ハートネットTV・選 介護百人一首「冬編 その一」 2015.02.07


(小谷)「介護百人一首」。
長崎県の有吉健太郎さん63歳の作品です。
「丑三つ時に父に起こされ寝不足気味の朝を迎える毎日です。
『またか』と思い用事を聞けば『顔、見たかった』。
腹の立つやらおかしいやら」。
静岡県の市野邦久さん63歳の作品です。
「体調の悪い時の姑は『あんたしゃっつら憎い』を連発します。
しゃっつら憎いは方言で憎たらしいという意味です。
こちらも言い返しますが母はすぐ寝てしまいます」。
「介護百人一首2014」。
1万1,000首もの中から選ばれた珠玉の100首です。
その三十一文字に込められた介護を巡る思いを訪ねます。
(毒蝮)介護は明るく楽しくかっこよく。
全国の介護家族の皆さんご機嫌いかがですか?「ハートネットTV」今日と明日の2日間は「介護百人一首」をお送り致します。
今日と明日の2日間でいよいよこの100首全てを紹介し終えるという事になります。
早速ゲストをご紹介致します。
「認知の母にキッスされ」というお母様みどりさん90歳のご様子を読んだねじめ正一さんです。
よろしくお願いします。
認知症の方は当然妄想がだんだんだんだん強くなってきた。
うちの母親もそうなんですけどもその妄想は非常に最初はつらかったんです聞いてるのが。
そのうちにいやひょっとしたらこれはすごい面白いと思ってメモしだしたんですよね。
当然会話はかみ合わないですよね。
そのかみ合わないところがまあ面白いんじゃないかななんて思いながら。
そんなねじめさんと一緒にお送りしてまいります「介護百人一首冬編」ご覧頂きましょう。
島根県の介護を学ぶ鵜飼夏子さん二十歳の作品です。
「『だんだん』は出雲弁でありがとうの意味です。
介護実習の最終日あまり話した事がなかった利用者の方が言ってくれました。
とてもうれしかったです」。
こちらも介護を学ぶ山形県の加藤あすかさん18歳の作品です。
「実習先で利用者の方に言われたひと言にさみしい気持ちを感じました。
そのさみしさが少しでも和らぐよう笑顔で答える事しかできませんでした」。
北海道の鈴木順子さん61歳の作品です。
「姉と2人で母を在宅介護しておりました。
フルタイムの仕事をしていた私を母は毎日待っていました。
お風呂は母との貴重な触れ合いのひとときでした」。
北海道有珠山の麓の町伊達市。
この町にも介護百人一首の詠み人がいます。
手塚春世さん81歳です。
春世さんが歌に詠んだ夫の敏和さんは去年の6月に亡くなりました。
(取材者)最近はご主人の歌とか作りました?ええ時々作ってます。
これが主人の事を詠んだ歌なんですよ。
この辺。
(春世)前は夫手塚敏和妻手塚春世と書きましたけどねもう夫がいないから妻の欄も書かないで。
お一人様になったから。
お一人様になったから。
2年半施設にいたり病院にいたりしましたからねまあ毎日主人のとこへ通っていましたけど今それがなくなっちゃって何かちょっとポカンとして誰々のために何々をするって事がなくなって自分一人だけの時間で私は自由なんだと思うんですけれどもでも満たされないですね何かね。
本当は満たされていいんでしょうけど。
実は敏和さんと春世さんは再婚同士の夫婦でした。
2人とも連れ合いを病で亡くしています。
敏和さんは海上保安庁に創設当初から勤める海の男でした。
敏和さんが前妻の治子さんと結婚したのは昭和27年。
息子2人に恵まれました。
しかし昭和56年治子さんをすい臓がんで亡くしていました。
一方春世さんは昭和8年に函館に生まれ終戦を迎えたのは小学6年の時。
高校を出て専門学校に進み小学校で代用教員として勤めました。
昭和30年22歳の時に同僚の先生と結婚しましたがその結婚生活はとても短いものでした。
暮らしたのは85日だけです。
(取材者)えっ?そうなんですか?ええ。
心臓発作でね「苦しい」って言ったらそれで終わりだったんですから。
体の弱い人でしたからね85日だけで終わってそれで私ぼう然としましたね。
その後春世さんは保母の資格を取って主に障害児の施設で働きました。
春世さんは独身のまま27年間を過ごします。
そしてある日小さな短歌の会に誘われました。
そこで出会ったのが妻を亡くしたばかりの敏和さんです。
転勤で道内を転々とする敏和さんは当時襟裳岬に近い浦河の海上保安所の所長を務めていました。
その敏和さんは翌月の短歌会で思い切った行動に出ました。
「会の前にちょっとみんなに話あります」って言うんですよ。
で「何かな?」と思いましたらね「キクチさんの事はよく分かりました」と。
「自分も去年みんなが知ったとおり家内亡くして独りですからお友達になってほしいから僕立候補します」って言ったんですよ。
そこのみんなの前で。
敏和さんの突然の交際申し込み。
2人は程なく再婚同士の結婚をしたのです。
春世さん48歳敏和さん55歳。
敏和さんの仕事は責任の重いものでした。
こういう電話もこういうとこ置かないんですから。
枕元に電話置くんですね。
そして服もその辺に掛けといてそして電話鳴ったらパッと取って「行く」と。
「行く」ったらあと今度いつ帰ってくるのか分かりませんしね。
もう奥さんたちはみんな慣れてて。
「やあ昨日びっくりしたね」とかってね朝そんな話になりましたけどね。
北の海の警備に当たる敏和さん。
作る短歌もやはり海の歌でした。
退職後2人は悠々自適の老後を送ります。
しかし4年前に敏和さんが認知症を発症しその後肺炎をこじらせあっという間に亡くなってしまいました。
春世さんのもとには今も敏和さんの2人の息子が家族を連れてやって来てくれます。
突然でしたね。
突然呼ばれて…。
僕らもおやじ一人だから心配は心配してたんですけど知らない合間に今の母さんと知り合って「この人と結婚するから」っちゅう話で。
(笑い声)初めお母さんって言えるかどうか心配だったんだけども自然に言えるようになりましたね。
すばらしい母さんですよ。
本当尊敬できる母ですね。
おばあちゃん大好きです。
おばあちゃんっ子だよね多分。
そうだね。
おばあちゃんに遊んでもらってましたよく。
ままごととか結構一緒に遊んでくれるので夏休みとか冬休みはいつもここに来てました。
今ではひ孫までいるので全員集まると16人にもなるといいます。
(結香)おばあちゃんおめでとう。
(春世)あら!今日は春世さん81歳の誕生日です。
・「ハッピーバースデートゥユーハッピーバースデートゥユー」・「ハッピーバースデーディアおばあちゃん」・「ハッピーバースデートゥユー」
(一同)おめでとう〜!
(拍手)あのまま一人でいたらなかったでしょうしね。
一人でしょけしょけと年を取って…。
どういう巡り合わせだかね…。
敏和さんは晩年は認知症の症状が進みました。
でもごはんを食べた事を忘れても2人が出会った浦河の海の事は忘れなかったといいます。
そっちの部屋にいた時かな。
夕日がきれいだったんですよ。
こっち西なもんですから。
空が赤くなんですね。
そして「いや〜すごく空きれいだわ」って言ったらそこの窓から見ててパッと浦河の事を言いだしたの。
確かに浦河も夕日はきれいだったし江差も留萌もみんな夕日のきれいなとこだったんですけど浦河の事しか言わないんですね。
留萌の事は記憶にないんです。
だけど浦河の夕日の事だけは時々言うんです。
敏和さんの一番の思い出の海です。
よろしいですか?
(笑い声)敏和さんと出会い積み重ねた日々。
そして今も温かく包まれている春世さんの冬の一日です。
いやいややるじゃねえの〜。
いいよなあ。
短歌が結ぶ恋だね。
…というふうに手塚春世さんの歌ですが。
ねじめさんはどうご覧になりましたでしょうか?だからやっぱり自然という…特に海ですよね。
海のものを感じさせてくれるし「夕日が労わりくるる」というその夕日が労ってくれるという気持ちというのはこれはやっぱり海をいつも何かバックに生きている人たちの…。
それも北海道という…。
そうそう。
やっぱりこれは…。
大地っていうかね。
書けないですよね。
浦河で見た夕日ばかりを…。
2人が出会ったという。
出会いの場所ですよねそこね。
浦河がね。
だからすごいドラマチックですよね。
そこがやっぱり…そこの夕日しか認めないっていうところがね。
そういう考え方できますね。
ああそうか。
ご自分から…敏和さんが春世さんに立候補して…。
そうですよね。
いろんな海は海上保安庁で見てこられたでしょうけれどもお二人が出会った浦河の夕日。
それはやっぱりうれしいんじゃないですか。
春世さんも喜んで。
敏和さんもきっと喜んでらっしゃいます。
血がつながってない…だけどファミリーなんですよね。
本当に優しい人なんだと思いますよね。
そうですね。
はいありがとうございました。
それでは「介護百人一首冬編」引き続きご覧下さい。
福祉を学ぶ山梨県の後藤昌樹さん53歳の作品です。
「夕方になると家に帰ろうとする入居者がいます。
気持ちが落ち着くよう手を握ってフロアを一周します」。
大阪府の頭本信代さん57歳の作品です。
「いとこが独り暮らしのお年寄りにおかずを作って届けました。
少し話をして帰ろうとすると『ちょうど煮物があるから』と先ほどのおかずを渡されたそうです」。
介護を学ぶ宮城県の今竣亮さん22歳の作品です。
「介護の実習先で利用者の方に『おむつを替えてもらうより5分でいいから目を見て話を聞いてほしいわ』と言われました。
コミュニケーションの大切さを感じました」。
この町に住む中田澄子さんも介護百人一首に選ばれました。
歌を詠んだ…夫の利夫さんと2人で暮らしています。
利夫さんは13年前に認知症を発症しましたが進行は穏やかです。
あと1か月で81になります。
(取材者)1か月で81?はい。
(取材者)利夫さんは88歳?ああ88。
あと2年でダイヤモンド婚です。
(取材者)ああ〜。
ダイヤモンド婚って何年?60年。
60年。
おお〜。
今度こちらからお尋ねしてみたいですけど私どもにこういう取材なさるっていう事は何かの根拠は…。
(笑い声)
(取材者)澄子さんの短歌が優秀で入選されたから。
この人の短歌が入選…作品が入選しましたか?
(取材者)はい。
そうですか。
(取材者)それで来てます。
ああ。
どんな作品でしたか?囲碁の歌。
ああ囲碁の。
利夫さんが入選した事を忘れてしまった澄子さんの囲碁の歌。
(取材者)それが認知症の薬ですか?はい。
利夫さんの認知症は早期に見つかった事もあって薬の治療だけで10年以上も要介護度は1のままでした。
1段階上がったのはついこの間です。
日常生活はほとんど自分でできます。
でも徘徊が心配なのでズボンのベルトにはGPSをつけています。
(澄子)今はだいぶ行動範囲が狭くなったですけどいつかは…裏門から出て行方不明になってもうみんなで大騒ぎになって。
私がちょっと見えないとやっぱり不安に思うのでちょっと「ちり出しに行ってきます」とか買い物に…近くのスーパーに「買物に行ってきます」とかいろいろ行く場所を書いてですねここに置いてから…。
利夫さんは大正15年生まれの88歳。
終戦の時は天草の陸軍にいて長崎の原爆を見たそうです。
農業を学んでいた利夫さんは戦後熊本県に採用され農業の指導一筋に歩んできました。
利夫さんが28歳澄子さんが20歳の時2人はお見合いをして結婚しました。
子どもは娘ばかり3人に恵まれました。
60歳で定年を迎え趣味の油絵を楽しんでいた利夫さんに症状が現れたのは2002年76歳の時です。
弟の家に車で出かけ家が分からず帰ってきたのです。
今まではそういう事はなかったのでちょっと…もしかしたらって思ったんです。
熊大にもの忘れ外来っていうのがあるので「そこがいいですよ」って言われてそこに連れていきました。
現在利夫さんは週の半分をデイサービスに通っています。
(西原)いつもお元気で明るく振る舞われてます。
パッと見は分かられないんですけれども何もしないと不安になられて「おうちに帰りたい」とかいう気持ちが出てこられたりされますね。
こちらでできるだけ楽しみを持てるように考えてるところです。
何か書いてありました?うん?おいしいですか?うんおいしいです。
そうですか。
はい。
コーヒーですね。
甘いのがお好きですか?コーヒーは。
辛いのは飲みませんから。
辛いの…。
(笑い声)コーヒーの辛いのはねえ。
澄子さんは座骨神経痛の持病もあるので買い物などは近くに住む次女の直子さんがよく手伝ってくれます。
(取材者)80歳と88歳ですかね。
はい。
(取材者)だからちょっと心配ですよね。
そうですね。
もう本当に心配ですね。
でもふだんの受け答えはもう本当にいつも…今も何か普通にしてくれるのでふだんどおりに話せるんですけどやっぱり娘のままというやっぱり…記憶なんじゃないかなと思うんですけど「どこに帰るの?」っていつも聞かれます。
利夫さんがデイサービスから帰ってきました。
(澄子)お帰りなさい。
はいお疲れさまでした。
(澄子)ありがとうございました。
お荷物ですね。
(澄子)お世話になりました。
どうもお疲れさまでした。
今日もお元気に歌をカラオケ歌われました。
そうですか。
(西原)じゃあ失礼致します。
どうもありがとうございました。
(取材者)いかがでした?今日は。
「どんなでしたか?」って。
さくらんぼ。
(取材者)さくらんぼはいかがでした?ぼんやりしとりました。
(笑い声)ぼんやりとしとりました。
ああぼんやりとしとりました…。
(笑い声)利夫さんが認知症になってから澄子さんが始めたのが利夫さんの趣味だった囲碁です。
初めは澄子さんがたくさん石を置いて打っていましたが今はほとんど互角です。
認知症が進まないようにとにかく脳を刺激する事を何でも続けていこうと思ってですね始めたんですけど。
ほぼ毎日夕食前の時間に始まる2人の囲碁対局。
利夫さんの腕前はなかなか衰えず澄子さんをやり込める事もしばしばです。
(澄子)ここまででしょうか。
ハハハッ。
あ〜もう駄目だ…。
246…。
(取材者)接戦だったんだ。
そうですね。
(笑い声)えっ?接戦だったって。
接戦でした。
ねえ。
(取材者)やっぱり負けると悔しいですか?やっぱりいくつになっても悔しいですね。
私が入選したのはうれしかったですか?短歌がNHKの。
いやそうだったかな?
(笑い声)ああ〜。
そうですか。
(取材者)入選したんですよ。
今初めて知りました。
初めて…。
夫婦で碁盤をはさみながら悠々と生きる熊本の2人です。
いやいや忘れていいんですよいろんな事をね。
ハハハハッ!でも奥さんも勉強してねあんなにね戦ってんだから大した腕前ですよ。
ああ〜そうですね。
いいリハビリになってる。
すばらしい!…というふうに詠んでいらっしゃいます。
ねじめさんはどうご覧になりました?毒蝮さんおっしゃったようにもうやっぱり夫婦で共通の趣味を持つって病気になった時もやっぱりいいですよね。
また奥さんも偉いよねそれに合わしていくっていうのがね。
覚えたっていうのが。
難しいんですよね。
難しいよ。
うちは俳句というのが共通のおふくろと俺の共通の趣味でともかく笑わせる句を毎日作って持っていきましたよ。
お母さんが笑ってくれるから。
笑ってくれると思うから笑わせるために。
おふくろ今何も言わないけど何かこう…俺の方が一生懸命話しかけるようにしてます。
俺の顔見るとすごい怖い顔するんですよ。
ヘルパーさんたちに愛想笑いすんですけどね。
息子が来るとすごい怖い顔をすんですよ。
無愛想な顔はねじめさんにしゃべってんだね。
そうそうそう。
顔で…何か無言ですけどでもそれはやっぱり言葉になってんだと思います。
答えてあげてる?そう。
僕はもう勝手にいろいろともかくしゃべるんですよ。
それでヘルパーさんとかなんかには愛想笑い?愛想笑いしてる。
使い分けてる?そう。
だからまだ俺の事分かってんのかなっていう気はしてますけどね。
でもねじめさんね結局よくならない病気でしょ?という事は死というものを迎えるのを覚悟してらっしゃる?もうそれは俺の中にあります。
いつかはそうなるだろうという…。
だから余計何か…悔いのない介護をしたい。
悔いの…もう私は介護なんていう事何もやってませんけど一緒にいたいという気持ちはありますよね。
でも会いに行くのが介護じゃないですか。
そうそう。
もうそれしかできませんから。
だからおふくろといる時間を多く増やすという事が何よりもやっぱり優先する事かなっていうふうに思ってますよね。
はい。
さまざまな介護短歌介護百人一首お送りしてまいりましたが明日も引き続き「介護百人一首冬編」をお送り致します。
明日もねじめ正一さんよろしくお願い致します。
よろしくどうも。
2015/02/07(土) 14:00〜14:29
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV・選 介護百人一首「冬編 その一」[字]

介護にまつわる出来事や思いを詠んだ「介護百人一首2014」今回は冬編その一 とおき日の良きこと今朝のように言う夫を夕日が労わりくるる ほかの歌をご紹介します。

詳細情報
番組内容
介護する人される人、日々の介護生活の中でふと心に浮かんだこと、ある出来事の情景を詠んだ介護百人一首、今回は冬編その一。 囲碁勝負勝っても嬉し負けてまた夫の認知の度合いはかれて 夫が認知症の初期の頃、私が九目置いて始めた囲碁。10年経過し今は二目になりました。自分が勝つのはもちろん、夫が勝てば今だ要介護1のままなので「囲碁の効果では?」と思い、さらにうれしくなります。介護短歌の心に触れて下さい。
出演者
【出演】毒蝮三太夫,小谷あゆみ,ねじめ正一

ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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