鹿児島・三島:離島の村 投票率、毎回ほぼ100%のなぜ
毎日新聞 2015年02月12日 08時00分
◇働かない議員は交代 鍛えられる民主主義
議員選挙の投票率が毎回、事実上100%の自治体がある。鹿児島県三島村。薩摩半島の南西約50キロの沖合、三つの離島からなる。人口は先月1日現在375人だが、定数7の村議選が無投票となったことは過去に一度もない。高投票率の秘密を知ろうと訪ねると、本土並みの行政サービスを受けられない逆境の中で、民主主義が鍛えられていた。【和田浩幸】
3島と鹿児島港を結ぶ村営フェリーで最も近い竹島まで3時間。一番奥の黒島までは5時間強かかる。
直近の2011年村議選では有権者279人のうち、棄権は寝たきりの高齢者ら5人のみ。投票率は98.21%だった。3期目を目指す現職2人が1票差で最下位当選と次点に沈み、新人がトップ当選するなど新陳代謝も活発だ。ちなみに07年村議選の投票率は98.33%だった。
「おばあの具合が悪い」。今年の元日午前4時半ごろ、黒島に住む村議会議長、日高重行さん(65)の携帯電話が鳴った。駆け付けると、93歳の女性が息を引き取っていた。
医師も警察官もいない。船は2日に1往復で、海はしけ、欠航が続いていた。急患用のヘリも飛ばせない。非常時の対応は地区長も兼ねる日高さんらに任される。遺体を保冷剤で冷やし、葬儀の手続きや納棺に追われた。正月3日、ひつぎは船に乗せられ、その船内で島を巡回する医師がようやく死亡を確認。そのまま鹿児島市内の葬儀場へ向かった。
村役場も鹿児島市内にある。日高さんは言う。「島では当たり前の行政サービスが受けられない。全員が選挙に行くのは、切実な思いを政治に反映させたいからです」
島は戦時中孤立し、終戦が伝わったのは3カ月後の1945年11月だった。戦後の高度経済成長からも取り残された。電化製品の普及は、24時間送電が実現した74年以降だ。
竹島には飲食店も商店もなく、欠航が長引けば各世帯が食料を分け合う。国や県の支援なしに暮らしは成り立たない。議員は島民の声を県や国に伝える重い使命を負う。
選挙が近づくと、島民たちはメモ用紙に候補名を書き、その下に○、△、×の印を付けて当落を予想し合う。「お前は何のために議員になったと?」「世間(本土)との違いをどげん考えとるとかっ」。硫黄島では、働かない議員を島民が取り囲み、怒鳴りつける光景もあったという。