「ゆうどき」金曜日のキャスター田丸麻紀さん。
大阪の町を歩いていると気になることがあります。
中でも、特に気になるのはヒョウ柄です。
こちらの方もヒョウ柄。
ここにもヒョウ柄。
ヒョウ柄を身につけている女性よく見かけます。
なぜ大阪はヒョウ柄が好きな女性が多いんでしょうか。
その秘密を探っていくと意外な事実が分かりました。
さらに、大阪出身の世界的なファッションデザイナーのこの方も。
「田丸麻紀の関西の魅力再発見!」大阪・ヒョウ柄ファッションの謎に迫ります。
生字幕放送でお伝えしますこんばんは。
「ゆうどき」です。
きょうは、国会のため「ゆうどき」はこの時間からスタートです、田丸さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
きょうはヒョウ柄です。
大阪とヒョウ柄の関係、私も興味があります。
皆さんもヒョウ柄についてのメッセージ、お寄せください。
皆さんのヒョウ柄を着られますか。
田丸さんは?私は結構ヒョウ柄が好きで東京でも着るんですが東京で着ると関西のイメージが強いようで好きよね、関西出身だから?というふうに話がなりがちです。
何でしょうね、グルーピングされる感じ関西人というね。
東京と大阪を行き来しているとファッションの違いも感じるじゃないですか?東京はいろんな地方の方が集まって作っている文化もありますが比較的シンプルだなというのが私の印象です。
シンプルでおしゃれです。
関西は個性が動いているというようなヒョウ柄のものを持っている方が多いなと思います。
そこにどんな秘密があるのか。
派手で個性的な大阪のファッションの謎に迫っていきたいと思うんですがまずは大阪の女性はなぜヒョウ柄が好きなのか、その謎を解く鍵になるこの方々にお会いしてきました。
全身ヒョウ柄のこちらの皆さん。
大阪で活動している熟女のアイドルグループオバチャーンのメンバーです。
平均年齢は63歳。
ステージだけでなくふだん着もヒョウ柄。
まさにヒョウ柄のエキスパートです。
わあ。
目がちかちかするぐらいヒョウがいっぱいいるんですけども。
黄色いヒョウと黒いヒョウとブルーのヒョウ。
もうこの時点でヒョウ3匹。
いったいどこでこのヒョウ柄の服を手に入れるのか。
行きつけの店に案内していただきました。
ここですねん。
こちら、すごい!ほんまや、いきなりヒョウ柄が。
店内は、ヒョウ柄だらけ。
きらきらのヒョウ。
小物もたくさんあります。
ヒョウ柄を見るとオバチャーンたちのテンションが急に上がりました。
オバチャーンがコーディネートしてくれましたよ。
こちらが店主の高橋真由美さん。
やはり全身ヒョウ柄です。
以前、アパレル関係のお仕事をしていたんですがヒョウ柄が大好きで5年前にこのお店を始めました。
ヒョウ柄のお洋服を着るこだわりって何ですか?高橋さんがヒョウ柄と出会ったのは19歳のころなんだそうです。
高橋さんが40年以上前に通っていたというファッションの学校を訪ねてみました。
それがこちら。
昭和16年に創設された大阪で最大の服飾専門学校です。
出迎えていただいたのはこの学校の卒業生で現在、顧問を務めている大江瑞子先生です。
もう早速、ヒョウ柄が。
そうなんですよね。
この学校の卒業生はヒョウ柄に特別な思いがあるんだそうです。
学校の創設者・上田安子さん。
上田さんは戦後の大阪を代表するデザイナーだったんですが実は、大阪にヒョウ柄を広げたデザイナーの1人でもあるんです。
昭和28年に上田さんはフランス・パリに渡ったんですがクリスチャン・ディオールの下で洋裁の勉強をしたのがヒョウ柄との出会いです。
当時、パリではディオールがデザインしたヒョウ柄が大流行していました。
エレガントで強い女性。
それがヒョウ柄のコンセプトでした。
影響を受けた上田さんは日本に帰ると、早速ヒョウ柄の服を作り始めました。
昭和42年の百貨店のパンフレットを見せていただきました。
上田さんが作った服です。
流行の最先端を取り入れたヒョウ柄ファッションは日本でも大きな反響を呼びました。
時代は多くの女性が社会進出を始めた高度経済成長期。
ヒョウ柄は多くの女性たちの憧れでした。
さらに、上田さんは教え子たちにもヒョウ柄のデザインを伝えていきました。
これは、かつて上田さんが卒業生たちに贈ったスカーフです。
社会に出てもエレガントで強い女性として頑張ってほしい、という思いが込められています。
そうですね。
こんにちは。
現役の生徒さんたちに話を聞いてみました。
やっぱりヒョウ柄の方が何人かいらっしゃいました。
どうですか?ヒョウ柄を着るときの気持ちといいますか。
ヒョウ柄は大阪のおばちゃんだけではなく世代を超えて受け継がれてきた大切な柄だったんです。
比留木⇒なるほどね。
あの大阪では大きな顔のヒョウの柄のセーターとか着ている人を見るとあんたそこどこで買ったん、っていうのがある種褒めことばなんですがあそこで買っていたんですね。
びっくりしました。
おばちゃんたちのパワーに圧倒されてヒョウ柄を着ている方、いろんな方に質問させていただいたんですが皆さんパワフルでした。
ヒョウ柄の元のイメージがエレガントで力強いというのはよく分かりましたけれどクリスチャン・ディオールもまさか3枚重ねにすることは当時ね想定してなかったと思います。
大阪ということでアレンジされたんですね。
3枚重ねも着る順番にこだわりがあるでしょう。
いちばんノーマルなものを最初に見せて黒いヒョウが出て、最後にいちばん派手な青いヒョウが出てきて大阪ならではのお笑いのセンスが出ていますね。
紹介した専門学校の生徒たちは現在3万人近くいます。
上田さんの思いが受け継がれてヒョウ柄が大阪に定着して浸透してるのもよく分かるなと思いました。
当時は、そう思っていなかったかもしれませんが、こんなにはやるとか、定着するんですね。
こんなに密接しているとは意外でした。
ヒョウ柄を着ているだけで大阪をイメージできるという感じがありますでしょう。
そういう柄ってほかにはない特別なものなんじゃないかなと。
東京で柄物はないですよね。
東京で色とかね。
大阪の街の文化だと思ったんですが取材先の方々も、皆さんヒョウ柄を着ている方もそのように思っていました。
私にとって新しい発見になりました。
きょうは田丸さんにヒョウ柄を着こなすテクニックを教えていただこうと思います。
実は田丸さんも足元が。
パンプスにヒョウ柄をはいてきました。
ヒョウキックが出ると思いますね。
ご覧いただきましょう。
3つのスタイルを用意していただきました。
ヒョウ柄がありますか?まだ、ヒョウ柄をいきなり着るには自信がないわ、挑戦したいわという方には着やすいようにコーディネートしました。
デニムの、破れている部分クラッシュと呼びます。
クラッシュ、破れている。
大阪のおばちゃんは破れたやつって言うけど。
指をつっこんでしまってビリビリになるやつです。
ヒョウ柄のスパッツをはいています。
そしてこの、クラッシュの部分からヒョウ柄を見せるというちょこっとヒョウ柄を見せるアレンジスタイルです。
トップスもシンプルなカラーでまとめてバッグと靴も同系色でまとめれば。
めくったら出てくるのとはえらい違うね。
こういう見せ方もあるかなと。
どうかしら、ヒョウ柄を一度着てみたいけど、いきなり全面は厳しいという方は、こういうことですね。
これだと防寒対策にもなります。
この時期寒いですからね。
続いてはパンツのほうに、ヒョウ柄がしっかり出るようなスタイルにしました。
上はやわらかい女性的な淡いカラーでクリーム色ですとか白い色。
ミルクティー色のような感じでまとめればとても上品にヒョウ柄を楽しめるかなと思いまして。
エレガントを取り戻すポイントがあるんですね。
ヒョウ柄の上にもう1つヒョウ柄を着たら大変なことになりますから。
着ぐるみのようになりますからね。
ずいぶん着やすくなるのではと思います。
色目もベージュとかホワイトとか。
顔うつりもよくなります。
白い色は上品で華やかに演出してくれます。
隣です。
白やグレー、茶色であったりとヒョウ柄は意外とよく合います。
優しいピンクを使ったタイプのヒョウ柄です。
ヒョウ柄のデザインです。
同系色のピンクが優しいスカートでまとめてあげると強くなりがちなヒョウ柄がとってもチャーミングに着られるかなと思いました。
見ようによってはまあまあ柄も大きいですしサファリパークのようになっていますけれども。
ここにスカートに黒い色を持ってくると強い色になりますけれどもピンクを着ますとデートにもいけるかなと思います。
最近アニマル柄など元の色ではなくてピンクにしたりパープルにしてるというのがありますよね。
ヒョウ柄ってこうやって考えるともともとフランスから日本に入ってきたわけだし日本中に定着してもおかしくないのに何で大阪だけで定着したのかそもそも派手好きだったということがあるんですか。
私も気になっていたんですよね大阪ファッションはなぜ派手なのかこの方にお話を伺いました。
大阪出身の世界的なデザイナーコシノ3姉妹の長女。
コシノヒロコさんです。
コシノさんが世界の舞台でデビューしたのは1978年、イタリア・ローマのコレクションでした。
このとき、成功して世界に認められたのは大阪出身だったことが大きいといいます。
世界的に見ても派手な大阪のファッションセンス。
その元を作ったのが、この方。
実は、豊臣秀吉といわれているんです。
天下人となり大阪城を築いた秀吉は城下にたくさんの商人を集めました。
その中心となった船場の町には秀吉の権勢を象徴するように派手でゴージャスなものが世界中から集められてきました。
そのあとも長く商人の町として栄えた大阪。
創業250年の呉服店を訪ねました。
ここに、かつて大阪商人が好んだファッションが残されています。
呉服店の12代目白井禎一さんに江戸時代に流行した着物を見せていただきました。
水色の生地に紅白の梅の花。
さらに松皮菱と呼ばれる幾何学模様。
こうした大胆な柄は江戸の町ではあまり見られなかったといいます。
さらに、こちら。
着物の下に着る長じゅばん。
いわゆる下着なんですが。
すごい、鮮やか!そして、着付けも大阪は独特です。
服の上からなんですが、簡単に着付けをしていただきました。
じゃーん。
着付けていただきました。
いちばんの特徴は、すその部分。
前を半分折り返していたんです。
こうすると、じゅばんがちらっと見えるんです。
江戸の着付けと比べるとやっぱり大阪のほうが派手です。
さらに、当時の大阪の女性は髪形も派手だったんです。
大阪歴史博物館で服飾の歴史を研究している中野朋子さんです。
貴重な資料を見せていただきました。
江戸時代の大阪が描かれた「浪華勝概帖」です。
その中に商家の女性の姿があるんですが髪形に注目してみてください。
大阪の女性は独特の形をしているんです。
これは両輪といって結婚して、子どもがいる女性の髪形なんですが…江戸の女性と比べてみてください。
大阪は複雑で飾りも大きくて派手ですよね。
さらにバリエーションも豊富です。
こちらは江戸時代に大阪ではやっていた主な髪形です。
ここにあるものだけで22種類。
江戸の女性よりも多かったそうです。
どれを見ても個性的でかつ、華やかでにぎやかですよね。
それにしても、ぜいたく禁止令が出ていた江戸時代になぜ大阪は、こんなに派手なことができたんでしょうか。
わあ、すごい!見てください。
最後に秀吉がつくった船場の町を訪ねてみました。
高速道路の下に全長1kmもある船場センタービルがあります。
布地や服など、繊維関係の問屋が600軒近く並んでいます。
本当に全部、無地なものなんてかかってないんじゃないかなこのラック。
東京に、洋服を卸しているという問屋さんに大阪のお客さんとの違いを聞いてみました。
秀吉の時代から続く派手好みの伝統。
400年たっても変わっていません。
こちらの問屋さんは昭和50年代に作っていた生地のサンプル写真が残っていました。
どれも個性的な柄物ばかりです。
おしゃれですね。
個性的な柄物が次々と生み出されてきた大阪。
そういう風土の中からコシノ3姉妹のような世界的なデザイナーが生まれてきたんです。
比留木⇒ヒョウ柄が入ってきたときに、それを受け止める地盤が関西には秀吉の時代からあったんですね。
そうなんです。
秀吉の時代は富と権力の象徴。
江戸時代は商人たちの反骨精神。
おかみに言われたぐらいでかえるものかというね。
そして今は人と違ったものを着たいという個性を大切にする価値観時代によって、派手の意味が変わってきているなというところを感じました。
人と違うものを着たいというのは大阪の人はありますね。
お店に行ってもすすめ方が違います。
東京に行くと、これがはやっていますよ、売れていますよどうですかと勧められますが大阪だとこれしかないんです、1点ものなんです、誰も着ていませんよと勧められます。
そういう意味では違いますね。
船場のセンタービルで見つけた図柄ですけれど一つ一つがおしゃれというかね。
今見ても古い感じがしませんね。
関西の人が好きそうな柄ですよね。
僕が子どものころ、こういうものを着ている人がいっぱいいたよ。
近所のおばちゃん、こういうもののワンピースをみんな着ていた。
今、見てもおしゃれだし今、こういう服がかかっていたら誰も着ていないから欲しいよという人も出てくるでしょうね。
個性的といわれる大阪のファッションなんですが取材をさせていただいたコシノヒロコさんをはじめ、多くの人が大阪のファッションが、どんどん活気づけていけばいいなとおっしゃっていました。
どんどんヒョウ柄も関西以外にも広まってほしいんですけれどね。
まず大阪からですね。
元気な服を着てほしい。
「田丸麻紀の関西の魅力再発見!」きょうは大阪のヒョウ柄についてお伝えしました。
和歌山県の高野山。
弘法大師・空海が1200年前に修行の地として開き世界遺産にも登録されています。
気温2度の中での水行。
冷えた体を温めるおもてなし。
「行ってみたい!」厳冬の高野山にぬくもりを探します。
「行ってみたい!」和歌山放送局の八木菜月リポーターです。
八木⇒今回、私が訪ねたのは和歌山県の北部、弘法大師が修行の地として開いてから、ことしで1200年になります高野山です。
東にある奥之院では、今も弘法大師が修行を続けているとされていてこの周りには、20万を超えるお墓が集まっています。
高野山の1月の平均気温は氷点下なんです。
厳しい寒さの中、冬ならではの魅力を見つけに行きました。
急勾配のケーブルカーに揺られること5分。
高野山は、標高およそ900mの山の上にあります。
世俗を離れた修行の地として弘法大師はこの地を選んだといわれています。
金剛峯寺を中心にお寺の数が100を超える寺が集まります。
寒さ厳しい冬。
あえて、この地を訪れる人も数多くいます。
いいことあるかなって。
冬の高野山の魅力を知り尽くしている方に奥之院まで会いに行きました。
こんにちは。
出会ったのは、こちらの方。
写真家の永坂嘉光さん。
ふるさとの高野山を40年以上、撮影してきました。
永坂さんが撮っていたのは無縁塚です。
供養のため、積み上げられた石の塔や、お地蔵様たち。
永坂さんは、いったいどこに注目しているのでしょうか。
これは木が凍っているんですね。
冬の高野山、目を凝らすといろんな風景に出会えるんです。
奥之院を流れる川、玉川。
山から流れてくる神聖な水とされています。
その水を目指して集まる白装束の皆さん。
水行のためやって来た奈良のお寺の信徒さんたちです。
水に入る前に欠かせないことがあるといいます。
冷たいでしょう。
最年長の松本克代さんは、77歳。
水行を始めて25年になります。
孫の彩夏音さんも去年から加わりました。
この日の気温、なんと2度でした。
結構しっかり入るんですね。
腰まで入ってる。
家族の健康を願い水行を続けてきた克代さん。
その姿に、彩夏音さんは小さいころから憧れていたといいます。
冷水の中、祈ること15分。
ことしの水行が無事終わりました。
大丈夫ですか?はい。
次はあったかいお話ですよ!奥之院まで詣でる人が足を休める休憩所です。
その奥にあるのが、立派な茶釜。
ここで沸かされている温かいほうじ茶を、誰でも自由に飲むことができるんです。
このお茶を朝早くから沸かしている人がいます。
田中知恵子さん。
高野山のお寺で25年、働いてきました。
一日の最初の1杯を出す人はいつも決まっているんです。
それは、こちらの方。
お大師様こと、弘法大師の像です。
はるばる訪れる人たちの無事を願って毎朝お供えしています。
ありがたいお茶私も1杯、いただきました。
いただきます。
ああ、温かい。
すごい温まります。
冷えた体が心から温まりました。
早朝。
写真家の永坂さんが寒い朝にだけ見ることができる風景があると奥之院を案内してくれました。
水行場のすぐ近くにある水向地蔵です。
玉川の水をかけることで先祖の供養になると言い伝えられています。
永坂さんが注目したのがこちら。
この風景に、永坂さんは特別なものを感じているそうです。
すぐ凍るんですね。
きれいですね。
冬の高野山。
厳しい寒さの中にぬくもりを感じる旅でした。
お地蔵様の氷、きれいでしたね。
皆さんの思いが凍って形になってきらきらしていて美しかったです。
撮影の日の早朝は、特に寒くてかけられた水が目の前で凍るほどでした。
これには、40年近く高野山で撮影を続けている永坂さんも驚いていました。
気象情報をお伝えするときに、その日の最低気温を近畿各地でとお伝えするときに高野山は氷点下ですよ、ということがあるんですが、こういうことだと実感しました。
早朝に見にいこうと思うと泊まらなければいけませんね。
高野山にはお寺が100か所以上あります。
その半数近くが宿坊を営んでいます。
泊まることができます。
写経などの体験や、精進料理を食べることもできます。
八木さんも泊まったの?私は朝から行きました。
それから水行ね。
田丸さんが来年やりたいやりたいって。
VTRを見ているだけで体温が3、4度ぐらい下がったような気がします。
おばあちゃんに憧れて一緒にやりたいっていうお孫さんねすてきでしたね。
開創からちょうど1200年ということで、イベントはあるんですか?4月2日から50日間にわたってさまざまな行事が行われます。
ふだんは見ることのできない行事や秘仏の公開などが予定されています。
この機会にぜひ高野山に行ってみてください。
田丸さんは水行をしに行くんですよね。
和歌山放送局の八木リポーターでした。
きょうは中継が出ています。
春の息吹を感じるあの花が見頃を迎えているそうですよ。
中嶋さん!中嶋⇒ライトアップで美しく照らし出された日本庭園です。
私は滋賀県長浜市にある慶雲館にお邪魔しています。
明治に建てられた迎賓館なんです。
毎年1月10日からの2か月間にわたって梅の盆栽の展示会長浜盆梅展が開催されています。
期間中、屋敷内では見頃を迎えたおよそ90鉢の梅を楽しむことができます。
展示会の大きな特徴は、なんといっても盆栽の梅が大きくて古いこと。
中でもひときわ目を引くのが不老と呼ばれる梅です。
最も古く、樹齢400年と伝えられています。
ここまで古い盆栽は珍しいということです。
盆梅展は長浜市の盆栽愛好家の方が、戦後、人々が少しでも元気になればと長浜市に梅の盆栽を、寄贈したことから始まりました。
以来60年以上、新春の風物詩として親しまれ多くの方が訪れています。
あす2月7日からは開場時間が伸び美しくライトアップされてひときわきれいに見える梅を楽しむことができます。
来月10日までライトアップされています。
長浜盆梅展は来月10日まで行われているということです。
長浜市から中継でお伝えしました。
きれいですね。
あの不老というのは鉢の大きさから、完全に斜めにはみ出していましたね。
お花がいっぱいついていて迫力がありました。
梅の鉢、中には近所の人の庭に植わっていたものが植えられているということです。
盆栽に仕立てたものなんですね。
比留木⇒きょうはとらのすけもヒョウ柄で決めています。
田丸⇒顔の部分は虎なんですね。
そこだけはプライドを保っているんだ。
今どきの若者みたいでかっこいいですよ。
BIGBANGとかね。
一昔のダンス講師みたい。
最先端ですよ。
自分の顔はデフォルメされているのに、すごいリアルな顔の虎がついている。
皆さんからのメッセージです。
静岡県の20代の女性です。
田丸さんのファッションを参考にしています。
ヒョウ柄、私も着ます。
ヒョウ柄のパンツやかばんで出かけるときがあります。
パンチが効くので、トップスが地味でも映えるのですてきに着られるので好きです。
友達にはひかれますけれど静岡、まだヒョウ柄が定着してないんだね。
いずれ定着していくと思います。
香川県の方です。
私は現在27歳です。
小学生のころからヒョウ柄が大好きです。
今でもストールやバッグ小物でヒョウ柄を投入するファッションが好きです。
ヒョウ柄が最高と書いてあります。
川崎市の方、37歳の主婦の方大阪の女性はヒョウ柄がお好きなんですね。
私は身に付けませんし周りの女性も着ません。
大阪の元気さとパワフルさがヒョウ柄に合っていると思います。
神奈川県出身の八木さんはどうですか。
八木⇒ヒョウ柄はおしゃれな方が着るイメージがあって着るのに勇気がいります。
相模原市の70歳の方、ヒョウ柄が大好きで今でもよく着ていますということです。
きょうはなぜか、こういうテーマだからか、スタッフがヒョウ柄を着ていますね。
僕のジャンパーの柄が鶏だったんですよ。
月曜日の内容です。
町工場の2代目社長諏訪貴子さん。
専業主婦でしたが父の急死により突然、町工場の社長に。
経営難の会社を見事立て直した諏訪さんの素顔に迫ります。
岐阜県の山あいを走る明知鉄道。
じねんじょ列車などさまざまな企画を実施し鉄道ファンの人気を集めています。
その沿線をぶらりと旅してさまざまな日本一を探します。
2015/02/06(金) 17:15〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき 田丸麻紀・大阪ヒョウ柄ファッションの謎に迫る▽厳冬の高野山[字]
番組キャスターで女優の田丸麻紀さんが、“大阪のおばちゃん”のイメージが強い「ヒョウ柄ファッション」の秘密に迫る。▽厳冬の高野山の旅▽無理なく手軽に筋力アップ
詳細情報
番組内容
番組キャスターで女優の田丸麻紀さんが、関西の魅力を再発見する旅。今回のテーマは「大阪のファッション」。“ヒョウ柄のおばちゃん”に象徴されるように派手なイメージがある大阪のファッション。そのルーツを探ると、意外な事実にたどり着く。さらにファッションモデルでもある田丸さんが、ヒョウ柄のおしゃれな活用術を指南。▽厳冬の高野山の旅▽中継・日本一の梅の盆栽展▽無理なく手軽に筋力アップ“スロートレーニング”
出演者
【キャスター】女優…田丸麻紀,比留木剛史
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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