しっきーのブログ

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プロは素人に勝つことができない



 素人でも情報を発信できるようになり、プロは素人に勝てなくなった。最近はユーチューバーなんかが増えてきて、「プロがYouTubeに参入したらそういうの全部いなくなるよ」とか言う人がいるけど、そういう人は「プロ」を何か自分の考えの及ばないもの、手の届かないものだと考えているのかもしれない。それは、大衆がテレビや映画に夢中になっていた頃の価値観だ。


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 ユーチューバーの動画が、テレビに出ている芸人やタレントなどプロの作品と比べて(比べなくても)、くらだないものばかりだというのは、たしかにそうだろう。平均値を取れば圧倒的に劣る。だが、プロと言っても生身の人間であり、精神的にも肉体的にも限界があるし、好調なときも不調なときもある。コンスタントに高いクオリティのものを生み出すことはできるだろうが、絶対にウケるようなものを作り続けるのは難しい。

 素人はプロよりも能力的に劣るかもしれないが、ある作品を作りだしてそれが評価される際に、プロの平均値よりも、素人のマックス値のほうが上になるというのは、おかしなことではない。


 素人群の最高値 > プロの平均値


 そもそも、「プロ」と「素人」では、作品を消費者に届けるチャネルが違う。

 プロの定義は色々あるけど、この記事の文脈で言えば、審査をくぐり抜けて情報を発信できる「枠」に入ることができたのが「プロ」だ。

 「枠」が限られている場合は、その「枠」に入るためのレギュレーションが規定され、その「枠」に入るための競争があった。「枠」に入ることができれば、テレビに出演するとか、映画俳優になるみたいに、ある程度の成功は約束されていた。確約された成功のための基準がいくつかあり、それに沿った競争、審査が行われる。

 一方で「素人」は、その「枠」に入る権利を持たない者だ。インターネットという「通信」の技術は、素人に情報を発信する手段をもたらした。それは特権的な「枠」ではなく、誰しもに開かれている。「枠」に入るために競争も審査もなく、ネットを通して直接作品を消費者の前に晒して、どれだけ人気になるか、という勝負になる。


 素人の「作品群」は、たくさんの作り手が発表した中で、もっとも良い(評価を得た)発想が注目される。それは「個人」ではなく「集団」だ。プロフェッショナルの、「個人」または「数人」が作り出すもの対、たくさんの中の一番良いものなら、後者に軍配が上がるだろう。



 流通のプラットフォームが限られていた時代には、情報を発信できるかどうかは、プロかどうかとイコールだった。「勝者総取り」の世界であり、その「枠」に入れなかった者は「夢敗れた人」だった。

 情報の発信が特権的なものではなくなり、かつての「枠」の力は弱まって、「プロ」の立場も弱くなる。絵師のダンピング問題なんかがよく議論されているが、作品をつくる「プロ」になるという形で採算をとるのはかなり難しくなってきている。

 「勝者総取り」でなくなったかわりに「みんなそこそこ負け」という感じだ。ただ、これはもともと作品制作に権威が関わらない日本のコンテンツ産業に昔からあった傾向なのだが。



 プロの「枠」がなくならない業界もある。上で述べたことは、主に作品の価値を裏付ける根拠のないコンテンツ産業での話だ。

 スポーツなど、指標がはっきりしている分野は、プロの立場は揺るがない。また、ディズニーなど、高度なCGを駆使したアニメや、ハードのスペックが上がっていくゲームなど、制作に高度な技術が求められるようになった分野は、プロフェッショナル化していく。



 「学者」や「知識人」に関してはどうだろうか。ステレオタイプなドクターがアニメや映画などに登場するように、かつての学者みたいな人がなんでも知っている「博士」に見えたのは、大衆は情報へアクセスする手段を持たず、一般層の知識レベルが著しく低かったからにすぎない。昔の学校の「先生」が偉かったのは、彼を通す以外に知識へアクセスするチャネルがなかったからだ。今は博士課程を終了しているからと言って、大衆より著しく知能が高く、常人の何倍もの知識を頭に詰め込んでいるということにはならない。


 一定の学問的な手法と見識を身につけた「博士」という立場も、学問の分野が細分化して指標が厳密でなくなったが故に、一般人との境目が希薄になる。もともといい加減なことを言っていた「知識人」や「批評家」みたいな人は尚更だ。

 どれだけ頭が良かろうが、Twitterなんかで不特定多数の人間を相手にすると勝てない。一人の人間には限界も欠陥もあって、その弱点を何百、何千人もの素人が攻めて来るわけだから、相手にしないにこしたことはないだろう。


 

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 これは一例だが、こういうことがあったからと言って、別に東浩紀の頭が悪いと人間性に欠陥があるということではなく、単純に数の問題だと僕は思う。素人の群れを相手にして得することはあまりないと思うが、何らかの使命感を持ってやってるならそれはそれで立派。



 プロは素人に勝てない。かつては一部の特権だった「情報を発信できる立場」が、今は誰にでも開かれている。

 しかし、だからといって「プロ」の価値がそこまで急激に下がるわけではないだろう。なぜなら、枠組みと指標とレギュレーションがなくなって、根拠が求められなくなったからこそ、少しでも根拠のあるものに人は惹かれるからだ。2ちゃんねるをはじめとするネット勢は、なんだかんだ「アンチテレビ」という形で猛烈にテレビを意識してるし、みんな金曜ロードショーでジブリやってたら見るんでしょ?


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 ただ、娯楽、コンテンツと言った、そのおもしろさの正当性を保証するものがない分野は、素人の勢いがこれからも増していくと思う。





 ニコ動で大人気の「幕末志士」を知っているだろうか。このスマブラ動画は本当にすごい。神がかっている。だからと言って、この動画の面白さ、彼らの圧倒的な人気に根拠を見出すことはできない。

 彼らは動画投稿数も少なく、タレント的な活動もあまりせず、顔も名前も見せないどころか、最近はほとんど姿をあらわすこともないのに、ニコニコ動画のゲーム実況でトップの動画をつくりだした。


 出自もレギュレーションも関係なく、同じ高さに並んだ「素人群」の上澄みとして、こういうものが出てくる。面白いものを作ろうとする「プロ」は形見が狭くなっていくだろう。


 逆に言えば、コンテンツの世界で狙って成功するためには、「プロ」という枠組みをあえて全面に押し出して利用するか、プラットフォームを握ってシステムの部分に影響力を持てるようになるか。いずれにせよ、「枠」がなくなって「プロ」という存在は絶対的なものではなくなりつつあるのだろう。




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