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第78回 株式会社サンズエンタテインメント 野田義治 2
俳優を目指し上京した青年が新たな人生を発見!
巨乳という新しいジャンルを発掘し、成功をつかむ
巨乳をビジネスに仕立て上げた、芸能プロダクション社長、野田義治氏。彼が発掘し、育て上げた美しくグラマーな女神たちにお世話になった男性諸氏も多いの ではないだろうか。ただし、もとから巨乳グラビアアイドルを育てるつもりなどなかったのだと言う。野田氏が女性タレントをスカウトする際に注目したのは、自分の好みに加えて、利口さ、性格の良さ。あとは、自分自身の勘。それらの審美眼にかなった女性の多くが、たまたま胸の大きなコたちだっただけ。ただし、マーケッターとしての勘が、世の中の若者男性のニーズを見逃さなかった。巨乳バカ一代を自称し、自らもマスメディアに登場。巨乳タレントと強面社長のギャップがさらなる話題となり、巨乳ブームはいっきに広まっていった。「そもそもグラビアイドルなんて続かないんですよ。水着なんて1年で飽きられちゃうから。できるだけ長くかわいがってもらう手法を考えてあげないと」と、強面で人間味あふれる優しい自論を語る。今回は、そんな野田社長に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。
<野田義治をつくったルーツ.1>
広島の港町、呉市で過ごした少年時代。スポーツとケンカに明け暮れた日々
父は海上自衛隊に勤務していました。ずっと船に乗って仕事しているわけだから、家で父と顔を合わせるのは月に1度あるかどうか。母は長男の僕を含む5人兄弟を、食うのもやっとの状態ながら必死で育ててくれたんですよ。生まれたのは富山なんですが、その後何度か父の転勤に伴い引っ越しをしています。子どもの頃は、なんでこんなに転校しなきゃいけないのか、とても不思議でしたね。あとになって父の仕事柄そうなのかとわかるんですけど。正直、転校はやっぱりいやだったなあ。でも、京都の舞鶴のあと、11歳の頃から高校を卒業するまでは、広島に落ち着きました。呉市という港町に。
小学生時代の僕は、まったく目立たない子どもでしたよ。運動は好きでしたけど、勉強は当然きらい。授業も適当に聞いて、テストはだいたい一夜漬けで済ませていました。あの頃を振り返ると、何にもないあの小さな町で、よく過ごせたな、どうやって過ごしてたんだろうと思います。まあ、友だちと遊んでばかりでしたけど。中学に上がってからは2つの部活を掛け持ち。バスケットと野球です。どちらかというと、得意だったのはバスケかな。当時も背が高かったのかって? いえいえ、バスケをやめてから背が伸び始めたんですよ。
勉強はきらいだけど、一応高校くらいは出ておこうと。倍率の低いところを選んで、広島県立呉工業高校の電気科に進学しました。今はわかりませんが、当時はあの辺りで一番悪い高校だったんじゃないですか。僕は何となくそこに進学したんだけど、本当に悪い連中がいっぱいいましたからね。偶然そんな中に入って、自分もだんだんと悪くなっていったという(笑)。いつも3人くらいでつるんで遊びに出かけるんですが、みんなワルなんですよ。だいたい他校のやつらとケンカが始まっちゃう。そんなだから、学校に行けば先生から怒られ、殴られてばかりいましたよ。
<野田義治をつくったルーツ.2>
映画好きが高じて、俳優の道を志すように。上京し、稽古しながらのアルバイト生活に突入
母にたまに連れて行ってもらっていた映画が大好きでね。中学、高校の頃には自分で映画館に通うようになっていました。3本立てで入館料が100円くらいの時代ですよ。東映や日活の活劇、アクションものばかり観てた。松竹はあんまり好きじゃなかったんだよね。当時は石原裕次郎さんや浜田光夫さんの全盛期だったんだけど、僕にとって彼らは次元が高すぎるというかハイカラで、ちょっと違うなと。僕は自分たちの世代に近い感じがする高橋英樹さんのファンで、彼が出演した作品は全部観たんじゃないかな。どの作品もお気に入りだから、一番を選べといわれても難しいね。
映画好きが高じて、俳優になりたいと思い始めたんですよ。これが大きな勘違いなんだけど(笑)。友だちにも、「もうちょっと真剣に考えたほうがいいぞ」とか諭されましたが、もうその時には自分で応募書類を書いてオーディションの申し込みを済ませてた。で、高校を卒業して、すぐに上京。当時、新宿の下落合にあった劇団「こまどり」に研究生として所属し、俳優を目指す生活が始まるんですよ。演技の稽古をしながら、いろんな映画やドラマのエキストラ、舞台の端役として出演していましたよ。でも、生活費を稼がなきゃならないですから、アルバイトもたくさんやった。「キューポラのある街」の舞台である埼玉・川口の親戚の家で世話になっていたので、鋳物づくりとか。今でも教えてもらえばすぐにその仕事に復帰できると思います(笑)。
あとは雑誌や新聞の配送センター。駅売店への搬入や返品が主な仕事です。この時に出版ビジネスの仕組みを把握しました。週刊誌といっても1週間売店に置かれているわけじゃない。だいたい3日くらい。月刊誌でも長くて15日。だから「うちのタレントのグラビアが出てる雑誌も短期決戦なんだぞ」とマネジャーたちにハッパかけてます。これは後日談ですが、その頃の出版社に頼んで、返品されて不要になった雑誌のアンケートハガキを使わせてもらったこともあったよ。500枚ほど譲ってもらって、うちのタレントのグラビアや記事に投票するんです。僕はそんな数字をまったく信じていませんが、編集者の中には「アンケートの投票数が少なかったので、次回は……」とか言うのがいるんです。そんな時は、「それほど投票数が大事なら、この手を使いますよ」って脅してやる(笑)。数字よりも自分たちの感性を信じて勝負しないと、雑誌はどんどん売れなくなっちゃうよ。