サワコの朝【コシノヒロコ▽78歳で輝く秘密】 2015.02.07


(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは世界的ファッションデザイナーなんですがその妹さんもその妹さんも3姉妹全員世界的ファッションデザイナーという方に今日衣装まで頂いてしまいました。
頂いたんじゃないんですよ着させていただいてるだけなんですけどもね。
ご紹介いたしましょうコシノヒロコさんです。
どうもはじめまして。
おはようございます。
ありがとうございます。
着せていただくだけでなんか…。
(コシノ)すごいかわいらしい感じ。
うれしい〜。
(コシノ)ありがとうございます。
これあの〜脱ぐとちょっと腕が太いもんですからあまり見せられないんですけれど。
(コシノ)でもたぶん脱いでもかわいいと思います。
あっ…。
(スタッフ)あははっ!でもこのちょっとお着物みたいななんかね少し阿川さんってね少しねんん〜なんかちょっと古風な感じでかわいらしい。
だから私こういうね着物っぽいプリントがなんかいいのかなと思って…。
それで選んでくださったんですか。
(ナレーション)今日のゲストは78歳になった今も世界を股に掛け第一線で活躍。
同じく世界的ファッションデザイナーの妹ジュンコさんミチコさんとともに「コシノ3姉妹」として知られています。
母綾子さんは洋装店を営みながら女手一つで3姉妹を育て上げた肝っ玉母さん。
2011年には綾子さんをモデルにしたNHK連続テレビ小説「カーネーション」が放送されました。
いまだに思ってるかもわかんないし。
(スタッフ)あははっ!今日は元気にカッコ良く走り続けるコシノさんの原動力にサワコが迫ります。
コシノ家は皆さんデザイナーで。
はい。
ご長女がヒロコさん。
まあもちろんお母様が…。
私が長女です。
時々は今3人でお会いになったり…。
帰って来ますよ岸和田祭だんじり祭のときはお母ちゃんのためにももう帰って来ないと駄目よって言って。
へえ〜。
でも今や3人ともデザイナーになってらっしゃるから互いに認め合って?認め合ってるかどうか分からないけどまあいまだにお互いにライバル意識で少しはヘコめばいいのにって思ってるかもわかんないし。
ほんとに?へえ〜。
まあでもみんな頑張ってますよね。
もうねやっぱり1人ヘコむと天国にいるお母ちゃんが嘆くだろうなぁなんて。
ああ〜なるほどね。
ヒロコさんからご覧になった3人の姉妹の性格の違いはあるんですか?もう全然違います。
全然違うんですか?私はね子供の頃からものすごい気が弱くてほんとにねもうこんな性格じゃなかった。
人に会うのが嫌いだったっていう。
もう過保護でとにかくおじいちゃんやおばあちゃんにかわいがられ過ぎちゃって。
でジュンコはそれに対してとてもジェラシーしてもうとにかくお姉ちゃんばっかり!みたいな。
でミチコはねもう我関せず。
とにかく上の姉2人がどんなにケンカしてても知らん顔してる。
ここは私が関係せん方がいいわって思ったらもうサッと。
そのへんが賢いんですよ。
へえ〜。
まあ姉妹3人寄ったら今でもそういうとこありますけどおもしろいですよ。
へえ〜!じゃあ3人の洋服のデザインの違いっていうのは…。
昔はね出てたんですよ。
私は子供のときに祖父に連れてってもらって歌舞伎やなんか見たりそっから来る色であるとか形であるとかっていうものがもう常にどこかに私の中にあって自分の生活っていうものの中から表現していく感じの。
でジュンコは非常にアバンギャルドなちょっと宇宙空間から出てきた非常に未来的なファッションをやって…。
ちょっと宇宙服っぽいイメージ…。
そう。
でミチコは非常にスポーツのすごい好きな子だったの。
テニスで1位取ってますから。
彼女のやることは全てスポーツウエア。
なるほど。
あの〜ちょっと前にNHKの朝のドラマで「カーネーション」というコシノ家…まあお母様が主人公の物語。
そうです。
もうお母ちゃんはあのNHKの朝ドラに出るのが夢だった。
もうなんとねよく集金に来るじゃないですかNHKの集金に。
その人つかまえて「あんたNHK帰ったらな朝ドラうちのやってって言うといてくれる?」って。
あははっ!「いや僕に言われても」みたいな。
「そんなもん関係ないからそんなん言うのやめとき」って。
なんでもそういう調子だったんですよ。
もう実際あのNHKのドラマの中で見るよりはもっとすさまじいんですよ。
お母ちゃんなんてすっごくみんなから神様みたいに言われるんですけどこれほどうちのお母ちゃんほどおっちょこちょいでええかげんでもうこの人だけは頼れないわって思ったのはお母ちゃんだったんです私にとっては。
そうなんですか?
(コシノ)例えばお母ちゃんが73でブランド発表したんですよ自分のブランドプレタの。
そのときにもう私びっくりしたのは発表会だっていうんで行きました。
そしたらその作品みんなそれぞれの姉妹3人のアイディアが全部ばっちりパクり。
あははっ!「私らなジュンコのまねだけは絶対せんとこうとかジュンコも私のまねだけはせんとこうと思ってこんなに頑張ってるのにお母ちゃんのオリジナリティーってなんやねん」って言ったら「ん?お母ちゃんのオリジナリティーはあんたら3人の子を産んだっていうことや。
あんたらのオリジナリティーは私のもんや」って。
おかしい〜。
「親やったら当たり前やろ」って。
「はい分かりました」って帰って来ましたよ。
でもね私が感心したのはねお母ちゃんがそれぞれのいいところきっちり見てるんです。
ジュンコらしいものミチコらしいものヒロコらしいものちゃんと見抜いてちゃんとパクっております。
あははっ!でもかないませんねやっぱりお母ちゃんには。
やっぱり親にはかないませんわ。
はあ〜。

(旅行者:スペイン語で質問)
(翻訳機)これは何ですか?
(女将)日本のお菓子でございます。
(翻訳機:スペイン語に翻訳)さてその長女・ヒロコさん昔は内気だったという方が記憶の中でどんな曲をお選びになってらっしゃるか。
笠置シヅ子さんっていう。
はい。
どの曲ですか?「買物ブギ」っていうんです。
「買物ブギ」。
あの曲を聴いたときあれお母ちゃんの歌かなと思った。
へえ〜。
もう朝から晩まで働きづめ。
とにかく忙しいんですよ。
慌て者で慌ただしくてとにかくやかましい。
で子供はほったらかしにしといてもう自分のことしか考えてないの。
もうまさにお母ちゃんを表してる歌でした。
おお〜…。
ふふふっ。
もう…。
「よう言わんわ」な感じ?ほんとになんていうんか忙しい人なんですよ。
ああ〜。
でもやっぱお母ちゃんがお好きだったんですか?いや〜もうお母ちゃんのことは大好きなんですけどいつも背中を向けてなんかやってるわけでお母ちゃんお母ちゃんこっち向いてよちょっとは私たちのことにも少しは気にかけてよってこう気を引くんですけれども一向にこちらに気を向けてくれない。
じゃあお母ちゃんがそんなに忙しくしてたらその職業に対して反感を持つというかなんていうのかな…。
もう私はすごい反感持ってました。
あっ持ってらしたんですか?もう私ね実はね親の跡継ぎをしなきゃいけないって子供の頃から言われてたんだけど親がやっていることを見るとあんなことは絶対やりたくないと思ったの。
だってねお盆やお正月人が遊ぶときに人様のために一生懸命洋服縫うわけでしょ?何日徹夜しますか。
でそれもかわいい女の子たちがほんとに居眠りしながら縫ってるんですよ。
そのころファッションなんてそういう楽しい世界じゃないのよ。
とにかく人のために何か犠牲になってるっていうふうにしか見えない私にとっては。
だから私はこの跡継ぎっていうのは「絶対嫌やで」って。
そしたらお母ちゃんがね「あっそうか。
ほんなら自分の好きなことしぃ」って。
言われたから「あっそう?私はね絵描きたいねん。
絵描きさんになんねん」って。
絵描くのがお好きだったんですね。
もう子供の頃から3つのときから絵を描いてた。
じゃあそのために東京の美大か京都の美大受けるからとにかく一生懸命勉強したんですよ。
そしたらある日ね突然お母ちゃん気が変わってね「あんたやっぱり美大みたいなんいくのやめとき。
絵描きさんになるとな苦労ばっかりやからこれはあかんで。
やっぱりな洋裁やで」って。
「嫌っ!私そんなん嫌や!絶対嫌や!」。
1年間反抗して物言わなかったの。
3階のいちばん上の私の部屋の上からね飛び降りて死んだろうかなと思って。
そんな…あははっ!それくらいもうね親の言うとおりにするのが嫌だったの。
それが高校3年生のとき。
そのときに私の目のウロコがポロっと落ちることがあったのが中原淳一先生の本があって雑誌があってそこにすごいすてきなあの…お洋服の絵があって今で言えばファッションのイラストレーターとしての絵をその中で載せてたんですよ。
えっ洋服っていう世界の中で絵を描くっていうことがあるんやと。
絵が…いわゆる設計図みたいなものがあるんだと。
それがとてもすてきなイラストで描かれているものがそのまま洋服になるんだと。
そこで初めて私の絵っていうものをもっとこの世界で生かせる世界があるんだなっていうことを…。
そうか大好きな絵を描くことによってそれを洋服と関連させられると。
そうそう。
だから私は縫わなくてもいいんだと。
私は…。
絵を描いていればいいんだ…。
画家というかたちでファッションに関与すればいいんだということが分かったの。

(妻)昔はお肉と揚げ物が大好きな人だったのに…。
(夫)あっ金目か〜。
お魚を選ぶようになったわね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
野菜や魚を出し入れしやすい真ん中収納に。
しかも鮮度にこだわる冷蔵庫です。
うまいなぁ。
これからの日々にパナソニック「Jコンセプト」
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
コシノヒロコさんは19歳で大阪から上京しファッション専門学校の名門文化服装学院に入学。
翌年後を追って妹・ジュンコさんも入学し2人で競い合いながらデザインを学びました。
私がやるとおりをジュンコが金魚の糞みたいになんでもついてくるわけですよ。
で最初1つの下宿の中で2人で住めっていうんですよ。
もう毎日ケンカですよ。
毎日ケンカですか?で装苑賞とか出すときに私が出すときに彼女にアシストさせて。
ケンカするけどもそこは協力し合って。
もうねちゃんと私の横にいていいとこだけをピシッと取って非常に早道をパッパッパッと行くわけです。
私はもう回りくどく全部自分で体験していかないといいんだか悪いんだか分かんない。
だけど横で見てるジュンコはいいとこ取りをサッサッサッと取るわけ。
だから私より先に装苑賞取ったんです。
ジュンコさんの方が?これが私がもう一生この道に関して私が頭が上がらなくてもうカァ〜っときたのはこればっかり。
ヒロコさんは装苑賞取らないまま卒業なさったわけですか?2位だったんです私。
2位だったんですか!1位取れなかったんです。
でもそうするとたまにジュンコさんに会ったりするとやっぱりピリピリするというか…。
いやまあそんな話はもう絶対に出しませんけどね。
あの子も触れません。
けれどねある番組で姉妹3人出たことあったんですね。
それはずっと後ですか?
(コシノ)ずっと後。
大人になってから。
ジュンコの目の前ではっきりとそういったことは絶対に言えなかったけれども…。
それまでは?ああいう番組の中って結構地が出るんですよね。
へえ〜。
(コシノ)出ちゃったんですよ。
素直な気持ちが。
「あの弱い私がどうしようもない私がここまで強くなれたのはライバルであったジュンコのおかげよね。
あのときに装苑賞取っていなかったからこそ今があるんだよね。
私はジュンコに感謝してるわ」って。
初めてその場で言いました。
そしたらジュンコが「ええ〜!お姉ちゃんのあんな顔初めて見たわ。
お姉ちゃん死ぬんちゃうやろな?」って。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!ふふふっ。
でもそれお姉ちゃんに言われてジュンコさんもホッとしたっていうか…。
だから今までのいろんなわだかまりとかなんか非常に強いライバル意識とかっていうものがなんかお互いに支えてきたんだけれどもどこかでなんかこう…素直になれたっていうか。
ほんとになんかこう1人の人間として大人になったっていうそういう気持ちがほんとにごく最近ですよですから。
へえ〜。
えっさっきの話に戻りますけどその文化服装学院を卒業なさってから海外にお出になった…。
そうですね。
私は初めて1978年にローマで初めてオートクチュールのコレクションをやったんですね。
なんでローマだったんですか?あのね私のスポンサーがイタリア人だったんですよ。
何を判断してヒロコのスポンサーになるっていう…。
(コシノ)なんでしょうね?日本に来られたときに私のやってる仕事を見られたんですね。
で彼のところの生地も私は使っていたんですよ。
ああ〜。
でその自分たちが作った布が私の手になるとこんなになるのか!みたいなものを見たんでしょうね。
ええ〜でもまだ当時は70年代だと日本人が異国の洋服のデザイナーとして…。
もうだからまったく西洋の人たちが作ってる洋服とは違う服を持っていったんですよ。
それは私はね子供の頃から歌舞伎を見長唄をやりずっと日本の伝統芸能っていうものにずっと接していて…。
お祭りにも。
お祭りもあるしやっぱ日本の美しさっていうのをよく知ってるんでそういうコンセプトの中で作っちゃうんですね。
世界の人たちプレスの人たちがやっぱり私の洋服を見てちょっと今までになかった作品だなっていうことで終わってから全員が立って…。
スタンディングオベーション?スタンディングオベーションだったんです。
でもそれって若い頃って海外に出る方ってやっぱり海外から影響を受けたいっていうんで日本のテイストを自分の中に入れるっていうことを逆にこう避けようとする…。
でも私はね世界の舞台であの人たちと戦っても絶対に負けるだろうと思ったの。
ヨーロッパのやってる人たちがやってることをやることは絶対に無理だと。
私しか持てないものを考えなきゃいけないっていうのがそこに落ち着いたんです。
はあ〜。
(コシノ)だからもうやること成すこと全て日本の伝統の中から出てきたアイディアばっかりでした。
へえ〜。
じゃあ今はそのどういうふうにしてコシノヒロコさんの洋服が出来上がるか。
いろいろありますけどね。
私はねコレクション作るために必ずね旅をするんです。
まあ例えばの話今回ギリシャに行って若者がいろんな所に自分たちのあふれ出るようなエネルギーが全部絵になって…いわゆるストリートグラフィックス。
もうそれを見て感動して。
何かにこう感動するともうすぐそのようなかたちで絵を描きたくなるんです。
そうすると今お作りになる洋服っていうのは絵画と密着に関係してるって…。
(コシノ)してますしてます。
ちょっとそのお描きになった絵を今日。
この絵はね実はね…。
これもギリシャ?ギリシャのそのグラフィックアートを見てインスパイアされてなんとなく描きたくなって描いた絵なんです。
もう落書きみたいなぶつけるみたいな絵なんですね。
でこの感覚を今日たぶんお洋服を持ってきてると思いますけれども。
ちょうど用意しておりますんで。
こういうかたちです。
あっこの絵がこういう…。
(コシノ)これはね実はね今あの…ほんとに簡単にプリントができるのはあの絵をそのまま写真に撮るんですよ。
で写真に撮ってデジタルでプリントするんです。
そのまま…このタッチがそのまま出てます。
へえ〜ほんとだ!
(コシノ)ふふっ…ヌードの人がいたりとか。
ほんとちっちゃい所見るとおもしろいことがいっぱい。
お花だけだと思いきや。
(コシノ)でそれでヒラヒラヒラっとしたこういう感じの。
柔らかい生地で。
こんなデザインに…。
こんな所にこんなこんなヒラヒラも。
(コシノ)そうそう。
これも結んだりいろんなことができる。
あっなるほどね自由にこう。
首に巻いたりもできるし。
なるほどね。
へえ〜。
今はじゃあまず絵を描いて。
あの〜洋服を作る前にやはりテキスタイル…いわゆるその材料が…私の中から出てきた生地を今度は形で表現していく。
もう実にもう全て私のオリジナルですね。
そうするとヒロコさんがいらっしゃる旅先の場所によって随分…。
ガラガラガラガラ変わってきますよね。
東京ではどうですか?東京はあまり私は感じないですね。
なんか今の東京での若い人たちがやってるファッションはとってもおもしろいんですけれども私は洋服としての価値観であるとかモードとしてのおもしろさっていうのは感じられないんですよね。
私たちみたいに長くファッションをやってきてほんとにいい服を見て育った連中っていうのはなんかそこにもっとアート性であるとか精神的な面とかなんかそういったものをどうしても求めちゃうんですね。
自分の中から出てくるものとの反映とか。
それとほかの人にない私らしいものはなんなのかな?とかね。
それを追求する。
だから私はねトレンドとか流行とかある意味関係ないわと思っちゃうの。
そうなんですか。
うん。
これがはやってるからそれに迎合して私もそれ作んなきゃいけないってそんな気持ちは毛頭ないです。
私は自分の興味のあるものしかやりたくないんです。
だから私に「若い子たちの洋服をデザインしろ」って言ったってそれは無理です。
私若くないから。
そういう子たちの生活と私は関係ないから。
割り切って。
やりたくないです。
逆に。
へえ〜。
やっぱり日本人の女性も昔はだってお母さんになったりおばあちゃんになったりしたら自分がいい服着ようなんていう欲は捨ててましたでしょ?そう。
もう「この年になったらお洒落なんてとんでもないわ」って。
私はそうじゃないと思う。
年を取れば取るほど美貌もどんどんどんどん若い人と比べれば劣っていくわけですよ。
はい!けれど人間っていうのはその持っている美貌だけが全て物語れるものではなくてやはり内面ですよね。
洋服によって自分の生活がガラッと変わりもう自分に自信が持てる希望が持てる。
洋服によってそれが持てるんであればすばらしいじゃないですか。
そんな洋服を作るということって私の使命かなって今思ってるんです。
そうすると今のやっぱりアンチエージングとかなんか若い子だけに価値があるっていう考え方は…。
それは違いますね。
私はやっぱり大人の女性が好きです。
若い子ってなんかあまり深さがなくてあまり好きじゃない。
だから男の子っていったって若い男の子大嫌い。
ああ〜そうですか。
大人の男が好きです。
いくつぐらいの…。
やっぱり50以上ですね。
50以上。
なんかねもうね40過ぎて…って私もう60過ぎてますけどねもう恋とかときめきはもうもう…。
それは違うと思う私。
なんですか?うちのお母ちゃん93まで恋をしてましたよ。
93まで!?はい死ぬまで。
恋を?ボーイフレンドがいらしたんですか?いたの。
お父ちゃん…。
お父ちゃん死にましたから。
早くから戦争で。
でお母ちゃんの好きな人を私に会わせなかったの。
取られると思ってたの。
ふふっ。
へえ〜女だな〜。
(コシノ)女ですよ。
うちの家族ってそんなですよ。
子供として苦労はしてるんですよこれでも。
へえ〜。
では今元気を出してくれる曲としたら…。
元気を出してくれるかどうか分かんないけど私はこの曲大好きなの。
「愛の讃歌」。
「愛の讃歌」。
それは越路吹雪さんですか?越路吹雪さん。
私も恋をしましたけれどももうこの曲を聴く度にああ〜悔しい悔しいどうして私の恋っていうのはこうなんだろうといつも思ってましたからね。
ねえいい曲ですよね。
この曲を歌うとなんか自分でも涙が出てくるそんな曲です。
恋してるってことですね?これはねやっぱりね若さの活力はこれですよ。
恋っていうのは人を恋するだけでなくていろんなことに恋をする。
やっぱり一途に何かをやるっていうことはこれ恋に似てるんですよね。
情熱を持って接していくっていうことはこれはもう必ずしも自分にものすごくエネルギーがもらえるっていう。
絵かもしれないし。
そう。
ゴルフかもわかんないし。
ゴルフかもしれないし。
いや〜飛ばしそうな。
近頃飛ばなくなってね。
これが悔しくって今ボディートレーニングしてます。
ボディートレーニングしてらっしゃる?なんとか頑張って飛ばしたい。
負けたくない!若い子に。
「正負の法則」。
2015/02/07(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【コシノヒロコ▽78歳で輝く秘密】

ゲスト・コシノヒロコ/ファッションデザイナー▽「少しはヘコめばいいのに…」いまだに姉妹にライバル意識!?阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。

詳細情報
番組内容
ゲストはコシノヒロコさん。
40代で海外に進出、世界的日本人デザイナーの先駆けとなり、同じく世界を舞台に活躍する妹のジュンコさん、ミチコさんと共に「コシノ三姉妹」としても知られています。
当初、親の職業を継ぐことを拒んでいたコシノさんが母と同じ道を目指すことになったきっかけや、今もライバル的存在である妹たちへの想いなど、ますます精力的に制作を続けるバイタリティーを保つ秘訣を伺っていきます。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
コシノヒロコ
1937年、大阪府生まれ。
1957年、文化服装学院在学中にN.D.C.(日本デザイナー協会)デザインコンクール第1位受賞。
1978年、ローマ「アルタ・モーダ」に、日本人として初めて参加。
1982年、パリ・プレタポルテコレクションに参加。
2011年、母・小篠綾子の生涯をモデルにした、NHK連続テレビ小説『カーネーション』が放送される
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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