「イスラム国」:交換目前で交渉決裂か 後藤さんと死刑囚
毎日新聞 2015年02月08日 09時00分
イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による人質事件で、フリージャーナリストの後藤健二さん(47)救出に向けた動きの一端が関係者への取材で明らかになり始めた。ISが釈放を要求していた前身組織のメンバーでヨルダンに収監中だったサジダ・リシャウィ死刑囚との交換交渉が1月28日ごろに成立目前だった可能性が浮上。後藤さんの妻に対する身代金要求メールを受けたIS側との交渉には、英国の危機管理コンサルタント会社が関与していた。秘匿されている事件のプロセスが判明した。
「日本人の人質がトルコとの境界付近に連れて行かれたが、その後(シリア北部の)ラッカの拘束場所に戻されたと聞いた」
ISの支配地域に通じるトルコ南部アクチャカレ検問所近くで、ISの動向に詳しいラッカ在住の貿易商がそう打ち明けた。検問所の東方約5キロにはイラク系有力部族ドレイミ族の支配するシャッダーダ村がある。ドレイミ族はISのバグダディ指導者の妻の出身部族でISと関係が深い。後藤さんはいったん、この村に連れてこられた可能性があるという。
検問所を挟んだIS支配地域側で28日、この情報を裏付けるような異様な動きがあった。「正午ごろにIS側に入った時、知り合いの(ISの)警備担当幹部に『通るなら早くしろ、忙しくなる』と言われた」「(午後には)いつも通るラッカへの道が一時的に(ISにより)封鎖されていた」。この検問所付近で密貿易に携わり、日常的にIS側との間を往復する複数のシリア人が明かした。
ヨルダン国内でも交渉進展の動きがあった。治安関係者にパイプを持つヨルダンのアモン通信のアルファイズ記者は「交換の可能性は本当にあったようだ」と話す。リシャウィ死刑囚は28日にアンマン南部のジュワイデン刑務所から情報機関が運営する刑務所に移送されたという。しかし最終的にはIS内部の意見対立が影響し、交換は頓挫したとみられる。
前日の27日、ISは昨年12月に身柄を拘束したヨルダン軍のパイロット、カサスベ中尉の名前を出し、リシャウィ死刑囚を釈放すれば後藤さんを解放し、中尉は殺害しないとの条件を提示。29日の声明では同日日没までに死刑囚をトルコ境界まで連れてくるよう要求していた。