1982年・第33回 - サザンオールスターズの桑田佳祐が三波春夫をパロディ化した衣装と歌い方をした。「とにかく、受信料は払いましょう!」「裏番組(を見たい場合)はビデオで見ましょう!」という発言で、賛否両論が巻き起こった。桑田本人は後にNHKに詫び状を書かされ、「詫び状なんか書くくらいなら2度と出ない!」と、後の紅白(ひいてはNHK)との確執に繋がったことを明かしている
湘南の代表的なアーティストであるサザンオールスターズは、1982年の紅白で昭和の国民的演歌歌手の三波春夫をパロディし、NHKの問題点を痛烈に皮肉ったことがある。
三波春夫はデビューした1958年から毎年ずっと紅白に出ずっぱりだった御人だ。亡くなる2年前の1999年にも出演しているから、すさまじい影響力だ。「NHKとは老人のために受信料を払わせる悪しき国営放送局だ」というイメージは、1980年代初頭には既に存在しているたのである。
紅白を干されたサザンはその後、大晦日には独自のライブを毎年実施。それを中継していたのが、衛星放送局のWOWOWである。紅白事件の2年後の1984年に会社を設立し、平成になって開局した新しい放送局だ。WOWOW史上最高視聴率があったのは2000年のサザンの茅ヶ崎街宣ライブだったそうだ。老いた地上テレビではなく、WOWOWを中継放送媒体に選んだサザンはセンスが良かったと思う。
今は2015年。三波の没後14年目である。桑田も、もはや50代の中年オヤジだ。
では「メディアの世代交代」によってNHKは死に、テレビ界の中心はWOWOWのような衛星放送局になっているだろうか。実際は、WOWOWはいまも、新興メディアのままなのである。
おまけにNHKは「日本の放送文化をリードする国営放送」の輝きを失い、「紅白の演歌」的な悪しき古い側面が強化されている。
何より厄介なのは「若いタレントがNHKに出る」事例が蔓延するようになったことではないか。
サザンの事件のあった1980年代から2000年代までなら、若者の間で流行った役者がNHKのドラマに出ることはなかったし、どんなヒット歌手でもNHKの歌謡番組や紅白歌合戦は出演を頼まれても辞退していた。日本は世界の国と同じように、歌謡曲の時代から全盛バンドの時代になり、バンドからHIPHOPやレゲエやエレクトロニカなどの凝った音楽ジャンルへ移行していった。国営放送はおろか民放でも視聴者を選ぶため、本来はFMラジオやMTV的な音楽専門チャンネルなどのメディアが充実していくべきはずだった。
しかし、日本では電波利権などの既得権が存在しているため、そうした新興メディアの成長支援は何もなかった。したがって、どんどんマニアックになっていった若者文化は空中分解してしまった。そしたら空洞化していた国営放送に、その次の若い世代がどんどん入り込んでいったのだ。私たち平成生まれのAKB世代である。
「若いタレントがNHKに出る」という日本の文化的損失について、しっかりと考える必要がある。
どんなに新しい歌手が出ても、それがNHKの歌謡番組やバラエティ番組に出演したら、それはタレントの死ではないだろうか。どんなに可愛い若手女優が出てきても、大河ドラマのあの筆文字の縦書きのタイトルにその名前がババンと出て、すっぴんのキモノ姿で出てくればゲンナリである。あるいは「朝ドラヒロイン」になって、市民病院のロビーとかで元気な老人たちにガン見されてたり、老人用の「NHK情報誌」の表紙に出てくれば、そのタレントは死んだも同然だと私は思う。
NHKとは国営放送である以上に「地方型の建前文化」だと私は思う。
BBCのような都市の感覚をくみとった世界的な公共放送ではない。明治から続く既得権の上に立つメディアと言う点では、県内唯一で発行部数最多の「〇〇日日新聞」みたいなものである。
地方社会の「本音文化」は北関東の国道4号線にある。スウェット、メガ・ドン・キホーテ、イオンモール、フルスモのセルシオ、ドラックストアの障がい者トイレでセックス、家族全員金髪でヘビースモーカーで大酒飲み、フジテレビのバラエティ番組・・・
こうしたギトついたマイルドヤンキーたちをよしとしない「上の存在」の文化がNHKである。上の世代である高齢者や「お上」の側はNHKのドサ回りの演歌番組やのど自慢や、ご当地観光活性の朝ドラや大河ドラマや、ためになる「ためしてガッテン」や「NHKスペシャル」を見たがるわけである。NHKが商品名を放送できないのも、封建制度を意味しているようなものだ。
2010年代。
メディアのゴリ押しで芸人が出て、アイドルが出て、若手俳優が出てくる。みんな、ちょっと流行るとすぐにNHKに抜擢されてしまう。NHKの本社があり、若者の町とされる渋谷には、そうしたタレントのアドトラックがぐるぐる走り回るが、通行人の若者たちは一切目をやらず、誰もその存在に無関心なのだ。
だが、湘南新宿ラインに乗り込んで北関東の僻地に行けば、数時間前まで田んぼをジャージ姿で朝練していたマイルドヤンキーにもなれなかった高校生たちが、教室内でそのタレントの話題を楽しそうに話している。すみっこの陰キャラも所詮はネット弁慶で、ネット原住民空間でそのタレントをアゲる逆張り冷笑系の書き込みを繰り広げている。彼らの親は、洋楽育ちで最新の音楽もちゃんと聴いている都市部の中年中高年と違って総じて演歌・昭和歌謡マニアしかいない××年後のNHK老人である。あるいは、40代にして老害だ。気付けばNHKにはもうEXILE界隈もエロゲ出身声優も当たり前に出るようになってしまった。
「クールジャパン」と言う言葉がいくら叫ばれても寒々しいのはつまりそういうことだ。文化の中心のあるはずの都市に膨大な「空白」が発生し、本来そこを埋めるべく若いタレントがNHKの老いた権威に巻き込まれ、NHKを筆頭とする旧型マスコミの大政翼賛会体制と地方の国道沿いやネット原住民空間を生きる「マイルドヒトラーユーゲント」たちのパンとサーカスを通じた蜜月によって、日本文化の自由で洗練されて独創的な土壌がグチャグチャになってしまっているこの大きな問題について、我々は考える必要があるのだ。