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北陸文化

【本】揺れる青年像 読み解く 精神科医の風野春樹さんが出版

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島田清次郎 誰にも愛されなかった男

 二十歳で発表した小説「地上」で大正時代に一大ブームを巻き起こしながら、二十五歳で精神科病院に入り文壇から消えた石川県美川町(現白山市)出身の作家島田清次郎。その人生をたどる評伝「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(本の雑誌社、税別二千五百円)が出版された。著者は精神科医でもある風野春樹さん(44)=東京都。入院中に書かれた原稿も読み解き見えた“等身大”の清次郎とは−。(松岡等)

 風野さんが清次郎に関心を持ったのは伝記漫画「栄光なき天才たち」(画・森田信吾さん)から。杉森久英(石川県七尾市出身)の伝記小説「天才と狂人の間 島田清次郎の生涯」を読むが、入院後の六年間がほぼ空白。歴史的人物の生涯を精神分析や心理学的に解明する病跡学を学んだ経験もあり、「先行していた『天才と紙一重』というイメージとは違う、生身の清次郎を書きたかった」という。

 幼少期に父を亡くし、母と貧しい生活を送る中、「偉くなる」ことがすべてだった清次郎。大先輩に対しても尊大で傲慢(ごうまん)な態度、自らを「天才」「帝王」と呼んではばからなかった。

 「地上」の大ヒットは新潮社が関東大震災でも倒れなかった社屋を建てたといわれるほど。しかし誇大妄想ともいうべき作風と尊大な振る舞いで文壇は冷めていく。一方で若い文学青年の支持が衰えなかったのを「今で言うヤングアダルト小説。同世代の作者による作品が少なかったのも要因」と分析する。

 宗教哲学者・暁烏敏、作家徳田秋声や室生犀星、社会主義者・堺利彦や論壇の重鎮・徳富蘇峰、吉野作造、菊池寛らとのエピソード、容赦ない当時の文芸ジャーナリズムからは、大正という時代の雰囲気も伝わる。

 清次郎は海軍少将の娘を誘拐したと告訴され、そのスキャンダルで読者も離れていく。放浪の果てに病院に入るや、世間は文字通り「狂人」扱い。だが風野さんは、死ぬまで書き続けた原稿を読み、「病院での作品すべてが支離滅裂でもない。今なら三カ月で退院できる統合失調症」と“診断”する。

 風野さんは、清次郎の中に生涯、母との葛藤があったと指摘する。石川県志賀町出身の作家加能作次郎の追悼文「誰にも愛されない男だった。そして常にその愛に飢えてゐた」という意見に同意し、「一つ違うのは、母のほうは最後まで彼を愛していたこと」と。

 インターネット上では今、自己愛に満ちた空想や大げさな振る舞いを揶揄(やゆ)するように「中二病」と呼ぶ。「彼がブログを書けば即、炎上だろう。しかし、自信の一方で本当に才能があるのか悩む自己像、だめだという思いと認められたい気持ちの揺れは青年らしい自尊心の在り方でもある」と話した。

 かざの・はるき 1969(昭和44)年神奈川県生まれ、東京大医学部卒。東京武蔵野病院リハビリテーション部長。専門は精神病理学、病跡学。SF愛好家でもあり、「本の雑誌」で「サイコドクターの日曜日」、「こころの科学」で「精神科から世界を眺めて」を連載する。

 しまだ・せいじろう 1899(明治32)年石川県美川町(現白山市)生まれ。「地上」全4部で50万部を売り上げたが、傲慢な振る舞いから文壇から疎まれ、スキャンダルでは読者も離れた。放浪の果てに25歳で精神科病院に入ることになり、入院中の31歳の時に肺結核で死去。「地上」は1957(昭和32)年に映画化され、62年に杉森久英が出した伝記小説「天才と狂人の間」は直木賞。95年にNHKドラマ「涙湛えて微笑せよ−明治息子・島田清次郎」も。名前を冠した「島清恋愛文学賞」(94年創設)は、白山市が廃止を決めたが、民間の日本恋愛文学振興会が継続している。

 

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