まじめな人がなりやすく、なると自分を責める。こんなうつ病のイメージが変わろうとしている。「新型うつ病」の増殖を著書で紹介した大阪の精神科医片田珠美(かただ・たまみ)(50)が典型例を教えてくれた。
一流企業に勤める20代後半の女性。黒のパンツスーツで診察室に現れた。しんどそうだった。問いかけると一転、冗舌になる。
「異動を言い渡されたが、私に合わない」「上司は自分を理解してくれない」
15分ほど一方的にしゃべり続ける。従来型のうつ病では、こういうことはあまりない。ただ、気分の落ち込みといった症状はあったから、とりあえず「うつ病」の診断書を出し、休職してもらった。
6カ月の休職期間が終わろうとする頃、女性が診察を受けにきた。恋人と海外旅行に行ってきたという。そして、「うつから回復するには配置転換が必要と診断書に書いてほしい」。片田が断ると、怒り出した。「患者のために、できるだけのことをするのが医者でしょ」
女性はそれまでほとんど挫折した経験がなかった。片田は言う。「『もっとできるはず』という自己愛が強く、うまくいかないと他人のせいにしたがる。この女性は、どちらかというと自己愛性人格障害に近い」
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「先生、つまらんことを考えてみたのですが」。九州大大学院生だった樽味伸(たるみ・しん)は、こう言って本題に入るのが常だった。指導教授の神庭重信(かんば・しげのぶ)(57)の部屋でソファに座り、大きな体を折り曲げるようにして話した。
2004年。社会精神医学会での発表を控え、樽味の口ぶりは力がこもっていた。「ディスチミア親和型という言葉を思いつきました。いい名前だと思うんです」
うつ病患者の診察を重ねる中で樽味は、ある一群が増えていることに気づく。あまり仕事熱心ではなく、他人を責める傾向があり、抗うつ薬が効かない。
こうした新しいタイプのうつ病は「逃避型」「未熟型」とマイナスのイメージで語られていた。樽味は「ディスチミア」(不機嫌、活力に乏しい)という言葉を使うことで、病を中立的にとらえようとしたようだ。治療もそれぞれに合った方法を取り入れるべきだと考えていた。
樽味は発表の翌年、心室細動で急逝する。33歳だった。「患者の傍らに居続けるタイプの精神科医だった。だからこそ、そうした患者が増えていることにいち早く気づいたのだろう」と神庭は話す。
今や神経症や軽い気分の落ち込みまで、うつ病にされてしまう。防衛医大教授野村総一郎(のむら・そういちろう)(62)は「米国精神医学会の診断基準を導入したことが、うつ病の範囲を広げた」と言う。不眠や食欲の低下、気力の減退など9項目中5項目以上の症状が2週間あれば、うつ病と診断できる。
客観的になった半面、機械的な診断も多くなった。「基準の項目を取りにいき、『これで一丁上がり』という風潮すら感じられる」
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〈うつは心の風邪〉。1990年代末から製薬会社などが使った宣伝文句は、行きづらかった精神科を身近な存在にした。患者はあふれ、医者は薬に頼る。
片田が診た30代の女性は離婚して一人で子どもを育てている。仕事もなく、「学校参観の前になると、不安でたまらない」と訴えた。前の主治医は3種類の抗うつ薬を処方していた。同じ状況なら誰でも感じるような漠然とした不安が主な症状なのに。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「メランコリー」という言葉を使ったあたりが、うつ病の始まりとされる。2400年の時を経て、日本では今、患者が100万人を超す。
(このシリーズは文を佐藤陽、写真を伊ケ崎忍が担当します。本文中の敬称は略します)