Hatena::ブログ(Diary)

Danas je lep dan.

2015-02-13 未だに『STEINS;GATE』を積んでます

[][][][][][]歴史叙述から歴史が見える――ニーデルハウゼル・エミル『総覧東欧ロシア史学史』

 一昨年出たもんのすごい大著を読み終えたのでレヴューします。

 原著は,Niederhauser Emil, A történetirás története Kelet-Európában (Budapest: HistóriaMTA Történettudományi Intézete, 1995)。どこが大著かといえばまず物理的に大著で,600ページを超える二段組の重量感はものすごく,母語で読んでいるはずなのに読んでて疲れるだとかなかなか終わらないだとかそういう感慨を久々に抱かされた。そしてもちろん,内容もすごい。

 本書はハンガリーでハンガリー人向けに書かれた東欧史学史概説に,日本人向けに新たにハンガリーの章(当然これは「外国史」を学ぶハンガリー人読者には不要のものだ)と1945年以降の史学史の章が付け加えられたもので,実質的に日本オリジナルヴァージョンになっている。さらに訳者あとがきによると「原文には記載されていない文献情報を補った」(655頁)という俄かには信じがたいことをやっている。10カ国以上にまたがる全部で1万件近い文献を科研費とって手分けして調査したらしく,この文献リストはウェブでも見ることができるのだが,すごすぎワロタ。著者も訳者もすごい。原書がハンガリー語だという事情からこれまであまり西欧語に訳されることがなかったらしく,英語読者ですら読めないものを日本語読者が読めるというのは本当に素晴らしい訳業だなと。東欧クラスタ諸兄はぜひ読まれるべきだと断言します。なまら分厚くてお高いので図書館で借りるといいと思うんだけど期限内に読み通せるかどうかは保証しません。

 本書は「東欧」(ニーデルハウゼルの定義だとロシアも東欧。なので本書のハンガリー語原題には「東欧(Kelet-Európa)」としか書かれていない)における史学史を,中世の年代記から遡って説き起こしたもので,もう実質的に東欧思想史ともいうべき内容になっている。歴史叙述の歩みは思想の歩み,そして現実政治と密接に関連しているのだから。たとえばブルガリア歴史家パラウゾフは,「中でも言語と結びついた民族誌的なものが最も重要であると何度も明言した。なぜなら,他の二つは過去と現在のことを語っているに比して,民族誌は未来に向けて語りかけているからだった」(471頁)。特に近代以降,ナショナリズム歴史学の制度化の時代になってからは,近代科学としての歴史研究がどのようにナショナリズムとかかわってきたのか,というのが見えてきて非常に面白かった。たとえば社会主義下においては「国民史が優先されたことにより,そこから非常に重要な帰結が生じた。それは暫定領域性と名づけうるかもしれない。つまり,ある国民国家の歴史が展開した地理的領域を今日の(つまり第二次世界大戦後の)領域と同一視し,いかなる時代においてもこの領域を念頭に置かねばならないとされたのである」(615頁)。これはものごっつ大事な指摘だと思う。

 もちろん本書は堅苦しいだけでなく,随所に笑える小さなエピソードをちりばめてくすりとさせてくれる。たとえばこんな感じで。

 ところがこの計画は,ナルシェヴィチのそれと比べてもわずかな成果しか生まなかった。学術友好協会の設立事情と同様,計画立案にも革命後の貴族と市民の妥協の刻印が見られ,執筆陣の選定にもその傾向が反映された。彼らは新しい視点も取り入れようと試みたが,結局は確実な方法を踏襲した。つまり,歴史を統治者ごとに区分し,それぞれの時代の執筆をしかるべき年齢の,身分の高い素人史家に委ねたのである。その中には執筆の開始すらしなかった者,長年にわたり研究継続中と言い続けた者,早々と辞退した者などがいた。……(11頁)

 現代の同人サークルと通じる問題だなあと思いました(小並感)。しかも笑えるだけでなく,当時ののんびりとした学術共同体の雰囲気が伝わってくる叙述で,史学史としてすぐれている。スロヴェニアの歴史家がセルビア出身の首相パシチを「スロヴェニア人をスロヴァキア人と言い間違えるという失敗を犯したことがあるが,非常に多忙であったことを考慮してこれを許す」(604頁)と書いたというくだりはマイナー民族の哀愁をいい具合に笑い飛ばしていて個人的にツボだった。一方ではこんな悲哀をそそる話も。

 ……党国家体制初期には民族的少数派に関する研究が行なわれたが,その後,この問題は近代における政治問題へと矮小化され,やがてそれも姿を消した。それには間違いなく言語能力の問題も関わっていただろう。英語が必須で,さらにドイツ語も必要とされるかもしれない今日において,一体誰がかつてのハンガリーの民族的少数派の言語を習得するだろうか。……(621-622頁)

 つらみしかない。

 ニーデルハウゼルが歴史家たちに向ける評価は辛辣で,遠慮がなく,それでいてユーモアに溢れていてまさに「知識人」による論評だなあという気分になる。「分析を詳細への没入と解した」(380頁)という文の切れ味の鋭さといったら。過去の歴史家のみならず現代のわれわれにもグサリと突き刺さる。「50歳の時に『自伝断編』という題でやや闘争的な回想録を書いたが,1905年に回想録『懐かしき思い出』を記した時には,すでに穏和になっていた(懐かしくない人物には触れなかった)」(296頁)というくだりは思わず笑ってしまった。セルビアのある歴史家は,次のように評されている。

 ……歴史家向けに書いた文章では,常に全く自信がないかのように,断定よりも疑問形で回りくどい文章を書いたが,これは,独学の人であったことと並んで修道士的な低姿勢が関連しているのだろう。あいまいな書き方をしようと努めていることか見て取れる場合も多い。実際のところ卑屈といっていいほどにしばしば謙遜するが,多くの質問や詫び言は,直接の批判以上に人の感情を損なう。読者は一時的に史料批判の鋭い論理に引きつけられるが,卑屈な質問を読み進めるうちにだんだんといらだつことになる。しかし,最初の偉大な歴史学者であり,開拓者であり,確実な諸事実を明らかにしたことは確かである。幸運なことに,その批判的方法は多くの者が受け継ごうとしたが,文章の書き方を継承する者はほとんどいなかった(412頁。強調引用者)。

 こんな評価されたら泣ける自信がある。色々グサグサ刺さってくるんですがそれは。

 歴史学とナショナリズムとのつながりについて,特に旧ユーゴスラヴィア地域のくだりが興味深かったのでいくつか引用してみる。「だがセルビアの歴史叙述は,特別な理論的考察もないまま、他の二つを一体的な国民の一部分と見なし(ここでは,なに国民について語るのかという形容語は避けねばならない),同時に,その後もセルビアおよびセルビア史の枠内で思考し続けたように見える」(432頁)というのは近代セルビアのユーゴスラヴィア主義の流れを見ていると頷ける話だなと。関連して,「だが,彼の経歴が非常に独特だったということは,まさに次のことを示している。すなわち,両大戦間期における『ユーゴスラヴイア的』歴史叙述は,様々な試み,さらには強い後押しにもかかわらず実現せず,国民的統一が強調されたにもかかわらず,三つの国民の歴史叙述がそれぞれ別の道にとどまったのである」(451頁)という箇所も興味深い。また,スロヴェニアの状況について。傀儡国にすらなれなかったという悲劇として。

 この国にとって,l941年春に勃発した大戦は,クロアチア人にもたらしたような,あるいはそれ以前にスロヴァキア人にもたらしたような可能性を,当時のスロヴェニア人にもたらさなかった。つまり,見せかけの独立という形態にすら至らなかったのである。1943年までのイタリアの占領下では細々とはいえ最低限の出版が可能だったが,ドイツ占領期には,せいぜい生存の可能性があっただけだった。そして,すでに見てきたように,それも誰にでもあったわけではなかったのである(610-611頁)。

 参考までに,日本語で読める関連文献のうち,わたしが目を通したことのあるものを紹介していく。申し訳ないが,たとえば慶應大から出てるハレツキとかあの辺は読んでおらず紹介できないのであしからず。

ロシア史講話 1

ロシア史講話 1

 定番のロシア通史だけど実はまだ1巻しか読んでないことは秘密だ。古代ロシアについて理路整然と語ってゆくその語り口はまさに「講話」と呼ぶにふさわしい。みんなも読んで古代ロシアに萌えよう!

 ユーラシア主義者ヴェルナツキーによるロシア通史の一部。5巻本の原著のうち4巻のみを訳出したもの。なお,もっと古い時代に「ヴェルナドスキー」名義での翻訳もあるらしいので,興味がおありの方はそちらも。

ロシア原初年代記

ロシア原初年代記

 ということでロシアからもいっちょ一冊。恥ずかしながらこちらも読み通したわけではなくちょぼちょぼ読み囓っただけなのだけども,古代ロシアの基礎史料である『過ぎし歳月の物語』の日本語版です。ロシア史は史料が充実してるよなあ。

 セルビアの項で出てきたストヤン・ノヴァコヴィチの著書のおそらくは本邦唯一の邦訳。ただ,難解で読みづらい……

 まさかこのひとが史学史枠で扱われることがあるとはなあ……という,ユーゴスラヴィアの理論家カルデリの主著。本書ではスロヴェニアのマルクス主義史学枠で出てきます。

岐路に立つ歴史家たち―20世紀ロシアの歴史学とその周辺

岐路に立つ歴史家たち―20世紀ロシアの歴史学とその周辺

 帝政ロシアからソ連に至るまでのロシア史学史ならこの2冊が必読文献かなと。

ユーラシア主義とは何か

ユーラシア主義とは何か

 ユーラシア主義についてのおそらくは本邦唯一の研究書。必読。

東南欧農民運動史の研究

東南欧農民運動史の研究

 クロアチア経済史の項で紹介されているルドルフ・ビチャニチについてのおそらくは本邦唯一の研究書。

 関連過去エントリ:

 ロシアの自画像――「『ロシア』とは何か?」という問い - Danas je lep dan.

 歴史家が想像する民族史,歴史家が創造する地域史――バアール・モニカ『歴史家とナショナリズム』 - Danas je lep dan.

 最近読んだものの雑多な感想――『文化の解釈学』『第一次世界大戦』『アデナウアー』『約束の方舟』『「民族の性格」の政治』 - Danas je lep dan.

消印所沢消印所沢 2015/02/13 21:16  また読みたい本が増えてしまった…

MukkeMukke 2015/02/13 21:30 消印所沢さん>
ごゆっくりどぞー。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20150213/1423822306