世界ふしぎ発見!世界で出会ったステキな日本人79分スペシャル 2015.02.07


今夜は「ステキな日本人スペシャル」
世界遺産アンコール・ワットで知られるカンボジア
その首都プノンペンで
奇跡を起こした日本人に会うことができた
木山さんでいらっしゃいますか?初めまして初めまして
木山聡は北九州市の水道局に勤める
れっきとした公務員
何が奇跡かというと…
ここですか?はいこれが水道管ずっとつながってきてここ普通の蛇口ですえッ?これ…飲める?ホントに?
この水道の水
北九州の技術で飲めるのだ
とはいえ…不安だよね
先に飲んでください木山さん大丈夫ですよホントですか!?あッ…大丈夫ですよ大丈夫!?これ…安全ですか?安全ですまったくおなか壊すこともなくないですあッ…全然臭いがしないうわッ飲みやすいですねええ
24時間いつでも飲める水道水
東南アジアで水道の水が
安全に飲めるのはシンガポールと
ここプノンペンだけ
しかしかつての町の水道は
濁っている上に臭かった
たった5年でそれを誰もが飲める水に変えた
日本の技術
世界はこう称賛した
けれどそこには日本人とカンボジア人との
壮絶な闘いがあった
世界で働く日本人は100万人以上
今夜4組の日本人の誰も知らない
感動の物語をあなたに
…の奥深く
部外者が立ち入ることのできない部屋に
ヨハネ・パウロ2世のブロンズ像が飾られている
歴代法王の像は
ミケランジェロをはじめとする
そうそうたる芸術家が制作してきた
一人の日本人がその大任を果たしたことを
皆さんはご存じだろうか
「バチカンの心臓」と呼ばれる一画
開かずの間に収められた傑作が…
今回特別に撮影を許された
こちら
見る者の魂を揺さぶる彫刻は
地を這うような30年の半生を糧に生まれた
まったく…
農業の常識を覆そうとする日本人がいた
途方もない努力で
まったく新しい品種を生み出す
世界一甘いイチゴを支えたのは
逆境にめげないユニークな家族の存在だった
幻のシルクがよみがえった
世界のトップデザイナー達を魅了してやまない
その輝き
美しいもの着るっていいですね
長く続いた内戦は文化を根こそぎ破壊した
伝統を復活させた日本人
文字どおり命がけの闘いだった
…を感じながら
海を渡りはるかな大地で奮闘する日本人達
今夜の「世界ふしぎ発見!」は79分スペシャル
人生という名の不思議を発見する
ステキな日本人達の生き方に
皆さんもきっと驚くことだろう
皆さんこんばんはこんばんは今夜は世界で活躍する4組のステキな日本人を拡大版でご紹介していこうとわ〜ッ嬉しいたっぷり皆さんとご一緒にトークしていただこうと今日はクエスチョンはありませんわ〜ッ!やった〜!大喜びしちゃったということで今日は初めてのゲストとして佐藤真海さんをお迎えしてますよろしくお願いしますよろしくお願いしますその佐藤さんは結婚されてこの5月に初めてのお子さんが生まれることになってるおめでとうございますありがとうございますということはですね来年のリオデジャネイロオリンピックは当然育児があるので一応お休みですねそうだと思いますはいということは5年後の東京大会を目指していただくとそうですね2020年を子供と迎えられることがまずワクワクしますしその時にアスリートでいられるか可能性を残しながら頑張ってみたいとは思ってます佐藤さんご自身も世界で活躍なさってますが違う分野で日本人の方が頑張ってる姿を見るとやっぱり目がいくものですか?そうですねアスリートの世界しか知らないので今日はすごく楽しみにワクワクしてますではまずはですねカンボジアのプノンペンで奇跡を起こした日本人達です彼らはどのようにして水を変えたのでしょうか?ではふしぎ発見!
東南アジアを貫く大河メコン
プノンペンはそのほとりにある
カンボジアの首都は
20年にも及んだ内戦の傷を乗り越え
今や目覚ましい復興のさなか
町の象徴とも言えるのが
水道だ
メコンの水を浄化しているプノンペンの水道
安全とおいしさの秘密は
徹底した水質管理にあった
失礼しま〜すこんにちはお邪魔します何か研究室のようなスペースですね
浄水場の一角にある施設では
厳しい水質のチェックが行われていました
中でも重要なのが透明度
もとの水原水と浄化した水を比べてみると…
うわわ…ちょっと見てくださいこちら原水これ一番キレイなお水まったく色が違う!えッ!?
WHOの基準では濁り度5度以下が安全
でもプノンペンの水道水は何と…
世界基準を楽々クリアしていました
「プノンペンの奇跡」と呼ばれた見事な水道水
背景には日本人達の活躍があった
施設の一角にこの文字
そう福岡県の北九州
はるばる日本からやってきた公務員が
この偉業を成し遂げたのだ
今から16年前のこと
内戦の痛手を負ったプノンペンでは
水道インフラの整備が緊急の課題だった
カンボジア政府は技術者の派遣を日本に要請
だが地雷の撤去もままならない国には
誰も行きたがらなかった
唯一手をあげたのが…
プロジェクトが進めば地元関連企業の
活性化にもつながる
最初に派遣されたのは市の職員
当時カンボジアでは各国の支援で
水道管こそ通り始めていたものの
水の浄化までは手がまわっていなかった
久保田は現地入りして水道の水に絶句した
シャワー一つ浴びるのも息止めて鼻閉じれませんけど気持ち閉じてその中でシャワー浴びるんですから窒息死しそうでした
飲めない水なんか水道水じゃない
水道公社の総裁に訴えた
首相のブレーンでもある
「1日も早く」
だが…
「バカ野郎!」と
総裁は言った
「まだ水道のない地域では」
「水汲み労働に1日を費やす」
「女性や子供がたくさんいる」
「彼らを重労働から解放することが先決で」
「飲める飲めないは二の次だ」
ショックでしたね「水汲み労働」という言葉なんか日本にはありませんからね
その頃プノンペンでは
漏水も深刻な問題だった
水道管から水が漏れ家庭に届くはずの水が7割も消えていました
確かにまずは確実に水を届けることが
先かもしれない
久保田は総裁に提案する
町をめぐる1000キロの水道管に
メーターを取りつけ
ブロックごとにコンピューターで管理すれば
どこで漏水が起きてるか一目瞭然だと
北九州市は当時
日本で最新の管理システムを開発していた
飲める水にするのは
漏水解決のあとでいい
ところが「カンボジア人にハイテクは無理だ」と
誰からも否定されてしまった
久保田には苦い記憶がある
かつてインドネシアでも
水道の技術指導を成功させたなのに
現地スタッフと最後まで打ち解けることができず
技術の押しつけに終わってしまった
どこかにおごりがあったのだ
彼らと同じ目線に立つこと
そうすればどんな困難も克服できるに違いない
膝を折って話すようにした
酔っ払って抱えられる情けない姿も隠さなかった
そこに助っ人として加わった
もう一人の日本人
漏水管理のシステムの生みの親だった
システムの設置から運用のトレーニングまで
先の見えないハードワークだった
だがカンボジアのスタッフは
信頼しついてきてくれた
水道サービスをよくしようという姿勢はね
(久保田)一生懸命習おうとするこれはすごいなと思いますね
内戦で200万人以上が虐殺された
祖国復興は彼らの悲願
真剣なまなざしに北九州の男達もまた
奮い立った
2年を要し
モニター画面にデータが現れると
喜びの声が上がっただが
浮かび上がったのは不審なグラフだった
深夜はほとんど水は使われないはず
ところが真夜中に10トン以上もの水が
2時間置きに使われている
水漏れにしてはどこか変だ
えッ?これは何が起きていたのだと想像しますか?「クイズない」って言いましたやん草野さんクイズではないんですけどねよその国に売るっていってもちょっと離れてますものねそうですね動物とか?動物?一体何が起きていたんでしょうか今週はクイズはありませんが拡大版ということでテレビの前の皆様に抽選で満足が見える旅へ海外旅行のLOOKJTBで行く悠久の時を超えクメール王朝の栄華に思いをはせるアンコール・ワットの旅5日間そしてさらに歴史に芸術グルメも堪能魅力いっぱい永遠の都ローマ5日間の旅をプレゼントします
2時間置きに10トン以上の水漏れ
データから漏れている穴の口径を割り出した
恐らく…
まさか…
心当たりがあった
現場に急ぎ見張っていると…
驚いたことにタンクローリーで
消火栓から水を抜き取る窃盗団が現れた
水を転売する連中がいたのだ
こちらがその現場です50ミリ前後の口径といえば消火栓久保田さんはすぐにピンときたそうです
問題は山積していた
内戦の混乱を引きずって
誰一人水道料金を払おうとしない
総裁はある軍人の家に乗り込み
水道を止めようとしたら…
ピストルを頭の後ろに突きつけられました銃口がヒンヤリと冷たく感じられましたこわ〜えッ銃口が頭に!?
(エク)誰だって怖いんだでも…勇気を持たなくちゃいけない
上に立つ人間が払えば下も従う
それがカンボジアという国だ
総裁自ら政府の高官への説得を重ね
徐々に水道料金が集まるようになっていった
そして日本からの公的援助でできた
浄水場も完備される
水漏れも改善され
安心安全な水道水が
市内ほぼ全ての家に供給できるようになった時
総裁は高らかに宣言した
北九州の男達がやってきて
5年後のことだった
おっかなビックリでしたね正直ちょっとおっかなビックリはありましたが技術屋としての達成感100パーセントの水じゃないですか正直言って初めて水を飲んだ時は二日酔いで全然覚えていずについうっかり飲んじゃった普段のボトルよりうまいなと思ったら水道だったんですハハハ…
日本人の技術と懸命な指導のもとで
今も水道管が通るエリアは広がり続けている
この日も水道が開通する地域がありました
初めて水道の水を飲むって
どんな気持ちなんでしょう?
プノンペン郊外の小さな村では今日まで池の水を
飲み水にしていたそうですたとえ沸かしても
泥臭かったとか
どんどん人が集まってきますね
やがて埋め込まれた水道管から各家庭に分配する
最後の工事が始まりました
この管からつないでおウチにお水が流れてくと
その様子を遠巻きに眺めている
村の人達
まだ信じられないという様子です
さあ水が出る瞬間うわッ!出てきた!
(拍手と歓声)出てきました〜!嬉しそう嬉しそうお〜ッ!逃げてる逃げてる子供達がビックリしてるゴクゴクわ〜ッ!嬉しそう
プノンペンの奇跡
水道公社の元総裁に
なぜ奇跡が起きたのか尋ねました
これは奇跡なんかじゃありません日本人は素晴らしい先生として道を示してくれましたカンボジア人もよき生徒としてしっかり学んだんですこの絆が水道を変えた決して奇跡なんかじゃないんです
そしてもう一つのお話が胸に突き刺さりました
「水は価値があるものだ」
「でも多くの人はその重さを忘れている」
「プノンペンに来る機会があったら」
「ぜひ水道の水を飲んで」
「味を噛みしめてほしい」と…
村の子供達が描いてくれた絵は…
これまでに北九州市の職員26人が
汗を流してきた
指導する側の熱意と我がものにしてゆく熱意
両輪の力で水道網は今も広がり続けている
VTRにも登場された水道公社の元総裁のエク・ソンチャンさんは「その幸せな関係が」「水道水を飲めるようにした」とおっしゃってましたがスポーツの世界でも武井さんそうですよねこれ言っていいのかな?佐藤さんにも少しの間コーチをしてた時期がしばらく前壮君が!?1ヵ月間ほんのちょっとですけどすごい大きい刺激をいただきましたたまたま江戸川区か何かのグラウンドで一緒に練習する機会があってその時に義足をつけて走ってる選手を見かけてすごいそれでも楽しそうにステキな笑顔で走ってたのを見てで知り合いから相談されて彼女からも「一度ランニングを見てほしい」とご依頼をいただき少しの間ですが義足だとかパラリンピアンだとか関係なくしていただいてそれがすごくいい経験になったし嬉しかったです目線を合わせていただけるのはやはりやる気にもつながりますし今日見たのと一緒かなと思いました
…の奥深く
一般の立ち入りが固く禁じられた部屋に
あるブロンズ像が飾られている
それは「空飛ぶ法王」と呼ばれた
ヨハネ・パウロ2世の像
宗教の壁を超え
世界平和に尽力した偉大な法王の像を
一人の日本人が作ったことは
ほとんど知られていない
ブロンズ像が収められているのは
バチカンの心臓とも言われる一画
特別な許可を得て分厚い扉が
今開く
ローマ法王のブロンズ像を作った日本人は
ローマから車で1時間
ブラッチャーノという
小さな町にアトリエを構えていました
中世の面影をそのままに残し
美しい湖を臨む町です
ここ?
どうやらここがアトリエのようです
えッ?ここだけ何だか雰囲気が全然違う失礼しま〜すこんにちは〜どうもよろしくお願いしますよろしく中田あすみと申します
彫刻家
紀元前に掘られたという洞窟で
日々創作に打ち込んでいる
私をモデルで
厚かましいけどお願いしちゃいました
これが顔になるなんて信じられないまだボコボコですよボコボコですよまだ作業する時に最初どこから見るんですか?頭蓋骨ってものを意識してるわけです頬骨とかこの固い部分ねこういうとこ私を見た瞬間に頭蓋骨は見えてるんですか?何となくそのねこういう感じですよねえ〜何か見透かされてる感じがするはあ〜なるほど目が開いてると目は口ほどに物を言って目のイメージが先にきちゃってだけど我々はイメージよりも先に形ですからあくまでも冷たい作業です不思議な感じ…
表情はあくまで最後
骨格や眼球顔の内部にある
見えないものの形を突きつめていく
通常この原型作りに3ヵ月
だんだん人間らしくなってきたでしょホントだ嘘〜!
たった30分でここまでできちゃうなんて
何だか恐ろしいくらいです
鏡以外に自分の顔見る方法ってあるんだなと思いましたねまだまだこんなのはまだ
作り上げた原型をブロンズ像に仕上げるには
ロウで型を取る
3千年の歴史を伝える技法
この技法で作られる彫刻は
表面が風化したような独特の味わいを見せる
もちろん
磨いて光沢を出してもかまわない
膨大な手間暇がかかる技法を受け継ぐ者は少ない
奥村は残りわずかな後継者だった
なぜ日本人が…
理由は奥村が歩んだ地を這うような半生にある
イタリアに拠点を定めたのは…
30歳を過ぎて間もなくだった
夢だけが心の中を占めていた
ミケランジェロベルニーニといった
ルネサンスやバロックを代表する
巨人達の作品を間近にし芸術の息吹に触れながら
彫刻に取り組みたかった
日本では美術教室で教え
映画美術の制作にも携わっていた
そんな全てを捨てての決断だった
折からのバブルで
イタリア在住の日本人彫刻家には
日本からの仕事が殺到
娘にも恵まれた
だがバブル崩壊とともに生活は一変する
まったく収入ゼロになったわけです日本にいれば美術の先生とかね「ゴジラ」そういう関係の仕事があってそれをやめてきたんですから人生の中で一番
娘はまだ3歳になったばかり
「俺が目指す世界はどこにある」
救いを求めてイタリアを代表する
彫刻家の門を叩いた
国際的な巨匠・グレコ
自分の作品を見てもらった
グレコの言葉は
突き刺さった
「君の資質はこれだ」と「リアリズムの追求」というか「血の通った作品を作れ」とそういうふうにはっきり言われたんですね
相変わらず収入はなく
蓄えを食いつぶす生活だった
それでも奥村はイタリアにとどまった
グレコが指し示した道を一途に信じて…
基本から勉強し直した
骨格筋肉重心の位置
そこに一つでも嘘があれば
リアリティーは失われる
人間をひたすら観察し肉体が透けて
見えるようになるまで感覚を鍛え上げた
作品を作ってはグレコのもとに通う
そんな生活が5年を数えた頃…
道しるべだった師匠が世を去った
奥村の中で何かが音を立てる
(奥村)彫刻の伝統っていうかバトンをね自分がいただいたような感じがしましたイタリア人だから彫刻やるとかそういうことじゃなく情熱が持てるそういう人が受け継ぐべきもんなんですねそこには世代も民族も関係ないってこと
「たとえ生まれた国が違っても情熱は変わらないはずだ」
「ならば俺は創造の奥底に燃える」
「情熱こそを受け継ごう」そう誓った
そんな折知人を介して貴族の像を作ることになりますそれがこの城の主ボルゲーゼ公爵です
ボルゲーゼ家は
公園や美術館にもその名が残る
ローマ屈指の名門だった
週2回屋敷に通い
半年かけてあらん限りの情熱を注ぎ込んだ
完成したブロンズ像を見た公爵の様子を
夫人は今もありありと記憶している
じっと押し黙ってただただ感動していましたこの像の中に自分の魂を見るような感じがしたんだと思います
リアリズムを極めた像からは
人間の内面さえ浮き上がってくる
奥村の名は一気に広まった
そして奥村はカトリックの有力者から
法王ヨハネ・パウロ2世の在位25周年に贈る
ブロンズ像を依頼される
カトリック教徒11億人の頂点に立つ法王を
どう表現するべきか
写真をつぶさに観察した奥村は
作品に一つの思いを込めた
記念式典の当日
像を完成させた奥村が
法王の前に立った時…
「ありがとうありがとう」って言われてすごい喜ばれたですねいや〜これはもう…何かね何だか分かんないですねああいう時になるとね
その瞬間の映像が残っている
こん身の思いで作り上げたブロンズ像は
その名もバチカンの心臓と呼ばれる
宮殿の一画に
今回特別にその撮影が許された
この奥ですねうわ〜ッこちら
奥村はその像に法王の二つの横顔を
刻み込んでいた
エネルギッシュだった60代
威厳にあふれる80代
隆起する血管は
若々しさを
ふくよかな輪郭は風格を
金属のかたまりに吹き込んだのは
時を超えた存在感だった
法王が亡くなった直後
奥村はバチカンから呼ばれ
この神聖な部屋に通されて驚いた
(奥村)入ったとたん高いとこに置かれててそして反対側にも同じような胸像がねどっかで見た胸像だと思ってでウチ帰って色々作品調べたらベルニーニが作った法王の像だったんですよすごい…
彫刻の作者ベルニーニは17世紀
ガリレオの時代に活躍した巨人
サンピエトロ寺院の中をはじめローマは
彼の作品達で彩られている
そのベルニーニが作った彫刻とまるで向き合うように
奥村のヨハネ・パウロ2世像が飾られていた
彫刻への情熱は
400年の時を超え一つの部屋に
まなざしは自身の作品からベルニーニの作品へ…
バロックの大巨匠とまあ一緒にね置かれてるってこと自体が私には光栄の至りで何の言葉も出ません
奥村は次の法王
ベネディクト16世の像も手がけた
石の上にも三年っていうことわざありますけど三年じゃ物事は何も解決しない石の上にも三十年ですねまあそういう気持ちで皆さんやられたら必ず結果は出ます
ふつふつとたぎる情熱に国境はない
奥村さんの作品をご用意いたしましたこんな硬いものなのに生き生きとしてるのが分かりますまさしく魂が込められているというかね奥村さんの声を直接伺えないのはとても残念なんですけれどもはるばるイタリアから今日このスタジオに来てくださっておりますでは奥村さんどうぞお入りくださいようこそおいでくださいました裸ばっか見てたんですよ何か恥ずかしい奥村さんから解説をしていただこうと思いますまずこちらこれが師でありますエミリオ・グレコさんに評価をしていただいた作品ですか皆さん何か質問があったらどうぞ
(陣内)いいですか?石の上にも三十年っておっしゃってましたけども収入なくなったじゃないですかご結婚されてお子さまもいててそっからのモチベーションというか何を目標に一つのことに?普通でしたらあの時点で日本に引き揚げますね99パーセントだけど残りのあと1パーセント私はやっぱりイタリアにかけたいと思ったんですよねそれは自信はあったんですか?自信ってほどでもないですけど日本に帰るっていうあの時点で発想が出てこなかったですね奥村さんこの中ですとどなたの顔が一番再現するのは難しそうだなと思いますか?それがですね一番難しいのが美しい女性それで選ぶの難しくなってる奥村さん選びにくくなってる言われた瞬間に4人の女性の皆さん私かしらと…
(真)奥村さん人体が透けて見えてるってことですか?何十人という何十体ってまだ100体までいってるか分かんないですけど裸ばっか見てたんですよですから大体の腕の出てるとこの感じでこの感じで大体こういうとこの分かるんですよね何か恥ずかしい
(真)くららさん分かるそうですよもっと究極は耳だけで全体分かる耳から何を読み解けるんですか?そういう割合っていうかプロポーションですよね奥村さん知花さんしか見てないですよね法王さまのお顔お作りになった顔見てるとどっかにほほえみがあっていい方だなっていう感じがしましたブロンズ像っていうのは2000年もちますんで軽く2000年長ければ3000年もちますですからやっぱりそこまで残るんだったらホントにその人のいいところを出してやってそうすれば永遠に残るとそういう気持ちで常に作ってます銅像とかを自分でお作りになる方いるじゃないですか家の敷地に立ててああいうの気持ちが分かんなかったけど今日初めて自分の銅像を作ってもらいたいなと思う気持ちがちょっと分かりましたね
農業の常識を変えたい
その思いに駆り立てられ
ある日本人が移り住んでしまった国それは…
南米エクアドルです!
赤道直下一年中温暖な気候に恵まれているところから
エクアドルはこう呼ばれている
首都のキトから北へおよそ80キロ
その人は山あいの村に暮らしていました
ここかな?あッおはようございます初めまして鉢嶺杏奈と申しますよろしくお願いします
7年前妻の路さんと娘一人を引き連れて
この地に移住し
今は3人の子供に恵まれている
そんな男が作ったのが…
見てくださいあった真っ白なイチゴですえッこれはまだ成長の途中ですか?いやもうそれで完成なんです白いイチゴなんですか?そうなんです
西川の仕事は…
食べてビックリ!
あまッ!
(西川)そうなんですこんなイチゴ初めて食べました
白だけでなく黄色いイチゴも作り
さらなる可能性を追っている
そういうものはできますできるんですか?できます
色だけではない
一般的なイチゴの2倍にあたる
…という世界一甘い品種作りにも成功している
あまく見るなって!
やっぱり日本の食卓あるいは世界の食卓に今まで食べたことがないようなおいしいイチゴを提供したいそのことによって喜ぶ人ビックリする人をたくさん作りたい
品種改良を始めたのは大学時代
西川が生んだわずかな水で夏の暑さに耐える草花は
今も日本のビルの屋上などで
温暖化対策に役立っている
こうした品種の特許料が
一家の暮らしを支えているのだ
新種を生み出すプロセスは全てが手作業
気が遠くなるような試行錯誤の繰り返しだ
白いイチゴを作るには
まず赤いイチゴを掛けあわせ
色の薄いものを選んでまた掛けあわせ…
目標の色になるまでひたすら交配を続ける
なぜ西川はエクアドルに移住したのか
その理由は単純明快
年に二度三度と花が咲く常春の国なら
日本よりはるかに交配の機会を増やせるからだ
え〜ッフルーツこんなたくさんあるんですね
年がら年中色んな果物がとれるのも
温かい気候のおかげなんです
でも幼子を連れての海外移住
奥さんとしてはさぞかし不安じゃありませんでした?
不安…不安?あったかなあ
またまたビックリ!
一緒にできるし色々作り出すことが新しいものを作る仕事じゃないですかだからやっぱりおもしろいですよね
そうでした二人は同じ農業大学の登山サークル出身
過酷な環境を楽しむのは大得意
そんな男が交配に使う野生のイチゴを求めて
時にアマゾンやペルーの奥地まで分け入るという
この日も高地へ植物採集に出かけた
こんなところにあるんですね
珍しい特徴を持つ野生のイチゴが見つかれば
新たな品種の可能性も広がります
うん?これそうですねこんな感じですこれそうですねこれそう?これチリイチゴって言われてる今一般に売られてるイチゴのもとになってる品種なんです
だが花も実もなくては交配には使えない
西川はさらに山奥へ
丸一日探し回ったが
結局収穫はゼロだった
(西川)荒野の夕日ですね日の出から日が暮れるまでずっと探してますよまさしくですね今日一日ですね今日の入り近づいてますからねもうヘトヘトです今日一日長かったですね
空振り…なのになぜか楽しげ
探していたのはこんなかわいらしいイチゴなのに
ああ〜疲れた
農園では日々品種作りの掛けあわせが行われている
品種を作り新たに特許が取れなければ
暮らしは上向かない
農園でできる植物の種は一年で10万粒にもなる
それを管理してデータにまとめているのが
妻の路さんだ
これまたミスが許されない緻密な仕事だった
これイチゴなんですけどイチゴの周りについて…そうですあれをピンセットで取って…うわーッ小さい鼻息で飛んでしまいそう
1袋ごとに細かく分類し
記録を残している
てことは毎日この1袋ずつの種の数数えてるんですか?数えて書いて…手作業ですか?手作業です一人でやってるんですか?そうです嘘ーッ!?結構あとで忘れちゃうんですよ何のためにこれ交配したんだっけみたいなだからこれは何のために交配したってとこまでメモしとかないといけないんです
どうよこの明るさ!
長女の颯香ちゃんはエクアドルに来た時6歳でした
やっぱり大変なこともあったんじゃない?
あるかなあ〜う〜んまあ別にあまり大変と思ったことはないかも
実は誰より早く土地にとけこんだのが颯香ちゃんでした
現地の言葉もすぐ覚えちゃったとか
1週間ぐらいで聞くことは大体耳に入るようになったかなえッ1週間!?すごいね!すごいよそれは
今養蜂に興味津々の颯香ちゃん
お父さんが交配に使うミツバチに刺されて以来
生態を知りたくなったんだそうです
怖がる気配なんてまったくなし!
夜西川家の晩ご飯は
逆境を楽しむ彼らの生き方そのものでした
おお〜煙出てきたよ
和の食材などめったに手に入らないのに
食卓には和食…いや和食風がずらり
こちら一見普通のお豆腐ですけど…
実はひよこ豆をこしてかためたものなんです
う〜んおいしい
思わずのけぞるほどの濃厚な豆の味にビックリ
さらにこちら
見た目はまさに明太子のようですが…
それはアマランサスっていう穀物で作った明太子もどきすごい!ホント明太子みたいですよ
昆布だしとしょう油
トウバンジャンで味つけした
路さん自慢のひと品です
うんおいしい!あッホントだ明太子っぽいですねすごい痩せたよねご飯あわなくて食べたくなかった颯香ちゃんお母さんの料理一番好きなの何なの?まあ意外と何でもおいしいいいね!
移住して最初に生まれた…
西川はその名前に格別の思い入れがあるという
遥って名前はとっても気に入っててだから娘の名前としてつけたんですけど遥って名前をイチゴにもつけたい
果てしない自分の仕事に重ねあわせた…
エクアドルで4年
来る日も来る日も交配を繰り返し
ようやく誕生した世界一甘いイチゴを
西川は「ハルカルビー」と命名した
今欧米の農園で栽培が始まっている
世界の食卓をもっと豊かに
一家の夢はきっと未来を開くだろう
ときめきますね何かね自分の人生もより輝かせたいなっていう意欲にちょっとね満ちてきてますよまだ中盤なのにということで実は陣内さんは去年ラスベガスでワールドライブツアーにチャレンジされましたですよね世界で勝負しようと思われたきっかけはひょっとして国内で行き詰まったからとか…草野さん何ちゅう内角えぐってくるんですかただ不安しかなかったですから先ほど不安などなかったとかおっしゃってましたけど僕は不安だらけで行ってでも結果は最後スタンディングオベーションしていただいてやってよかったっていう?一生懸命やったら結果はついてくるんだなと思いましたただ楽しめるようになりたいです西川さんのように佐藤さんどうお感じになりました?自分達にとっての常識とか限界を持たないからこそできてる成功してるんだと思うんですよね自分にもすごく刺激をもらいましたねホントに西川さんを支えてくださってる奥様も娘さん達も何ともいえずとってもいい雰囲気お持ちなんですよねあんなご夫婦うらやましいですねホントですね探しましょうええ妙齢なんで
アンコールワットから
車でおよそ1時間
あッ牛が道をふさいでる
ここに極上のシルクを作り続ける日本人がいる
かのラルフ・ローレンがお忍びで訪ね
世界的なファッション誌が
マスター・オブ・シルクと評した男
都会のけん騒とは隔絶された森の中で
その人は暮らしていました
あッこんにちはこんにちは森本さんでいらっしゃいますよねはい宮地眞理子と申しますどうもこんにちは
「ふしぎ発見!」は2002年から森本さんを追いかけています
(森本)染めてないんです自然のままでこの黄色なんですこれは天然の色なわけですか?そうです
森本さんはこちらをよみがえらせた人
キラキラしてますね光り輝いて触ってもいいですか?もちろんうわ〜キレイ優しい…ホントですねフワフワです
この生糸で織られたシルク
身にまとうと素晴らしさがさらに伝わってきました
ああ気持ちいいですね何かすごく包まれてるような
布を重ねただけで…
ちょっと動いて体動かしてみて落ちてこない落ちてこないですまったくまったくくっついてないですよね?えーッ何でですかこんなに糸が違うほッおお〜スルスル
大量生産の糸は一直線
その布はスルスルと滑ってしまいます
だけど森本さんの糸は波打っている
1本1本手作業で引かれるため
職人の呼吸が伝わりそのリズムが波となるんです
だから重ねても滑り落ちたりしません
波同士がこう…
(森本)そうです重なって動かない
これが糸から手作りの証拠
しかも夏は涼しく冬は暖かい機能性を備え
色も深いんです
多彩なデザインを誇るカンボジア伝統のシルク
しかしそれは内戦によって一度失われたものだった
森本はユネスコの要請を受け
絹織物の調査でカンボジアを巡った
友禅染職人の腕を買われてのことだ
だが現実に慄然とした
内戦は何もかも破壊しつくし
織物職人はまったく見つからない
意地でも探し出そうと密林の奥へ
気づけば危険な地雷原の上を
このバイクで走り回っていたという
ジャングルでゲリラに遭遇したことも
一度や二度ではなかった
いつ撃たれてもおかしくないですからねそんな背中に銃口を感じながら想像を絶する経験ですよもうでも元気で生きてますから
何とか見つけ出したのはある村に唯一残されていた
糸を作る道具一式
けれど糸を吐く肝心の蚕がもういない
博物館で目にした100年前の絹織物
森本はその美しさを忘れることができずにいた
遺跡のレリーフも
光り輝くシルクの存在を伝えているのに…
調査を終えても胸の奥には
痛みにも似た思いがくすぶり続けていた
幻となってしまったシルクを
よみがえらせることはできないだろうか
同じ絹を扱う友禅染の職人
ジャンルは違っても血が騒いだ
100年前カンボジアの織り手が織っていた素晴らしい織物僕はもう一度それを取り戻したい僕やっぱり職人ですよ物作ることの楽しみって僕知ってますからゼロから無から有を作り出す
身銭を切って地続きの国タイから
蚕を運び入れた
タイにはカンボジア原産の蚕
その名もカンボウジュがまだ生き残っていた
こうして森本は
20年ぶりに養蚕を復活させる
時を同じくして幸運にも
かつて織り手だったという老婆ともめぐりあった
見えない糸に操られているように…
ついにカンボジア伝統の絹織物
絣に挑むことができた
これプリントじゃないんですか?違うあまりにも鮮やかなんで一瞬プリントかなと思っちゃうんですけど
あらかじめ糸を染めたうえで
柄を織り上げる絣
1本の糸にさまざまな色を1色ずつ染めこんでいきます
ある色を染めたら残したい部分を紐でくくり
次の色を染めていく
その繰り返しです
はじめはビニールの紐でくくってみたが
染めの高熱で溶けてしまった
伝統の技法を知らなかったのだ
代々受け継がれてきたのは
これだと分かった
身近にあるうえ水分を含むと
繊維がかたく引き締まる性質を持っている
伝統の復活は次から次へと分からないことだらけ
まるでジグソーパズルのピースを探し出すような
果てしない作業だった
やがて資金が底をつく
家も土地も売り払い
全てを織物につぎ込んだ
そしてようやく伝統の布が織れるようになる
だが何かが足りなかった
森本さんは周囲もあきれる
二つの顔に迫る!
さらに
乾燥地帯を走り続けた先にあったものとは?
いよいよ幻の湖が現れる
森本さんのとんでもない行動それは…
荒れ地を買い取り自らそこに暮らしながら
木を植え森を育てて
その森の中で絹織物を作るということでした
森本は決意に燃えていた
ところが昔はみんなそれを自分達で作ってたたとえば染めに使う植物自分でやることで確実にクオリティーの高いものができるって分かってるからていうふうに思い始めたら色んな夢っていうか思いが…それはある意味ではとてもとても妄想ででもその妄想が僕の始まり
またしてもゼロから
いやマイナスからのスタート
先人にならって桑を育てて蚕を養い
染料となる草木も自分で育てよう
…をつくる
それがパズルの最後のピースだった
荒れ果てた大地に井戸を掘った
小屋をつくった
草木を植えた
狂気の沙汰だと笑う者がいた
それでも己を信じた
世界一の布を作ってみせる
森本には落ち葉さえかけがえのない材料だ
僕はねこの落ち葉がお金に見える実はこの落ち葉でキレイな色が染まっちゃう実は私今着てるこの黒そうよこれ葉っぱで染めた色このパンツもそう
枯れ葉は…
その煮汁が黒の染料になることを学んだ
伝統をよみがえらせるだけでなく
この30年あらゆる実験を繰り返し
新たな技法を我がものにした
煮汁だけで色は出ない
鉄くずを入れた水にひたし酸化させて発色を促す
それはカンボジアの黒
これ分かります?何か分かんないですあの?そうそう
鉄くずは内戦の置き土産だ
でもこの色にホントになりますか?なります見ててくださいマジック
にわかに信じられませんが…
うん?でも…
これは…ホントマジックみたいですねうわッこんなに染まるもんですかあの落ち葉からですよねえーッ!しかも時間そんなにたってないですよね10分15分一晩置いてとかじゃない
森の中に必要な材料は全てそろった
あとは人だ
森本は糸を作る道具を見つけたあの村の人々に頼み込んだ
どうか俺の森にみんなで引っ越してきてくれ
そしてシルクを作ってくれ
…て言ってくれた僕はやっぱそのひと言嬉しかったね
無理を承知の願いは聞き入れられ
彼らの手によって大地に豊かな森が広がっていった
面積は今や東京ドーム5個分にもなる
150人の家族が暮らすこの森で織られる
世界に二つとない布
量産の誘いは頑としてはねつけてきた
全ては次の言葉にある
かつて森をつくろうと決意した時
森本は書いた
「次の世代に残すために」と
母から娘へ…
織物はひそやかに受け継がれてきた
マニュアルなどない下絵もない
全ては指先に刻まれた記憶だけ
だからこそ布を生活の糧にして
明日へと伝えることが大切なのだ
僕ははっきり言う布を作ることで布が売れて食べていけるそれが僕らにとってのリアリティーだからそのためにみんなが力をあわせるていうのはね実はうちのみんなの共通項コモンなんだよね
布は身にまとうことで本当の輝きを帯びる
それが森本の哲学だ
布にハサミは決して入れない
ただ布と布とを結ぶだけ
これこそ一度かぎりのオートクチュール
村の少女達はどんなファッションモデルよりも
美しく見えた
私も布をまとわせていただきました
何か…やっぱり美しいもの着るっていいですね
人の優しさに抱きしめられた感じ
最後に取材した皆さんに聞きました
あなたの宝物
物とかねいうものの宝物はありませんけどプノンペン水道公社の一人一人が僕の宝物だと思ってます人ですここの水道局の友人達これは得難い財産ですね支えてくれた人達の心ですね自分の力だけじゃないっていうような感じはいつも持ってますそれが私の宝物です路と三人の娘ですね誰が欠けても今の生活はできないですし人ですよ今一緒にこうやって布作ってる
(森本)この一人一人がねこの一枚の布を作る力僕の宝物です佐藤さんいかがでした?今日はおなかの中の赤ちゃんと一緒にホントにドキドキワクワク一緒にさせてもらいました私自身も20歳の時に義足になってから敷かれたレールに沿ってではなくて自分自身の新しい道をつくり出すという運命を与えられましたけどやっと10年たってそれを楽しめるようになってきたんです今年出産も控えていて今度はそれをパートナーとして親として家族でも一緒に新しい夢に向かっていけるようにそれを楽しめるようにすごく今日は刺激をいただきましたということでそろそろお別れの時間ですまた来週ふしぎの世界でお会いします2015/02/07(土) 21:00〜22:19
MBS毎日放送
世界ふしぎ発見!世界で出会ったステキな日本人79分スペシャル[字]

五輪招致プレゼン佐藤真海も大感動!バチカン宮殿で法王を彫る日本人▽熱帯で世界一甘いイチゴを育てた家族▽メコンの水を飲めるようにした公務員▽絹の森を作った友禅職人

詳細情報
お知らせ
世界で活躍する4組の日本人を紹介する。「世界に行こう!世界を知ろう」「歴史と遊ぼう」をコンセプトに番組を制作してきた『世界ふしぎ発見!』。
今回のテーマは、ミステリアスな古代遺跡でも、驚きの絶景でもなく日本人。困難を乗り越えて世界で活躍するステキな日本人たちをリポートする。
日本人ならではの独創的な発想、和を重んじる精神、忍耐強さなどを生かして世界各地で成果を挙げて尊敬される人々がいる。
番組内容
しかし、成功までの道のりは決して順風満帆ではなかった。文化の違いから生まれた不信感や価値観の違い。彼らはどのようにしてそれを乗り越えたのか。
日本人のスバラしさを再発見する4組の生きざまに迫る。
また、今回はクイズを出題しない番組構成に放送開始以来初挑戦する。
さらに3大会連続でパラリンピックに出場したアスリート佐藤真海がトークのゲストとして初出演!お楽しみに!!
出演者
【司会】
草野仁
【MCアシスタント】
出水麻衣(TBSアナウンサー)
【出演者】
黒柳徹子 野々村真 佐藤真海 武井壮 知花くらら 陣内智則
【ミステリーハンター】
宮地眞理子 中田あすみ 鉢嶺杏奈

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
バラエティ – クイズ
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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