ビラーウィは、2014年6月5日にイラク治安軍によって殺されるまで、イスラム国の軍事委員会のトップを務めていた男だ。ビラーウィはアンバール州の最大部族ドレイムの出身で、イラクにおいて米軍に抵抗した部族である。ビラーウィは1993年にイラク軍事アカデミーを卒業、イラク軍に参加、大尉となる。
イラク戦争開始後、ビラーウィは、イラクのアルカーイダに参加、ザルカーウィと共闘したが、2005年に米軍に拘束され、キャンプ・ブッカに長期間拘置されている。そして、2013年7月に当時の「イラクのイスラム国」が襲撃したアブグレイブ刑務所から他の500人の囚人とともに逃走したとされている。脱走後、イスラム国の軍事委員会に参加、北イラクへの攻撃において主要な役割を担った。2014年6月9日にモスルが陥落した際には、ダーイシュは、その軍事作戦を「ビラーウィの復讐」と名付けたのである。
ハッジ・バクルも興味深い人物である。同人はすでにシリアにおいて2014年1月に死亡しているが、元々武器開発を担当するイラク陸軍大佐であった。イラク戦争後のスンニ派による抵抗運動に参画するが、米軍に拘束され、キャンプ・ブッカの拘置所に入れられたことをきっかけとして、ダーイシュの幹部となる。
同人は、組織内パージを強行し、バグダーディを中心とするダーイシュの組織化を図ったと見られている。同人に対しては、イスラム主義者からは、あまりにも世俗的との批判すらあった。バグダーディをカリフの位置につけたのも、ハッジ・バクルの操作の結果によるものと考えてよいだろう。
ここで、もう1人のナンバー2、アブ・アリ・アルアンバーリについても言及しておく必要があろう。アブ・アリは元々イラク軍の准将まで務めた男だ。イラクのアルカーイダにおいて頭角を現し、現在はダーイシュにおいてシリア全体のオペレーションを担っている。一説によれば、アンバーリこそが、バグダーディを背後で操っているとも見られている。
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