2014年10月08日

日本における理系研究者の待遇について

青色発光ダイオード(LED)の開発で、2014年のノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二教授

おめでとうございます!

以前にも、中村さんの記事は見ました。数百億円とも評価された研究の対価がたった数万円の報奨金だったという話を聞いた時、日本の研究者に対する待遇に非常に不信感を持った記憶があります。日本企業の、社員を成果を問わずに横並びで扱う風潮は、将来的に優秀な人材をどんどん国外に流出させることにもなりかねず、日本にとってマイナスです。中村さんもアメリカに渡りましたからね。

よくネットなどで聞く意見として、「企業の設備を使ったんだから~」みたいな話があるんですが、そもそも研究者がいなければ企業は研究をすることすらできません。企業は別に社員より上にあるものではないのです。対等な関係というべきでしょう。終身雇用と新卒採用などで、企業が人間より上のものであるかのように思われてるだけなのです。研究者を雇い、成果が出ることで企業も設けることが出来るのだから研究者にも成果に見合った報酬というのはあってしかるべきです。



2014年09月20日

勉強とゲーム

よく、「楽しいことを我慢して勉強する」みたいなのがありますが、これが本末転倒なのは明らかだと思います。勉強なんてのは本来個人がやりたいと勝手に思ってやるものです。極端な話、大学などが存在しなくてもやろうとするのが勉強だったはずです。

社会全体で「勉強は苦痛」みたいな意見が多いのでここでは「勉強=いろいろ我慢してやるもの」、「ゲーム=やりたくてやる学習」とします。

最近読んだ「浜村渚の計算ノート」で、主人公渚が数学をやっているときに、周囲の人と「また勉強やってるの?」「勉強じゃありません。数学をやってるんです」みたいな会話があったんですが、このときの渚がやってる数学こそが社会的に価値を持つと言っていいでしょう。一切苦痛を伴わず、興味だけを原動力として行っているわけですから。学校などで、段階を踏んで勉強をしていくことに一切価値はないんです。そんなことに時間を使うのは時間の無駄以外の何物でもないし、その結果身に着けた知識はただの丸暗記でしかなく、実用性がないですから。本人がやりたいとも思わず、受験に使うからとかテストで点を取るためだとかで勉強するのは学問に対する冒涜と言ってもいいでしょう。だから私は受験勉強などという、適当に範囲を決めて競い合うような勉強に価値はないと主張し、AO方式のほうが良いと言ってるのです。あくまで最低限の学力さえあれば、あとは興味のある人間だけがそれぞれ勝手にゲームをやってればいいわけですから。そして、そう言ったゲームでは勉強とは比較にならない集中力が発揮できるわけで、はるかに効率的です。

人間には興味のある分野や得意な分野で個人差があるわけですので、無理にカリキュラムを作って勉強させるよりは、個人の興味に沿って勝手に学習させることで、より効率的に社会的に分配することが出来ます。大体、個人個人の成長速度なんてばらばらなので統一のカリキュラムをつくるなんて不可能なんです。それなのに統制されてる現在の教育が異常というべきでしょう。

2014年09月16日

浜村渚の計算ノート

これは以前ちょっと立ち読みしたんだが、その頃は時間がなかったんで最近になってようやく読むようになった。とりあえず原作とコミックを両方。

原作一巻を買ってみた後検索したら漫画が出てるということなので即全巻購入した。とりあえずコミックのほうは原作一巻までの内容っぽい。

これはいい。数学テロとかいうのがちょっとぶっ飛んでる感はあったが、ストーリーとしては面白いし数学的な話も出てくる。しかも渚ちゃんが可愛い。
浜村渚1
浜村渚

個人的にこういうキャラ好きですね。

まだ原作全巻は購入してないんで、今後買って読んでみたい。


sfwisterian5 at 19:09コメント(0) 
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