シリーズ被爆70年 ヒロシマ復興を支えた市民たち「鯉(こい)昇れ、焦土の空へ」 2015.02.07


(歓声)
(歓声)
70年は草木も生えぬと言われた焼け野原。
それでも人々はそこに生き続けた

(戸が開く音)
(ツユカ)昨日の夜は市内の方で随分空襲警報が鳴ったみたいですね。
(石本)ほうか。
今日は日ざしが強いけえこれかぶってって下さいね。
よいしょ。

(津田)
今日はある男の話をしよう。
その日彼は広島市外から30キロ妻と子を連れて移り住んだ疎開先にいた
おはようさん。
おはようさん。
フフフフフ。
いなげな格好しとるねえ。

(唾を吐く音)
(打った音)ハッ!ハハハハハハハ。
(ため息)バットとボールの音が聞きたいのう。
うわっ!
(響き渡る音)
昭和20年8月6日広島に原子爆弾が投下。
彼は運命に生かされた

男の名は…
原爆投下から4年後彼は市民球団として広島に誕生したカープを任されそして率いた
しかしまだ町にはがれきの山が残る時代。
その道のりは困難を極め再三チームは解散の危機に立たされる事となる
カープは広島の心なんじゃ。
無くしちゃいけんのです。
カープを救え。
その時石本の叫びに応え立ち上がったのは名もなき市民たちだった
(富三)石本監督カープのために使うて下さい。
(時枝)頑張りますけ頑張って下さい。
お〜!石本監督じゃ。
津田君大変じゃこりゃ。
はい。
大変です!
これはカープ創設に人生をささげた男石本秀一と広島の市民たちが起こした奇跡の物語である
「8月6日広島が全世界の前に平和都市を宣言した日一瞬にしてがれきのちまたと化したあの日と同じように雲一つない夏空の下亡き人々をしのぶ遺族の姿があちこちに見られました。
町はインフレ景気の夢を追って新建築が立ち並ぶ中にやはり最近の世相を映して就職難のようです。
それでもその日の仕事を見つけた人々は新しくこの日から始まった平和都市広島の建設にまい進の力を込めています」。
原爆が全てを奪ったあの日から4年。
広島を平和記念都市として建設しようとする法案が可決されいよいよ町に復興の機運が高まる中あるニュースが町を駆け巡った。
どうやってやる?こうやって投げる。
焼けたぞ。
おう。
あっこんにちは。
(陽子)こんにちは。

(豆腐屋のラッパの音)へえ〜こがな子どものおやつが大人の食べもんになるとはねえ。
肉やら野菜を好きな分だけ入れるけえ最近はお好み焼きいうんよ。
お好み焼き?いなげな名前付けるもんじゃねえ。
どうじゃ?うん。
おう。
フフフ。
おい津田。
こがなとこで何油売っとるんじゃ。
あっ今あのお好み焼きちゅうのの取材をね。
そがな事よりお前聞いたか?何をですか?ほんまですか?おう!ちょ…ちょっと。
(渉)あ〜わしにも聞かせてくれ。
(マサ)よし出来たぞ。
おわ〜ぶちすげえ。
うまい事作るのう。
富三もそれぐらいは作れるようにならんとのう。
わしゃあのうそんなんせん。
野球選手になるんじゃけえ。
そがなもんなれるか。
なれるわ!まずはのうこれためて革のグローブ買うちゃるんじゃけえ。

(渉)おいおいおい!おい!やべっおやっさんじゃ。
しばかれる。
おい!おい!おい聞けや!すっごいど!こっちこっち。
はい。
わ〜オルガンじゃ。
古いけどええ音出るんよ。
ぶちうれしいわ。
その分これまで以上に手伝いしてえね〜。
そりゃするよ。
怪しいもんじゃねえ。
時枝さん聞いた?ニュースニュース!ついに…。
広島に?プロ野球チーム?広島…。
カープじゃ〜!
広島にプロ野球チームが出来るというニュースは瞬く間に広まっていった
ほいじゃけどこんな時にプロ野球チームじゃなんて…。
わしらの町に〜!うお〜!うお〜!男の子はうれしいじゃろうけどね〜。
ありがとう。
おう。
プロ野球じゃ〜!わ〜!うお〜!やるぞ!やったるぞ!「11月16日西宮球場東西対抗プロ野球は大入り満員」。
終戦後日本のプロ野球は青バットの大下弘赤バットの川上哲治らが活躍し首都圏を中心に人気が絶頂を迎えていた
昭和24年日本野球連盟はこの人気を受けて現状の8球団に新しく数球団を加えセ・パ2リーグ制に移行する大改革を発表した
これを機に広島でプロ球団創設の行動を起こしたのは地元出身の元代議士…
谷川さんは従来のプロ球団が経営資金を大企業に頼るのが常識である中それをなんと地元自治体の出資で賄う計画を打ち出した
「県民みんなのチームを作りたい」。
谷川さんの熱い思いがオーナー企業を持たない日本で唯一の市民球団を広島に誕生させたのだ
チーム名はカープ。
鯉は広島市を流れる太田川の名産であり滝をのぼる姿から生命力の象徴とされる。
原爆の悲劇から立ち上がろうとする広島にぴったりのネーミングだった
(ドアが開く音)谷川さん。
(谷川)どうも。
連盟の認可は?おおっ。
おおっ!やった!郷土の人々が気持ちと熱でバックアップするチーム。
つまり郷土色豊かなチームを作りたい。
皆さん新球団がこの広島の復興の旗印となるならばどんな苦労でも受け入れようではありませんか。
で監督は誰に?うん?広島で初めてのプロ野球チームあの人をおいておらんじゃろ。
石本さん。
おう。
電報です。
電報?わしにか。
はいご苦労さん。
(鈴の音)
石本秀一52歳。
監督として広島商業を甲子園優勝に導く事4回。
プロ野球誕生とともに大阪タイガースに招かれ2年連続日本一を達成とその実績は十分だ。
加えて野球人生最後の花を故郷広島で咲かせたいという熱い思い。
ところが広島で彼を待っていたのは…
あっ?選手が一人もおらん?ブルル!一人もおらんって…3か月後には開幕ですよ!ええ。
しかしまあ広島出身からは松竹の岩本阪神の藤村兄弟巨人の白石そうそうたる選手が第一線で活躍しとりますけこれらをまとめてもらい受ければええかと。
さすが野球王国じゃ。
すぐにも優勝できそうじゃ。
ハハハハハハハ。
何を寝ぼけた事言うちょりますか!プロ野球はそがいに甘いもんじゃないけえ!ええですか?一度に7つも球団が増えるんですよ。
選手の引き抜き合戦は十中八九銭の力です。
大洋ホエールズなんぞは既に6,000万用意しとるらしい。
ろ…6,000万!は〜…。
「は〜」て。
谷川さん準備できとる金額は?2,500万。
2,500…。
それを今から県下の自治体に広く募ろうと思ってます。
何じゃと!今から!?はい。
じゃけえつまりそれをその…それを石本さんのキャリアと顔の広さでなんとか安うにようけ選手を集めて頂けんかと。
要するに石本さんを除いて皆プロ野球に関してはずぶの素人であった
う〜…よっしゃ!進むしか道はないわい!わしゃ選手を集められるだけ集めるけえそちらは銭をともかく銭を集められるだけ集めて下さい!何度も言うようじゃが去年巨人に勝ち越したのはうち阪急ブレーブスだけなんじゃ。
2リーグ制になりゃあ…。
浜崎監督。
オフにのんびり散髪とは羨ましいのう。
石本先輩どうされたんですか?おう…。
選手がおらんで困っとる。
なんとかせえや。
はい?同じ広島者として手を差し伸べん訳にはいかんじゃろう。
うすっ。
うわっ監督!おう。
来期から広島の新チームに入るけえ辻井君も一緒に来てくれんかのう?えっ?是非主将を頼みたいんじゃ。
えっちょ…。
これからはカープのような郷土に根ざした球団が日本球界を盛り上げていく事になるんじゃ。
どうじゃ君たちも青春をカープに懸けてみんか!のう?おう石本じゃ。
あ〜もしもし石本いいます。
ご無沙汰しとります石本です。
あ〜…。
名前だけでもええけえ貸してくれんかいのう?ほんまに困っとんのじゃ!ああ。
(舌打ち)くそっ。
現実は想像以上に厳しいものだった。
石本さんが昨年まで監督を務めた大陽ロビンス。
そこで育てた若手数十人を譲り受けるもくろみは大陽が松竹に身売りしたため失敗。
更に谷川さんが頼りにしていた自治体からの出資は議会の慎重論でめどが立たず結局石本さんに託された軍資金は2,500万円からは程遠い800万円のみだった
「何とぞ何とぞ…」。
うまいのう。
こがあにうまいコーヒー入れるんじゃあまだまだイケるじゃろう?何度も言うたとおり8年前に肩壊してもう指先の感覚も…。
中山君。
はい。
男は30で勝負じゃ。
コーヒー代は広島で何十倍にもして払うちゃるけえ。
(ドアが開く音)「セントラルリーグの新球団広島カープの結成披露式は1月15日広島市民球場で行われました」。
動き出してしまったカープはひとまずその姿だけでも市民にお披露目しようと結成披露式を開いた。
おらがチームを一目見るため会場に駆けつけた市民はなんと2万人。
だがその期待とは裏腹に急ごしらえのユニホームは背番号が取れかかり人数分そろわず背広姿の選手もいる始末
また石本さんがそれまでに集めた選手は峠を越えたベテランと無名の新人ばかり。
連盟登録には50人の選手が必要なのだが29人しか集められていなかった
もっと胸張らんかいみんな。
それでは皆さん勇ましい感じでお願いします。
おっす。
あの…あの鯉のぼりを見上げる感じで。
それではいきます!はい!
(シャッター音)
このカープ陣営に球界は冷ややかな目を向けた。
「広島は選手集めに金をかけた形跡なくつまり軍用金が乏しいのだろうが全く魅力のない顔ぶれで石本監督がヤキモキしたところで多く望めないようだ」。
悔しい。
だが反論しようのない事実だった
どうしたんじゃ?お前ら合格したんじゃけえ早う判押さんかい。
判押さにゃあ入れるもんも入れんで。
ぼ印でええけのう。
いやあの…僕らさっき入団テスト受けたばかりで。
ああそれがどうしたんじゃ。
大事な事ですけえ親にも確認せんと。
自分も高校の監督に確認せんと。
自分の人生じゃけえ自分一人で決めにゃあいけん。
(小声で)おい契約金とか給料の話はどうなっとるんじゃ。
どうなっとるんじゃろう?われ聞けや。
嫌じゃ。
われが聞いてくれや。
便所は襖の先にある。
襖は契約書の先にある。
手前から一つ一つ片づけていくとええ。
のう?何事も一つ一つじゃ。
限界じゃ!よ〜し帰ってええど!
(3人)失礼します。
われええ根性しとるのう。
(長谷部)よろしくお願いします。
おう。
こうして石本さんは入団テストを行って地元の新人を発掘するなどあらゆる手を尽くし開幕ギリギリまで選手集めに奔走した
辻井50万白石80万…選手も銭も足りんの足りんのうこりゃ。
どうするのう。
あっ失礼。
(ため息)
(舌打ち)
(ため息)やあ。
…やあ。
どうですか?選手の方は。
う〜ん。
いや〜なかなかなかなか…。
どうですか?銭の方は。
いや〜なかなかなかなか…。
(笑い声)
かつて石本さんが広島商業のエースだった頃谷川さんはライバル校の応援団としてスタンドを盛り上げた。
そんな2人が時を経て今故郷のために尽力している
津田君かあ!どうしたんや。
そんなとこにボケ〜っと突っ立っとってからに。
いえ…頑張って下さい!頑張っとるわい!見えんか?アッハッハ…。
昭和25年被爆後14万人にまで減っていた広島市の人口は疎開者や避難者の帰還に伴い28万人にまで回復しました
その一方でまだ防空壕やバラックで生活する人々も多くまた深刻な食糧難を脱したとはいえ主食は配給された米に麦や雑穀を交ぜた質素なものでした
庶民にとっての復興はまだまだこれからだったのです
「あちらがやればこちらもと…」。
そんな中この年の3月セ・パ2リーグ制に分かれてから初めてプロ野球のシーズンが華々しく開幕を迎えました
おう。
あ〜すいません。
ありがとうございます。
どうなっとる?まだ1点差じゃけえ。
いよいよシーズン開幕です。
我らのカープがついに日本プロ野球界に船出したのです。
こんにちは。
迫谷富三9歳です。
あ〜ここで打たにゃあいけんど!頑張れ〜カープ!
(ラジオ)「3番の白石打ち上げたが…」。
あ〜!
(ラジオ)「ライトが追っているが」。
(ラジオの音が乱れる)うわっ!…何じゃ?どうなったんじゃ?
(ラジオ)「ライト追いつけません。
白石の…」。
ヒットじゃ!白石のライト前じゃ!打ったんか!よっしゃええど!逆転じゃ!
(2人)アハハハ…。
やったやったやった逆転じゃ!・おどりゃあ何やっとんじゃ武智のボケえ!われぶちまわすぞ!ケンカねえ。
カープじゃカープ。
毎日これじゃ勉強になりゃせんわ!野球ぐらいでえらいやかましいねえ。
ほっ。

(物音)
(ラジオ)「投げた。
空振り三振」。
あっ!あ〜もう!
(ラジオ)「試合終了」。
2連敗じゃのう。
国鉄に負けちゃどこに勝てるんじゃ。
まだ始まったばっかしじゃ。
次じゃ次。
次は地元で試合じゃけんのう。
よっしゃ球場に応援行ったるか!のう?おほっおっお〜!やった〜!
(マサ)やったな富三。
地元に戻って第3戦。
カープはスタンドを埋めた1万人のファンの声援を味方に打ちまくり16対1の大差でシーズン初勝利をあげた
更に翌15日4対3で阪神を破り地元2連勝。
この時のファンの興奮は本当にすごかった。
私は翌日の記事にこう記した
しかしここまでだった。
カープは本来の実力を露呈し始める。
キャプテンで4番の辻井弘。
若きエースピッチャー長谷川良平らが奮闘するも今一歩で勝ちきれずやがて泥沼の連敗地獄へとのめり込んでいった
名将石本の采配をもってしても勝てない。
その要因は戦力不足もさる事ながらやはり金だった。
頼みの綱地元自治体からの大口出資はいまだなく球団はセ・リーグへの加盟金さえ未払いという始末
試合による観客収入がその日の勝敗に応じて各チームに分配される制度も響いた。
負け続けのカープは観客がいくら入ってもなかなか収入が増えないのである
(いびき)
こうして選手たちは三等列車の床を寝床に遠征先へと向かう事を余儀なくされ十分な食事もとれぬままに日々試合に挑まざるをえなかった
(おなかが鳴る音)
更に夏を迎える頃には選手への給料の遅配が当たり前となっていった
これでは石本さんにも選手にも頑張れと言うのは酷な話である
私の事に言やあね25年26年まともに給料もろうた事ないですけんね私は。
もう金をちいとずつ「おい長谷部」って…。
ほて小遣い程度やね。
内金内金で渡すからね。
金が入った時に内金で渡すんですよね。
そういうのじゃけん石本さんはしょっちゅう頭ん中から金の事離れなんだ思いますね。
態度はあんまり見せんけどね。
そりゃあ大変だった思うんですよね。
野球の方もせにゃならん。
今度は金の事もせんにゃいかんいうんで両方やりよられましたからね。
普通の監督だったらそこまでよう…。
立ち入れんしね第一経営まで。
そうですね。
まずやっぱし石本さんじゃないとやりきれなんだろう思いますね。
石本さんはこうした中僅かでも金を捻出するためにと断腸の思いで2軍を解散。
選手コーチを含む20人の解雇を決断した。
しかしそれでも事態は好転せずカープはついに地元企業から借りていた合宿所を家賃未払いのため追い出されたのだった
(ノック)あら白石さん!どうもご無沙汰しております。
突然すんません。
わしカープの監督しとる石本いいます。
はあ。
石本いいます!はあ。
話ついとるんか?ある日突然カープの人たちが我が家に転がり込んできました。
よろしゅう頼むの。
頼むで。
お疲れさまでした。
お世話になります。
ようこそ。
こんにちは。
よろしくお願いします。
いらっしゃい。
ほんまに大丈夫なん?困った時はお互いさまじゃろ。
じゃけどカープは金ないんよ。
ちゃんと支払えると思えんよ。
あの監督さん真剣じゃった。
しっかり応援しちゃらんと。
お金はいずれ返してもろうたらええけん。
そがなのんきな事言うて!そのうち家も屋敷ものうなるよ?大げさなね〜。
アッハハハハ…。
おお!大変大変…。
お待たせしました。
おい陽子お代わり!は〜い!おい陽子!わしもお代わりじゃ。
はい!陽子。
(陽子)は〜い。
陽子!わしもじゃ。
(陽子)は〜い。
陽子。
(陽子)はい。
ここ置いとくここ。
陽子わしもお代わりじゃ。
うちのチームに何で陽子ちゃんみたいに気の利くやつがおらんかの。
陽子わしもくれや。
は〜い。
あいごちそうさん。
(一同)うっす。
ああすまんな。
あっ!また武智さん酒茶漬け。
しっ陽子。
石本さんにまたチクチク言われるじゃろ。
黙っとけお前。
(おなかが鳴る音)おい若い衆空いたど。
はい。
か〜。
陽子わしらの事も考えてくれや。
カープの未来を背負う若手衆ど。
そんなん先輩らに言いんさいや。
何?どしたん?米が…。
もう?あっ陽子さん考えてよそわんと。
ごめんね。
隣からお米借りてきてすぐに炊いたげるけえ。
うわあっ!あっムカデじゃ。
ムカデぐらいで男がそがいに騒ぎんさんな。
おかずももう少ないけえムカデの素揚げもつけましょうね。
そりゃないですわ!こんないなげなもん食えんで!お前ら!あっ…悪いがちいとだけ静かにしてくれんかの。
今大事な電話をしとるんじゃぼけ!失礼しました。
おお。
じゃけえの遠征先で泊まる所がないんじゃ。
5〜6人で構わんけえ1晩お願いできんかいの。
おう。
おう。
ありがとう!できればの飯をたらふく食わせちゃってほしいんじゃ。
おう。
ありがとう。

(オルガン「こいのぼり」)これでいくらくらいになりますかね?4,000円ってとこですかの。
はあ…。
そんなんですか。
はあすんません。
(ため息)気い付けえよ。
ほいじゃあこれで。
確かに。
また何かありましたら。
お金で買えるもんはまたお金で買えるけえ。
うん…。
そうそう…。
母親が一生懸命お料理を作ったりねないお金の中からお魚のフライだや炊いたりお野菜もらってきたのを炊いたりとか試合が終わって帰る時には「さあ今から帰ってくるからお出迎え〜」言ってねお庭に水をまくでしょう。
打ち水する訳。
もう私はお手伝いさんみたいな。
勉強する間もなく小間使させて頂きました。
何でも「はい陽子!はいクリーニング持ってけ!はいあれ持ってけ!」いうて言われましたね。
子ども心に今思うのに石本さんが本当に野球しかないんですよ考える事が。
だからうちの母がその心意気に心酔したんじゃないかと思う。
とにかくカープをどがいかせんといかんじゃないけどそれで一生懸命やってる姿に母が感銘感動して…彼女も命を懸けたんじゃないかなと思いますね。
今思うとね。
・「カープこいこいカープこい〜」・「カープこいこいカープこいこい」・「鯉昇れ〜」
(マサ)ひっどい歌じゃのう。
やかましいわい。
なんじゃと!・こんにちは〜。
ちいと雨戸を直してもらえんかいの?げげっ!石本さん。
おお!迫谷君じゃないか!こがいなとこで…。
大変ご無沙汰しております。
お〜よかったのうよかったのう。
よう生きとったのう。
はい。
なんとか生きておりました。
うんうん…。
友達?父ちゃんと石本監督が?ほんまじゃ。
ほうなんじゃ。
ともかく銭に困っとってのう。
このままじゃカープは解散になるかもしれんけえ。
何かええ考えはないかいのう。
ほうですか。
大変なんですのう石本さんも。
まずは雨戸じゃ。
(笑い声)ほいじゃあ明日宿舎に伺わせて頂きますけえ。
うん。
よろしゅう。
石本監督!おお君が野球選手目指しとるいう長男坊か。
使うて下さい。
うん?200円たまってます。
カープのために使うて下さい。
おっ!これはグローブを買うためにためとるいう大切な銭じゃろ?いけんいけん。
カープに入るためのグローブです。
カープがないならグローブも要りません。
これでカープを助けて下さい!ありがとう!これが戦後初めて稲荷橋で「迫谷建具有限会社」いう会社を作った時の看板なんです。
(取材者)最初の?一番最初の。
これが出来た時に石本監督が来られた訳ですよ。
もう解散しかないと。
それか合併と。
合併いうのは僕も分からなかったんだけどもどっかのチームと一緒になるという意味ですよね今考えれば。
だからもう金がないからこれはもう解散だというような本当深刻な顔のような感じは今でも脳裏に残ってますよね。
だから石本さんの顔いうのは今でも僕は覚えてますよ。
やはり自分らも大きくなったら野球の選手になりたいいうのがありましたからね。
そうするとカープが無くなるという事はカープに入れないという事にもつながるような感じになる訳ですよ今考えりゃあね。
そういう子ども心で思うたんかも分からんいう事はある。
何にも思わんとさっと出してたから僕は貯金箱を。
カープと石本さんはなんとか1年目のシーズンを終えた。
結局41勝96敗1分け。
優勝した松竹から59ゲーム差をつけられての最下位であった。
そしてこの時既に球団の財政は火の車。
カープに終末の時が近づいていた
昭和26年スポーツの祭典国民体育大会が初めて広島で開かれました。
これに合わせて昭和天皇が戦後2度目の行幸。
広島はその復興する姿を力強く印象づけました。
しかし被爆から6年が経過したこのころ広島では白血病によって死亡する人が急増していました。
後に原爆と白血病との因果関係が明らかになっていきます。
原爆はあの日数年間では決して癒やせぬ深い傷を広島の町に人々に残していたのです
この年の3月シーズンオフも市民はカープに沸いていた。
来季の巻き返しを誓っての冬季キャンプには連日ファンが押しかけ紅白戦ともなればなんと2万人もの人がグラウンドを訪れた
ところがそんなさなかナインも市民も耳を疑うような絶望的な出来事が起きてしまう
(ラジオ)「本日午後中国新聞社で開かれた広島カープ球団役員会にてカープは大洋ホエールズとの吸収合併が検討されている事が明らかになりました」。
何も聞かされていなかった僕たちはそれを突然ラジオのニュースで聞かされました。
(白石)大洋に吸収合併…?事実上の解散いう事ですか?石本さんこんなもんデマですよね?デマですよね!?残念じゃが…デマとばっかりは言い切れんでのう。
言いづらいんじゃが今のカープにはあさっての大阪トーナメントに遠征する銭もないんじゃ!銭がない言うて石本さんはわしらにどうせえいう腹なんですか?すまんのう…。
市民球団の限界じゃ!限界言うて明日からわしら…どうやって食べていけえいうんですか!わしら石本さんを信用してここまでやってきたんですよ。
(長谷部)給料が半分になってもええですけえわしらに野球を続けさせて下さい石本さん!
(白石)まあ待てや!一番つらいんは石本さんじゃろうが!すまんのう…すまん。
すまんのう…。
解散じゃあ合併じゃあ言うて選手がとやかく言うても始まりゃせんよ!そこは石本さんに任せてやわしら選手はとにかく野球じゃろ!列車に乗れんのなら歩いてでも行こうじゃないの!大阪まで!
(磯田)おお…そりゃ異議なしじゃ!
(白石)よっしゃ!ほいじゃみんなで歩いて甲子園まで行ったろうで!
(一同)おう行こう!行こうで!今から行ったら朝には間に合うわい!
(一同)おう!行きましょう!
(白石)どちらへ?役員会じゃ。
みんなの気持ちはよう分かったけえ。
(騒ぐ声)何じゃこりゃ?
(騒ぐ声)おお!石本監督じゃあ!石本さん頼むけえカープを潰さんでくれ!おうそれじゃあ…。
石本カープを頼むぞ!分かっとる分かっとる。
わしらからカープを奪わんでくれ。
ありがとうありがとうありがとう!おお津田君!大変じゃこりゃあ。
はい大変です!この市民の熱意を…これを無視せんといて下さい!今カープを潰すっちゅう事は原爆の傷から立ち上がろうとしとる市民の勇気を奪うっちゅう事です!じゃけえカープを潰さんとって下さい!お願いします!うんありがとう!お願いします!ありがとう!監督!お願いします!奪わんといてくれ!お願いします!万策尽きました。
これ以上の借金は不可能です。
無念ですが大洋への吸収合併で決まりです。
石本さん…申し訳ない。
以前ある少年から五円玉ばかりの200円を受け取りました。
革のグローブを買うために父の仕事を手伝って1年かかってためた200円です。
「これでカープを救うてほしい」と彼は言いました。
「グローブはカープに入るためのもんじゃけえカープなくしてグローブは要らん」と…。
たかだか200円じゃどうにもなりません。
じゃがそれは広島市民の心が凝縮された200円なんです。
「カープは生きがいじゃあ!カープがあるけえ働く気力も起こる」と。
市民はこの貧乏弱小ながらも戦い続けるこの球団に自らの境遇を重ねとるんです!のう?カープは広島の心なんじゃ。
無くしたらいけんのです!聞こえますか?この声が。
石本監督頼むぞ〜!わしらのカープなんじゃ!じゃけえとにかく解散だけは中止して一切を私に任せてほしい。
そうは言ってもな…。
何か妙案でも?募金じゃ!市民の…後援会作りましょう。
後援会を作って会員さんから募金を募るんじゃ!カープはまだまだ生まれたばかりじゃけえ余白がようけ残っとる。
その余白一つ一つを埋めるんはわしらじゃのうて市民の皆さんじゃ。
市民の皆さんに…市民の皆さんにカープの未来を委ねましょう!うん…わしゃあ企業という企業工場官庁町内会まで後援会を作ってもらえるよう一つ一つ頼んで回ります。
それから…中国新聞さん。
わし広う呼びかけますけえわしの書いたものは無条件で載せてほしい。
はい!ありがとう!それから…電報じゃあ!大阪にいる河口君に「合併即刻中止せよ」。
のう!電報じゃ!
石本さんがぶち上げた後援会案にやがて幹部たちも賛同。
なんと土壇場でカープの存続が決定した
その日の深夜0時40分選手たちは球団からの激励金2万円で急きょ切符を調達し夜行列車で甲子園へと出発。
広島駅のホームは深夜にもかかわらずカープファンであふれ返り選手たちは涙で頬をぬらした
やるとなったらとことんやるのが石本流。
早くも翌日の中国新聞には石本さんの心の叫びが掲載された。
「試合の方は白石辻井君に任し私は資金集めに奔走する」
そして3月20日。
石本さんは市民に直接呼びかける演説を行いこれを手始めに怒とうの後援会作りをスタートさせた
皆様の声援に沿うべく我々ナインは頑張ります!それにはこの苦しい現状を乗り切るために後援会を作ってもらいたいのです。
どうか…どうかよろしくお願い致します!
(一同)頑張れ!頑張れ〜!石本監督!秘書課と会計課の有志からかき集めました。
どうぞ使うて下さい!おおありがとう!
(拍手)ありがとう!ありがとう!
後援会結成の報を聞けば石本さんはどこへでも出向いた。
時には試合を終えたばかりの選手たちを引っ張りだし…
必ずやカープの将来を担う新人捕手長谷部稔!では歌って頂きましょう。
「炭坑節」。
(せきばらい)・「月が出た出た月が出た」「ヨイヨイ」・「三池炭坑の上に出た」・「あまり煙突が高いので」・「さぞやお月さんけむたかろ」「サノヨイヨイ」
この間石本さんは連日のように中国新聞にカープ支援を訴える記事を執筆した
「前途にいかなる障害が起きようともカープを崩壊させる事は県民の面目に懸けてもできないのだ」。
今カープ再建に1円でも多くのお金が必要です。
広島カープは我々広島県民が元気じゃあいう事を日本中に知らしめてくれるシンボルです!カープを広島を我々自身の手で育て上げようではありませんか!ありがとうございます!よろしくお願いしま〜す!
石本さんの情熱を受け取った市民たちは今度は自ら試合前の球場に樽を設置して広く募金を呼びかけた。
カープ名物樽募金の始まりである
そして昭和26年7月29日。
カープ後援会の発会式が広島県立総合球場で開催された。
この時後援会員は1万3,000人を超え支援金は270万円に達していた。
コーヒー1杯が30円の時代。
現在の価値にして実に1,800万円を超える額が市民からカープに託されたのである
鯉はついに昇った。
いや昇り始めた
(歓声)石本さんお茶持ってきました。
わしの弟と妹をピカでやられてのう…。
弟はなんぼ捜しても見つからんかった。
妹は見つかったんじゃが子ども2人を抱いた格好で黒焦げになって死んどったわ。
父ちゃんは家族捜して市内中歩き回ったもんじゃけえ1か月後には体中斑点になって死んでしもうた。
母ちゃんもわしの女房も気持ちがポッキリ折れたんじゃろうのう。
数年後には結局死んでしもうた。
そがな人たちばっかりじゃろこの町におるんは。
みんなピカでどがな目に遭ったか分からんけえ互いに何を抱えとるのか分からんけえ何をどうしゃべりゃええかも分からん。
何かこう…冷ややかな風がすり抜けるだけじゃ。
それがよカープの応援ではどうじゃ?みんな子どもみとうにはしゃいでからに。
ラムネ一本買う銭もなあのにカープ見に来てくれる。
募金もしてくれる。
わしゃこりゃあ…頑張らにゃいけん思うてのう…。
ただただ頑張らにゃいけんと思うてのう。
いろいろ迷惑かけるのう。
あ…いえ…。
頑張りますけえ頑張って下さい。
ありがとう。
石本さんはその後も後援会から1,000万円の募金を集め他球団のスター選手獲得に成功するなど強いカープ作りに精根を尽くした
しかし監督就任から3年目自ら立ち上げた後援会の一部にワンマン体制を批判され突如球団を追われた。
その時の石本さんの思いは誰に語れるものでもない
多くを無くしたその土地に新たな花を咲かせた広島カープ初代監督石本秀一
彼はなぜ広島中を巻き込みその奇跡を起こしえたのか

それは彼が大きな悲しみを背負いそれでも前へと進んだまさしく広島市民の一人だったからかもしれない

石本さんが市民と共に起こした奇跡のドラマから四半世紀。
広島市民には忘れえぬもう一つのドラマが起きようとしていました
(実況)カウントワンツー。
ピッチャー第4球を投げた。
カーブを打った。
レフトフライだ。
レフトバック!レフトバック!捉えた捉えた捉えた!捕った捕った!捕りました!ついに広島カープ優勝!優勝!ドラマチックな一瞬であります!25年間のつらい苦しい思い出は消えさり胸を張って栄光のゴールインであります!ついに広島カープは26年目の春大きな花を咲かせました!
(歓声)
山本浩二三村敏之大下剛史。
被爆後の広島に生まれ貧乏時代のカープに憧れた若者たちが成し遂げた悲願の初優勝でした
石本秀一さんはその瞬間を自宅のテレビで見ていました
5年前脳卒中で倒れ右半身はまひ。
もう77歳になっていました
何も言えんですよ…。
ありがたいもんです。
(取材者)石本さんお元気だったら胴上げですもんね。
いえ…。
あれで十分です。
そしてカープ番記者としてその創設期の苦しみを石本さんやナインと共にした中国新聞の津田一男さん。
時に厳しく時に温かくカープのためにペンを振るい続けました。
カープ初優勝の記者席で泣きながら書いたといわれる記事はその日で記者生活を終えた津田さんの最後にして最高の名文となりました
「真っ赤な真っ赤な炎と燃える真っ赤な花が今紛れもなく開いた。
カープは原爆の野に咲いたペンペン草踏みにじられ見捨てられても屈する事のない雑草であった。
それゆえにこそカープファンはいつの日か花開く事を夢みて愛し続けてきたに違いない。
広島の町は喜びの人々であふれている事だろう。
よかった。
本当によかった。
そしてこの喜びを今は亡きカープを愛した人々に告げ喜びを共にしたい」
あなたは広島カープを知っていますか?
2015/02/07(土) 15:05〜16:20
NHK総合1・神戸
シリーズ被爆70年 ヒロシマ復興を支えた市民たち「鯉(こい)昇れ、焦土の空へ」[字]

被爆から70年。「草木も生えぬ」と言われた被災地ヒロシマで、復興を支えた市民たちの姿を描くドキュメンタリー・ドラマ。第1回は、復興の象徴・広島カープの誕生物語。

詳細情報
番組内容
被爆から70年。「草木も生えぬ」と言われた焼け野原から現在へと至るヒロシマの復興を支えた市民たちの姿を描くドキュメンタリードラマ。第1回は地元に根ざしたプロ野球の球団として、全国で唯一親会社を持たぬまま焼け野原に立ち上がった市民球団・広島カープの草創期を見る。昭和24年、資金、人材はゼロ、熱意だけで始まったカープの創設は、初代監督・石本秀一の奮闘とそれを支えた市民たちの力なくしては成し得なかった。
出演者
【出演】イッセー尾形,富田靖子,岡田義徳,大和田伸也,【語り】出山知樹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
スポーツ – 野球
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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