犯人の男は国道やJR名手駅などがある北方面に逃げたということで警察は、男の行方を追っています。
(黒柳)『徹子の部屋』…。
『徹子の部屋』でございます。
40年目に入りました最後の週…飾ってくださる最後のお客様はこの方です。
萩本欽一さんどうぞお入りください。
あ〜らら〜らら〜らら。
うわっ!欽ちゃん走りって懐かしゅうございますこと。
横着しないでもうちょっとやればよかったね。
ハハハッ。
はいお久しぶりでございます。
どうもごきげんようありがとうございます。
はいよろしくお願いします。
コント55号の時から大ファンでございました。
どうもおいでくだすってありがとうございました。
うれしいお言葉をいただいて。
10年ぶりでございまして7回目のご出演ということに…。
ですよねええ。
もう長いお付き合いで。
でもあれですね。
体形が…。
はい?全然体形がお若い時と変わってらっしゃらない。
あっそうですか?すごいうん。
若い人と同じ。
どこが?こういう胸とかおなかとかその辺全部。
あっそうですか?慌てておなか引っ込めたりなんかして。
でもすごくお若い感じで。
今日なんか40年目に入ったスペシャルウイークなんで色紙をお持ちいただいて…。
はいはい…書いてきました。
結構あれですよ徹子さんに書く言葉って難しいですよ。
そりゃ…。
私だってどなたかに書くの難しいと思いますよそういうの。
ですから色々考えて…。
見せて。
書いてきました。
見せて。
はい…はい。
おー!それ読んでいただいていいですか?「よんじゅう年」「でっかいなあ」すごい。
「無二無三」これあの…。
どういう意味なんですか?法華経のその中に出てたねこれは…何ていうんでしょうね?「2つでなく3つでなくただ一途に」とか「脇目も振らずに」という…。
そういう言葉があるんですか?いいですね。
脇目も振らずただ一途にずっとこの番組。
「おめでとうございます」と。
あらうれしい。
なんてうれしいんでしょう。
そんな意味が込められてる「無二無三」。
はい。
初めて聞きました。
ですからなるべくわからないようなのっていうんで探すのに3日かかりました。
申し訳ございません。
そんなお忙しくていらっしゃるのに。
すごい。
どうもありがとうございます。
でも字もお上手なんですね。
えーすごい。
ちょっとこんなのいただいちゃいました。
「無二無三」。
「無二無三」なんてすごくいいじゃないですか。
私も別にずっと知ってた言葉じゃないんですよ。
無理に引っ張り出してきた言葉ですからね。
いいですね。
今度色紙に書く時に「無二無三」と書かさせていただいていいですかね?あっもう…ええ。
よくほら「座右の銘は?」とか…。
ないんですよ私も。
何かないかなと思ってずっと探してたんですけどこの歳になって。
『徹子の部屋』40年ただ一途にやってまいりました。
無二無三で…。
本当にありがとうございました。
いやいやとんでもございません。
それでは失礼いたします。
いやいやいやいやいやいや。
なんか終わりそうな感じですよ。
いやいやいやいや。
これからお話をちょっと伺わなくちゃ。
萩本さんは私がコント55号が大好きだったこともあり『徹子の部屋』っていうのが40年前に始まったその年の19日目に出ていただいてるんですよ。
19日目ってね初日が森繁久彌さんだったり…。
そしたらねいきなりいらっしゃってね「下に座って話そうよ」って仰ってこんなことになっちゃったんですよ。
でねどうしてこういうふうに「下に座って話そうよ」って仰ったのかちょっと伺いたいんですけど。
あれ?ですから…何でしょうね?こういう…こういう座り方してるとですね自分が崩れないもんですから言葉もなかなか崩れないんですよね。
なるほど。
でそれが慣れないこの空気を自分の空気にしたくてつい「楽な形にしません?」ってあんなに失礼なことをやって…。
だからお茶の間をとても気にしてらっしゃる…。
ねえこれ何?ほら!こういうのも出てくるじゃないですかほら。
これはできませんよねこの格好ではね。
そうでしょ?でもこの時は何をしてるんでしょう?私は失礼な。
何したんでしょうねあれ。
こういうふうなこともあるかなと思って。
やっぱりほらうれしいでしょ?その次にいらして…。
またね同じ年の…40年前の同じ年のちょっとしてからまたおいでいただいたんですよ。
その時はねなんかね座ってらっしゃるんですよ。
椅子になんか座っていただいたみたいなんですね。
でねその頃まだVTRを取ってなかったもんですから。
高くてね。
テレビ朝日もちょっと取っておけなかったのでですね声のテープと写真とございますので申し訳ございませんがそれで合成いたしましたものをこれからお目にかけます。
どんなご様子だったかっていうのを…。
それも40年前でございますのでどうぞ。
いやー40年前。
「私なども非常にだまされた一人でございましてね」「あなたに…」「そうですね。
そうなんですよね。
大概…」「…みたいなとこ非常にあるでしょ?」「だから僕はもうあれで辞めてね遠く去っていくっていう…なんかね」「僕がたまにお会いしますとですね不思議そうな顔しましてですね半身に構えてこうやって見るわけですね」「これは何者だろうっていうのがねなんか伝わってくるんですね」「目と目と合って僕が一生懸命ニッコリ笑うとね…」「…というね。
だから本当にコメディアンの悲劇は我が家にあるという」笑っちゃいますね。
あんなこと仰ってた。
だから…そのお子さんは?子供をねだっこしたことがなかったの。
怖くて。
あっそう。
なんか持ってるとねどこかでポトンっと落ちちゃってねケガしたらさ私の責任嫌だなと思って。
でも最初の今のお話は坊ちゃんだったんですよ。
そのあとまた坊ちゃんが生まれて。
坊ちゃん坊ちゃん坊ちゃん。
だから女の子が欲しいなと思ったら坊ちゃん坊ちゃん坊ちゃんって。
3人男のお子さんがいらっしゃって。
もうなんか2年ごとに…。
これは昔の写真で…可愛いね。
奥さんがちょっと歳がいってたんであの…急いで。
急いでつくったもんですから。
なんていうことを仰る。
でも3人ポンポンと。
はい。
でもこの奥様非常に内助の功のある奥様だそうですよね。
そりゃそうだと思いますよ。
内助っていうんですかね?内助でしょう?いや違う。
好きな仕事を好きなだけやってくださいっていう。
ほら。
そんなこと…。
この子何食べてるんですかね?一番端のほうの子は何か食べてましたよ今。
ほら。
こいつさ…こいつどこ見てんだっていうのよねえ。
みんなが写真写してるのにね。
ええ。
であれでしょ?実はこの子供たちと奥様を山1つ買って山のてっぺんにお家を建ててそこに子供たちも奥様も全部住むようになさったんでしょ?そうです。
僕ほら家に仕事を持ってくるから…。
ですから奥さんが「この家庭はいつ寝るんですか?」って。
「できればどこか田舎のほうに越したい」って言うんでああそうですかっていうんでちょっと田舎のほうへ。
山のてっぺんにお家を建ててそれで子供たちはそこで育ったんですか?そうそうそうです。
で僕はどうして山にしたかっていうと僕オリンピック選手に憧れがあったものですから子供は足腰の強い…。
走って下りてね。
ですから山の上に毎日登ってれば足腰…。
そうそう。
マラソン。
そうですよね。
…と思って山の上にしたんですよ。
そうしたら越して1日目に子供が学校から帰ってきて。
そしたらばったり倒れて…。
でもまあ元気に育った?はいええ。
元気にそうです。
子供の教育って難しいのは奥さんは奥さんの育て方っていうのあるのね。
旦那は旦那の育て方の理想があるのね。
ここでね子供たちはね随分戸惑いがあったと思います。
なるほど。
例えばテレビを見てると「テレビ見ながらご飯食べるんじゃありません!」って言うわけ。
普通はね。
ええ。
僕は子供に「なんでご飯だけ集中するんだ!」ってね。
テレビ見てそれでご飯食べてテレビ見てご飯食べてってそのぐらいのことをして…。
そうしないと外行って危ない!って車が来た時パッとよけられないよと。
うちの子は口にご飯入れて…その時はテレビ見ちゃいけないの。
かむ時にテレビ見て。
隙見てご飯入れてるからねうちすずめの家族っていってみんなこうなってるの。
そういうこともそうなんですけど奥様とは平気でお墓の話なんかなさってお墓どこにつくるとか何とかって。
お墓には夢があるんだっていう話をしたの。
どんな夢なんですか?お墓っていうとさよくお墓参り行かなきゃなんないって…結構ね。
そう。
山の上なんか行ったり。
これ大変だからお墓参りはなくて子供たちが一番好きな…例えば温泉行くなら温泉行くのが一番で帰りに…その帰りにお墓があると。
だから一番行きたい…もしくはその行きたいっていうところが一番でその近くにお墓がある。
一応お墓に入るんじゃなくて記念館っていう…。
墓石じゃなくてみんな銅像っていうんで。
みんな知ってる人だけしかいないって。
何ですか?銅像をつくるの?銅像。
銅像?山の上に。
欽ちゃんの銅像?僕の仲間の人がみんなそこに来るの。
そうするとそこの家族が1か所来ればみんなが掃除して帰るって。
そうすると…。
でもさ山のてっぺんに欽ちゃんの家族が全部銅像になってるわけでしょ?そうそうそう。
僕の友達も全部。
フフフフッ。
でもそれが夢なんですけども…。
そう!そうなの。
奥様は「自分の夢ぐらい持たせてください」って仰ってんだって?はいそうなんです。
私の顔をまざまざと見てね「あんた死んでまで夢持ってんのね」って言うから「はい!」って言ったらね「私最後の夢だけ別にしてくれる?」って言われましたからね。
じゃあ奥様違うお墓をお望み?あのねまた自分のね理想があるんですって。
黒柳さんもよかったらどうぞ。
フフフッ。
私いいです。
悪いもんそんな。
うちの奥さんと同じだよ…。
「それだけは別にしてくれ」って言われたよ。
去年のことでございますけれども萩本欽一さんが大きな舞台からは引退するとご発表になりまして。
びっくりしましたよ。
だから私はね「あっそうなの?」ってそれ…。
フフフフッ。
それ…それ…それ最高じゃないですか。
50年ぐらい前のコント55号の時は萩本さんが端から端まで走ってらしたじゃないですかこんなね。
壁まではい上がったりなんかして。
だからあれができないんだったら嫌だって…。
そうなの。
最高がわかってて最高ができないっていう。
それはお客様にちょっと失礼な気もするという。
じゃあその明治座の最後のお別れをちょっと仰ってるようなところのVTRがございますのでちょっとご覧いただいてよろしいですか?
(関取)「旦那!」
(浩二郎)「あとで」「相撲取りなんだ!」相撲取りは佐々木さんですね。
「ケガして相撲を辞めた!」
(欽爺)「だから仕事中…」「俺の土俵入り見てくれねえか?」「だから見る暇ないから。
なっうん」「あのな!」「うん何?」「旦那!」「旦那じゃねえんだ。
じゃあ」「相撲取りなんだ!」「わかってるうん」「ケガして相撲を辞めた」「なんでケガしたの?」
(観客の笑い)「お前ら…」「お前何言ってんだコノ野郎」
調和を壊して笑いを呼ぶ
セリフではなく動きで笑いを誘う
(欽爺)「ちょっとちょっと…」
これぞ欽ちゃん
(欽爺)「ちょっと待て…コノ野郎」
(荒い息遣い)あー苦しそう。
息切れちゃって。
また…またこんなものアップで撮ることないだろ。
でもまあそういうあれでしたから。
これまでの舞台では花道を歩くことをずっと拒み続けてきました
(拍手)
(拍手)「ああ幸せ」あの時涙出ました?いやー…。
泣いた?だってお客さんひと言ずつ言うから。
ただこうやってんじゃなくて。
ねえ。
いつも花道をお使いにならなかったんだけどあの日は花道で…。
そう。
僕ねあそこで座長芝居するって…。
座長さんってまずみんな「やってること何?」って言ったらね最後はやっぱり真ん中で見えを切って何かセリフ言うっていうのとあとねその時幕が閉まるっていうのと花道通るって言ったからじゃあラストシーンだけ僕いないっていうのと花道は通らないっていう。
で最後なんで…最後にあそこの花道を一回通していただくっていうのを…。
そう思ってやってたんで通させていただきました。
舞台にお出にならないっていうふうに決めたんじゃなくて大きい舞台はそういうふうに端から端まで走ったりはできないからおやめになったっていうことであってまだ舞台は何かなさるわけでしょ?これから。
出て…出てやることはないと思いますね。
えっ?動けないんですもん。
思い出してくださいよ。
欽ちゃんが跳んでる時に一番最初に会った時「あんたたちあんたたち!」「私ずっと好きで見てるんだからね」って…。
「NHKにいらっしゃい」ってね私呼んだの。
そうそうそうそう。
今私みんなのね…お笑いの方が私が笑わないって評判悪いんです私ね。
ご存じだと思いますけど。
でもあの時は笑いましたよね面白くて。
坂上二郎さんとお2人で。
会った時に関係なく「あんたたち!あんたたちね!」って私のとここうやってね。
「あんたたち」とは言わないけど。
「あなたたち」って言ったでしょ。
いやいや。
大体…だんだん急いでくると「あんたね!あんたね!」って…。
言ったかもしれません。
こんな時ねうん。
ああもうね…。
「NHK行きましょう」。
びっくりしましたよ。
「NHK行きましょう!」。
いやいや。
「NHK行きましょう」じゃない。
「私言ってんのよ!言ってんのよ!」「仕事来ない?仕事来ない?」って言って。
NHKに売り込んだのね。
そう。
随分こんなふうに言ってくれる人…応援してくれる女優さんがいるんだって…。
でも面白かったですからね。
あんなに笑ったことなかったもの。
幸せな気分をしましたよ。
そう?ちょっとお2人で出てらっしゃる『徹子の部屋』がありますのでちょっとご覧くださいますか?二郎さんと?二郎さん出てるの。
「皆様コント55号でいらっしゃいます」「まあ本当によくいらしてくださいました」「いいね響きが。
“コント55号です”って」「珍しいねこの格好。
ねえ」「おいおいおい。
話話が…」「はい。
はいはいはい。
大丈夫だよ」「ちょっと…ちょっと病気してから1本切れてますんでね」「いやいや」「坂上さんお願いですからそっちのご自分の映ってるテレビのほうを見ながら…」「目線がおかしいでしょ?」「テレビのほうを見ながら“へえー”って…」「どこ見てるの?こっちだって」「大丈夫ですよ」「こっち見てこっち見てんだからこうやって」「私ちょうど52年になるんです。
芸能界に入ってからというもの」
(萩本)「長すぎですよ」「そう。
ちょっとね」「だけどあれでしょ?坂上さんだってもうそのぐらいでしょ?」「ええ。
来年50周年です」「やっぱりちゃんと聞いてるんじゃない。
ハハハ…」「来年50周年?」「はいそうでございます」「そうですか。
ちょっとの時間だけっていうのに2人だけ出てっていったらなんだかすごい長い時間になっちゃったんですって?出ていったら」「そうなんです。
この人がしつこいんでね」「違うって。
あんたがしつこいんだって」「止まんなくなる…」「引っ込まないですよ」「違うんだって。
あんたが止まんないの」
(萩本)「非常にしつこくてね」「私のねいいとこを全部引き出してくれたのは欽ちゃんだからね」「また」「欽ちゃんがねちゃんと骨組みをつくるんですよこの方」「私は出てそこに肉づけするだけですから」「だからこの人が私の一番いいとこ全部引き出してくれたんです」あの時ね実際ね本番でねああいうふうに僕のことをねああいう褒めたりねそういう言葉のない人だったの。
今まで?ええ。
あの時だからびっくりしましたよ。
あら二郎さんこりゃ素敵なこと言ってくれてるなっていう…。
亡くなる数年前でしたけどね。
でも初めの頃のコント55号のあの欽ちゃんの走り…。
欽ちゃんの欽ちゃん走りやなんかじゃなくてドドドドドドドド!ドドドドドドドド!って端から端までお走りになってすごかったですね。
ええ。
でずっとその…NHKにそれから呼ばれましてずっと走りましたらディレクターに言われました。
「二度と仕事ないと思う」って。
「テレビに録れなかった」って。
録るのは大変だったって言ってましたよね。
でもまあそれで末盛さんっていう『夢であいましょう』のディレクターに私が売り込んで。
NHKに私たちが…大きなバラエティーがあったので「それにコント55号が出なきゃ駄目だから」って私が言って「日劇見てきて」ってみんな日劇見に行ってそれであなた方を見て。
それで出てもらいましょうっていうことになってNHKにお出になったんですよ。
初めての時ね。
そうそうそうそう。
そうそう。
あれがねきっかけでした。
ここテレビ朝日ですから時々テレビ朝日っていう言葉も入れてください。
そう。
それでテレビ朝日もそうなんですけどこの方はね『欽どこ』『欽ドン!』『週刊欽曜日』。
あれの3つで視聴率100パーセントっていうのをお取りになってらした時代があったんですよね?すごいでしょう?皆さん。
どれでも三十何パーセントずつ取ってらして。
1週間でですよ視聴率が。
あの頃私すごいと思ったのは欽ちゃんがね…。
あの頃ねみんなまだそば行ってこういうふうにカチャカチャってやる時代だったんですよね。
テレビがね。
テレビが。
まだこんなの…。
こんなのなかった。
その時に私がね聞いたのはね1つのが終わってみんなが「ああ面白い」って言うと次が…隣がどうだろうと思ってカチャっと1つ動かすから次は隣へ出ればいいって。
それが終わって面白かったらまたカチャっていくからその隣に出ればいいって。
そういうふうに番組を選んで出れば絶対視聴率のいいとこに出られるって欽ちゃんが仰ったっていうのを聞いてすごいなと思いましたよ私。
そんなこと計算するんだと思って。
いやいや計算じゃない。
そんな横着な言葉言ってたんですか?そういうふうに仰ったって。
ろくな奴じゃないですよね。
さてご自分のお家で…。
ご家族が山にいらっしゃるからかなんかわかんないんですけど。
お弟子さんのお1人と一緒にご飯を食べてらっしゃるところのお姿が。
お家の姿がありますのでちょっと見ていただいていいですか?どんなご飯召し上がってると思います?皆様。
はい。
(萩本)「こうやってさあと自分で好きなものをこう巻いてさトロにしようと思ったらさこうやってさ」
(川本)「あっなるほど。
いいですね」
(萩本)「手巻きだよ」
(女性)「大葉おいしいよ」
(川本)「大葉もね。
あらいいですね」のり好きなの。
ねえ。
おいしい。
それでほら簡単にできるのよこれね。
「のりが好き…」「はあはあはあはあ」「のりがパリッとするにはこれしか…」「あっ今巻いて今食べるとパリッパリのまま」「パリッとするの」「はあ」「パリッのまま食べたいっていう…」「それとほらご飯の量も自分でほら…」
(川本)「調節できる…」「調節できる」あれちょっと多いですねご飯。
もう少し少なくていいと思う。
おなかがだんだん膨れてくると…。
少なくなっていく?そう。
これもおいしそうだと思いました私。
ね。
(萩本)「2枚入れちゃおうかなとかさ」
(川本)「ちょっと贅沢して」
(萩本)「そうするとほら…」いいね。
すごくおいしそう。
「これうまい。
早く食べなよ」ね。
楽しそう。
おいしそう。
フフフ…。
ああいうご飯。
外へ出るとお刺身って飲んでるつまみで出てくるでしょ?あっそうそう。
ですからなかなか外でお刺身って…。
ご飯と一緒に出ない。
そうです。
僕飲めないから食べないもんですから。
お飲みにならない?ええ。
ですから家でしかお刺身食べられないから。
あのやり方はいいですよね。
あれは酢飯みたいなのにするんですか?ご飯少し。
そうですそうです。
あれ自分でできますもんね。
酢飯にしてねちょっと入れて。
あれが一番ねのりがパリッときて…。
おいしそうですよね。
4分の1に切るんでしょ?のりを。
そうです。
別に半分でも結構ですよ。
でも4分の1のほうが一番食べやすい。
ひと口で食べやすいって思う。
じゃあお家で…?私あれやってますよしょっちゅう。
でお魚でも何でも召し上がる。
さてえーと…今何歳におなりだったんでしたっけ?74ですか?まだ…。
ええ。
74。
70お過ぎになったの?はいはい。
そうですか。
それでこれからはどういうふうに…。
今なんかね向こうから…。
面白いですねテレビって。
人の歳を…ご本人が何歳だかわかんないのに向こうから「73」って来ましたよ。
あっそうですか?だからあなたは73です。
あっ73だ。
あっ74じゃないのか。
あれ?まだ…お誕生日が来たら74ですか?すっかりぼけが入ったね。
ですからちょうど明治座をやめた時にあれ…1つなんか仕事終えたらなんか1つ仕事を足さなきゃいけないなって考えました。
ええ。
どんなこと?ですから…周りの70代をちょっと見たらやっぱりみんな70代ってみんなご褒美をあげてるんですよね。
あっそう。
定年になったらちょっとオーストラリアとかでねなんか海を見ながらとかさ。
あっそうですか。
どのテレビ見てもね…。
ですからあっご褒美出すのやめようかと。
70過ぎたらじゃあ一番大変なことになんかねなんか向かっていこうかと。
ええ。
じゃあ今大変なことに向かっていこうとしてらっしゃる?一番何が大変かなと思ったのが大体覚えたものがどんどん忘れていく年代だったんでね。
まだですよ。
いくらなんでも。
ですからこれなんかね止めるにはね脳にね忘れる脳にね何かどんどん覚えさせるとかそういうことになんか挑戦すると脳がえー!また何か覚えなきゃいけないの?とかっていうんでそれでなんか変わるんじゃないかなと。
そこまではちょっと考えてるんですがね。
なんかさ…。
何かいいことないですか?お宅は時計に「時計」って書いてあるっていうけど本当ですか?これはねもしかしてそれがね「えっ何だっけ?」っていった時にね「時計」って出た時にはっきりわかるわけですよね自分でね。
見た時ね。
字はいつまで経っても読めるんですからね。
ですからだんだんものにねそういうふうにね名前書いておこうかなと思って。
「巻き寿司」。
そうそうそう。
「巻き寿司」。
「のり」…「のり」。
ええ。
そういうふうに…。
そうするとそのことが逆にぼけの防止になると。
でもセリフを覚えたりするのはどうですか?ありがとうございました。
また来てくださいね。
またお話面白いやつお願いいたします。
ハハッ…。
どうぞ。
2015/02/06(金) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 萩本欽一[字]
〜73歳で新たなる挑戦!?支えてくれた家族秘話〜萩本欽一さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
40年目突入記念ウィークのトリを飾るのは、欽ちゃんこと萩本欽一さん。
◇番組内容
昨年、欽ちゃんは“体力の衰え”を理由に、大きな舞台から引退する事を決意。半世紀に渡る芸の世界に一つの区切りをつけた理由や、秘められた思いを、笑いを交えながら語る。
また、普段は明かすことのない家族の秘話や、70歳を超えた今、これからの生き方などを黒柳さんが鋭く質問!欽ちゃんは、終活について、どのように考えているのか?ほか、4年前に亡くなった相棒・坂上二郎さんとの感動秘話も明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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