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広宣部よ、会員を馬鹿にするものではない

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 2月12日(木)16時32分34秒 i60-34-192-122.s42.a014.ap.plala.or.jp
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  此の度、教義変更に関する広宣部の資料(男子部用)を入手した。

先ず目にして嗤える事は、今回の教義改変に関し、我ら富士門徒が鋭意呵責している事について、
それを「難癖だ」としている事である。小笑。

難癖、とな。鼻笑。

先ずは言おう。

よろしいか。お主ら広宣部の根性が汚れておるから、そういう野卑な表現でしか反論出来んのである。
よいか、聞きなさい。これは難癖ではなく、お主らが俄(にわか)に拵(こし)えた教学があまりにもお粗末であるから、
その同情も含めて説教してやっているのである。それを難癖などと。哀。

よろしいか。お主らは此の説教を有り難く思いなさい。

其れにしても、その記(しる)された内容たるや、あまりに稚拙で、読んでいて、こっちの方が恥ずかしくなってくるわい。

先ずは其の一

【弘安2年の御本尊に祈らなければ成仏できない、という大聖人の御書をあげよ】
(そんな御文は御書のどこにもない。あげてきたらそれは都合の良い悪用)

恥。だから、つい3か月前、いや、4か月前か、まぁ、どーてもよい、兎も角、つい最近まで、その弘安2年の御本尊を
一閻浮提総与の大御本尊として、毎日毎日、勤行の祈念に於いて、南無し感謝してきたのは、お前たちであろうが。
して、そんなお前らが、手のひらを返した様に、其の大御本尊を拝まなきゃ、成仏しねーという御書がどこにあるんかい、
などと言っておる。だから当方は問うているのである。ならば、お前たちは、謗法の大石寺から破門されて以降の23年間、
なんで、その弘安2年の御本尊を、日蓮大聖人出世の御本懐と為し、三大秘法惣在の大御本尊として南無して来たのか、
その法義的根拠を宣べなさい、と。そして、其れを宣べる事こそが、会員諸氏に対する宗教者としての責務ではないのかと。
無論、此の詰問は、謗法の寺に在る本尊は受持しない、という、お前らの言い分に対して問うものでもある。
よろしいか。難癖だ、などと自棄(やけ)を起こさずに、しっかりと答えなさい。

次。

【「受持の対象としない」としただけである。対象にしないことと、否定するということは全く違う。
弘安2年の御本尊を否定したことは、今までない。むしろ否定と言うなら弘安2年の御本尊をニセモノだと言った日顕こそ
御本尊を否定し張本人】

恥。対象にしない事と、否定する事とは全く違う?…。哀笑。ったく、何を誤魔化しておるのだ。対象にしない事では
ないだろう! 受持の対象にしない、と言っているのではないか! だから、不受持とは不信であり、実に不信とは信仰に
於いて否定を意味するものである、と当方は説教しているのである。

お前らは『受持即観心』の深意を能く能く勉強しなさい。ったく、何の為に祈念文を23年間、念じて来たのであるか。
お前らは其の理由を今こそ宣べなさい。

次。

【そもそも登山を禁じ、弘安2年の御本尊を創価学会の切り崩しの手段としたのは、日顕宗の方ではないか。
今さら「(大御本尊を)捨てますか?」などといわれる筋合いではない】

恥。この言い分には思わず笑えたが、ならば、こういう事か。破門されていなければ、御書に載っていない弘安2年の
御本尊を、日蓮大聖人出世の御本懐にして、其れこそは一閻浮提総与の大御本尊として、延々と尊崇して来た、とでも
言うのかい。よいか。今現在のお前らの、そういう糸の切れた凧が如く、本尊義をコロコロ変える、其の醜態たる結果が、
全て破門の正義を語るものであり、当に現在の果を知らんと欲して、その過去の因を見れば領解出来るのである。つまり、
日蓮正宗の裁断は、実に正しかった、という事になるのである。

今さら、日顕宗に言われる筋合いではない、などと、お前らこそ、執拗にガーガー言って来たのではないか。
ったく、今さら言われる筋合いではない、などと。よいか、事が宗教の根本たる本尊義であるからこそ、その筋合いに
於いて厳しく言っているのである。狭い了見で物事を見るものではない。

次。

【どの御書にも、弘安2年の御本尊が出世の本懐であるとは述べられていない】

哀笑。しかし何だ。まさか、こんな身延の言い分が、創価学会の公式教義になるとは思わなんだ。
本より、一般会員も其の様に思っている事であろう。

池田名誉会長に云く、

『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』

                                 【平成5年9月16日、アメリカSGI最高会議】

はて、お前ら広宣部が言う「数多くの出世の本懐の御本尊」の内、何故、池田センセーは、弘安2年の大御本尊をして
信心の根本である事は、これからも少しも変わらない、と言われたのか。その本義的根拠を宣べなさい。

尚、文永9年の阿仏房御書に於ける『出世の本懐』とは、曼荼羅御本尊の御図顕を以って、出世の御本懐とされたもの
であり、大聖人御自身の大本懐、つまり、未来広布の暁に建立さる本門の戒壇堂に安置さる大御本尊の御造立こそが、
当に御自身からして本懐中の本懐である、との意が、聖人御難事には暗示されているのである。又、其の確信を以って、
恩師戸田先生も、池田名誉会長も指導して来たのである。本より、其の文証こそが、上記に示したSGI最高会議での指導
である。

して、お前ら広宣部は、谷川の命令か、八尋の指示か、それとも、波田○の信念を踏襲したのか、今に成って、本門戒壇の
大御本尊の大義を否定しにかかっておるが、だからこそ当方は問うのである。上記の池田センセーの本尊指導は間違っている
のかと。そして、お前ら広宣部が、その池田センセーの間違いを糺さんとしておるのかと。
よろしいか、其の事をしっかりと答えなさい!

次!

【これまでの会長指導は、僧俗和合時代の指導である】

呆怒。だから、破門以降、この23年間もの間、なんでお前らは、日蓮正宗第26世・日寛上人御書写の本尊を選定し、
又は其れを認定し、しかも、毎日の勤行に於いて、戒壇の大御本尊に南無し尊敬し、しかも、会員育成の教学試験に於ても、
何故に、戒壇の大御本尊を大聖人出世の御本懐と為し、又、その大御本尊をして本懐中の本懐と教示して来たのか。
其の事を、宗教の根旨たる教義に於いて説明しなさい、と言っているのである! よいか、当方は破門以降の話をしている
のである! しっかりと答えなさい!

次!

【三大秘法を破壊したのは日顕宗】
(学会が、弘安2年の御本尊を否定した、などというが、三大秘法を破壊したのは、日顕宗の方である)

恥。我々は、三大秘法など破壊しておらんよ。哀笑。

よいか。三大秘法の随一は、本門戒壇の大御本尊である。

して、その大御本尊をいつ我らが破壊したのか。

ったく、何度言えば解かるのか。

其れよりも何よりも、三大秘法の根本たる本門の本尊を指して、一大秘法とは言わない。とタンコブ原田は啖呵(タンカ)を
切ったが、ならば、日蓮大聖人が仰せの一大秘法とは何ぞ。お前らが言う「出世の本懐」から、その定義を示しなさい。
さすれば、日寛上人の説義が、如何に正確であるかが、解かるであろう。又、だからこそ、恩師戸田先生は、学会員に対し、
『日寛上人ほど正しく精密に、しかも忠実に、大聖人の御書をお読みになった方は、いないのである』と断言されたのである。

よいか、我ら日興門流に於いては、三大秘法惣在の大御本尊、つまりは一大秘法の大御本尊を受持する事によって、自己の
生命に仏界が涌現するのである。本より、受持こそが一切の信心活動の主軸であり、受持を根本として、初めて各々の信心
活動が結実するのである。よろしいか。受持とは信心の事であり、三大秘法とは、則ち一大秘法なのである。

其れを以って言おう。

お主らこそが、三大秘法を破壊せしめたのである。否、破壊していない、と言い張るならば、一大秘法とは何かを宣べなさい。
まさか、妙法の題目ではなかろうて。もし、其れと云うならば、恩師の説教を聞かせてしんぜよう。

次、おっと、これが最後となるか。まぁ、よい。哀笑。

では、最後に、広宣部の捨てセリフを紹介して、この頁を終えるとしよう。

皆々、決して小笑して噴出さんように。

(法華講員からの難癖…ご祈念文の「大」御本尊という重要事項はどうするのか)

広宣部に云く、

【学会のご祈念文ですから、他教団である日蓮正宗に云云される筋合いはない。ま、そのうち変えると思うよ】

笑。

おいおい、目が点になっている、そこの学会員。この広宣部の恥態を何とかしなさい。当方では面倒見きれんぞ。哀笑。
 
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