこの町で避難生活を送っている。
こっぱずかしいんだわ。
片づいてないんだわ。
片づけようがないから。
ほらこんな状態だもん。
ほらこんな状態だもん。
ここに入ってんだ。
ほらこれ。
仏さんの脚だ。
早川さんは本尊の阿弥陀仏像を2DKのこのアパートで守ってきた。
泥棒が…その次の日から泥棒騒ぎになるわけだな。
全戸泥棒が入るわけだ。
(取材者)人がいなくなった所に。
「あっ仏像持っていかれたら大変だ!」と思って。
(取材者)それで取りに行かれたんですか?これ持っていこうとしたら簡単だから。
御本尊様にとってもストレスがたまるばかりの暮らしである。
早川さんは3年半の間に5kgも痩せた。
楢葉なんかの場合は除染を徹底すれば住めるはずだから住めるようにしていくという努力もね。
100%元の現状に復する事がなくてもたとえ半分でも1/3でもやっぱり残そうと。
住めるようにしなくちゃいけないと。
町長さんにも言ったんだ。
事故後すぐにね。
僕はじめ町長さんなんかの年代でもやっぱり復興を願わない復興のために努力しないわけにはいかないから俺たちの年代俺たちの世代っていうのは町長さんらの年代も含めて人柱になんなくちゃなんないべと。
とんでもない事故があったけどもその時代の人たちが一生懸命環境を整えてくれたからまた再び住めるようになったなあと。
この土地で暮らしてきた人たちの運命を大きく変えた福島第一原子力発電所。
事故が起きると国は20km圏内の地域に避難指示を発し浜通りの真ん中に広大な空白地帯が出来た。
楢葉町の人たちにとってせめてもの慰めは大量の放射能を含んだ雲が町とは逆の方向に流れた事だった。
楢葉町は全町避難を強いられている自治体の中では放射線量が最も低い町である。
既に年間20ミリシーベルトの被ばく基準を下回る事から国は住民の帰還を推し進めようとしている。
しかし住民が安心して帰還するための条件は放射線量だけではなかった。
この日いわき市にある仮設住宅の集会場でネズミの駆除に関する説明会が開かれた。
住民の留守にネズミが大量発生していた。
ネズミや害虫の駆除は帰還への第一歩である。
こちらにありますベイトボックス。
ここに入り口あって中に餌置き。
周りから周りのネズミもいなくなると。
説明会に参加した一人猪狩洋子さんの自宅は楢葉町の山あいにある。
異変に気が付いたのは夏の初めの事だった。
掃除をするために帰ってきた時家に何者かが住み着いている気配を感じたのである。
異変はやがて形になって現れた。
あそこは色変わってますよね。
(取材者)はい?天井?はいはい。
そこですね。
これは初めて気が付かれた?
(洋子)そうですね気が付かなかったねえ。
何かね今日上がったらその辺に何ていうのかな…音するんですよね。
(取材者)音?どんな?だからどんな音って…その辺でカタカタカタッていうような音かな。
天井裏からドサッとこう落ちるような音がしてそしてその音したあと今度こう…ネズミはほらカサカサカサカサッと行くでしょう?それがトントントントンっていう感じの人間が歩くような感覚っていうような感じだったね。
(取材者)音が聞こえたんですか?そう。
あれこれはネズミとはまた違うなあと思ってそれから気を付けるようになったんですけど。
ネズミより大きな何者かがいる。
天井の板は湿気によってたわんでいるように見えた。
屋根裏の散歩者の正体を探ろうとビデオカメラを設置する事にした。
カメラの前を何かが横切れば赤外線に反応して撮影が始まる仕組みである。
果たして留守宅に入り込んでいたものの正体は何なのか?楢葉町で修繕に取りかかる家が目立ち始めたのは去年夏になっての事だった。
人が住まなくなった家は傷みが早い。
町役場によれば町内の2,800戸のうち2,000戸近くは何らかの修理が必要だった。
楢葉町に戻る住民については東京電力が家の修繕にかかる費用を補償する事になっている。
大工の棟梁猪狩安正さんは忙しかった。
楢葉生まれ楢葉育ちの65歳。
これまで町の人たちのために100軒以上の家を建ててきた。
この家ももともと猪狩さんが建てたもの。
家族が避難している間に70匹以上のネズミが発生した。
もしもし。
古くからの客がひっきりなしに電話をしてくる。
猪狩さんはいくつかの現場を掛け持ちでこなす毎日だ。
東日本大震災が起きると猪狩さんは仮設住宅の建設に追われた。
それが一息つくと今度は家の修理の注文が殺到した。
建設ブームのあおりで必要な職人を手配するのも大変だ。
まったく長えべ。
タバコ1本吸えっぺ。
こちらは楢葉町にある猪狩さんの自宅。
震災から3年半も放置していたためすっかりひずみが出てふすまや障子の開けたてができなくなっている。
駄目だ。
戸を外してからじゃないと。
築100年を超える古い木造住宅である。
土台から手を加えなければ再び住めるようにはなりそうもない。
思いもかけぬ大仕事になった。
(の音)猪狩さんには気がかりな事がある。
長引く避難生活の間に年老いた母親が認知症を発症してしまったのである。
今ではこの家に連れてきても自分の家だと認識できない。
それでも猪狩さんは家族がそろってここに帰ってきたいと言う。
(取材者)震災から3年間そのままにしてあったんだ?だって他やってっからな自分のうちは後回しだ。
これだけやったんだ。
ここさ洗い出しっていうんだけどそれ張ってあったんだけどみんな壊れちゃったから。
雨になっちゃったら腐っちゃうから。
(取材者)今ようやく自分の家もできる?多少ね今日かぎりだよ。
(のこぎりの音)あ〜もっときついか。
住民帰還への動きが一気に加速したのは春から夏にかけての事だった。
5月28日町長が初めて帰還の時期について言及。
6月1日にはJR常磐線が楢葉町・竜田駅までの運行を再開。
そして翌2日町役場がいわき市内の仮庁舎から一部の業務を町内に戻した。
7月31日には役場の傍らに仮設の商店街がオープン。
食堂が2軒とスーパーマーケットが出来た。
無人の町に昼間のにぎわいが戻り始めた。
(司会者)「ここなら商店街」オープンです。
どうぞ。
(拍手)帰町に最低限必要となる環境はおおむね整いつつあると評価をさせて頂き…楢葉町では国による除染が十分な効果をあげたか確かめるため有識者による除染検証委員会を組織。
検証委員会は現在の放射線量からいえば住民の帰還は可能だと結論づけた。
しかしその一方で被ばくの危険性を極力減らすため追加的な除染を行うなど徹底した安全対策の実施を国に求めた。
今回の原発事故の一番の反省は絶対安全論。
いろんな議論が言われて国会でも全電源が喪失したらどうするんだというような議論に対して当時の首相が答弁で「問題ありません」と「そういう事態は起こりません」とか書いちゃったわけです。
ところが現実には全電源の喪失が起こってそしてこれだけの放射性物質が飛散しちゃったと。
その結果として避難させられていた住民だったらば安全だろうからいいですという議論は全く意味を成さない。
それを実際にはかって納得して頂くきめ細かな対応がないとやはり環境回復の第一歩を始めて頂こうといろいろご不便ご迷惑をおかけしたうえにこれから更に大変に長い年月にわたって環境をやっぱり美しい福島を取り戻していこうという作業に参加して頂くという住民の方々に対してやっぱりある守るべき一線というのは僕は必ずあると思っています。
住民の安全を確保するため民間からも協力する動きが出てきた。
放射線防護学者の安斎育郎さんを中心とした専門家のプロジェクトチームである。
国による除染が終わった場所を改めて測定。
住民の健康が損なわれる心配が残っていないかどうかチェックしようとしている。
洗った跡が。
さほど高くないですね。
高くないです。
プロジェクトチームの現地案内人を務めるのは宝鏡寺の住職・早川篤雄さん。
若い世代が安心して帰ってこられる楢葉にする事が復興の決め手だと考えている。
そのため長年懇意にしてきた安斎さんに調査と助言を求めたのである。
だんだん上がる。
0.5。
0.6。
0.7。
だんだん上がってくる。
この屋敷に入ると…。
1。
1.1。
この家では除染が終わったはずの屋敷林の中で毎時1マイクロシーベルトを超える空間線量が測定された。
安斎さんは地表に積もった落ち葉などを取り除いてみる事にした。
スギの木に付着していた放射性物質が雨で洗い落とされ土に染み込んだと考えたのである。
土がむき出しになると線量が上がった。
深さ5cmのところの土を採取して放射線量を測ってみる。
環境省が定めた除染マニュアルによれば放射性物質は林では落ち葉や腐葉土に付着しその下の土には含まれないとしていた。
大体1分ぐらいで。
(取材者)そんな早くできるんですか?全ての放射線のカウントでやってるんで。
土からは1kg当たり4万ベクレルを超える数値が出た。
これは国が責任を持って管理しなければならない8,000ベクレル以上の指定廃棄物に相当する。
4万です。
4万。
4万ベクレル?結構高いでしょう。
それが腐葉土の中間層なんです。
全然高いんじゃないですか?
(安斎)高いですよ。
だから除染といってもそんな感じなんですよね。
上っ面だけ。
重機が入らないもんだから行政もあんまりやりたがらないし。
手作業でこのね…。
手作業で人手はかかって金がかかるから。
4万ベクレルではやっぱりちっちゃい子供なんて遊んでるってわけにはいかないですよね。
(安斎)ここが遊び場としてはちょっと使いようないから当面は立ち入り制限をしていくよりしょうがないですよね。
早川さんはプロジェクトチームの調査報告書を手に町役場の放射線対策課を訪ねた。
(取材者)これがこの間の報告書ですか?そうですね。
原発の危険性を訴え原発を推進する役場を批判する事もあった早川さん。
しかし原発事故が現実のものになるとそれまでのいきさつを水に流した。
楢葉町の復興を第一に役場に協力を惜しまないつもりだ。
草を刈って木の葉を取って腐葉土を取った。
だけど高いと。
それでね腐葉土の下の表土を剥いだらそこはね4万ベクレル。
(早川)こういう事をね実際自分の家の線量はどれくらいかという事が分かったうえでそれに対してどう対処すればいいか具体的な例えば学習会みたいな事をやってもいいと。
是非ひとつ私もそういう意味で協力したいと思います。
なんせかんせ楢葉町が復興しなくちゃ話になんねえ。
よろしくお願いします。
はいよろしくお願いします。
また連絡します。
(せみの鳴き声)盆の13日は墓参り。
この時期は特例として町内での宿泊が認められていた。
あ〜おはようございます。
おはようございます。
早川さんは墓参りに来る人たちを迎えるため事故後初めて寺に泊まり込んだ。
うん。
1年に1度しかここに戻ってこられない人もいる。
盆は原発事故によってこの地を追われた人たちが互いの近況を確かめ合う日でもあった。
おう!しばらくだ。
今から。
住職さんうちのお墓家出しちゃった。
何?家出しちゃった。
(早川)何した?家出お墓。
何でお墓家出した?ねえ。
ねえ!何だ?ねえっちゃ。
ない!お墓ねえっちゃそんな話聞いた事ねえ。
お墓気になってたの。
やっぱそうかな?すっごい気になってたの。
何?石碑がないの?どうもどうも。
どうもおはようございます。
どこにいんだ?草野にいます。
勤めてんのか?いえ勤めてません。
お墓掃除来ねえんだ。
・あった?
(早川)あるよ!・うそ?草むらの中に?草刈り来なかったからだよ。
・アハハハハ!ああいやだ〜。
ありがとう。
住職さんもういい。
やるからいい。
ある。
なくなるわけあんめえ。
これまあなお盆で草刈り来れないからな。
やっと巡り合えた。
すいません。
住職さん追いかけていって下さい。
ごめんね。
「行ってくるからね」って「私の分まであげてきてね」と言う。
そしたら孫は「ふ〜ん大谷に帰るの?」って。
中学1年になっても。
駄目だ。
神経質なんだな。
こっちから作っていったから?うん。
食わねえ全然漬物も。
うまいのによ。
アハハハハ…。
うまい漬物作っていったって食わねえんだ。
福島から持っていったら駄目か。
あとは持っていかねえ。
(けいすの音)早川さんの妻・千枝子さんも夫と共に寺に泊まった。
千枝子さんはペットボトルの水を大量に買い込んで持ってきていた。
楢葉町では事故前と同様に上水道の水が使えるがどうしてもその水を飲む気にはなれないという。
御飯炊くにしても何にしても…。
(取材者)やっぱりこっちの水はまだちょっと?あの…大丈夫だとは言うんですけども町民誰も信用してません。
あそこのダム木戸ダムっていうダムのところから引いてるんですけども。
でも1m…水面から1mくらいのところで測っては大丈夫だと言うんですけども町民は誰も信用してませんよ。
来る人はみんな自分で水持ってきてます。
くま!はい水。
飲むか?双葉郡の水がめ木戸ダムである。
周囲から土砂が流れ込む事によってダムの底の土は放射性物質によって汚染されている。
しかし国はダムの底の除染を行わない方針である。
放射性物質は一度土壌に吸着されると容易な事では離れず水に溶け出す事はないというのがその理由である。
取水場はダムから下流に8km。
水道水から放射性物質が検出された事はない。
秋になると楢葉町民を対象にした環境省の説明会が開かれた。
今後予定されている追加的な除染の進め方が主な議題だったが町民の関心は木戸ダムの除染問題に集中した。
木戸ダムの湖底に堆積しているセシウム。
恐らく10万ベクレルぐらいあるんでしょあれね。
そいつを除染する考えが何かないみたいなんですけどもあれをあのまま残しておいて除染しないで残しておけば水を飲む形にならないんじゃないかなと思うんですよね。
我々帰って1日や2日で水を飲む事は結構ですよ。
365日朝から晩までその水を飲む。
どうなりますか?どうなると思いますか?木戸ダムの水につきましては飲んで頂いて100%大丈夫です。
これは言い切れます。
ダムの底にあるのはおっしゃるとおりダムの底にたまってる泥というものは1万7,000というベクレルですがこれがダムの底にたまらずにダムの底から無理に引き上げようとして水の中にかくはんしてしまえば水が汚染されてしまうという事になりますので今の形でダムの中に沈めておくという事が一番安心・安全できる対策だという事を我々申し上げております。
安全・安心と言われながら原発は爆発したではないですか。
私たちは信用できませんよ。
「安心です。
安全です」って言われても。
住民の不安の声を重視した楢葉町は除染検証委員会の専門家と対策を検討した。
その結果ダムの底の除染を行わないなら24時間水の放射線量を測定すべきだと国に対して要求した。
お水の安全に関しては一も二もなく第一番目にやる。
これがなければやっぱり住民が戻るっていう。
ここのその行政の温かさとか住民の声に対する敏感さっていうののリトマス試験紙だと思っています。
春には住民が帰還する時期を明らかにしたいとしている楢葉町。
それまでに解決しておかなければならない課題は山積みだ。
今日蒸し暑いですね。
避難中に何者かに侵入された猪狩洋子さんの家で天井裏に仕掛けたビデオカメラを取り出す事になった。
人知れず天井裏でうごめくもの。
その正体が明らかになろうとしている。
あっ…。
留守宅に住み着いていたのはアライグマだった。
しかも天井裏で繁殖し少なくとも3匹の子供がいるのが確認された。
アハハハ…どうしましょう。
(取材者)やっぱり気持ち悪いですか?
(洋子)悪いわよ。
だって居てなんないもの居るんだもん。
何かタヌキみたいな気がするな。
はあ涙が浮かんでくる。
住民が避難生活を送っている間に爆発的にその数を増やしたのが野生動物である。
駅前の住宅密集地ですら夜は獣たちの自由の天地と化していた。
これから住民の帰還が始まれば野生動物たちとのニアミスが続出する事態にもなりかねなかった。
猪狩洋子さんはアライグマの駆除を専門の業者に依頼した。
この家に戻ってくるかどうかはまだ決めていない。
しかしアライグマをのさばらせたままにしておくわけにはいかなかった。
(駆除業者)これ全部めくられちゃってるんですよ。
もう全部ですこの色が出てるとこは。
(洋子)黄色くなってるとこ?
(駆除業者)はい。
トイレ。
フンのたまりになってるんですよ。
(洋子)えっ?どこ?
(駆除業者)ここ。
幸い子育てを終えたアライグマの一家は外に出ているようだった。
進入が可能な場所を丹念に塞ぎ二度と入ってこられないようにする。
汚された天井裏は一とおり業者の手で清掃したがもし帰ってくる事になれば天井を張り替えるしかないだろう。
楢葉町で国が家屋の解体事業を始めたのは10月半ばの事だった。
地震で破損した家津波の直撃を受けた家住民が避難している間に荒れ果ててしまった家は国の手で解体される。
楢葉町全体でおよそ800戸が順次取り壊される予定である。
大工の棟梁猪狩安正さんはますます忙しくなった。
楢葉に戻ってきたいと考える人たちが解体のあとに新しい家を建て直すからだ。
65歳になるが当分の間引退できそうになかった。
おおこわい。
年取ったらこんな事やっては疲れんだろうな。
(取材者)どれどれ?
(安正)白い屋根さかかってるとこ。
(取材者)屋根に…。
(安正)白いのシートかぶって…。
あのうち壊して。
だから直さねえでいんのよあれ。
(取材者)あれ壊すの?
(安正)壊してすぐ造るんだ。
今50坪以内っていうので図面引いてるんだよ。
(取材者)それだけ帰ってきたい人がいるって事だちゃんと。
そうだねそこの下も魚屋さんだったんだけどそこもみんな壊す。
ここでやんのがそこのあれ赤い屋根の隣うちの前のあれも壊す。
あれも新築。
これも新築。
あ〜あ。
(取材者)じゃあますます忙しくなるね。
11棟入ってるんだ。
(取材者)11棟?新築。
ははははっ。
参っちまう。
まったく。
なじょしていいか分かんねえよ。
楢葉町から避難してきた人たちが生活している。
その一角に仮設の床屋美容院魚屋パン屋などが建ち並んでいる。
日曜日の朝たまの休みの猪狩さんが床屋が開くのを待っていた。
坂本弘二さんは73歳。
同じ町内会の仲間だった。
高校生だった猪狩さんの髪を切って以来50年のつきあいになる。
楢葉に帰って商売を続けるつもりで自宅と店の修繕を猪狩さんに依頼している。
坂本さんの店には1960年代のアメリカンポップスが流れる。
そのころ2人は消防団で一緒だった。
競い合うようにして社交ダンスを習い朝まで酒を飲み明かした事もある。
そうした古い仲間たちの中にも既に楢葉に戻らないと決めた人もいた。
(坂本)除染してちゃんとできても子供さんが来て泊まられるようになるまではそんなふうに考えるね。
早い話ね前の生活みたくできりゃ一番いいんだけどそうはいかないでしょう。
12月猪狩安正さんは多くの楢葉町民が避難しているいわき市で家を建てる事になった。
この日は地鎮祭である。
家を新築する事にしたのはいわきに避難中の佐藤努さん。
猪狩さんとは親の代からのつきあいだという。
原発事故によって勤めていた福祉施設が閉鎖されいわき市内の施設に再就職した。
(祝詞)これから生活の拠点はいわきに置かざるをえない。
将来楢葉に帰りたいとは思っているが子供たちもいわきの学校に入れる事にした。
(安正)えいえいえい!楢葉に戻る事を決め家の修理や新築を頼んでくるのは高齢者ばかりだった。
去年2月復興庁が行った楢葉町民の意向調査によれば避難指示が解除されればすぐに帰りたいとしたのは8%。
20代30代では半分近くが帰らないと決めていた。
帰還を目指して住宅の解体や修繕が進む楢葉町。
それに伴って廃材や不要になった家具が大量に出始めた。
原発事故の日にあったものは例え屋内で使っていたとしても汚染を恐れて廃棄する人が少なくなかった。
こうして発生したゴミは全て町内に設けられた仮置き場に運ばれた。
本来家屋の解体などに伴うゴミは産業廃棄物として処分する事になっている。
しかし避難区域にある楢葉町のゴミを引き受ける業者はなかった。
当面は町内の仮置き場に積み上げておく他なかった。
仮置き場には除染作業で出た土や廃棄物も保管されている。
国は3年以内に中間貯蔵施設に運び出すとしてきたが計画が遅れ約束の期限が近づいても搬出のめどは立たないままだ。
日々増えてゆくばかりの廃棄物がかつて肥沃な田畑だった土地を飲み込んでゆく。
復興への努力をすればするほど行き場のないゴミが増えてゆく。
宝鏡寺の住職早川さんは農家としての顔も持つ。
原発事故の前に耕していた水田50アールを仮置き場として国に貸し出している。
1枚はここ僕の田んぼこれ。
ここ。
ここが2枚あったんだけど僕の田んぼ。
ここが1枚。
当初の約束は3年。
もうすぐ期限が来るが返してもらえそうにもなかった。
返してもらったところでもう一度田んぼとして使うのは難しいという。
田んぼにして元どおりの稲作ができないのが悩みなんだよ。
(取材者)できない?できないよ。
(取材者)何で?田んぼの地盤全部壊しちゃってるでしょ。
3反歩の田んぼを全部隣の田んぼと一緒に真っ平らにしちゃったでしょ。
新しい土入れんだか何だか知んないけどもとにかく田んぼを復元しても3年ぐらいはまずできないんだって米が。
絶対できないんですよ。
新しい田んぼっていうのは米がまずできないんです。
それから病気になります。
これが1つの悩み。
それから僕はもう75歳でしょ。
6年後になったら80になっちゃうでしょ。
できないでしょ。
元のようには。
放射線量の調査はその後も続いている。
放射線防護学者安斎育郎さんらのプロジェクトチーム。
(測定音)0.3ぐらい。
そこは0.7。
若い世代が一人でも多く楢葉に帰ってくるためには子供たちの安全が幾重にも守られている事が重要だった。
早川さんの依頼で通学路の測定に当たった。
(早川)これはそうですね。
ここは土入れ替えたみたいですね。
(測定音)ちょっとこの辺が0.5あります。
そこ高い?うん0.7ぐらい。
これが高い?ここですね。
(測定音)杉の木の下だ。
ここは降りてきてここにたまっちゃって…。
除染が行われていない杉林から放射性物質が通学路に流れ出しこびりついていると考えられた。
(測定音)ここも0.9。
結構高いね。
ここ斜面全部が。
全部が同じぐらいの感じで。
(測定音)
(安斎)子供はここ通る?通学で。
中学生ここ通ります。
小学生中学生は。
小学校も2km以内に入りますし。
ここへ来ると減る?あっ減りますね。
もう0.2しかない。
(安斎)0.1しかない。
もう極端だよね。
(早川)やっぱりむき出しのところ…。
(安斎)一番いいのはこうやる事だけども。
これはものすごい時間と金がかかるから。
通学路に沿って今も強い放射線を発するホットスポットが複数見つかった。
(測定音)残された汚染をなんとかしなければ避難指示が解除されても若い人たちは帰ってこないだろう。
住民の帰還を前に解決すべき問題は多かった。
前回までに楢葉を調べた時にはこんな高いところが道路の脇にあると思わなかったんだけど今日は1マイクロシーベルトを超えるようなとこが何か所もありましたよね。
それはちょっと重点的に。
特に…一般的にやりましたとかいうレベルをも超えて個別具体的に状況に応じて調査結果に基づいた対策をやる時期になってますね。
「鵯のそれきり鳴かず雪の暮」という句があった。
いい情景で…。
早川さんは話を聞きたいと寺を訪ねてくる人たちを相手に原発事故に巻き込まれた思いを語り続けている。
鵯がピーッて一声鳴くんですね。
(笑い)この寂しさっていうのよね雰囲気っていうのは味わったものでなければね分からないと。
私は現在75歳ですがまあ避難指示が解除されたら戻ろう…戻ろうというより戻らねばならないという。
こんなような小さなお寺でも守らなくちゃいかんですから。
早川さんは荒れるままに放置していた境内の手入れを始めていた。
3年半の間に伸びすぎた木の枝をせんていし枯れてしまった松の木を切り倒す。
長年手塩にかけてきた庭が原発事故以前の姿を取り戻そうとしている。
復興庁の住民意向調査によれば避難指示が解除されればすぐに楢葉に戻りたいとする者は1割以下。
条件が整えば戻りたいとする者およそ1/3。
結局一応は荒れ放題だった境内や庭がきれいになったんだけどこれで来春町長がさ帰還宣言いつにするか発表するっていうけども問題はその先だね。
楢葉町でさえ全体で8.0%しか戻んないわけだからね。
20代から50代までは2%から3%しか戻んないわけでしょう。
(取材者)戻らないっていう希望?戻らないっていう復興庁の意向調査ではっきりしてるわけや。
僕ら60代70代の人は11%ぐらい戻んのかな。
その人たちが戻っても収束工程への30年40年って言われてる中では死に絶えるわな。
ねっ間違えなくね。
だから20代から50代までの若い世代が2%か3%しか戻んないだもの。
僕らが死に絶えると同時に地域はだんだん消滅していくと。
だからうれしいとはならないね。
だからいよいよこれで復興だというようにはなんないね。
むなしい思いが…むなしい感じがするわな。
福島県楢葉町。
住民の帰還をいつにするのかこの春決断をする。
2015/02/07(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「住民帰還〜福島・楢葉町 模索の日々〜」[字]
原発の南に位置し比較的汚染が少なかった楢葉町。町長は今年の春には帰還の時期を明らかにすると表明したが事は容易ではない。住民が直面する困難と模索の日々を記録した。
詳細情報
番組内容
原発20km圏内にありながら放射線量が比較的低い楢葉町。しかし帰還を目指す住民の前にはいくつもの壁が立ちはだかる。4年間も空家となっていた家は荒れ果て野生動物が跋扈(ばっこ)。除染はおおむね終わったもののまだ局地的にホットスポットが残るなど放射線への不安も消えない。番組は「住民帰還」をめぐって揺れる楢葉町を長期取材。室町時代から続く寺を守ろうとする住職や家の修繕・建て替えに追われる大工の姿を追った
出演者
【語り】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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