JRAロゴも作製、工業デザイナーの草分け栄久庵憲司さん死去

2015年2月10日6時0分  スポーツ報知
  • 工業デザイナーの草分けの栄久庵憲司さん
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 日本の工業デザイナーの草分けとして知られる栄久庵憲司(えくあん・けんじ)さんが8日午前3時57分、洞不全症候群のため都内の病院で死去した。85歳だった。近親者のみで密葬を行い、3月17日午後1時から東京・港区の増上寺で本葬・告別式を行う。葬儀委員長は株式会社GKデザイン機構代表取締役社長の山田晃三氏、喪主は弟・祥二(しょうじ)氏。

 1929年に広島市にある寺の住職の長男として東京で生まれ、戦後、海軍兵学校から復員。原爆投下直後の広島の焼け野原を見て「道具に命を吹き込む仕事がしたい」と決意。工業製品や家具、商品パッケージなどのデザインを手掛ける工業デザイナーを志した。55年に東京芸術大を卒業。57年に「GKインダストリアルデザイン研究所」を設立した。

 栄久庵さんの“代表作”として知られるのが、61年にデザインした「キッコーマンの卓上しょうゆ瓶」。当時主流だった陶器のしょうゆ差しは、注ぎ口から液だれしてしまい、受け皿が必須だったため、同社が栄久庵さんに問題を解決できるデザインを相談した。

 試行錯誤の末、やかんなどとは逆に注ぎ口の下部を短く切ることで液だれが解消。さらに安定感があり、かつ握りやすいとっくり形にした瓶は大ヒットした。半世紀が過ぎた現在もその形状が引き継がれているほか、世界各国で同形の瓶が使用されている。キッコーマンは「大変残念な思いです。50年以上の長きにわたり、日本をはじめ海外でも広くお使いいただけるような容器を開発していただき、今日の当社のイメージ作りに、多大なる貢献をされたことに、深く感謝の意を表します」とコメントを出した。

 ほかにも、秋田新幹線の初代「こまち」(E3系)や成田エクスプレス、ヤマハ発動機の大型バイク「VMAX」からJRAのロゴマークまで、さまざまなジャンルで手腕を発揮。89年に名古屋市で開催された世界デザイン博覧会の総合プロデューサーも務めた。工業デザイナーの深沢直人さんは「特別なものというよりは、多くの人の生活に無理なく調和していくものを作らなくてはならないという使命感を持っていたように思う」と惜しんでいた。

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