こんにちは 大阪は曇り 雨が降りそう
頭痛はやっとおさまった。気楽に記すか。ここは、日によって読者数が変動する。しかも少ない。私のファンがいて、彼らが毎日チェックしているのが大半、と思う。世間受けしてないのが、難だ。がんばろう。
イデオロギーの終焉 11 まとめ
昨日は、社会組織成長論の概要を示した。この論は経営学の最難解。これを理解したら、経営学をマスターした、といってもよいほど。一昔前は。だから、研究者も少なく、反響も小さい。私の提案の価値も、理解されないようだ。
今日は、今まで10回にわたった連載をまとめる。
1, 20世紀は社会イデオロギーの時代
20世紀は、人類全てが社会改革、社会思想(イデオロギー)に熱中した。「社会」が人類のテーマだった。その期間は正確には、1910年から2030年だった。それまでは「理性」がカント、ヘーゲルなどドイツ人によって探求され、英知をもつ人格が賞賛された。今や、人類の発展には社会改革が必要で、事業に成功した者が認められる。
2, 社会の時代は、6段階ある
20世紀の変化は、6段階にわけられる。各段階は20年のようだ。
1,創業期(1910-30年)の段階は、ユートピアが認められ、軍人会やテニスクラブなど社会グループが雨後のたけのこのように誕生した。
2,集権制(1930-50年)の段階は、権力を一つにまとめることが課題となった。権力をもつ者への信頼が厚くなり、国家の権力は一つに集中して、独裁国家が猛威を振るった。
3,分権制(1950-70年)の段階は、権限委譲が始まった。自治が流行して、民族主義で各国が植民地から独立した。
4,官僚制(1950-70年)の段階は、専門家や市民運動が台頭した。初期には、学生の無能化が起き、ヒッピー・全共闘が発生した。各国は巨大な官僚制を敷いた。専門家が人間の究極とされた。
5,集団制(1990-2010年)は、官僚制が崩壊して、分社した。大企業は分社した。多くの共産国家が崩壊して、民主化した。資本主義の時代である。小さな集団でのリーダーシップがもてはやされる。地域主義が発生した。
6,個人主義型組織(2010-30年)は、独立個人の事業が見直された。コラボレーション、企画ごとに人が集まるという組織形態が流行する。個人、民族のアイデンテティを模索し、ナショナリズムが台頭した。この段階は、国家は機能化しやすい。
そして、社会の段階を終える。
3, この時代は、社会学の中で理論が発展した
理性期は、カントやヘーゲルなど哲学者が、思想の開拓者だった。社会期は、社会学を純粋に研究する者達が社会思想を切り開いた。マルクスは偽りの社会論である。多くは経営学でその理論が提案された。思想(構造主義など)は、適切に、この時代の原理を説明してはいない。よっていわゆる思想は廃れ、経営学ほどの影響はなかった。
4, この時代の末期には、組織理論の数理モデルが登場する
理性期は、ヘーゲルが、理性を純粋に現す数式を開発した。"論理学"である。よって、社会期も、社会を純粋に表現する数式が発見される。
5, この時代の末期には、社会論を工学にしたものが発展する。
理性期の末期には、理性的なものがものとなって人々の生活を変えた。産業革命のことだ。機械工学が、実用化した。
社会期の後半には、コンピューターが登場した。特に、インターネットは、人間どうしをつなぐもので、社会的だ。インターネットは、社会期の成果といえる。
6, この時代の次は、空間を課題とする。
人類の思想区分は、理性→ 社会 → 空間である。次の課題は21世初頭に始まる。厳密には、2030年からだ。最初に、価値観の転換が起きる。それで、空間という尺度で、見直す運動がおきる。それは21世紀のルネッサンスとなる。
7, 人類の思想史と発達心理は相似する。
人は、15-18歳で合理主義や理性に興味をもつ。18-20歳で社会に熱中する。21歳以後は建築や家、都市など空間的なものに関心がうつる。このテーマの変遷は、人類の関心と一致する。
人類は、15-19世紀は、合理主義的なものを探求して、カント・ヘーゲルは理性を求めた。20世紀に入ると、社会改革、社会的な地位に関心を寄せた。
このように、人類と個人の関心は似る。人間の1年が、人類の約100年に相当する。ここから、人類の未来のテーマは、個人の発達心理を明らかにすると、解明できる。それを人類の地図、という。
以上
これが、私の「20世紀の社会組織論」だ。この理論はあらゆる社会イデオロギーを統合する。
私はこれを1992年の卒業論文で、原案を記した。今は 各部を補う。この理論の価値がわかるのは、当面は、ケン・ウィルバー他、数人だろう。
これは社会思想を完成させる唯一無二の代物で、世界最高ランクだ。20-21世紀初頭の最も偉大な思想なのだが。世界に影響を与える思想が過去一つもなかった日本人が書き上げたのだ。日本も誇ってよいのかもよ。ここまで見抜けたら、世界の思想に通じている、といえる。
昨日の宿題
人は、25歳で絵画、写真に興味をもつ。これは25歳になったら、わかる。絵画を見たくなり、写真を撮りたくなるから。しかし、これは二次元的なもの。それまで三次元の空間を興味をもっていた。残る一次元にどこにいったのか?
答え
霊的なことに興味をもつ。見えない領域に、一次元の関心がゆく。これは自覚は弱い。だがも直感など、霊的なものに関心をもちはじめる。さて、これと同じことはね人類は25世紀頃におきるだろう。人類は次の次の段階で霊的なものに関心をもつのである。
それはつまり、どういうことか? 人類は神と統合される、という意味となる。一次元的に。一次元とは、文や声などをさす。人類は直感的に神に従う。おそらく実際には、神の声を直に聞くシステムが開発され、それが社会全体にゆきわたり制度になる、ということをさす。神の直接統治がその頃に起きる、だろう。
では、次の問題 私の研究では、発達心理論で精神次元を示せる。いわゆる菩薩の精神(仏教で用いられるものでもよい)は、いったいどの精神段階にあるか? 何歳までの発達心理のテーマを消化した人格か?
これは、ケン・ウィルバーがとびつく理論だ。精神の向上(精神の基礎的な次元)はなんと若いうちに止まる、という衝撃の理論なのだから。年取ってからはけっして悟れない、という話。
道徳教育法 政治教育
週刊新潮の2015年2月19日号、「日教組」教研修会で発表された亡国の授業風景、という記事は衝撃。そこでは、日教組が半ば公然と政治教育をする実態が暴露されていた。安倍政治に反対するため、偏った内容(反原発、憲法、無抵抗平和主義)を叩き込むことに激烈な教師が紹介されている。
政治教育は、公共教育で行なわれる。そこに偏りがあってはならない。日教組といえば、人権、個人の思想の自由のため道徳教育は否定している。その論理だと、特定の政治思想などはもっての他。彼らは、それら特定の思想を国が教えてはいけない<という。ならば、教師も同じく教えていけないはず。だが、日教組の教師だけは例外で、彼らの言う人権に反して、特定の政治思想を教えてもよいのだろうか?
こういうゆがんだ社会教育がなされないようにするためには、それを国が禁じるしかない。しかし、学校で人々が見えないところで、そんなイデオロギー教育が行なわれる。その対処としては、正しく、公平、中立な政治教育を行なうしかないだろう。文部省はそういうカリュキュラムを用意しなくてはいけない。どうしよう?
私は、国家の仕組みは、小学校5-6年に習った。普通選挙があって、議員が決まる。衆議院の議員から首相が選ばれる、と。選挙は秘密投票にされる、という。このように、首相は国民の代表である、と習う。
国は、どんなことをして、国民のために働くか? それはあまり記憶にない。そういうことをよく教えなくてはいけないだろう。過去、首相が行ったことで、特筆するようなものは学ばせたい。
歴代首相の功績を。意外と、どこそこの知事は何をしたか。そういうことは地元学習でよく学ぶ。だが、国の首相は、そういうことがない。ここはおかしいから、学ばせておく。これをしっかりさせないと、首相に何ができるか、どんなことをするか、具体的なイメージができない子供になる。
次に憲法論を教える時の問題。憲法とは何か? これがインチキくさかった。国の法律で根本的なもの。「最高法規」という言い方が繰り返しされる。しかし、それがよくわからなかった。基本的なルールでよいだろう。
憲法の精神というのがさらにひどかった。憲法の精神とは、何か? 基本的には、世俗にある理念や慣習・ルールを憲法は採り入れた。よって、その精神とは、個別の制度の理念をさす。私が教わった時には、憲法に書かれているから、理由はなく、それが最高という。何が最高かわからなかった。
一つ一つは、誰かさんがある理由をもって考えたルールだ。そこを詳しく説明すべきだろう。どうして、誰がそのルールをどういう意図で憲法に採りいれたか。外国はどんなものがあるか。
選挙もしっかり教えよう。低投票率も、選挙の意義をしっかり教えられなかった結果である。
このように国の制度だけでも、丁寧にぬかりなく教えておく。すると、あまりに品位のない考え方や過激な思想は、否定されるから、子供はもたなくなる。これは過激派になる子供を減らす上でも、大切である。
本日の被害
昨日は偽装のための頭痛攻撃だった。昨日、麻薬を室内にばらまく犯人の家を区画までつきとめた。多田神社の北西だった。ネットで嫌がらせをする"くず"の南100Mほど。前回の調査では、くずの西から西北30Mを調べたが、そこではなかった。そこを通ったら、中毒にしてきた。理由は不明。この犯人は、独善的な男だ。
全国の共産が私にのろわれる。これを回避したくて、アカは、おとなしくなるのがふつうだ。が、このアカはそんな規律を守る、共産に迷惑をかけない、というふつうの人がもっている心がない。自己犠牲ができない最たる男だ。他人を巻き込んで犠牲にする、という。自己犠牲が足りない男だ。
頭痛はやっとおさまった。気楽に記すか。ここは、日によって読者数が変動する。しかも少ない。私のファンがいて、彼らが毎日チェックしているのが大半、と思う。世間受けしてないのが、難だ。がんばろう。
イデオロギーの終焉 11 まとめ
昨日は、社会組織成長論の概要を示した。この論は経営学の最難解。これを理解したら、経営学をマスターした、といってもよいほど。一昔前は。だから、研究者も少なく、反響も小さい。私の提案の価値も、理解されないようだ。
今日は、今まで10回にわたった連載をまとめる。
1, 20世紀は社会イデオロギーの時代
20世紀は、人類全てが社会改革、社会思想(イデオロギー)に熱中した。「社会」が人類のテーマだった。その期間は正確には、1910年から2030年だった。それまでは「理性」がカント、ヘーゲルなどドイツ人によって探求され、英知をもつ人格が賞賛された。今や、人類の発展には社会改革が必要で、事業に成功した者が認められる。
2, 社会の時代は、6段階ある
20世紀の変化は、6段階にわけられる。各段階は20年のようだ。
1,創業期(1910-30年)の段階は、ユートピアが認められ、軍人会やテニスクラブなど社会グループが雨後のたけのこのように誕生した。
2,集権制(1930-50年)の段階は、権力を一つにまとめることが課題となった。権力をもつ者への信頼が厚くなり、国家の権力は一つに集中して、独裁国家が猛威を振るった。
3,分権制(1950-70年)の段階は、権限委譲が始まった。自治が流行して、民族主義で各国が植民地から独立した。
4,官僚制(1950-70年)の段階は、専門家や市民運動が台頭した。初期には、学生の無能化が起き、ヒッピー・全共闘が発生した。各国は巨大な官僚制を敷いた。専門家が人間の究極とされた。
5,集団制(1990-2010年)は、官僚制が崩壊して、分社した。大企業は分社した。多くの共産国家が崩壊して、民主化した。資本主義の時代である。小さな集団でのリーダーシップがもてはやされる。地域主義が発生した。
6,個人主義型組織(2010-30年)は、独立個人の事業が見直された。コラボレーション、企画ごとに人が集まるという組織形態が流行する。個人、民族のアイデンテティを模索し、ナショナリズムが台頭した。この段階は、国家は機能化しやすい。
そして、社会の段階を終える。
3, この時代は、社会学の中で理論が発展した
理性期は、カントやヘーゲルなど哲学者が、思想の開拓者だった。社会期は、社会学を純粋に研究する者達が社会思想を切り開いた。マルクスは偽りの社会論である。多くは経営学でその理論が提案された。思想(構造主義など)は、適切に、この時代の原理を説明してはいない。よっていわゆる思想は廃れ、経営学ほどの影響はなかった。
4, この時代の末期には、組織理論の数理モデルが登場する
理性期は、ヘーゲルが、理性を純粋に現す数式を開発した。"論理学"である。よって、社会期も、社会を純粋に表現する数式が発見される。
5, この時代の末期には、社会論を工学にしたものが発展する。
理性期の末期には、理性的なものがものとなって人々の生活を変えた。産業革命のことだ。機械工学が、実用化した。
社会期の後半には、コンピューターが登場した。特に、インターネットは、人間どうしをつなぐもので、社会的だ。インターネットは、社会期の成果といえる。
6, この時代の次は、空間を課題とする。
人類の思想区分は、理性→ 社会 → 空間である。次の課題は21世初頭に始まる。厳密には、2030年からだ。最初に、価値観の転換が起きる。それで、空間という尺度で、見直す運動がおきる。それは21世紀のルネッサンスとなる。
7, 人類の思想史と発達心理は相似する。
人は、15-18歳で合理主義や理性に興味をもつ。18-20歳で社会に熱中する。21歳以後は建築や家、都市など空間的なものに関心がうつる。このテーマの変遷は、人類の関心と一致する。
人類は、15-19世紀は、合理主義的なものを探求して、カント・ヘーゲルは理性を求めた。20世紀に入ると、社会改革、社会的な地位に関心を寄せた。
このように、人類と個人の関心は似る。人間の1年が、人類の約100年に相当する。ここから、人類の未来のテーマは、個人の発達心理を明らかにすると、解明できる。それを人類の地図、という。
以上
これが、私の「20世紀の社会組織論」だ。この理論はあらゆる社会イデオロギーを統合する。
私はこれを1992年の卒業論文で、原案を記した。今は 各部を補う。この理論の価値がわかるのは、当面は、ケン・ウィルバー他、数人だろう。
これは社会思想を完成させる唯一無二の代物で、世界最高ランクだ。20-21世紀初頭の最も偉大な思想なのだが。世界に影響を与える思想が過去一つもなかった日本人が書き上げたのだ。日本も誇ってよいのかもよ。ここまで見抜けたら、世界の思想に通じている、といえる。
昨日の宿題
人は、25歳で絵画、写真に興味をもつ。これは25歳になったら、わかる。絵画を見たくなり、写真を撮りたくなるから。しかし、これは二次元的なもの。それまで三次元の空間を興味をもっていた。残る一次元にどこにいったのか?
答え
霊的なことに興味をもつ。見えない領域に、一次元の関心がゆく。これは自覚は弱い。だがも直感など、霊的なものに関心をもちはじめる。さて、これと同じことはね人類は25世紀頃におきるだろう。人類は次の次の段階で霊的なものに関心をもつのである。
それはつまり、どういうことか? 人類は神と統合される、という意味となる。一次元的に。一次元とは、文や声などをさす。人類は直感的に神に従う。おそらく実際には、神の声を直に聞くシステムが開発され、それが社会全体にゆきわたり制度になる、ということをさす。神の直接統治がその頃に起きる、だろう。
では、次の問題 私の研究では、発達心理論で精神次元を示せる。いわゆる菩薩の精神(仏教で用いられるものでもよい)は、いったいどの精神段階にあるか? 何歳までの発達心理のテーマを消化した人格か?
これは、ケン・ウィルバーがとびつく理論だ。精神の向上(精神の基礎的な次元)はなんと若いうちに止まる、という衝撃の理論なのだから。年取ってからはけっして悟れない、という話。
道徳教育法 政治教育
週刊新潮の2015年2月19日号、「日教組」教研修会で発表された亡国の授業風景、という記事は衝撃。そこでは、日教組が半ば公然と政治教育をする実態が暴露されていた。安倍政治に反対するため、偏った内容(反原発、憲法、無抵抗平和主義)を叩き込むことに激烈な教師が紹介されている。
政治教育は、公共教育で行なわれる。そこに偏りがあってはならない。日教組といえば、人権、個人の思想の自由のため道徳教育は否定している。その論理だと、特定の政治思想などはもっての他。彼らは、それら特定の思想を国が教えてはいけない<という。ならば、教師も同じく教えていけないはず。だが、日教組の教師だけは例外で、彼らの言う人権に反して、特定の政治思想を教えてもよいのだろうか?
こういうゆがんだ社会教育がなされないようにするためには、それを国が禁じるしかない。しかし、学校で人々が見えないところで、そんなイデオロギー教育が行なわれる。その対処としては、正しく、公平、中立な政治教育を行なうしかないだろう。文部省はそういうカリュキュラムを用意しなくてはいけない。どうしよう?
私は、国家の仕組みは、小学校5-6年に習った。普通選挙があって、議員が決まる。衆議院の議員から首相が選ばれる、と。選挙は秘密投票にされる、という。このように、首相は国民の代表である、と習う。
国は、どんなことをして、国民のために働くか? それはあまり記憶にない。そういうことをよく教えなくてはいけないだろう。過去、首相が行ったことで、特筆するようなものは学ばせたい。
歴代首相の功績を。意外と、どこそこの知事は何をしたか。そういうことは地元学習でよく学ぶ。だが、国の首相は、そういうことがない。ここはおかしいから、学ばせておく。これをしっかりさせないと、首相に何ができるか、どんなことをするか、具体的なイメージができない子供になる。
次に憲法論を教える時の問題。憲法とは何か? これがインチキくさかった。国の法律で根本的なもの。「最高法規」という言い方が繰り返しされる。しかし、それがよくわからなかった。基本的なルールでよいだろう。
憲法の精神というのがさらにひどかった。憲法の精神とは、何か? 基本的には、世俗にある理念や慣習・ルールを憲法は採り入れた。よって、その精神とは、個別の制度の理念をさす。私が教わった時には、憲法に書かれているから、理由はなく、それが最高という。何が最高かわからなかった。
一つ一つは、誰かさんがある理由をもって考えたルールだ。そこを詳しく説明すべきだろう。どうして、誰がそのルールをどういう意図で憲法に採りいれたか。外国はどんなものがあるか。
選挙もしっかり教えよう。低投票率も、選挙の意義をしっかり教えられなかった結果である。
このように国の制度だけでも、丁寧にぬかりなく教えておく。すると、あまりに品位のない考え方や過激な思想は、否定されるから、子供はもたなくなる。これは過激派になる子供を減らす上でも、大切である。
本日の被害
昨日は偽装のための頭痛攻撃だった。昨日、麻薬を室内にばらまく犯人の家を区画までつきとめた。多田神社の北西だった。ネットで嫌がらせをする"くず"の南100Mほど。前回の調査では、くずの西から西北30Mを調べたが、そこではなかった。そこを通ったら、中毒にしてきた。理由は不明。この犯人は、独善的な男だ。
全国の共産が私にのろわれる。これを回避したくて、アカは、おとなしくなるのがふつうだ。が、このアカはそんな規律を守る、共産に迷惑をかけない、というふつうの人がもっている心がない。自己犠牲ができない最たる男だ。他人を巻き込んで犠牲にする、という。自己犠牲が足りない男だ。