二段顎(2005.01.18)
 顎(あご)と言う漢字、自分では書けませんが、ワープロではいとも簡単に出てくる。
 今年度の健康診断で血圧が高いと指摘された。東工大の校医の先生から、すぐに病変が出ないからと言って軽視してもらっては困ります、高血圧は病気と思ってちゃんと治療してくださいと言われた。病院を教えてもらって内科で診察を受けたところ、カロリー取りすぎ、アルコール飲み過ぎ、塩分取りすぎ、運動不足とさんざん言われてしまった。体重を○kg減らしてください、塩分摂取量を減らすために栄養指導を受けて下さいと言うことになった。自分ではそれほど肥満とは思っていないが何とか努力しなければいけないだろう。最近ちょっと身体が重いと感じてもいるし。
 今日の本題。身体はどちらかと言えばスリム、顔もほっそりという最近の若い女性で、顎だけが二段になっているという人にたまにお目にかかる。アレッと思う。身体がちょっとふくよかという場合は二段顎でも違和感はないが、身体自体はいたってスマートなのだから本当に驚く。家族とこんな人がたまに居るよねと話していたら、中2の娘が「ダイエット最優先で、やわらかいものばかり食べていると口の周りの筋肉が発達せず、顎の肉がだらんと落ちるからあんなになるんだよ。脂肪のかたまりじゃないんだよ。」と教えてくれた。なるほどそういうことかと納得。しかし、こんな人は将来大きな健康問題を抱えることになるだろうな。

通勤カバン(2005.01.14)
 12年間に渡って使っているブリーフケースがさすがにくたびれてきた。某社ロス本店で買い求めたものだが、これほどく長く使うとは思っていなかった。持ち手等は皮革、その他はバチュークロスという構成で、軽く柔軟性にとんでいるため使い勝手がよかった。最初はちょっと明るすぎた皮革の色も味わいのある色に変わった。持ち手の革が徐々に伸び、ジッパーの引き手が取れ、縁かがりの革が破れてもなかなか買い換えられなかった。
 勤め人になって初めて買った通勤カバンは、合成皮革製でメイン収納部とサイドポケットがついている普通の黒のビジネスバッグであった。その当時はこんなカバンを持つのが普通だったように思う。何年間か使ってコーナー等が擦れてきたので、そろそろ買い換えようかと思っていた時に思いがけず受賞祝いで総革製のバッグをいただいた。これはさすがに丈夫でかなりの期間使わせていただいた。このバッグの取っ手(真鍮削り出しの立派なもの)ががたつき始め、底の皮がフニャッとなってきた頃、英国製の総革アタッシュケースを使い始めた。これは本当に良い品だったし、今でも大切に保管しているのだが、その重量や大きさが段々といやになった。ちょっとかさばる物を収納すると鍵がかけられなくなるのも気に入らなかった。そんな時に現在のカバンに出会った。その軽量振りと強靱さが特に印象的であった。日本未輸入(当時)というのも気に入り即決で購入した。
 以来12年。修理費数万円と言われてはさすがに新しいものを求めた方がよいと思っている。肩掛け/手持ちのいずれも可、海外出張時の機内持ち込みに使える(=現在のものより少し大きめ&収納量可変)、軽量&柔軟性を備えているという多用途型のバッグはないだろうか。探しに行こう。

演説(2005.01.11)
 九感長庵22で「演説」という訳語は福沢諭吉が作ったものと書いた(「三田演説館」2003.06.12)。ところが、どうも違うようだ。井上ひさしの「ニホン語日記2」を読んでいて以下の文章に出くわした。
 『一般に「演説」は福沢諭吉の造語と信じられているようであるが、事実はそうではないようである。幕末の長崎で「演舌(えんぜつ)」という言葉がむやみにはやっていた。それを諭吉がスピーチの意味を付けて転用したのである。』
 井上によると、新造語の名人は森鴎外だという。「詩情」、「空想」、「民謡」、「女優」、「男優」、「長編小説」、「短編小説」などはすべて鴎外の造語であるという。ちなみに「浪漫主義」は漱石、「微苦笑」は久米正雄、「慕情」は高見順、「小説」は逍遙だそうだ。
 言葉というものが非常に大事であるのは言うまでもない。何と表現して良いかわからないぼんやりしたものが、名付けられてはっきりと見えてくることは我々自身も経験していることである。「超分子」、「メゾ多孔体」等の新しい用語も新造語の範疇に入るのは確かであろう(単なる訳語かな?)。自分の研究成果から新造語が産まれると嬉しいのだが。

鏡餅(2004.01.06)
 先日、実家のお正月準備で帰郷した折、お墓の清掃とお餅のお供えのためにお寺に出かけた。境内で餅つきが行われていた。札幌や横浜ではついぞ見かけなかった風景である。私が小さい頃は町内で餅つきをやっていた。少し広めの庭を持っているお宅の軒先をお借りして同じ町内の第7班の餅つきが行われていた。私の実家が場所を提供する当番になったこともある。杵や臼は近所の農家にお借りしていたように覚えている。
 実家の近くのスーパーに鏡餅を買いに行ったら、プラスチック製の鏡餅の中に真空包装のお餅が入っているタイプしか売っていなかった。むむむ...。
 宿舎の近くの平間商店街を通勤の時に通る。この通りには小規模のスーパーが一軒あるだけで他は昔ながらの小売りの商店が並んでいる。野菜屋さん、靴屋さん、電気屋さん、魚屋さんはもちろん、日用品や書籍、焼きそば、たこ焼き、和菓子等が何の脈絡もなく並んでいる。郵便局もある。間口はそれぞれ5−8メートル程度だろうか。昔の絵本に出てくる駅前商店街がそのまま残っている感じである。並びの中にお米やさんがある。暮れにお餅が並んでいた。きちんと二段重ねになった鏡餅も置いてあった。大きさが一号、二号...と数字で表されているのは今風であるが、お米の鏡餅であるのがよい。ここには何となく懐かしい雰囲気が漂っている。

羽田第1ターミナル(2005.01.04)
 昨年暮れ、12月1日に羽田第2ターミナルがオープンし、以前から使っていた第1ターミナルはJALがほぼ占有的に(他に2社あり)使うことになった。さらに、12月21日には第1ターミナルのリニューアルが終了し、北ウィングが北海道、東北方面、南ウィングが九州、関西方面となった。このため、これまでほとんど足を踏み入れることのなかった北ウィングに出入りするようになった(私はマイレージの関係でJAL搭乗派なのです)。
 実際にうろうろしてみると、結構アレッと思うことがある。まず、動く歩道である。南ウィングは右側通行であるのに対し、北ウィングは左側通行になっている。このため北から南に移動する時、ちょっと戸惑う(逆方向も事情は同じ)。つまり、北ウィングでは左側の通路を通って南に行くのに、南ウィングでは右側通路を使って南に行くことになり違和感が大きい。こんなものはスウィッチ一つで動作方向を切り替えられるはずだから統一してくれよと思った。
 しかし、しばらく考えてなるほどとなった。チェックイン/チェックアウトの手続きはターミナルのほぼ中央で行われている。この状況で出発客の動きを考えると、中央部から左右に分かれて南北ウィングに流れていくのが一番大きな動線になる。ボーディングブリッジのほとんどがビルの西側に取り付けられ、チェックインカウンターがビルの東側にあることを考慮すると、南ウィングでは右側通行、北ウィングでは左側通行とした方が到着客の動線と交差しない。なるほどなるほど。
 まだ経験していないが、札幌から東京経由長崎行きとなったら大変だなと思った。ビルの中をほとんど端から端まで歩かなければ行けない。結構長いんですよ、これが。
 南と北にある施設がかなり違う。たとえば北にはキッズガーデンがあるが、南にはない。反対に南には結構大きなブルースカイ(JAL子会社直営売店)があるが、北には申し訳程度のお店しかない。これでは駆け込み搭乗し、おみやげはブルースカイという時にちょっと困る。
 ま、急には変えられないのでオイオイ使い勝手が良くなっていくのだろうと期待しています。

空陸の競争(2004.12.28)
 板付空港(福岡)のターミナルビル正面に新幹線の大広告がある。名古屋まで片道12,500円、新大阪までグリーン車で14,950円と謳ってある。常設の大看板なので、期間限定の特別割引等ではないようだ。なるほどと思った。
 東京−福岡の正規の航空運賃は片道3万円以上なのにいつも往復3−4万円のパックが発売されている。他の路線だと値引きが無くなってしまう年末年始でさえこの値段でOKである。これは新幹線と空路の大競争が繰り広げられているためなのだ。東京−大阪でも同様の競争が行われ、空路が新幹線から少しずつ客を奪っていることは知っていたが、福岡でもそうなっているとは知らなかった。
 逆に新幹線が空路の客を大幅に奪っているケースもある。たとえば秋田である。空路の乗務員が新幹線で移動しているとJR東日本に広告を打たれたほどであるから空路の退潮は著しい。
 これに対し東京−札幌はその恩恵を受けていない。新幹線との競争が存在しないため、お盆や年末年始は正規料金の便のみが飛んでいる。せいぜい株主優待券を購入してなにがしか安く搭乗する以外に方法はない。東京−札幌便の黒字で他の路線の競争を支えているのでは??? 早く新幹線が札幌まで伸びてほしい気もするが、採算不透明路線を政治的に造ってもなーという気もする。
 このような競争がそれぞれの足腰を強くし、それぞれの交通機関が適材適所でしっくり収まる日がいずれは来るのだろう。

喪中はがき(2004.12.24)
 2002年12月13日の本欄(九感長庵18)で喪中はがきを取り上げ、「亡くなった方が祖父母から段々ご両親に移ってきた。私もちゃんと孝行しておかなければ。」と書いた。今年は実際に父が他界したので、私自身が喪中はがきを出す番になった。ちゃんと孝行してきただろうか。心が痛む。せめて残された母は元気で自由に暮らしてほしいと思う。そのために出来るだけの援助をしたいとは思うが、遠距離である点がネックになっている。
 例年のことだが今年もたくさんの喪中はがきをいただいた。喪中はがきは類型的な表現になっているので、その方の悲しみや背景を伺うことは出来ない。しかしどなたが亡くなったかはわかる。今年は奥様を亡くされた方、お子さまを亡くされた方があった。驚いたことに、まだ現役の教授だったのにご本人が亡くなられたケースもあった。段々他人事でなくなってきている。合掌。

ウィルス時刻(2004.12.17)
 かなりの数のウィルス付きメールを毎日受け取る。東京工業大学の場合、メール送受信を担当しているホストコンピューターのウィルスチェックがかなりきちんとしているのでほとんどそこではじかれる。しかし完璧ではない。自分のパソコンのウィルスチェックソフトに引っ掛かるのが月に数件ある。二段階で防御している意味があることになる。
 ウィルスが送られてくる時刻にはかなり規則性がある。まず、朝の9時から10時の間に第一の山がある。第二の山はなだらかではあるが夕方から夜中にかけてである。つまり昼間にウィルスメールが届くことはあまりない。また、午前4時−9時も比較的少ない。
 なぜこんなことになるかはすぐにわかる(気がする)。日本に朝が来ていろいろなパソコンのスウィッチがONになると、ウィルスを抱えたパソコンからウィルスメールが発信され始める。このため9時−10時に受信の第一の山が出来る。一方、夕方から夜にかけて、ヨーロッパ、アメリカのパソコンが順次ONになると第二の山が出来るというわけである。私の場合、Applied Catalysis B: Environmentalという学術誌の編集長をしているので、メールアドレスは世界に公開されている。
 ほとんどのウィルスメールが発信人詐称である上に、私のパソコンがウィルスに汚染されているわけではないので対処のしようがない。現在使用中のメーラーが比較的高機能なので、ウィルスが発見されたメールを自動分別で即ゴミ箱へ送っているが、これしか対策がないのも寂しい。現在、ネットを流れているメールの半分はジャンクメールやウィルスメールであると言われている。21世紀を支える社会資本がこのような形で汚染され、社会への負荷が大きくなるのを何とか防げないものだろうか。

ターミネーター(2004.12.15)
 ある日の新聞の映画紹介欄。映画評論家の芝山幹郎氏の署名記事。もしアーノルド・シュワルツェネッガーがターミネーター役に出会わなかったら、彼の人生はどう変わっていただろう。この映画を見直すたび、私はそんなことを考える。『ターミネーター』に主演する前の彼は『鋼鉄の男』や『コナン・ザ・グレート』で異様な筋肉を虚しく誇示する「奇妙な存在」に過ぎなかった。そんな彼の「存在」を、怪人や野獣の方角に向かわせず、むしろ「物体」に近づける。この着想は、監督ジェームズ・キャメロンの勝利と言うべきだろう。
 なるほどね。こんな風に映画を見るのかと感心した。スクリーンで名声を得たからこそカリフォルニア州知事になり得たわけだから彼の人生に取ってとても大事な役だったことになる。

電池切れ(2004.12.09)
 いきなり『電池残量が少なくなりましたのでシステムを休止します』という警告が出てパソコンが休止状態に入ってしまった。某学会で1時間45分の講演をやっている最中のことである。エッ、オイオイ、どうしたと思っている間にパソコンは休止状態に入り、画面には"no signal"の文字が表示されるだけになってしまった。慌てましたね。幸いなことに講演会場が学会事務局に隣接していたので事務の方にどなたかIBMのノートパソコンをお使いでないですかと尋ねた。電源を借りれば何とかなると思ったのである(注:IBMは機種が変わっても電源ジャックのサイズやボルトを変えない。日本のメーカーのように機種ごとに電源ジャックサイズやボルトを変更して毎回電源を買い直す必要があるのと大違いである。IBMが利用者の便に細かく配慮している良心的なメーカーであることがわかる。撤退が残念である。←蛇足)。残念ながらIBM使用者ゼロであった。それでは仕方がない、ノートパソコンをお借りしたいと申し出たら、事務局の東芝製が届けられた。大急ぎで私のIBMを立ち上げ、USBメモリーに講演用PPTファイルを写し、東芝製で講演を続けた。PPTのバージョンが古くて一部不具合も出たが、全く講演できないよりはるかによかった。ま、何とか無事に終了しました。
 教訓1.私はパソコンの電池残量3%で強制終了するように設定している。今回は初めてこれが生きました。システムを再度立ち上げて、講演中の資料をUSBメモリーに待避する操作を残り3%の電池で実行できたからである。これができなかったら立ち往生でした。
 教訓2.長時間の駆動が考えられる場合は電源を持参しましょう。
 教訓3.なぜこんなことになったのかを考えた。すぐに思い当たったのが新通信カードである。私は外出時の通信にこれまでb-mobile(PHS利用の通信カード)を使っていたが、通信速度があまりに遅いので先日からCDMA1xWinの通信カードに切り替えた。実効速度で100kbs程度以上(公称はMax 2.4Mbps)が出るのでそこそこ快適に使えている。このカードの不使用時の待機電力が大きいのではないかと疑った。そこで、電池駆動だけでどの程度電池が消耗するか調べてみた。何と15分間で電池残量が22%も減る。1時間ちょっとで電池残量約0%になってしまうわけである(カードを挿さなければ4時間は持つ)。通信カードを常時挿しておくのは控えた方が良さそうだ。
 だけど、抜き差しの手間がないのがカード型の良いところなのに...。抜き差しの手間をかけるぐらいなら通常の携帯電話をUSB接続しても似たようなものだ。無線通信カードは外出時に使うためのものであるから、通常電源に接続していないことを前提に設計してほしい等々、納得が行かない。