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2013年4月25日 (木)

れんだいこの「八切止夫氏の『信長殺し、光秀ではない』」書評その1

 2013年4月頃、不意に八切止夫史観なるものを味わいたくなった。最初に八切氏の代表作と思われる「信長殺し光秀ではない」(日本シェル出版、1974.1.10日初版)を読了した。何しろ22年と5ヵ月と云う著作者人生の半生の心血を注いだ著作であり、マラッカまで出掛けてバテレン資料を転写し採録している。全体として考証に富んだ歴史小説となっている。れんだいこ感想は、八切氏の炯眼ぶりを堪能させて貰ったの評が相応しい。但し、八切氏の歴史推理には首肯しない。これについては書評その2で述べることにする。

 この「信長殺し光秀ではない」はネットで公開されている。「矢切止夫作品集」の「1182信長殺し、光秀ではない1」から「1201信長殺し、光秀ではない20(最終)」までがそれである。

 (http://www.rekishi.info/library/yagiri/

 サイト管理人として「登録日1996年3月18日 登録者 影丸(PQA43495)」とある。メール先が分からないので不通知不承諾のまま活用させて貰うことにした。謝意申し上げる。これを原本にして、れんだいこ文法に則り、より現代文に書き換えた。原文との照らし合わせは、今のところできていない。原文の漢数字を適宜に洋数字に代えた。この方が分かり易いと思うからである。句読点も一部代えた。段落も変わっていると思うが、これは追々原文に即して直そうと思う。全ては読み易くするためである。興味を覚えた方が原文読みに向かうようお手伝いさせて貰ったつもりである。

 なぜ、れんだいこもサイト化したか。それは本書を良書と思うからである。最近、こういう必読本的良書が隠れてしまっている気がしている。そのことに気付いたれんだいこが何がしか発掘を続けている。「名著翻訳、発掘一覧」と題して公開している。数典は英文和訳しており、既成のものよりは的確に訳出しているつもりである。御利用されんことを願う。

 (http://www.marino.ne.jp/~rendaico/meibunhonyaku/

 こたびは矢切止夫氏の「信長殺し光秀ではない」に番が回って来たと云うことである。他にも田中角栄の日本列島改造論をサイト化して誰でも読めるようにしたいと思っている。れんだいこの手が回らないので誰かがやってくれないだろうか。当然、その人のホームページ上にアップしてくれれば良いのだが、著作権を気にして尻ごみする者もいるだろう。そういう方は、れんだいこに通知してくれれば、れんだいこサイトに取り組む。要するにバイブルの如くみんなに読んでもらいたい一心である。気難しく云う人に構っていたら、あたら惜しい一生を台なしにしてしまう。

 つい先日、毎日新聞の山田孝男の「風知草:爪立つ者は立たず」が角栄に関する余計な偽論を書きつけていた。「東京が稼ぎ、原発は田舎に押しつけ、格差はカネで埋め合わせる−−。田中角栄が深く関わった全国総合開発計画の伝統」云々と云う文面であった。こういう論説に、角栄の日本列島改造論が人口に膾炙(かいしゃ)されていないから騙されてしまう。そういうこともあり、日本列島改造論をサイトアップして認識の共有をしておきたいと思う。

 もとへ。八切氏の著書を初めて読ませて貰ったが、全体に有益で面白いと思う。1960-1980年代に、こういう面白い読み物があったのに読まずに過ごして来たのは勿体ないことだったと思う。しかしこれが御縁と云うものだろう。今頃になって読むのも御縁の不思議だろう。当分の間、八切氏の著書に触れ、学べるところは全部学ばせて貰おうと思う。

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