戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第8回 2015.02.07


漫画の神様手治虫。
戦後半世紀近くにわたってスケールの大きな物語を描き続けました。
日本に独自の漫画文化を切り開いてゆきます。
日本で最初に長編テレビアニメを手がけたのも手でした。
君たちは何者だ!?さまざまな技法を編み出し新しいアニメの扉を開きます。
手が踏み出した第一歩。
それはクールジャパンの原点でもありました。
ライフワーク「火の鳥」。
宇宙の中で永遠に生きる火の鳥の姿を通して私たちはなぜ限りある命を生きるのか問い続けました。
生命の意味を見つめ続けた手治虫。
700タイトルを超える漫画でどんなメッセージを伝えようとしたのでしょうか。
スリーツーワンマーク。
21世紀の今人類は宇宙で暮らす実験を始めています。
ISS第39次船長に就任したJAXA宇宙飛行士の若田光一です。
去年日本人で初めて若田光一さんが国際宇宙ステーションの船長を務めました。
私たちが宇宙で暮らす時何が起きるのか。
手治虫は27年も前に中学生たちに語っていました。
「宇宙から生命を考える」。
その発想に衝撃を受けた人がいます。
(取材者)あっこんにちは。
晩年の手と交流のあった哲学者の梅原猛さんです。
宇宙から生命を見つめる目。
手治虫は生命とどう向き合ってきたのでしょうか。
昭和3年大阪で生まれた手治虫。
4歳の時この宝市の家に越してきました。
弟の浩さん84歳です。
父親は会社員。
写真が趣味で漫画も大好き。
母親は治虫や浩さんたちによく本や漫画を読み聞かせてくれました。
父親が撮影した8ミリフィルムにきょうだいたちの姿が残されています。
庭で虫を追うきょうだい。
バッタを捕まえたのは兄の治虫でした。
落語や漫画など幅広い趣味を持つ父。
音楽が好きでピアノを弾いていた母。
自由な気風の家庭で育ちます。
自宅のすぐ裏。
治虫が毎日のように通った森が今も僅かに残っています。
きょうだいはこの森で日が暮れるまで走り回って遊びました。
この森は治虫にとって命と向き合い空想を巡らせる小さな宇宙でした。
虫を追い野山を駆け巡った治虫少年。
採集した昆虫を一つ一つ絵に描き図鑑を作ります。
このころ好きだった甲虫のオサムシからペンネームを付けました。
大阪の旧制北野中学校で同級生だった林久男さんです。
手と林さんは昆虫研究会を作りました。
近隣の山に出かけ珍しい昆虫を採集すると標本にしました。
やっぱしあの…宝の遊園地で遊ぶ治虫たちの姿が残っています。
宝は当時大阪と阪急電車で結ばれ遊園地や温泉施設が造られていました。
大劇場では毎日歌劇が上演され治虫は母に連れられて何度も通いました。
豊かな自然とモダンな文化。
2つの世界を行き来しながら育ったのです。
10歳の時に描いた…既に自分でストーリーも組み立てています。
絵を描き虫を追い歌劇を見る。
そんな平和な暮らしも長くは続きませんでした。
(爆撃音)「断じて撃滅せよアメリカイギリス」。
国民は戦争へ総動員されてゆきます。
昭和17年北野中学校の生徒会が出した文集です。
勇ましい文章が並ぶ中手が書いたのは「蟻の貯水場」。
家の庭で蟻を観察した記録です。
「或者は速く或者は落着きて2匹が出会うと互に意見を述べて居るように首や觸角を動かす。
僕には何か地中の秘密を語って居るように見えた」。
戦時中も手には小さな命を見つめる目がありました。
「一機でも多くの飛行機を前線へ」。
昭和18年学徒勤労動員が始まり中学生も軍需工場などへ駆り出されました。
中学3年の時手も大阪の工場へ動員されます。
手と同じ工場で働いた人がいます。
北野中学校の同級生金津博直さん86歳です。
工場は淀川の川べりにありました。
飛行機の格納庫に使う壁材を作る工場。
昼休みになると将校がやって来て銃剣術などの軍事教練が行われました。
手はしばしば軍事教練を抜け出し物陰に隠れて漫画を描いていました。
(走る音)
(たたく音)
(殴る音)昭和20年大阪は激しい空襲に襲われます。
断続的に繰り返された空襲。
(爆撃音)6月7日。
手たちが働いていた工場の一帯をB29が襲います。
(爆撃音と空襲警報)
(爆弾投下音)
(空襲警報)手は燃える町の中を逃げ惑いました。
空襲の翌月手は軍医を養成するためにつくられた大阪大学の医学専門部に進学します。
(玉音放送)「然れども朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の爲に太平を開かんと欲す」。
まだ焼け跡が広がる昭和21年の大阪。
手はある人物を訪ねます。
大坂さんは昭和21年5月月刊漫画雑誌「まんがマン」を創刊しました。
読者にも投稿を呼びかける雑誌でした。
「『敗戦』によって再びハナヤカなる漫画時代がやって来た」。
「全国の諸君。
立派な漫画を創生しよう」。
手は戦時中に描きためていた作品を自分で製本し持参していました。
映画のようにアングルやサイズを変えて描いています。
大坂さんの紹介で手治虫は長編漫画「新宝島」を出しました。
昭和22年1月手18歳の時でした。
少年の宝探しの冒険がスピード感のあるコマ割りで描かれています。
「新宝島」は全国でおよそ40万部が売れたといわれています。
「新宝島」の大ヒットは大阪を中心に赤本ブームを巻き起こしました。
「赤本」とは主に駄菓子屋や夜店で売られていた漫画本です。
子供のおもちゃと見られていたためGHQによる検閲もなく自由な表現で人気を集めていました。
手は赤本を描く漫画家と医学生の二足のわらじを履く事になります。
大学では外科を専攻し臨床の現場で患者と向き合う事もありました。
また最新の顕微鏡を使って生殖細胞を観察し命が宿る過程を見つめました。
売れっ子の手は講義中に漫画を描く事もありました。
漫画家として生きる事を決めた手。
30冊を超える赤本を描きました。
ジャンルは多岐にわたり秘境探検や西部劇更に「ファウスト」など文学ものも描いています。
代表作といわれるのがSF3部作です。
その一つ「メトロポリス」の舞台は近未来の都市。
人工細胞を開発しついに人間をつくり出す科学者たち。
生まれた人造人間に「ミッチイ」と名付けます。
自分が人造人間だと知りミッチイは自暴自棄になります。
人間の奴隷にされたロボットに呼びかけ反乱を起こします。
少年時代まだ焼け跡の残る東京で手の赤本に夢中になったという人がいます。
巖谷さんは後に手と対談をした時印象的な言葉を聞いたといいます。
「メトロポリス」のラストシーン。
人造人間ミッチイが溶け始めます。
その後も手は科学技術がもたらす悲劇を何度も描いてゆきます。
昭和25年東京の雑誌から声がかかり手は連載を始めます。
当時手を担当した編集者福元一義さんです。
漫画っていうと笑いが主体でしかも要するにドタバタ漫画みたいなのが多かったんですよ。
そんな中で先生の場合にはストーリー性を持って比較的要するにまあ何ていうんですかね。
物語性の強い漫画を描いて笑いだけが要するに主体じゃない。
そういうような漫画だったですね。
涙の悲劇っていうんですかねエレジーを取り込んできた。
それが全く考えられないような要するに変化ですよね。
福元さんたちが注目した「ジャングル大帝」。
手が初めて取り組んだ長編漫画の連載です。
物語はレオの父親パンジャの死で始まります。
(罠の音)
(銃声)
(汽笛)母親とレオは捕らえられ動物園に売られていきます。
小さなレオがアフリカのジャングルを目指します。
(海に飛び込む音)「ジャングル大帝」が評判を呼び東京の雑誌から連載の依頼が殺到。
手は東京に居を移します。
昭和27年23歳の時でした。
翌年手は豊島区椎名町のトキワ荘で暮らし始めました。
既に9本の連載を抱えていた手。
「ジャングル大帝」をはじめ「鉄腕アトム」「リボンの騎士」「火の鳥」などをこのトキワ荘の四畳半の部屋で描きました。
やがて手に憧れ漫画家を目指す若者たちが全国からこのアパートへやって来るようになります。
トキワ荘はおよそ30年前に解体されました。
その跡地のそばに造られたトキワ荘通りお休み処です。
(水野)懐かしいですね。
(取材者)水野さんどちらにいらっしゃいますか?
(水野)真正面です。
恥ずかしいですね。
学生時代の写真ですね。
トキワ荘で暮らした漫画家の中でただ一人の女性水野英子さんです。
(取材者)じゃトキワ荘に住まわれた時は…?まあこんなようなものです。
ここにはトキワ荘の部屋が再現されています。
アッハッハッ。
食卓。
ハッハッハッハッ。
トキワ荘に集まった仲間たち。
みんな少年時代に手の作品を読んで漫画家を夢みた若者たちです。
確かね19歳の時だったと思う。
僕と石ノ森とね当時石森だよ。
2人でね手先生の家をねお訪ねした事があるんです。
そこへ行った時にね手先生と初めて会ったの。
「やあどうもどうもよく来たな」とか言って。
あの時僕はね手治虫が日本語しゃべるっていうのでびっくりしたのね。
というのは漫画読んでたら漫画の中にセリフが出てくるわけね。
ところが僕は漫画の神様だと思ってたわけですよね。
だからねどうしてね日本語知ってるんだろうっていうね変なね驚いたな変に。
それで先生にね「君漫画家になりたいのかい?」と言われましてね。
「はいできる事なら」と言ったんですよね。
そしたら「ああそうか。
じゃあね君は一流の本を読んでね一流の映画を見て一流の音楽を聴け。
そして一流のお芝居も見て何でも一流を目指せ」という事を言われたんですね。
その当時言われてもね僕にとってね漫画と音楽どう関係あるんだとかね芝居とどういうふうに関係あるんだろうとかねそういうふうに思ってたんですけどね。
まあ先生のおっしゃるとおり僕と石ノ森はねそれを守って当時クラシックからジャズから映画から何でも見まくりましたよ。
当時手が福岡で仕事をした時アシスタントを務めた青年たちがいました。
その一人が松本零士さんです。
手との交流は生涯にわたって続きました。
偉大な先輩がいれば次に出てくる者にとってはそれが偉大…あのハードルになるわけですよ。
違う世界を構築しなきゃいけないわけですよね。
ですから偉大な先輩はそれはありがたい存在なんです。
しかし次に出ていく者にとっては同じ世界に入るためには普通の学問と違うんですよ。
学べばいいという事と違う。
創作です。
あのいわゆる独自の世界を構築しなきゃいけないんです。
そういう偉大な先輩は偉大な逆にいうと城壁にもなるんです。
しかし敬意を払う事についてはもう人後に落ちないです。
ものすごい人だったとすごい能力を持った人だったというね。
それは非常に私はその出会いに感謝しております。
編集者の丸山昭さん84歳。
「リボンの騎士」を担当した昭和29年手は新しいアパートに越していました。
丸山さんが担当し始めた頃各社が手を奪い合い旅館に閉じ込めて原稿を描かせる「缶詰」が横行していました。
丸山さんはアパートを訪ねても手に会う事さえできない日々が続きます。
(取材者)ここに隠れて待つわけですか?こっちで。
4年間手を担当した丸山さん。
原稿を取る事はいつも難しく神経をすり減らす日々が続きました。
中学生の時手作品を読んで漫画家を志したという萩尾望都さん。
深く心に残るのが「ジャングル大帝」だといいます。
手先生の作品には何ていうかな…。
あの…「わあよかったね。
これで丸く収まりました。
パチパチ」っていうのが「ジャングル大帝」もそうだけどあんまりなくって。
ただ単に読者を泣かせたいからそうしてるっていうよりはいろんな意味があって必然的にその結末を引き出している。
「ジャングル大帝」の結末です。
レオは動物を守ってくれる老人ヒゲオヤジと雪山で遭難します。
レオはためらうヒゲオヤジに飛びかかり自分を殺すようにしむけたのです。
レオは犠牲となりヒゲオヤジを救いました。
下山したヒゲオヤジはレオの息子ルネと出会います。
ルネは父親の毛皮に頬ずりをします。
ジャングルへ帰るヒゲオヤジとルネ。
行く手に現れた雲はレオそっくりの姿をしていました。
これはなんかやっぱり…それからその死も避けては通れない課題になる。
それで物語を作る人の強さっていうのはこういうとこですよね。
残酷にレオを殺してしまいますけれどレオの命を絶ってしまいますけれどそれを乗り越えてその命はまたどこへ行くのかっていうのを私たちに訴えかけてくれる。
まあなかなか生きる事は難しい。
それでもそれでもそれでも死んでもアンハッピーエンドだとはいえそれは悲しい事じゃないっていう気持ちがどっかに残りますね。
親子3代の物語「ジャングル大帝」。
漫画で成功を収めた手にはもう一つの夢がありました。
それはアニメーションでした。
(飛行音)・「おやおや立派な人が出た」・「人が出た」・「こりゃ不思議じゃな不思議じゃな」昭和34年手がアニメの世界に踏み込むきっかけをつくった人がいます。
東映動画の演出部にいた白川大作さんです。
手が描いた「ぼくの孫悟空」。
白川さんはこれを原作にアニメーション映画を作りたいと手のもとを訪ねました。
昭和35年に公開された「西遊記」。
孫悟空が三蔵法師について天竺に出発します。
見送る恋人のリンリン。
冒険を重ねて孫悟空は無事三蔵法師を天竺に送り届けます。
映画のエンディングについて手がある提案をした時白川さんとの間で激しい議論になりました。
ただ私の方としてはこれはとにかく…映画のラストシーン。
成長して帰ってきた孫悟空。
(リンリン)悟空…。
悟空!リンリン!もうどこへも行かないわね?
(孫悟空)行くもんか。
もう決して離れないよ。
だからさあ元気になるんだ。
なるわ。
きっと元気になるわ。
手の提案は採用されず映画はハッピーエンドで終わります。
映画「西遊記」が公開された昭和35年当時日本は高度経済成長のただ中にありました。
テレビの受信契約は500万件に迫り多くの家庭で茶の間にテレビが登場します。
手は自分の思いを貫くアニメーション作りを諦めませんでした。
昭和36年32歳の時後の虫プロを設立します。
手の漫画「鉄腕アトム」を原作にして日本で初めての長編テレビアニメシリーズを作る事になります。
アニメーション映画なら数百人が何か月もかけて作ります。
しかし虫プロのスタッフは最初38人でした。
毎週オンエアされるので1週間に1本ずつ作ってかなきゃいけない。
局へ送り込まなきゃいけないというのは誰もが「誰もできない。
これできませんよ」。
ところが手さんがひと言で「いやこれできる」。
このリミテッドアニメーションという形をとろうと。
じゃあ具体的にリミテッドアニメーションってどういうものですかというとまあなるべく枚数を使わないでいかに動いたように見せるかというある意味では絵のサボタージュ。
そういう事をしましょうといって具体的に描いてくわけですよね。
フルアニメーションは1秒の動きを24枚の絵で表現します。
リミテッドアニメーションは8枚。
動きの滑らかさは犠牲になりますが絵は1/3で済みます。
・「空をこえて」昭和38年1月1日…リミテッドアニメーションとはいえ毎週20数分の作品を作るのは大変な作業でした。
スタッフは徹夜が続きましたが手は妥協しませんでした。
手は更に簡略化したアニメ作りの方法を模索しました。
顔アトムの顔があったとするじゃないですか。
それで何かしゃべったとするとフルアニメーションの場合は全部がこう動いて口も動くわけですよ。
それだけ結局枚数を使ってくわけですよね。
テレビアニメでリミテッドの場合は顔は止めの1枚でいいと。
1枚でいいから口だけをパクパクパクパクセリフを合わせて下さい。
極端な事言うとこれだけでもう全然枚数は少なくなるというのが手さんの一つの指針だったんですよね。
更に手間を省くため一度作ったアトムの動きをストックしておき背景を替えて再利用するバンクシステムを考案。
絵を少しずつずらしながら撮影し動きを表現します。
背景が動いているため止まったアトムが飛んでいるように見えます。
何かもう少し23分なりのなんか映画的なっていいますかリズミカルなそのテレビのテンポに合った何か方法はないかなというのが自分の中に常にありましてね。
お茶の水博士。
限られた条件の中で工夫を凝らします。
漫画では表現できない立体的な空間を生み出してゆきます。
あっこの方向をもっとこれから煮詰めていけばフルアニメーションとは全く違ったジャンルとして確立するんじゃないかなって僕はある程度自信は持ちましたよね。
雑誌の編集で手と長く交流した鈴木敏夫さん。
後に高畑勲や宮駿の作品をプロデュースした鈴木さんは手のアニメをどう見ていたのでしょうか。
「鉄腕アトム」ねぇ毎週作んなきゃいけない。
そうするとその時に手さん自身がねこうすればね作る事ができるっていろいろお考えになった事が随分ねその後のアニメーション界を支配したじゃないすか。
そうするとまあ何ていうのかなやっぱり漫画に比較するとその手さんの考えたね「鉄腕アトム」はまあ何ていうんだろ中身はともかくストーリーはねあのいわゆるアニメーションとしての面白さはやっぱり手抜きが多かった。
そうするとそれをちゃんとしたものにしようとしたのが高畑勲そして宮駿の仕事ですよねぇ。
そんなふうに思ってますけどね。
アニメっていうものはフライシャーとディズニーあるいはウォルター・ランツあるいはその他の人たちアメリカの人たちがもうとにかくお金と人材と時間というものをかけなければアニメは出来ないんだというね一つのスペシャリズムみたいなものをつくってしまってそれがそのアニメの本質だというふうに誤解されてしまって。
「鉄腕アトム」は40%を超える高視聴率を記録。
後を追ってアニメ番組が量産されてゆきます。
放送開始から1年半がたち手が描いた原作は底をついてしまいました。
テレビ用の脚本を用意しなければなりません。
この時脚本家として招かれたのが当時新進のSF作家だった豊田有恒さん。
アトムの描き方について手から細かい指示を受けました。
例えばアクションなんかでも私は割にやっぱり段取りでどんどんアイデアストーリーでそっちへ向けて盛り上げてこうと思いますからアクションなんかで入ってしまうと。
そうすると手先生そこを大体駄目が出ますね。
つまり…だからそういう事でですねいきなりアクションには入らないと。
だからつまり相手をたたきのめしたとしてもそれはやっぱり自分の中で忸怩たるものがあって悩むわけですね。
だからそういうところをちゃんと出るように描いてくれっていうわけですね。
手にとってのアトム。
それはテレビの放送より12年も前から描いていたものでした。
(衝突音)愛する息子トビオを亡くした天才科学者天馬博士はトビオにそっくりなロボットを作ります。
それがアトムでした。
しかしアトムの体は人間の子供のようには成長しません。
(たたく音)アトムはサーカスに売られ見世物にされました。
そんなアトムを引き取ったのがお茶の水博士。
しかしアトムは人間社会に溶け込めません。
アトムはもともと単純なヒーローではなかったのです。
豊田さんは手の意向に沿って脚本を書きました。
海底都市をつくろうとする人間に対してそこに住むイルカ族が抵抗します。
君たちは何者だ!?なぜ海底都市を襲うんだ!?言い分があるんなら聞こうじゃないか!人間は地球上で一番偉いのでありますからして海底だろうと地底だろうと絶対に人間のものであります。
(拍手と歓声)これから我々は人間に対して総攻撃を始めるところだ。
君も一緒に行こう。
そして人間を地球から追い出してしまおうではないか。
ええっ!?ちょっと待って下さい!しかたがない。
ものども!人間とイルカ族の板挟みになって悩むアトム。
すぐには攻撃しません。
しかし放送を重ねるにつれてアトムは単純なヒーローになってゆきます。
テレビでですねやっぱり勧善懲悪ものははやるっていうのはですね視聴者の問題があると思いますねやっぱりね。
正義の味方が活躍すれば安心して教育的なものだろうと思い込んでしまうそのレベルがあるんですね。
だから手さんそこのところには絶対迎合したくなかった。
だから単純明快ななんか安手の正義みたいなものを売り物にしてそれで育ったらろくなものにならないという事もあったんじゃないでしょうかね。
そこまで考えてらっしゃったと。
「鉄腕アトム」の放送が始まって4年になろうとした時手は一つの決断を下します。
テレビの中のアトムを殺す事にしたのです。
最終回。
地球を救うためアトムは太陽に突入します。
(アトム)あっ地球だ。
地球はきれいだなぁ。
当時葛藤に苦しむ手の姿をそばで見ていたのが長男の眞さんでした。
自分の作品じゃないものが独り歩きしていってそこに今度評判が集まってくるとそうするとそれを見て喜んだ人たちは父親に向かって「見ましたよ。
あれはよかったですね」って言うんですね。
そうすると父親は内心心の中では自分はあれはいいと思ってないと思ったとしても周りが「いいですね」って言うと「ああそうですか。
ありがとうございます」って言わざるをえないっていう。
そのなんか矛盾した心理ってのを抱えるんですけどそれが多分半端なく大きかったと思うんですよ。
大評判になって視聴率何十%とかっていってみんなが喜んで社会現象になっちゃったんだけどもでも心の底では全部自分が考えたように思ったように別に出来てるわけじゃないんだっていう。
原作の中にはたまには非常に痛烈に批判している時代や文化や科学というものに対する批判もあったんですけどそれはあんまりアニメには表現してなかったかもしれないですね。
そうするとやっぱそこに対するわだかまりというのはちょっとあったかもしれないですね。
ほんとの「鉄腕アトム」の作品はもっと違う事を言おうとしてたんだよっていう。
「鉄腕アトム」のヒットを受けて虫プロのスタッフは500人にまで膨らみます。
しかしアニメ制作会社が増え競争が激化。
虫プロの制作本数は減りました。
手は漫画の連載を抱え虫プロの立て直しに専念する事ができませんでした。
虫プロは設立から12年後の昭和48年倒産してしまいます。
「手は終わった」と言われ人生最大の危機を迎えます。
漫画の世界でも「ゴルゴ13」や「あしたのジョー」など劇画が台頭。
新しい才能が手を追い詰めます。
そのころ手のチーフアシスタントを務めていたのがかつて手担当の編集者だった福元一義さんです。
劇画っていうのが大阪の方から「ゴルゴ13」みたいなねああいうリアルな絵で。
とにかく先生のあの丸まっちい絵じゃなくって。
結局まあ若い連中がみんなそちらの方へ飛びついたんですね。
要するにちょっと時代遅れだなというふうな見方が多かったんですよ。
とにかく追い詰められていたというか。
だからもう気持ちの上ではほんとにあの…どうしようもない気持ちだったんじゃないですかね。
追い詰められた手に手を差し伸べる雑誌がありました。
当時の編集長だった方がですねまあよっぽど手先生に魅せられていたというかこういう時だからこそ手先生はまたいいのを描くに違いないと。
それでも会社の中ではそういう圧力もあったかと思います。
周りがみんな追いつけ追い越せの中で新人の人たちがねこうヒット作を描いてく中でなぜ手さんにこだわるのかっていうそういうのもあったんじゃないのかなと思いますけど。
それでそれでもまだ次は絶対ヒット作が来るかもしれない。
こうして昭和48年に始まったのが「ブラック・ジャック」です。
主人公は天才的な外科医ブラック・ジャック。
彼は神業ともいえるテクニックで患者の命を救います。
しかし医師の免許は持たず法外な治療費を請求します。
冷徹な顔を持つ半面命を救う事が本当に患者のためになるのかしばしば悩むのもブラック・ジャックです。
キャラクター設定する時に医者天才外科医が主人公なんだと言った時にああもうヒューマンドラマですね。
でも先生は絶対そういう単純な事をねしない。
ブラック・ジャックそのものも実は自分の中で分かんないんじゃないのかなと。
関わるべきなのか関わっちゃいけないのかほっとくべきなのか。
自分の中で俺は何をしてるのか。
正義の事をやってるのかな。
正しい事をやってるのかなと…「ブラック・ジャック」は読者の支持を受け数回の予定が10年続く連載となりました。
手は再び漫画界の第一線に復活しました。
手が描く人物は多くがブラック・ジャックのように正義と悪聖と邪の両面を併せ持っています。
僕は根っこはねやっぱり人間嫌いじゃないかな。
ものすごく人間を愛してるみたいな作品が多いんだけどもどっかで人間を信用してないんじゃないかなというね気がするんだよね。
そういう側面があって初めてね光の部分というか手漫画の陽の部分が光ってくるんでね。
やっぱり影にチラッチラッと影の部分というかな光があれば影があるわけで作品の影の部分見るとそれがかなりありますよ。
だから僕はそういうとこも好きなんですけどね当然ね。
昭和57年。
手と対談をしたのがフランス文学者の巖谷國士さんです。
対談の中で手は「勧善懲悪の話は描かない」と明言しました。
善悪っていうふうに二元的にものを捉えると。
そうすると善と悪の間にまるでね境界線があるような。
境界があるように思うわけです。
あるいは壁がね。
でもそれは人間が勝手につくるものであって…一方的な正義ってのは絶対ありえないのに正義というものを振りかざして戦争もできるわけですよね。
そういう事への疑いってのは非常に強かったと思いますね。
それは善と悪正義と不正義という事だけじゃないね。
手治虫の漫画で僕ら子供の時に感じてた事は例えば人間と動物。
あるいは人間と植物。
あるいは時には人間と鉱物の間にも境界がないっていう感覚。
例えば「ロストワールド」って漫画では植物人間アヤメとモミジっていうのが出てくる。
それから人間の脳を改造してウサギにしてしまうと。
そういうような事ってのが手治虫の世界ではしょっちゅう起こっていて人間界と自然界というのが間に境界がない。
そういう感じがする。
感性があえて言えばそれが思想になってるって事でしょうね。
手が34年にわたって描き続けたライフワーク「火の鳥」。
永遠に生き続ける「火の鳥」は遠い過去から未来まで人間が争い悩み残酷な運命に翻弄される姿を見つめ続けます。
第1作「黎明編」。
舞台は3世紀の日本。
女王・卑弥呼が邪馬台国を治めています。
火の鳥の生き血を飲めば永遠の命が手に入るといいます。
しかし火の鳥は不死身です。
捕らえる事はできません。
火の鳥は永遠に生き空の上から地上の生き物たちを見つめ続けます。
不老不死の願いはかなわず卑弥呼は死んでしまいます。
(倒れる音)永遠の命をテーマにした「火の鳥」。
この作品を描くきっかけは敗戦直後の医学生時代の体験にあったといいます。
「火の鳥未来編」では核戦争で全ての生物が滅んでしまったあとの世界が描かれます。
もう一度細胞の誕生から生命の進化が始まります。
恐竜が絶滅したあと繁栄するのは哺乳類ではなくナメクジです。
ナメクジはどんどん頭脳を発達させます。
そして文明を築きますが争いを繰り返し絶滅してしまいます。
そのあと哺乳類が登場しヒトが生まれます。
晩年の手と手紙を交わし交流を続けた哲学者の梅原猛さん。
今「火の鳥」を読み返しています。
そういうようなものだというふうに思いますね。
どうしてかというと……というふうに私はこのごろつくづく思うな。
昭和63年手は胃がんを患い入退院を繰り返します。
あの入院してると言われたんでその次の年かな「じゃあ病院でもお仕事ですか?」って。
あの方はタクシーの中でも原稿を描くので有名だった人ですよ。
電車の中汽車の中至る所で。
だから「病院でもお仕事ですか?」って言ったら「何にもやっとらん。
何にもしてないよ」と言われた時にですねこれは本当の一大事なんだと思ったんですよ。
「どうぞお大事に」って言おうと思ったんだけど声が出なかったんですね私ね。
その瞬間ね。
あまりのショックで。
それが永遠のお別れです。
ええ。
手の最期に立ち会ったのは長年マネージャーを務めた松谷孝征さんです。
「頼むから仕事させてくれ」って起き上がろうとするんですよ必死になって。
奥さんが「もういいんだからもういいんだから」って一生懸命押さえつけて。
押さえつけてって押さえつけなくても立ち上がれなかっただろうけれども。
そんなくらい最後の最後まで仕事に対する執念っていうのを持ってましたね。
…っていうのが僕が聞いた一番最後のセリフです。
平成元年2月9日手治虫はこの世を去りました。
生涯にわたって15万枚を超える漫画を描き続けた手治虫。
私たちに何を残したのでしょうか。
こういう難しい…そういうものは難しく描こうと思えばいくらでも難しく描けますけどそれを非常に分かりやすく読みやすく描いて下さった。
ちゃんとドラマにして読者を作品の中にいざなって読み終わったあと自分で…。
あっこれは勝手に自分が考えてるんですけど考えられるように描いて下さったと思います。
突然現れるんですねそういう人って。
戦後に現れてその器の中にはありとあらゆるものが入ってるわけです。
手治虫という巨大な器から何かを得た人がたくさんいるんじゃないかなと。
何を取ってくるかっていうのはみんな違うと思います。
手漫画ってのはコスモポリタニズムなんですね。
それからファンタジーがありそれからユーモアがありそれからストーリー性がありアイデアがあり奇想天外さがありもうありとあらゆる要素を持ってるわけです。
それで手さんそれがですね全世界に通じるわけですよ。
だからクールジャパンの基になる日本のお家芸みたいなものは手治虫がつくったわけです。
毎年2回東京で開かれおよそ60万人が集まるコミックマーケット。
世界中からファンがやって来ます。
戦後手が土台を築いた日本の漫画やアニメが世界の注目を集めているのです。
ここに手の影響を強く受けたコミック作家がいます。
最も愛読したのは「Phoenix」「火の鳥」です。
ウェンディさんは10歳の時映画「西遊記」を見て手のファンになりました。
1980年アメリカを訪れた手に会いその事を話すと手は満面の笑みを浮かべたといいます。
手さんから学んだ事は「登場人物が考える」という事です。
手作品にはアメリカのアクション漫画と違って人が考える静かな瞬間があるのです。
手さんは「漫画の神様」と呼ばれていますが同時にとても残忍な神でもあります。
登場人物に過酷な試練を与えるのです。
そこも大きな魅力です。
そうやって手さんは人はどうあるべきかを常に登場人物に考えさせます。
暴力に立ち向かったりあるいは死に直面したりする試練を与え考えさせるのです。
避けられない運命にどう対処するべきか作品を通して私たちにも考えさせるのです。
手の漫画はこれまでに200を超える作品が14か国語に翻訳されています。
ウェンディさんが36年描き続けている作品「エルフクエスト」。
宇宙を舞台に世代交代を繰り返す生命の物語です。
アメリカのコミックで初めて日本の漫画やアニメの影響を受けた作品といわれています。
私が「火の鳥」から受け取る最も重要なメッセージは…これはとても大きなメッセージです。
もっと多くの人が手さんのこのメッセージを知れば世界を変えてしまうくらいの影響力を持つでしょう。
2015/02/07(土) 00:00〜01:30
NHKEテレ1大阪
戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第8回[字][再]

漫画の神様、手塚治虫。膨大な物語、独特の生命観はどのようにして生まれたのか。松本零士さん、萩尾望都さん、鈴木敏夫さん、哲学者の梅原猛さんらの証言で探っていく。

詳細情報
番組内容
漫画の神様、手塚治虫。得意としたのは長編のストーリー漫画。手塚は、生命の尊さや科学技術への疑問など、深くて重いテーマを表現するジャンルにまで漫画を高めようとした。膨大な物語、独特の生命観はどのようにして生まれたのか。「鉄腕アトム」に代表される日本のアニメ誕生の影に何があったのか。松本零士さん、萩尾望都さん、鈴木敏夫さん、りんたろうさん、哲学者の梅原猛さんらの証言で宇宙的スケールの思想を探っていく。
出演者
【語り】加賀美幸子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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