中国の古典に、歴史家とはどういう存在なのかを伝える逸話がある。春秋戦国時代の斉に崔杼という人物がいた。崔杼が君主の荘公を殺して宰相になると、史官は「崔杼、其の君を弑す(弑す=臣下が王を殺すこと)」と書いた。崔杼はこの史官を殺した。昔の中国では家族が史官を継ぐことがあった。弟が同じことを書くと、崔杼は弟も殺した。後を継いだ末の弟までが「崔杼、其の君を弑す」と書いた。さすがの崔杼も、それ以上どうすることもできなかった。
そんな歴史家を、安倍晋三首相は何度も刺激した。米外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』はかつて、安倍首相に「日本が韓国、中国を侵略した事実を認めるか」と尋ねた。安倍氏は「侵略の定義をめぐる議論は歴史家が取り組むべき話だ」と答えた。また、旧日本軍の慰安婦問題についても「(真実を明らかにすることは)歴史学者たちに任せるべきだ」と述べた。日本の侵略の歴史と慰安婦動員の蛮行を歴史家が議論すべき問題に転嫁したわけだ。
日本の歴史教科書歪曲(わいきょく)の「震源地」である「新しい歴史教科書をつくる会」を率いてきたのは、藤岡信勝・元東大教授、西尾幹二・電気通信大名誉教授らだった。安倍首相は自民党幹事長代理だったころ、この会を支援する党内部の議員連盟の中心人物だった。安倍氏は「歴史家の役目」を口にするとき、友軍である藤岡氏や西尾氏らの名前だけを思い浮かべたのかもしれない。
日本の歴史歪曲に耐えかね、米国の歴史学者たちが立ち上がった。日本政府は昨年、米国のある出版社が出した世界史教科書の慰安婦関連の記述に問題があるとして、修正を要求した。これに対し、米国の歴史学者らは「学問の自由に対する重大な脅威」と批判し「旧日本軍の慰安婦問題は論争の種ではなく、すでに全世界が認めている『事実』だ」とくぎを刺した。また「歴史は自分の都合のいいように選び、必要なものだけを記憶するものではない。慰安婦は日本が国レベルで後援した性的奴隷だということに異論はない」とも指摘した。こうした米国の歴史学者たちの声明は今年初め、アメリカ歴史学会(AHA)年次総会で満場一致により採択された。
「私たちは力の弱い歴史学者だが、これからも歴史学者としての良心と責任を果たしていく」。声明の作成を主導したコネチカット大のダデン教授の言葉が印象的だ。日本の歴史学4団体も昨年12月、安倍首相による慰安婦問題の歪曲を批判し、歴史研究に基づく真実を国内外に伝えていくことを決議した。安倍首相が歴史家たちの怒りにどう応じるのかが気になる。研究室にこもっていた剛直な歴史家たちの国際的連帯が日本による歴史歪曲の蛮行を変えられるのか、見守っていきたい。