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2014-09-08
■[読書][歴史] 麻田雅文『満蒙 日露中の「最前線」』

日本・ロシア・中国が勢力争いを続けた地、満蒙。その満蒙について、日露戦争後から第2次大戦集結までの状況をロシア側の視点から描いたのがこの本です。
目次は以下の通り。
章の副題に、日本あるいは中国とロシアの人物があげられていますが、日本と中国側の人物はあくまでも話をわかりやすくするためにクローズアップされているもので、叙述の力点はロシア側の人物と、ロシアの満蒙、特に満州の中東鉄道に対する戦略に置かれています。
中公新書にロシアの政治外交史を専門とする横手慎二の『日露戦争史』という本があります。
「これ1冊で日露戦争のすべてがわかる!」というような本ではないですが、ちょうど司馬遼太郎の『坂の上の雲』が書かなかった(史料的制約もあって書けなかった)部分を書いた本で、日露戦争に対する新たな見方を提供してくれる本でした。
そして、この本『満蒙 日露中の「最前線」』も、同じように今まで日本の視点から見られることがほとんどだった「満蒙」という地域を、ロシア側からの視点によって描くことで、日本史、そして世界史に対する新たな視点を提供してくれる本と言えるでしょう。
日露戦争後のポーツマス条約によって、日本はロシアから旅順と大連の租借権と中東鉄道(東清鉄道)の長春以南の経営権を獲得しました。そして、鉄道は南満州鉄道となり、それを警備する目的でのちに関東軍となる軍隊が設置されます。満州は北部をロシアが南部を日本がその勢力圏とする形になるのです。
日本史の教科書だと、その後、満州にスポットライトがあたるのは1928年の張作霖爆殺事件と1931年の満洲事変です。しかし、よくよく考えてみるとこの間の満州に関してはいくつかの疑問が浮かんできます。
「対立していた日本とロシアはどうして4次にわたる日露協約を結び同盟国的な存在になったのか?」「1917年のロシア革命とそれにつづくシベリア出兵のときロシアの勢力圏だった満州北部はどうなっていたのか?」、「満州事変の時にソ連が干渉してくる可能性はなかったのか?」といったものです。
この本は日本史の教科書を見ているだけではわかりにくいこれらの疑問に答えてくれます。
まずは日露協調の動きについては、アメリカが満州に進出するために中東鉄道の中立化を狙ったことがその大きな原因にあるのですが、今回、この本の第2章を読んで、伊藤博文の暗殺が結果的に日露協調を進めさせたという側面を知ることが出来ました。
ご存知のように伊藤博文は1909年にハルビン駅で韓国人の安重根に暗殺されます。このハルビン駅は当時はロシアの支配下にある地域で、伊藤はそこでロシアの蔵相で後に首相にもなるココフツォフと会見するために急遽ハルビンへと向かったのです。
しかも、伊藤はロシア側に敬意を払うために関東都督府のつけた警護を断り、ハルビン駅で安重根に銃撃されて死んだのです。
この事件はロシア側に「日本がこれを開戦の口実にするのでは?」という恐れをもたせました。ちょうど日本で起きた大津事件の逆パターンを思わせるような事態です。
大津事件では被害者でもあったニコライ2世は、ここで日本・清朝・アメリカのいずれかと提携する選択肢の中で日本を選ぶことになるのです。
ニコライ2世は1910年に新年の挨拶に訪れた落合代理大使に次のように語ったとこの本には書かれています。
伊藤の遭難は非常に不幸な出来事で、日本と同じく、ロシアにとっても痛惜に堪えない事件である。ただ事件後、両国間で親密な感情が増し、かえって事件が良好な結果をもたらしているようだ。両国の友好関係が日々伸展しつつあるのは、「雨降って地固まる」ようで喜ばしい、と。(80p)
次にロシア革命後の満州情勢について。一般的にはこれが一番知られていないことかもしれません。
この本の第3章では、ホルヴァートというロシア革命時における中東鉄道の現地の最高責任者を中心に、本国を失った旧ロシア勢力圏の姿を描き出します。
1917年にロシア革命は起きましたが、ロシアは広大であり、すぐにすべての地域で体制がひっくり返ったわけではありません。特に極東では反革命の勢力が強く、その中でホルヴァートは列強や中国と上手く交渉し、一種の「独立状態」をつくりあげます。
そして日本の当時の陸軍参謀次長であった田中義一は、シベリア出兵などが検討される中で、このホルヴァートに肩入れし、ロシア情勢に大規模に干渉しようと考えました。
しかし、セミョーノフやコルチャークといった他の反革命勢力が入り乱れるロシア極東においてホルヴァートは明らかに力不足でした。
結局、日本はホルヴァートを見捨て、ホルヴァートは失脚。権力の空白となった中東鉄道は張作霖率いる奉天派がその利権を回収していくことになります。
ここで、ソ連(ロシア)は「満蒙問題」を精算しても良かったのですが、反革命派の掃討、満州を穀物の供給先にするという思惑などから、その後、中東鉄道について張作霖と協定を結び、再び「満蒙問題」に介入していくことになります。
石原莞爾は満州で軍事行動を起こしてもソ連は動かないとみて、満州事変へと踏み切るわけですが、事実、スターリンは早々と介入をしないことを決め事態を静観します。
その理由に関しては、この本の第5章を読んで欲しいのですが、この本を読むとスターリンの戦略眼が確かなものだったことがうかがえます。「大粛清」のイメージが先行するスターリンですが、外国との戦争については無理な争いは避け、自国の軍事力が充実するまではじっと我慢をしています。ソ連は交渉の末、1935年に中東鉄道を売却。一端は満州から手を引きます。
一方、その間に着々と極東の国防を強化し、1937年には兵力、戦車、航空機のいずれもが関東軍を圧倒する規模になっていたのです。
そして、終戦間際に日ソ中立条約を破棄して満州国に攻め込んだ際は、実に174万7000人あまりの総兵力で、満州国に攻め込みました(262p)。
このように、日本史だけを追っているとよく見えてこない部分を教えてくれるのがこの本。中国が絡んでくると、さすがにわかりにくくなってしまう部分もあるのですが、ロシアの動きは非常によく追えており、「満蒙問題」、そして20世紀前半の「満蒙」という地がいかなるものだったのかということがよく分かる内容になっています。
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