大阪大空襲:「伝えたい」元漫画家、再び絵筆 炎の街描く

毎日新聞 2015年02月10日 15時00分

大阪大空襲の様子を描いた絵本を出版する矢野博さん=大阪市平野区で、梅田麻衣子撮影
大阪大空襲の様子を描いた絵本を出版する矢野博さん=大阪市平野区で、梅田麻衣子撮影

 大阪市平野区の元漫画家、矢野博さん(77)が体験した大阪大空襲を自ら描いた絵本「あの日、あの時 國民學校一年生の記憶」が来月1日、新風書房(大阪市天王寺区)から出版される。1945年3月、米軍機が落とした焼夷(しょうい)弾で炎に包まれた大阪の街。その中を市民が逃げ回る光景が、生々しく再現されている。漫画調で描かれ、「戦争の恐ろしさを子供にも分かる形で伝えたかった」と話す。

 大空襲の時、同市浪速区に住んでいた。母や当時9歳の兄と一緒に防空壕(ごう)に避難したが、火の手が迫り、どこが安全かも分からないまま必死に逃げ回った。「カラカラカラ」。焼夷弾が屋根を転がる音が街に響き、火の粉が舞った。母は防火用水を見つけるたびにバケツで水をくみ、頭からかけてくれた。

 空襲の場面は計24ページ。記憶の一つ一つを描いた。「大事な物を忘れた」と周囲の制止を振り切って自宅に引き返した人の様子も盛り込んだ。コマの間には「男の人の怒鳴り声、女の人の悲鳴、子供の泣き声。みんなパニックで目は恐怖で見開き、何処(どこ)へ行けばいいのか解(わか)らず右往左往する人々が大勢いた」と説明文を挟み込んだ。

 矢野さんは18〜19歳の時に描いた時代劇などの漫画が出版社に採用され、4冊を出版した。20代前半の時、生計をたてるため、看板を描く業者に転身。約40年、車の車体に広告用の絵を描いてきた。

 再び漫画を描こうと思ったのは約7年前。仕事を辞め、「自分の体験を何かの形で残さないかん」と思い、孫娘に見せるために空襲体験を6コマ漫画にまとめた。この漫画を描き直した縦20センチ、横1メートルの絵を、2011年に大阪市中央区の「ピースおおさか」であった空襲の特別展に出展、「子供たちが展示の前で一生懸命にメモを取っているのを見て使命感に駆られた」。以来、出版を目指して描きためてきた。

最新写真特集