natukusaさんのエントリー
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昨夜の記事を読んだ限りでは「日頃から同性愛に対するヘイト発言に対して怒りを覚える人である」という認識で進めますね。自分はそうじゃないと思ったなら、ここから下の長文は一文字も意味ないです。
まず「何割が反対しているか知りたい」とのことですが、もしこれが「いまの多数派の意見を採用したいから」という前提でしたら、早速ですが私はもう何も言えることはありません。
というのも、ここを改めないことにはブコメのとおり「あなたは無知だ」という私からの認識は未来永劫変わりませんし、おそらくは「無知だといわれて腹が立った。ならば見識を深めたい」というお考えからとったと思われるさまざまな言動も、すべて無為な結果になるでしょう。
ではなぜ多数決や割合という考えをこれほど避けたいのかという理由ですが、大前提として、そもそも同性愛者は性的少数者(セクシャルマイノリティともいいますね)と呼称されることもあるように、全人口に対して同性愛者は1割程度と一般的にはいわれています。
つまり単純な話、仮にすべての同性愛者が特定の意見で統一されても、非同性愛者はその何倍もいるため、多数決では絶対に同性愛者側だけの意見では通らないからです。
絶対に意見が通らないと分かってる採用基準を好んで使う人はなかなかいませんし、同性愛者へのヘイトを解消したいという倫理観を持つ人であれば積極的に採用するものとも思えません。
(余談ですが「同性愛者」の意見を知りたいとのことなので、ここでは同性愛者についてまとめていますが、「同性愛者以外の性的少数者」というものも存在しますので、ご存じでないのであればぜひ調査してみてください)
もともと「ノーマルという呼称を使っても問題ない」というご意見だったかと思いますが、その根拠が「より多くの人が良いと言っているのだから問題ない」であれば、この根拠からまず疑ってかからなければ、「この呼称を使わないようにしよう」と主張する人たちが何を問題視されているかということが理解できないと思われます。
仮に性的指向で人を振り分けた場合、そこで多数決をしようとすると最大派閥は非同性愛者の集団になりますし、現実にいまも大多数の非同性愛者は「ノーマルという呼称に違和感を覚えていない」のは個人的にも実感するところです。そういった社会全体の風潮を前に、同性愛者であってもこの呼称に違和感を覚えない人というのももちろんいますし、私自信、そういった意見の方の記事を読んだ覚えがあります。
つまり「多数決をもってして正当をふりわける」のだとすると、すでに大多数がこの呼称に違和感を覚えていませんし、その結果「この社会はノーマルという呼称を使って問題ない社会である」ということは紛れもない事実です。
もしこのように「より多くの人がこういっているのだからこれは正しいのだ」というお考えだとすれば、先の通りそもそも絶対数の少ない少数派からの意見など、あなたの中ではないの同じです。ないのと同じなのだから、ここで彼ら彼女らがどんな訴えをしているのかなど声高に叫んでも耳に入れてくれないでしょうし、そんな無為なことに私も付き合わされるのはさすがにイヤです。
ですが、あなたは同性愛者に向けたヘイト発言に怒りを覚えるとのことですので、聞く耳をもつ必要のない、傷ついたという訴えを無視してよい存在だとは思っていないと認識しています。
現実に存在する同性愛者ひとりひとりがどのように考えているのかを知るのは、もちろん見識を深めるために重要だと思います。ですのでより多くの同性愛者からの意見をみたいということ自体は、特に否定する要素はないです。むしろ肯定しています。
念のためですが、昨夜のやり取りでもそのことについて私から否定した覚えはありませんし、私はあなたのこの件に関する知識の少なさを指摘しできればそれを改善した上で発言していただきたいと思っていますので、せっかくの見識を広める手段を止めるのは本意ではありません。もしそのような言動があったなら謝罪いたします。
ですが見識を広める上で、『自身の方針を「数が多い意見を採用する」とか「ノーマルという呼称を使うことに違和感のない同性愛者がいるのだから問題ない」とすることを前提で意見を集めたい』という意図であれば、そこではなんら見識を深めることはできないと思います。
また仮にそういった統計資料を作成し提出されても、おそらくはあの呼称に反発する人たちの意見になんら変化はありません。なんといってもあの主張の根底にあるのは「もとからそういう社会だというのは分かった上でどうにかしたい」なのですから、いま前提を提示されても「だからなに?」としか反応してもらえないと思います。
「多数決やより多くの人の意見が正当であると安易に判断すること」は、少なくとも少数派に属する人たちの諸問題においては「絶対に解決させない」ということと同義と思います。数の上では絶対的に不利な人たちからみて、多数決というのは一番危ういものです。それは真っ先に自分たちが切り落とされるものだと分かっているからです。
一方で、少数派の人たちが尊厳を容易に傷つけられない、住みよい社会にするためには、自分たちが何に傷ついているのかと多くの人に理解してもらう必要があります。もしかするとそれを指して「結局はそいつらも多数決で解決するつもりじゃないか」と自分のことを脅かされた気持ちになるかもしれません。おそらくはそれが「ノーマルという言葉を使わないようにしようという主張に対する反発」の大部分でしょう。
ですが前述の通り、今のこの社会で性的指向を指して「ノーマル」という呼称を無邪気に使う思想とは、そもそもが多数派側の事情に属する考えです。
・「ノーマルという呼称」という多数派の理屈によって、少数派(この場合は同性愛者)への圧力を生むことを良しとすること。
・同性愛者への「ヘイト発言」に怒りを覚える感情。
この二つはあなたの中で反目してはいないでしょうか。
そういった己の意識の危うさを自覚しつつ、見識を広めていただければ幸いです。
昨夜の繰り返しですがmiyakichiさんの記事を再度読み直してください。あの記事は、そういった事情を背景にされた誠実な訴えです。
まず「何割が反対しているか知りたい」とのことですが、もしこれが「いまの多数派の意見を採用したいから」という前提でしたら、早速ですが私はもう何も言えることはありません。
というのも、ここを改めないことにはブコメのとおり「あなたは無知だ」という私からの認識は未来永劫変わりませんし、おそらくは「無知だといわれて腹が立った。ならば見識を深めたい」というお考えからとったと思われるさまざまな言動も、すべて無為な結果になるでしょう。
ではなぜ多数決や割合という考えをこれほど避けたいのかという理由ですが、大前提として、そもそも同性愛者は性的少数者(セクシャルマイノリティともいいますね)と呼称されることもあるように、全人口に対して同性愛者は1割程度と一般的にはいわれています。
つまり単純な話、仮にすべての同性愛者が特定の意見で統一されても、非同性愛者はその何倍もいるため、多数決では絶対に同性愛者側だけの意見では通らないからです。
絶対に意見が通らないと分かってる採用基準を好んで使う人はなかなかいませんし、同性愛者へのヘイトを解消したいという倫理観を持つ人であれば積極的に採用するものとも思えません。
(余談ですが「同性愛者」の意見を知りたいとのことなので、ここでは同性愛者についてまとめていますが、「同性愛者以外の性的少数者」というものも存在しますので、ご存じでないのであればぜひ調査してみてください)
もともと「ノーマルという呼称を使っても問題ない」というご意見だったかと思いますが、その根拠が「より多くの人が良いと言っているのだから問題ない」であれば、この根拠からまず疑ってかからなければ、「この呼称を使わないようにしよう」と主張する人たちが何を問題視されているかということが理解できないと思われます。
仮に性的指向で人を振り分けた場合、そこで多数決をしようとすると最大派閥は非同性愛者の集団になりますし、現実にいまも大多数の非同性愛者は「ノーマルという呼称に違和感を覚えていない」のは個人的にも実感するところです。そういった社会全体の風潮を前に、同性愛者であってもこの呼称に違和感を覚えない人というのももちろんいますし、私自信、そういった意見の方の記事を読んだ覚えがあります。
つまり「多数決をもってして正当をふりわける」のだとすると、すでに大多数がこの呼称に違和感を覚えていませんし、その結果「この社会はノーマルという呼称を使って問題ない社会である」ということは紛れもない事実です。
もしこのように「より多くの人がこういっているのだからこれは正しいのだ」というお考えだとすれば、先の通りそもそも絶対数の少ない少数派からの意見など、あなたの中ではないの同じです。ないのと同じなのだから、ここで彼ら彼女らがどんな訴えをしているのかなど声高に叫んでも耳に入れてくれないでしょうし、そんな無為なことに私も付き合わされるのはさすがにイヤです。
ですが、あなたは同性愛者に向けたヘイト発言に怒りを覚えるとのことですので、聞く耳をもつ必要のない、傷ついたという訴えを無視してよい存在だとは思っていないと認識しています。
現実に存在する同性愛者ひとりひとりがどのように考えているのかを知るのは、もちろん見識を深めるために重要だと思います。ですのでより多くの同性愛者からの意見をみたいということ自体は、特に否定する要素はないです。むしろ肯定しています。
念のためですが、昨夜のやり取りでもそのことについて私から否定した覚えはありませんし、私はあなたのこの件に関する知識の少なさを指摘しできればそれを改善した上で発言していただきたいと思っていますので、せっかくの見識を広める手段を止めるのは本意ではありません。もしそのような言動があったなら謝罪いたします。
ですが見識を広める上で、『自身の方針を「数が多い意見を採用する」とか「ノーマルという呼称を使うことに違和感のない同性愛者がいるのだから問題ない」とすることを前提で意見を集めたい』という意図であれば、そこではなんら見識を深めることはできないと思います。
また仮にそういった統計資料を作成し提出されても、おそらくはあの呼称に反発する人たちの意見になんら変化はありません。なんといってもあの主張の根底にあるのは「もとからそういう社会だというのは分かった上でどうにかしたい」なのですから、いま前提を提示されても「だからなに?」としか反応してもらえないと思います。
「多数決やより多くの人の意見が正当であると安易に判断すること」は、少なくとも少数派に属する人たちの諸問題においては「絶対に解決させない」ということと同義と思います。数の上では絶対的に不利な人たちからみて、多数決というのは一番危ういものです。それは真っ先に自分たちが切り落とされるものだと分かっているからです。
一方で、少数派の人たちが尊厳を容易に傷つけられない、住みよい社会にするためには、自分たちが何に傷ついているのかと多くの人に理解してもらう必要があります。もしかするとそれを指して「結局はそいつらも多数決で解決するつもりじゃないか」と自分のことを脅かされた気持ちになるかもしれません。おそらくはそれが「ノーマルという言葉を使わないようにしようという主張に対する反発」の大部分でしょう。
ですが前述の通り、今のこの社会で性的指向を指して「ノーマル」という呼称を無邪気に使う思想とは、そもそもが多数派側の事情に属する考えです。
・「ノーマルという呼称」という多数派の理屈によって、少数派(この場合は同性愛者)への圧力を生むことを良しとすること。
・同性愛者への「ヘイト発言」に怒りを覚える感情。
この二つはあなたの中で反目してはいないでしょうか。
そういった己の意識の危うさを自覚しつつ、見識を広めていただければ幸いです。
昨夜の繰り返しですがmiyakichiさんの記事を再度読み直してください。あの記事は、そういった事情を背景にされた誠実な訴えです。