これまで、話して来たように、2011年1月1日付けで、私長老Dと長老Aは、王国会館完成の合併に伴い、事件舞台の○○会衆に移動になりました。
一般的には、半分自動的な長老しもべ移動ですが、やはり推薦が要ります。
私は移動時に長老Aに、私の推薦状を書いて欲しいと頼みました。すると長老Aは
『D兄弟が書いて下さい。』と言われました。
私は、これが一般的かどうかは知りません。しかし、自分で自分の推薦状を書いたわけです。忘れましたが
『D兄弟は、××会衆で長年長老として仕え、学校の監督,書記として立派に仕えてくださいました。故に貴会衆でも立派に長老として仕えて下さる事に疑問の余地はありません…推薦します。』
まことに馬鹿らしい。こんな自己推薦を行ない、たった一年後に不当に削除されたのです。
長老Aには、長男を私が推薦しなかった恨み故に私を推薦する言葉が見つからなかったのでしょう。片や新しい会衆で、奉仕のしもべの推薦状は自ら手を上げ喜んで長老Aは書いてました。
全くもってバランスに欠けた長老Aは、すべての役職を取り除かれたとはいえ、「長老」として任命されたままです。
長老Fには明確に
・いまは牧羊は無理
・長老Cは.長老ABよりマシでも私を聖句で傷つけた人間。優しい牧羊などできない。来たら紛糾する。
・ほとぼりは冷めてないからそっとして欲しい。
とメールしましたが、やはりエホバの証人は強権組織。まるで意見は尊重されませんでした。おそらくながら、野外奉仕で断れてもくる「ノーサンキュー」に頭がやられているのでしょう。
そして、2013年3月12日午後、見事に長老Fは長老Cを伴い「D兄弟が休みと聞いて来ました。」と来ます。Fは花粉症かマスク姿。Cがドアを開けている状態でした。
長老Fは、立ち話から確信付いた話しをして来ました。「協会から返事は来ましたか?」
私「ありませんが」
長老F「そうですね、返事がないのが返事ですね。D兄弟の話しはもう終わりました。」
私はこの言葉に激しく感情を逆撫でされました。そして涙ながらに絶対長老を許さないと言いました。
長老Fが口が軽くて、多いのはよく分かりました。さらに
「これは私の独断ですが、D兄弟は隣の会衆に行かれた方がいいですよ。兄弟の嫌いな長老ABはいませんから。」
長老ABが居ないと、こんな事を平気に言うんだと呆れました。
また、長老Cも「D兄弟は、あの2人(長老AB)接触出来ないよね。」と発言し、自分も拒絶されていることをまったく分かっていないのです。
余計な事に、妻が玄関先にも関わらずコーヒーを出したので、まあ玄関は失礼かと思いリビングに通しました(これが失敗で、口の多い長老Fは二時間も滞在します)
私が、長老時代にしていた牧羊は、成員の意見をたっぷり聞いて、手短にアドバイスをしてたつもりです。しかし長老Fは真逆でした。私が述べたこと全てに上塗り反論し長々と喋りました。
彼に1番呆れたのは、こんな例えを述べました。
「D兄弟は得点に絡まないエラーをしたとお思いでしょうが、監督が兄弟を交替したら誰が悪いんですか?」とわざわざ巧妙な例えで話しを蒸し返します。
「そっとしておいて欲しい」私の主張はまるで通りません。
長老Cはきっと、長老Fから黙っておくように言われていたんでしょう。
しかしこれまた喋りの男Cは、私の感情を逆撫でする発言をします。
「D兄弟、あ、危なかったねー、もう少しで姉妹Aと不道徳でしたね。」
軽薄な物言いの長老Cの発言に私は黙っていませんでした。実際、不道徳なんか、かすりもしていません。
「姉妹Aですよ、私に擦りよって来たのは!」
長老Cも怒り始め「D兄弟は自分は悪くない、姉妹Aだけが悪いと言うんですか?」
私「両方悪いから両方削除になったんでしょうが⁈」
長老Cはブチ切れだします。
長老Fは、真っ青になってます。
私、ブチ切れた長老Cを見ずに長老Fに、「もうこの話題やめてもらえません?」と言いました。
そして、長老Fは一貫して「長老を許せ、忘れろ良い事を考えろ。」の羅列でした。
私が考える「許す事と、うやむやにする事とは違う。」とは意見が違います。長老Fは完全に、暴力長老団ABCと同化しています。
いま、インターネットなどで、長老の牧羊訪問が「撲羊訪問」「(上からの指示で仕方なしに来る)僕用訪問」と牧羊の質の低さを嘆いていますが、私のはまさにそれでした。つまり長老Fは支部か監督の命令と報告義務で、断っているものを無理矢理突破したわけです。しかし、これは人権侵害かつ宗教的嫌がらせに当たります。
それでも、彼らは私の事を
「以前からの不満ばかり述べるので牧羊の目的を達成出来なかった。」などと述べています。
散々傷つけ、話しを蒸し返しながらも、彼らは祈り、満面の笑みで満足そうに帰って行きました。私はこの時「エホバの証人は、長老や上層部だけが自己陶酔してる非常に痛い宗教だ」と確信致しました。長老Fには即日、牧羊のダメ出しをし、2度と来ないよう釘を刺しました。
だから長老Cが来たら口論になると言ったのに。
長老F。身体は大きいが度量の小さい男。この男の行動がトドメとなり、私は大きな行動を起こすことになりました。
次の記事では、そんな彼らの驚くべき、
牧羊の言い訳を話します。
日に日に、長老ABCや姉妹ABとの接触で精神が悲鳴をあげて、集会もほとんど行けない状態、1月半ばにあった巡回訪問も3回の集会に20分居ただけで限界感じました。巡回監督が牧羊することもありませんでした。
しかし、たまたま集会の最後まで居た2月1日に長老Fが近づいて来ました。
長老F「D兄弟と話し合いたいのですが」
私「私は、協会か巡回監督からの答えを待っているだけで、失礼ですが、兄弟と話したくはありません。ちなみにどなたとですか?」
長老F「長老Cとです。」
私「長老Cは私を傷付けた兄弟です。私は集会に2時間居れない状態で、さらに集会後話し合えというのですか?無理です。」
私は、前述通り、血圧が高い懸念がありましたが、やはり実測で平静時より50高い事が後日判明し、集会に行くのをやめました。また長老Fが近づいて来ること、さらにまた傷付けられる恐怖などで、牧羊を断わるのは当然です。
長老Fには、翌日メールで正式にお断りしました。この2月1日を最後に集会に行くのをやめました。二度と行きません。
追記・間違いなく、この牧羊は、支部か巡回監督の指示でした。長老Fは渋い顔で打診して来ていたのが印象的でした。
私が、悪魔の不当削除の憂き目に遭う背景としてやはり長老Bの私に対する妬みやっかみは半端なものではありませんでした。その出来事を綴ります。
削除事件から一年ほど前に、私は結婚を計画する若い姉妹から式の幹事と王国会館を貸して欲しいと頼まれました。姉妹も、姉妹と結婚する兄弟も、私の通う王国会館とは違う土地の方とはいえ、姉妹はこの事件の土地出身でお母さん姉妹もこの王国会館の会衆の方です。
私は、私個人としての借り入れ願いと、
結婚する兄弟姉妹双方の長老団からの推薦状を運営委員会に出しました。すると数日後、長老Bが私に信じられない事を言いました。
長老B「王国会館は貸せません」
私「何故ですか?」
長老B「その日は集会があるからです」
私「そんな事は分かっています。集会に支障を来たさないように、夕方の5時に返却する計画です。」
しかし長老Bは一言
「ダメですね。」
そして、長老Bはとどめを刺すように書面でわざわざ
「何で、うちでやるのですか?所属する会衆でやればいいじゃないか?」という、意地悪な手紙を私に突きつけました。
簡単に言えば、その兄弟姉妹は遠距離恋愛。双方の親族や会衆の方の負担をイーブンにするために、ほぼ真ん中にあたる姉妹の出身地の王国会館を希望されました。しかし、長老Bはこの意見、さらに隣の会衆の運営委員まで私に電話をして来て「承認が降りる事はないでしょう」と言いました。
ただならぬ潮流になっている事は新郎新婦にも伝え、彼らも直訴で長老Bや運営委員会司会者に電話しますが、情けない話、オッケーを出せる人がいない。
長老Aも「私は関係ない」と冷たいもの。
約一ヶ月が経過し私は新郎に伝えました。「保険で、近くの大ホールを予約しなさい。ここの運営委員会は腐っている。」と伝え、彼らはその通りにして、
大ホールを借り、王国会館を蹴り、
彼らは素敵な結婚式を大ホールで挙げました。
しかし、新婦のお母さんは、王国会館にならないよう祈っておられたそうですし、私にもキャパがあり、王国会館の使用許可が出たら、逆に幹事をやめるつもりでした。仲間のしかも推薦状付きの新郎新婦の結婚式を貸さない運営委員会は一体何者なのでしょう。
私は、非常に怒りました。私を邪険に扱ったよりも、新郎新婦に王国会館を貸さなかった事で、10万ほどの余分の出費を運営委員会が若い夫婦に強いた怒りです。私は、大ホールになった報告の際、運営委員会司会者にメールをしました。
・非常に遺憾である。
・(匿名で)集会があるから使えないとか、承認は降りないと言って来た運営委員がいるが、それは運営委員会の総意なのか?でなければ彼等は僭越である。
・若い夫婦に多額の負担を強いた事を、今後の教訓にしてもらいたい、集会があるから使えないのなら、この王国会館は結婚式には使えない。これは昨今の王国宣教の提案に反する。
こう送ると、次の大会で司会者は私に謝罪して来ました。「兄弟のおっしゃる通りです。今後は簡単に承認が降りるシステムを作ります。」と。
しかし、当然運営委員会では私のクレームは取り上げられ、匿名で、批判された長老Bは私に何も言えず憤懣だけが募った事でしょう。一層長老Bは私への顔色を変えていきました。
以上が、長老AやBとの、確執や背景になります。彼等が非常に歪で、憤りを抱きながら私の長老職を奪い取った動機は十二分にあります。
長老ABCのみならず、この土地は長老が腐敗しています。
追伸・もしこのブログをその新郎新婦が読んでくれてたら・・・この腐った王国会館で式を挙げなくて本当によかったですよ。ただ、このあととんでもない事件になりましたがいいんです。ここの腐敗長老ABの襟を正させる為に私は行動できました。
こうしたことを経験して来ますと、
どうすれば不当更迭を避ける事が出来るかがわかりましたので、恐縮ながら3ステージ別にレクチャーします。
全てが成功するとは限りませんが。
ステージ1〜とにかく更迭を喰らわず長老やしもべを続けたい場合。
・会衆のドンに対して、イエスマンに徹する。自分の果たした講演や奉仕にアドバイスを求めに行く。
・上手い講演はしない。
・会衆の姉妹たちからの人気を得ないようにする。
つまり、ベテラン長老からね妬みを買わない事です。私は上記をしませんでしたから見事嫌われました。
ステージ2〜どうも、ベテラン長老に日頃から嫌われてそうで冤罪にされそうな気配がある。
更迭は一瞬のうちにやられます。
後で苦情言っても。私のように長老が明らかに手順ミス指摘しても、いまだに長老してる位、協会も歪です。ですし、長老やしもべは集会に行きますからすぐ連れ込まれます。
私が思うに、顧問弁護士を雇うことです。個人契約出来る顧問弁護士は年間顧問料は思いの他安いです。つまり、長老に呼び出されたりしたら「弁護士に電話していいですか?」と言います。長老はきっと激しく怒ります。神の組織の話し合いに弁護士とは何たる事だと言いますが、
エホバの証人は治外法権で、プロレスのリング内(宗教組織内)では好き放題ですが、リングアウトの場外乱闘は嫌いますから、「弁護士に連絡します」は怯むし、使えると思います。実際、弁護士を通した内容証明で長老を撃退できたという記事を見たことがあります。
ステージ3〜あえて更迭に甘んじ、出るとこに出たい場合。
出るとこはご想像にお任せします。
・更迭の一部始終を、録音録画する。
・長老たちの矛盾点を探す。
・落とし所を決める。人権侵害なのか、
損害賠償なのか。
録音録画は、唯一自分の証人なので必須です。
しかし、唯一まことの
愛ある組織の牧者に対抗するレクチャーとは思えないですね。全くもって情けないです。
事件の結論に向かう前に、問題を複雑化させた背景を書いていきます。簡単に言えば、私と長老A・長老Bとの関係です。
長老Aは2006年に私がいた会衆に家を買い引っ越して来ました(会衆移動理由にどうも姉妹Aが絡んでいる)大会監督で、ものみの塔研究もそこそこ上手いので一目置いていました。しかし、ともに長老としてやっていくと、彼に致命的な欠点がある事に気付きます。それは「他人に厳しく、身内に甘い」というものです。これはリーダーシップを取る人間としては大きな欠陥です。この会衆に長老Aの長男夫婦がいます。親の評価は「よく頑張っている奉仕のしもべ夫婦開拓者」しかし、会衆の評判はひどいものでした。妻は奉仕で他人の悪口ばかり言う。長男は成員や時には未曾有の、巡回監督とも大きなトラブルを起こしました。巡回区中の長老が知っています。しかし、後任の巡回監督が長男を長老に推薦しようとしたために、長老Aに欲が出ました。次男は既に長老になっており、長男を不憫に思ったのでしょう。会衆編成前の最後の巡回訪問前に言葉巧みな長老Aは「一言も、長男を長老に推薦したい。」とはいわずに、長老に推薦しようと誘導します。否定論を打ち消す方法で狡猾でした。
しかし、私は実質この長男の「苦情窓口」状態で、ある姉妹などからは、電話で2時間を越える、長男の苦情を聞いていました。実際私も長男の欠点を熟知し「長老になる兄弟の姿ではない」と長老Aに告げ、長男の推薦は流れました。
もう、お分かりでしょう。何人かの方にも言われましたが「D兄弟(私)は、長老Aの恨みを買ったのです。」しかし、私は長老Aの異常な身びいきを散々目の当たりにしながら、自分が姉妹Aにちくられた時、私を一切かばわず切り捨てた長老Aー当然、長男が当事者なら削除などしていない発動を私にしました。とてつもない「肉的な兄弟」です。長老Aのこうした性格や背景があったので、私の削除は余計に不当に見えました。
しかし、長老Aが私を一方的に削除した理由はこれだけではなかったのです。
タイトルにあるように、姉妹Aは不発弾。長老Aは処理を誤り、信管を抜いてしまったのです。
いよいよ集会を支持するのが困難になります。やはり腑に落ちない事だらけの削除であるのが精神と身体の悲鳴につながります。私が仮に姉妹Aと不倫関係にあれば文句は言えません、しかし指1本触れず、会うことも提案も実行もしていないのに「情欲を抱いた」「ポルノを見ていたように」という名誉毀損から起きた冤罪事件、どうしても3長老を許すわけには行きませんでした。
しかし3長老は何事もなかったかのように演壇に立ちます。週中の奉仕会の集会は行かずに、日曜日だけにしますが、長老Aものみの塔、長老B講演というブラックサンデーは最初から休みます。また、彼らがプログラム立つとトイレや車に逃げたり早退などするようになります。まさに、ジリ貧。
そしてストレスと怒りの為に、集会中の血圧値の上昇を気にし始めます。
実測で、通常の50高いことを確認し、もう命を優先しました。「行かなくなった」ではなく「行けなくなった」のです。
これのどこが「霊的パラダイス」なんでしょうか?
最終2013年2月1日以集会は行けなくなりますが、いま考えてもおぞましい精神状態でした。
やはり、悶々としながら暮らしていたこの時期…私を痛めつけた密室のリンチや長老の悪霊的な雰囲気は、世界的な問題じゃないか?と考え始めたころ、夏の地域大会があり、変てこな劇(独身男女比1:5で笑いを取っていた)や、最終日にフランス裁判勝訴の発表に対して白けている聴衆を肌で感じ、すぐ禁断のインターネットを開けました。そこには…
・コンティ裁判ものみの塔敗訴、資産凍結
・北広島会衆排斥事件
・レイモンドフランズの経験
・国連とのつながり
・排斥者の苦悩
そして
・冤罪更迭を食らい、自殺したいと述べている元長老にしもべー私と同じ。
なんだこれは⁈と思いました。
私はずっと、ものみの塔は霊的な害から羊を守る為、インターネットの批判を見ないようにと教えていると思いましたが違いました。
「単に真実を知られたくない」だけでした。
それに気づいたのはまさに目からウロコでした。そしてこの変な宗教の囚われからは解放されたと思いました。
しかし、本当にこれは不思議です。
・幼児虐待被害者は、二人の証人が必要。
・かたや性的冤罪事件は、当事者1人の通報のみで、訴えられた方は有無言わさず削除排斥。
インターネットのおかげで一気にものみの塔とエホバの証人の深い闇に気づいたのです。
そして、2012年秋から、アメーバブログで自身の経験を書くようになりました。バプテスマよりも人生の転機だったと思います。
もともと自尊心が高いほうで、うつ病や自殺など考えもしないタイプの私ですが、3長老から受けた仕打ちがあまりに理不尽かつ過酷なもので、自殺する事ばかり考えるようになっていました。酷かったのはやはり削除から、集会に行かなくなるまでの1年間です。
その中で、姉妹Aが開拓を削除されるというものがなければ、怒りと抗議の自殺を試みていたかもしれません。彼女の削除で話は済んでたはずです。
しかし、長老Aの明らかな嘘の発表で、
いわば私は浮かばれず、死にたいという日々が続きます。
王国会館に行くと、私を一切許さなかった長老Bが「互いに惜しみなく許し合いなさい。」との話をします。また、長老Aは「愛や慈しみ」について語ります。
私は王国会館のどこで自殺してやろうかという事ばかりを考えながら(集会に行けなくなるまでの日々)を過ごします。
しかし、前述通り、近づきにくい3長老には話しにくいのか、王国会館の隅で姉妹たちが私に3長老の愚痴を漏らす場面が続きます。
私はなんとか生きる活路を見出そうとしていました。すると、ある情報が入ります。
私は、演壇から成員を欺いた長老Aには厳しい処分を願いました。いや実際それを願い、行動しました。
2012年夏の地域大会は長老Aは話し手でしたが、以後話し手や大会監督からも外されました。
その処分は当然と言えますが、現在も長老と調整者は続けています。続けさせる方も続けさせる方。やる方もやる方です。しかし特権大好きの大物長老Aにとれば、屈辱にまみれたはずです。
そもそも、長老Aの地域大会話し手の推薦状は私が書いたものです。
しかし、そんな恩義も忘れ長老Aは私に刀を抜きました。
武士は刀を腰に差していれば問題ありません。しかしひと度抜いたなら、自分が切られる覚悟が要ります。
地域大会話し手に推薦した人間を切り捨て、その人間に反撃される…
醜い特権社会のエホバの証人です。
※ 長老Aは、2014年9月には大会監督・大会話し手・会衆では調整者・ものみの塔司会を降ろされました。
彼は、私を削除する際「私は特権にこだわりありません」と嫌味交じりに豪語しました。こだわりなどないという言葉と裏腹にほとんどの特権を取り去られた長老Aは憔悴しているようです。
巡回監督から電話があった際、私は「もう長老Aに質問か文句しか言いませんよ、いいんですか?」と聞くと彼は
「そういう場になると思います。」と述べたので、再度集まった計五人の会合で好きに私は意見しました。
前週には、E兄弟を交えた会合では長老Aは多くの点を否定し、邪険に扱ったと聞いていました。
しかし、私の時は、ウソが看破されているだけに観念したのか、とりあえず謝っておけ作戦に出たようで、ひたすら謝っていました。
私「なんであんなウソを演壇から言ったのですか?」
長老A「いや、私なんであんなことを言ったのか、ついうっかり…」
私「ついうっかりではなく計画的に発表されましたね。妻は、E兄弟の発表や、姉妹Aの発表聞いて泣いたんです。私も辛かったです。どこまで私たちを傷つけるんですか?」
長老A「申し訳ありません。」
私「姉妹Aは体調じゃなく資格を失ったんです。あんな発表したら成員は、体調どうって聞きますよ。嘘を土台に気遣われて、姉妹Aがかわいそうとか思わないんですか?」
長老A「……」
私「あと、A兄弟と姉妹Aは、かばうを超えて癒着めいたものを感じました。
過去に兄弟と姉妹Aに
何があったんですか?巡回監督もいらっしゃいます。エホバのみ前でいま全て告白すべき時です。」
長老A「そ、そんな私姉妹を庇ってませんし、癒着などありません。」
私「そうですか、でも今回の件で私感じましたが、A兄弟は私の事を前の会衆の時から嫌ってましたね。だから今回こんな歪な裁きしたのですね?」
長老A「D兄弟を嫌いだなんて、そんな事ありません。」
長老Aは謝罪したものの、明確に何かを認める発言はしませんでした。
3月13日に.噛ませ犬と吠え犬として活躍した長老BCは黙り込み、飼い主Aをかばえませんでした。
私は巡回監督に一言だけ、
「長老Aの発表の仕方は適切でしたか?」と聞くと
「不適切です!」と語気を強めました。
これまで黙っていた巡回監督でしたが、最後の最後に私の発言を全否定してみせました。
「世ではクレームは宝ですが、この組織では、ただの不平不満です」
私はこの発言に愕然としました。
私は言わば長老Aの轢き逃げを警察に通報しただけです。警察はそれをクレームとは言いません。貴重な情報としてくれます。私は何一つ間違った発言していません。ただ長老Aの悪事を報告しましたが、それをクレーム=不平不満と言った巡回監督に、失望すると共に、神権組織の大きな欠陥「民意が反映されない」事の歪さを見出します。昨今問題だらけのものみの塔が手にとるようにわかりました。
追記:この時散々謝罪した長老Aですが、いま現在は翻り「当時姉妹Aが体調を崩していたのは事実であり、発表になんら虚偽は無い」との見解を見せています。
人間としても言葉としても「狼長老」です。
この日、一日元長老E兄弟に時間取っていただき、まずカジュアルレストランでランチを取ります。今日のように初夏の陽気でした。食事では趣味の話をして、
クルマに乗ってから本題に移ります。
E兄弟の方から切り出してくれました。
E兄弟「私とD兄弟の長老削除の発表全く違いましたね、長老Aの扱い」
私「そうなんですよ!私、うつ病で降りたみたいになってますが、違いますよ。
姉妹Aとメールした事で3長老にボロカス言われて降ろされて、病気になったんです。」
E兄弟「ええっ!私、全く知らなかったけど、いつ?」
私「2月末から3月半ばで削除告げられましたよ。兄弟全く知らなかったの?」
E兄弟「全く知らなかった…何それ?」
E兄弟は確かに2月半ばの巡回訪問において、健康上の理由で長老を辞任申し出られ、私も削除推薦にサインしました。
しかし、E兄弟は、表明すぐ長老の荷を降りたわけではなく、削除発表前まで長老の割り当てをしていました。
簡単に言えば、3月13日に長老ABCにより削除通告、即座に彼らは削除推薦状作成。
しかしE兄弟は16日も、会衆の聖書研究司会と、第二会場の監督を果たしてました。
つまり次の事が浮き彫りになりました。
E兄弟は辞任表明していたものの、明らかに長老だった時期に、調整者長老Aは、E兄弟に全く、私と姉妹Aの事件を告げる事なく都合の良い3長老で、私を始末し、事実上ウソの「◯◯会衆長老団全員一致の削除推薦状を偽造した」
その裏で、何も知らされずE兄弟は長老の務めを果たしていたのです。
長老Aは途轍もない悪事を働きました!
長老ABには既婚の子供がいます。子供たちが私と同じ事をしたとします。
自分の耳に入らないまま、子供たちが他の長老に吊るし上げられ削除されたら、
電光石火のように激怒するでしょう。
長老Aは狡猾にもこれをやってのけたのです。
E兄弟は.夕方まで続いた話し合いの中で、
・自分がまだ長老だった時期に大切な問題を一切知らされなかった。
・自分と、姉妹A、D兄弟の発表はあまりにも違い過ぎる。姉妹Aの体調崩しているという発表は真実なのか?
・メールで、そんなに大ごとにするのはおかしい。この組織はメール禁止ではない。
といった見解を述べて下さいました。
私の不当削除については
・姉妹Aの意見鵜呑み
・長老団全員一致削除推薦の嘘
・私を一回も離席させずに削除通告
こうした点が浮き彫りになりました。
このあと力強いE兄弟は早速行動に出て下さいます。
この日の集会で、長老Aは私の長老削除を発表しました。巡回大会を挟んだので二週間のインターバルで、姉妹Aの発表と開きました。姉妹Aをかばいたい長老Aにとって大会のインターバルは二人を別物とする格好のタイミングとなりました。
録音しましたがあっさりと発表しました。
皮肉にも姉妹Aとは違い、私の削除発表後、たくさんの姉妹たちがお礼と感謝を述べに列が出来ました。恨み妬み怒りで、私を後ろから斬った3長老はどんな思いでその光景を見ていたでしょうか。
私はただただ、この「近づきにくく、身びいきがひどく、人をもてなさない」3長老に兄弟姉妹たちを託すのが無念でした。
対面と腹の内がまるで違う長老Aは、
「(発表の日に)良く来たね」と言いましたが、私は単に長老Aの発表の仕方を録音と聞きに来ただけでした。
私は、E兄弟、姉妹A、私の三者三様の発表録音を巡回監督と協会に送る決意を固めました。そして、E兄弟に、削除発表の3日後に、丸一日掛けて何があったかを話すことにしました。
不当削除を決定づける信じられない事実が発覚したのです。
私の長老削除の発表は5月18日になりますが、姉妹Aのチクリから始まった事件早々から長老Bの側近信者や、親しい近隣の長老が私を露骨に避けて行くという事案が発生します。特に会衆の側近信者の奉仕のしもべの家族の私に対する手の平の返し方はひどいものでした。この家族は長老Bの側近でしたが、私も慕って来て、いま思えばあり得ない「毎週ケーキや食事の差し入れ」を届けていました。会衆で重責を担っていた私への「まいない」だったのでしょう。しかし、まず私が体調を崩した時点から、まるで経済制裁の如く差し入れは止まり、奉仕や交わり他、距離を置きだします。冒頭で述べたように私はまだ長老の立場にありました。これは非常に口が軽くて有名な長老Bとその妻が、私を悪く言い早々と道徳的な不祥事を起こしたと吹聴したのでしょう。長老Bは事実に基づかない「あなたは、毎日何度もメールを姉妹Aに送り続けた。」という固定概念から離れられませんでした。事実は一つ。
毎日ではないし、姉妹Aも嬉々として返信して来た証拠の履歴があるのです。
さらに、長老Bの親しい近隣長老も私を見たら逃げる、挙句の果ては、他所にいる長老Bの娘夫婦からD兄弟の悪口を聞いたと友人が連絡くれました。娘夫婦など面識がないわけですから、出処は長老Bに決まっています。
長老Bはこうして私を極悪人に仕立て上げて行ったのです。
実際、長老や長老妻の吹聴で確認しています。墓穴です。
私はクリスチャン会衆ー霊的パラダイスに完全にしらけてしまいました。
5月4日、予定通り姉妹Aの正規開拓者削除の発表があります。元を正せば、姉妹Aの私へのリベンジまがいの痴漢報告で、私は早々に削除通告、姉妹Aは被害者として処分不問でしたが、巡回監督主導での姉妹A削除でまさかの私の削除より先に発表…長老Aはさぞ悔しかったんでしょう。演壇からこう言います(録音起こしです)
「姉妹Aは、現在正規開拓者として奉仕しておられませんので、皆さんにその事をお伝えします。
姉妹は体調を崩しておられます。また元気取り戻すと正規開拓者の隊伍に加わる事が出来るでしょう。」
私は、明らかな虚偽の発表に苛立つと共に録音していた事を喜ぶという複雑な思いにとらわれます。姉妹Aは元気っ子で、「私どこも悪くないの」と直近まで聞いていました。そして、彼女は資格を失ったのだから、正規開拓者の隊伍に加わる為に取り戻すのは元気ではなく資格です。この全員を欺く発表を長老Aは行ないました。姉妹Aが体調が悪いなど誰も知りません。私が気の毒だと感じる位、成員は姉妹Aに集会後近づいていませんでした。
翌日、5日土曜日に私の削除スタンプの手紙が会衆ボックスにありました。
私が最後までアカウント管理させた事で第一発見者は削除される当人。長老Aはわざとじゃないかと感じながら、翌日6日の集会後、王国会館などの鍵を返す為に個室で長老Aと接触します。私は、完全に抜き打ちで一つの質問をしました。
私「姉妹Aの削除の決め手はなんだったんですか?」
長老A「貞潔さですね(確信込めて)」
私「えっ?」
私のこのえっ?は半分誇張が入ります。
つまり「えっ?体調じゃないの?」って暗に言及した、えっ?だったのです。
すると長老Aは突然慌てふためき、説明をまくしたてます。パニックになった人間のパニック感は伝染します、私もパニックみたいになり、長老Aの説明が全くわかりませんでした。相当「貞潔さ」と私に言った事がやばかったのでしょう。
あろうことか、長老Aは私の帰宅後も電話して来て意味不明の言い訳を羅列します。私は全く要領を得られませんでした。ただ最後に苦し紛れに言った長老Aの発言は記憶出来ました。
「D兄弟に申し上げれる事は一切ありません。」
もう遅いわと思いました。「貞潔さ」これは長老Aが好んで用いる言葉つまり、
異性に馴れ馴れしく振舞わないという意味。
私は録音証拠と共に、長老Aの演壇からの嘘を看破しました。
夜に、長老Aから一本の電話が入ります。用件のみ。
「姉妹Aは4月1日付けで正規開拓者を削除されました。」
この遡った日付けと、一両日中になされた討議で彼女も降ろされたと確信しました。複雑でしたが、これでやっと気持ちを収める事が本来出来たはずでした。
ネット上の会衆の開拓者名簿からも姉妹Aは即座削除されてました。
しかし、何故わざわざ長老Aは私に電話してきたのか。
とにかくかばいたくてかばいたくて仕方がなかった姉妹A削除に無念でならなかった事は後々分かります。一切不問にしていた彼女。きっと長老ABCがかばいきれない発言を巡回監督にしたんでしょう。そして私を収めるべく彼女を切ったと考えるのが妥当です。
発表は5月4日にすると教えてくれたので、録音準備して臨みました。
しかし、この2月からの数ヶ月、砂を噛む思いそのもので、私は交通事故になりかけが三軒もありました。それ位私の思考は四六時中、この不当削除事件に支配されていたのです。
日曜日の集会後に、巡回監督交えた再討議が始まります。しかし、私はこの時点でこの組織の欠陥を見つけていました。
私は弁護士を付けれません。片や、裁判長の巡回監督は検察長老三人の息がかかっています。いかに、削除理由を見つけに来ただけかと半ば白けていました。「巡回監督は助けになります=削除を決めに来ます」
私の中では巡回監督に事前に手紙で言い残す事なく、主張しましたし、あわよくば姉妹Aの処分にシフトして貰えたらと考えていました。
案の定、長老ABCは3月13日とは違い、上司の前で小さくなりながらも、私を削除に持って行くよう巡回監督を導きます。しかし、巡回監督は私と姉妹Aのメール記録があるかを私に確かめて来ました。私は一通だけ選び監督に画面を見せます。私が姉妹Aをねぎらった反応に「私うれしすぎて涙が出そうです…これからも相談に乗ってください。」というメールを巡回監督に見せました。すると長老Aは…
「そんな一通や二通のメールで全体が分かるか!」
と私を怒鳴りつけました。
巡回監督は「いえ、彼女の感情が分かりましたからそれでいいです、ありがとうございます。」と長老Aを制します。
そこまでして姉妹Aを庇う長老Aは一体何者なんでしょうか。
巡回監督は、私を離席させ戻るとやはり
削除を言い渡しました。聖句はこれまた
こじつけな「多くを与えられるものは多くが期待される」でした。人を「削除だ!」と決めたら不完全な人間長老は何かの資格に抵触します。私は、こんな務め2度とやるものかとも思いました。ちなみに巡回監督は、私のような問題児を上手に切る事で協会からのポイントが上がるそうです。巡回監督は「削除理由にD兄弟の体調を含めていいですか?」と聞かれました。体調を崩したのは長老三人に起因してましたが、そうやって理由を並べたかったのでしょう。
もう一つ、私が両成敗を希望していた、姉妹Aについて巡回監督は「資格は検討したんですか?」と聞くと長老Aは憮然と「いえっ」と言った。巡回監督は「明日すぐ討議します。呼んでください」と言っていましたので、姉妹Aが呼び出されるのを確信しました。姉妹Aを処分すれば、私を抑え込めるからです。
それにしても、姉妹Aからのメール印刷提出封筒を開けてもおらず、ヘラヘラ笑っていた長老A、巡回監督が長老三人に私に対して行き過ぎた行動に謝罪を促しても1人謝罪しなかった長老B,聖霊で任命された長老なんていないんだと思いました。
すべての仕事を削除前に投げた私でしたが、何故か調整者長老Aは私にアカウント管理のメインユーザーをさせました。
いま思えば不思議。4月20日に私宛に、手紙が届きます。略述すると
・協会は、○○会衆長老団から、D兄弟の長老を削除を推薦する手紙と、D兄弟も削除に同意出来ない旨の手紙を受け取りました
・巡回監督が助けになってくださり、長老団と会合を設けて下さいます。それで巡回監督から連絡がある時協力してください。
というものです。私はこの手紙を今も所持しています。この書質は、人事権をものみの塔協会が握り、決定権を巡回監督に託した証拠です。ご丁寧に日付けと、私の名前つき。また、発信日付けの6桁のアルファベットで、誰がこの問題の担当者か分かるようになっており、私は分かります。私がこれ、出るとこでたらとんでもない証拠です。ものみの塔とエホバの証人は個別の単立宗教法人登録。
そもそも個別の(無関係の)宗教法人ものみの塔が人事権握ってるのが、丸ばれの手紙です。この手紙はいつか公表します。
手紙が届いた翌日、巡回監督から電話があります。優しそうなふりして。
私は巡回監督に「監督と1対1で話したい」と電話で言いましたが巡回監督は、
「それは出来ない、○○会衆の問題だから、長老団と一緒に」と述べたので、では手紙書きますと言い、会合までに投函しました。
そこには、「メールが削除など、資格削除の根拠として、長老の教科書にない。」
「姉妹Aと私は基本両成敗。片方だけ削除とか資格不問あり得ないから、救うのも切るのも両方だ。」と主張しました。
そして翌日、巡回監督交えた再討議が始まります。
その年の記念式、私はまだ長老でしたが、席で表象物を回すだけの異例さ、
当たっていた特別講演ももちろんことわっています(長老もさせなかったでしょう)
しかし、その記念式で姉妹Aを長老たちは案内係に当て、本人は勝ち誇った顔で歓迎しているのを見て私の中にスイッチが入りました。
もちろん私は過失ゼロとは言いません。
しかし、姉妹Aはメールを続けたい、D兄弟とは絶対こじれたくないと宣言し、嬉々としてメールを往復していた直後に暴発し、私を冤罪痴漢犯人に仕立てあげ、長老ABCにより葬られたのです。
姉妹には同じ処分を望むのがいわば
「対等対価」です。協会への、削除不同意の手紙には
・ほぼ事務的な内容のメールのやり取りを、情欲を抱いた、ポルノを見ていたと飛躍した長老たちの決定はあまりにもおかしい。
・長老Bは「あなたはメールで異性とデートをしました」と言いましたが、デートは1人では出来ません。一体私は誰とデートをしていたのでしょうか?
何故長老たちは、私のデートの相手を処分しないのでしょうか?」
と少し感情的ですが書きました。
私の中には、長老の資格はほぼあきらめていましたが、私の家族のためにも、
姉妹Aには開拓は降りてもらう。
それで、すべて水に流すつもりでした。
私は、削除通告時、2度と集会に行けまい。それはあの三人とおぞましい思い出の会館、また私を裏切った姉妹Aの存在。どれを取っても「無理だ」と思いました。
しかし、私は3月24日に子供たちに対してレクリエーションを企画していましたから、前日は集会に行かなければと思いたち、ひどい精神状態で出席しました。
すると、奉仕会の発表で長老Aは聞いた事もない発表の仕方をします。
「(長老)E兄弟は、この度健康上の理由で長老を辞任されます。長年奉仕して下さった、E兄弟に感謝を表すのは如何でしょうか。(拍手を聴衆に求めた)」
妻は帰宅して泣きました。「Dさんの発表の際はあんなねぎらいはない。長老Aはひどい。」と。
私の心には二つの疑問がインプットされました。
「一体、E兄弟は私の削除騒動をご存知だったのか?」
「長老Aは、変な発表しかねないから、以後も注意しなきゃ」
これをきっかけに、私は集会に行くようになります。辛い中を。
レクリエーションも、自分の感情を隠すのが苦痛でたまりませんでした。
この時点での私の心境は次の通りでした。「若い時からエホバの証人としてやって来て、簡単にはなれない長老の資格を得て成員に尽力して来たのに、こんな切り捨てられ方はない。しかし、あの三人と長老団として協働は不可能。」というものです。
また、削除通告時の長老Bの面白がりながらの「また長老目指して下さい」「最後の最後まで務めは果たして貰いますからね」という場違い発言もあり、私は憤りのうちに会衆の全ての務めをいきなり長老Aに丸投げしました。そして重要記録類を返す為にと協会に手紙を書く事を告げに行きます。
長老Aには
「いくら削除通告と言っても長老Bの言い方は酷すぎる。姉妹Aを見た事をポルノに例えるなど断じて許される発言ではない。協会に判断してもらう。」というものです。
本来、削除不同意は手紙を長老団に渡しますが、彼らは添付しないんじゃないかとの不信感が酷く、個人で出すものの筋を通す為に、調整者に告げに行ったわけです。彼は構わないと大人の対応しましたが、これからまだまだ泥沼化して行きます。
不当削除を通告されてすぐ他会衆の長老に削除食らった事を電話します。
やはり、その短期間で少ないメール数しかも双方同じ数、D兄弟から2度もメールをやめようと言っているのに、突然壊れた姉妹Aに対する怒り、姉妹Aの意見だけを鵜呑みにした長老たちの行動。
いずれにしても余りにもその処分はきつすぎると同情してくれました。相談の上、支部に削除不同意の手紙を書く事にしました。
妻には、当座あくまで事務連絡だったメールが盛り上がってしまったのは事実だが、情欲を抱いたを根拠に削除されたのは甚だ不当である。もう集会に行く事は2度とないと告げました。妻は私を咎める事はしませんでしたが、驚きの観察を述べました。
・姉妹AがDさんに近づいてるのは全く知らなかった。
妻は病気で休みがち。つまり姉妹Aは妻が休みを見計らい、私にへつらって来た事がわかりました。
・(姉妹Aを事件以前に自宅に招いた)
あの子は来て欲しくないっと言ったのにと言われました。女の勘に脱帽です。
私たち家族はたくさんのJWを自宅に招き、人選はいつも私主導でしたが、幾十人いや百人以上招いた際「あの子呼びたくない」と妻が言ったのが姉妹A1人だけでした。
私は、幾日も長老たちによる密室リンチに耐えかね、泣くばかりでした。すると猫が異変を察知し、擦り寄ります。
私は「何故自称愛ある羊飼いと言われる牧者に虐待され、いま飼い猫に癒されているんだろう…」すでに組織には強い不信感を抱き始めていました。
削除欲の塊と化し、私が泣いて苦しんでいるのを、あざ笑う長老Bの姿が印象的でした。私が散々謝罪してるのを確認した長老Bは「あなたは、24日の時と違って反省してますね。」と述べます(しかし、以後彼らはこの3月13日の態度が悪いから削除したと真逆の発言をします)
そして「あなたは今後どうしたいんですか?」と尋ねられたので「今回の事は反省して、改めて長老として頑張っていきたいと思います。」と述べると三人は口々に「それだけの事をしながら、よく長老を続けたいなど言えるな、姉妹Aや(姉妹Aの)お母さん姉妹の前で演壇に立てるわけがないだろ?」と凄まれ、
長老Bは「あなたを長老の職から削除します!」とうれしそうに宣言します。
長老Aは深くうなづきました。
組織に詳しい方なら、お分かりでしょう。私は一度も席を外していません。
つまり三人は最初から削除を決めて席に着き、私の態度如何でさらなる処分を狙っていたのです。削除で行くという意思疎通が計れるわけがありません。
完全に組織の手順から外れた、暴走行為でした。
また、私は話し合いの中で、姉妹Aが、私との聖書的な和睦を蹴って、長老Aにいきなり言ったのは遺憾だと述べたら、
長老経験1年の長老Cは「D兄弟.マタイの原則は男女間には当てはまらないんですよ。」私はこの言葉に衝撃を受けました。もう三人は削除モンスターと化していました。
私は、まさに削除同意を強要されます。
長老Aの祈りと最後の言葉が傷に辛子を塗ります。「D兄弟は、これから奥さんとお母さんの世話だけしてたらいい」
祈りは「兄弟は長老でなくなりましたが、立派な兄弟です…祝福がありますように。」散々呪いながら、平然と祈り、満面の笑みで握手し、長老Aの習慣で玄関先まで私を送ります。「兄弟、良く祈るんだよ。」そしてドアが閉まります。
私の不当削除に対する飽くなき戦いが始まりました。
いよいよ、不当な削除通告が始まります。午後1時30分某所王国会館です。つい数日前まで、彼らを助けた恩もなく、長老ABCは私に咆哮を向けます。
長老Aが調整者ですが、司会はしませんでした。病み上がりだけではないでしょう。彼は狡猾で、基本黙り、司会を咬ませ犬の長老Bに.そして長老Cを吠え犬に仕立てあげます。長老Bは最初の祈りで
「今回、D兄弟は霊的なケガをされました。私たちは兄弟を助けたいと思います。」と述べました。私がすでに霊的なケガをしたと断定した祈りに違和感を持ちました。しかし、助けたいとはかけ離れた、衝撃の言葉が飛び交います。
長老B「D兄弟はポルノの画像が出てきたらどうされますか?」
私「切り替えますね。」
長老B「そうですよね。しかしあなたはポルノの画像を切り替えなかったように姉妹Aを見続けました。」
この下品かつ、侮辱なたとえに私は一気に鬱状態に陥れられます。私は姉妹Aを性的な対象に見ていませんでした。
(しかし、私が鬱状態で反撃出来なかったのは幸いでした。彼らは私の態度が悪いなら排斥狙いがわかったからです)
長老Bは、用意されたノートを用いて畳みかけます。
「あなたは異性とメールでデートしました。」これも大した反論は出来ませんでした。デートは一人では出来ません。いったい私は誰とデートしていたのかと感じました。
さらに、長老Cの的外れな聖句の引用と適用にあきれ返りました。
マタイ5:27.28の「女を見続けたものは情欲を抱いた。兄弟はまさしくそうではありませんか⁈」と凄んで来ました。
私は情欲など抱いていないと述べましたが、長老BとCは「いや、あなたは姉妹Aとの関係を楽しんでいました。」と決めつけます。
結局、三人はこの聖句しか用いておらず、罪状が情欲を抱いたと言っても過言ではありません。飛躍もいいとこです。
長老Cは終始睨みつけ、長老Bは激怒と嘲笑を混ぜたような気味の悪い態度を示していたのです。首謀者長老Aは仏のような顔をして善人ぶっていたのが印象的でした。しかし、唯一質問したのが、
「エホバに対してどう言い開きをされるんですか?」
なんで、こんな大事件にしてるのかわからないまま私は泣きながら「申し訳ないと思います。」と言わざるを得ませんでした。
しかし、彼らは一切、組織の本や長老の教科書は使いませんでした。暴走機関車の削除欲は止まることはなかったのです。
長老ABは土地の大御所。私は、他所から必要で入った若輩者。蛇に睨まれた蛙状態でしたからもう詰んでいましたが、すがる思いで2月24日に同席していなかった長老Cに事情を知ってもらおうと思いコンタクトを取ります。そして3月10日の土曜日にCの自宅で話しを聞いてくれるはずでした。しかし当日朝、Cからドタキャンの電話が。理由は「話し合いの場は用意されているから公平を保つ為にD兄弟(私)の言い分はその場で聞く。」との事。
全くもって都合の良い「公平」
すでに長老Cは先入観にまみれた事情を長老ABから聞いていたと悟りました。
無理もありません。Cは長老Aの崇拝者。Bとは腹心の友。もう、私の削除シナリオに乗っかっていたのです。
私がどれだけハートが強い男かを知りもしないで。
翌日11日の集会で、私の強い削除欲にまみれた長老Bが近づき、私を3月13日に招集しました。究極のレリジャスハラスメント(宗教的嫌がらせ)が幕を開けます。
冤罪不当削除がいかに残酷か…
それは「直前まで疑問視されてなかった兄弟が、いきなり痴漢呼ばわりされるという点です。」私は、2月24日に長老Bからの「長老だと思ったらただの男だったとはなあ」発言でPTSDのような状態に陥りました。
最後とは思っていなかったんですが、実質最後の割り当ては3月9日でした。
長老Aは入院、長老Bはバカンス、長老Cはハンディキャップ者につき何でも出来るわけではない。しかも、奉仕のしもべが、仕事で目立った点をドタキャンしました。その日私がこなした割り当て…
・会衆の聖書研究司会
・神権宣教学校、目立った点付き
・奉仕会発表で長い手紙を読む
・奉仕会のプログラム二つ
完全な鬱状態で、これだけこなすのは地獄かと思いました。恐らく110分は演壇に立ちました。皮肉にも、姉妹Aが
割り当て…彼女は割り当て後の助言をボイコットしました。「姉妹Aの私に対する決定的な行動でした。」
私は、通常、学校監督、書記、アカウント管理メインをしていました。それでも、長老Bは私に新たな仕事を押し付けてきたり、調整者長老Aには、私は仕事の負担軽減を依頼していましたが、減らすどころか、何回も、集会1時間前に電話して来ては体調が悪いからプログラム変わってくれと…
私は、用いられてる事に喜びはありましたが、顛末思えば「ただの便利屋」
都合良くこき使われ、都合良く切り捨てられたのです。人間にやることじゃありません。
集会後すぐ、半ば連れ込まれる形で会議室に入りました。調整者、長老Aは開口1番「姉妹Aと何があったか説明してもらえますか?」と言いました。
私は用意していた紙を取り出して、説明を始めました。
・そもそも姉妹Aが擦りよって近づいて来た。
・メールをやめようと提案したのは、私であり、続けたいと言ったのは姉妹Aである。
・個人間の諍いは、まず当人同志が話し合い、決裂したら長老が介入するのは分かるが、いきなり姉妹Aが長老に言うのはおかしい。
と、主張しました。私はこの論議に自信がありましたが、もろく崩れ去りました。というのは、長老Aは私に個人的に恨みがある事、長老Bは何故か私に妬みを感じていました。つまり、姉妹Aが私の事を通報した時点で痴漢扱いであり、しかも紙を準備して論破しようとした私の態度が相当気に入らなかったようです。
さらに私は「姉妹Aと直接話し合う為に呼んで欲しい。」と言いましたが、
長老Bは何を理由にか「無理ですね」と言いました。そして大きな怒りを既に抱いていた長老Bは、私を一気に鬱状態に突き落とす暴言を吐きました。
「長老だと思って(姉妹Aが)安心して近付いたら、ただの男だったとはなあ。」
この暴言で、一気に体調を崩し、以後の彼らとの話し合いは防戦一方になりました。非常に苦しみの伴う日々そして戦いのゴングが鳴りました。
長老の密室における、侮辱と名誉毀損は、プロローグに過ぎませんでした。
追記:この話し合いの2日後に、長老ABは、姉妹Aから事情を聴いたようですが、完全に私を悪人、自分は被害者として開拓に残ろうとした魂胆が見えました。当然ですが、私はそれを許しませんでした(つまり両成敗に処しました)
読者の方へのお願い
私が不当削除を食らう前に、問題の核弾頭ー姉妹Aについて書きますが、この、その①.②を見て物事を判断されるのではなく、この問題を特に三人の長老がどう扱うかの記事まで読んで頂ければ幸いです。私が問題にしてるのは、長老たちの、不当と不法を駆使して私を削除まで追い込んだ方法だからです。
姉妹Aは、従順で気立てが良かったんですが、いま振り返ると1長老に対して以上の感情がA姉妹にありました。前記事の、奉仕での出来事や、私が神権学校の助言にもいたく感動し、姉妹Aはどんどん私に距離を縮めて行きました。集会の度に近づいて来ては、「兄弟優しいなあ、いいなあ私(結婚に)憧れますー」と何度も言われました。あくまで連絡用にメールアドレスを渡したら飛び上がらんばかりに喜びました。
そして、メールのやり取りを何度かして来ました。内容は主に霊的な励ましあいで、期間は三週間で25通往復程度。しかし盛り上がり過ぎて来たので、私がメールのやり取り中止を求めたら、続けたいと言い、ある日、電話で話した際に再度メールをやめようと言いましたが「人に見られてもいいレベルのメールを続けたい。」と言われました。
その際、明確に交際するつもりがないと伝えましたが、結局これがダメでした。
後日姉妹Aは、上述の電話の猫撫で声から、一転怒鳴り散らし、私が集会で他の若い姉妹と談笑していたら、殺意溢れた睨みつけを行ないました。ただならぬ事になるなと予想は付きました。
そして2012年2月末、集会前に姉妹Aが私を見て異常に怖がった事。長老Bが.挨拶した私を侮蔑の目で見た事…そして…この事件の黒幕調整者長老Aが「(集会後)ちょっと話が」と言った事で、姉妹Aが他の長老にチクった事を察知しました。(この事案は、腹いせセクハラという定義に当てはまります。長老たちは私をセクハラ扱いしてますが、姉妹Aがメールを楽しんでいた履歴がある以上、腹いせセクハラを追及します
)
この私に対する不当削除が成し遂げられ、大問題と化するのに、登場人物9人が見事な役割を演じます(元長老E兄弟は悪い行動は全く取っていないが、不思議なタイミングで長老の辞意は表明していた)が、誰が起点かつ核弾頭かと聞かれたら、やはりA姉妹になります。
A姉妹とは、2011年会衆の合併で同じ会衆になりました。当時28歳。高卒からずっと開拓者をしていましたが、あまり長老に褒められてる向きはありませんでした。
私は長老として、彼女を褒めていました。合併した年の夏、A姉妹と野外でペアを組みますが、後にも先にもない出来事が起こります。
彼女の証言の番で、出て来たご主人が、一方的にまくしたて反対論を述べます。
彼女は2度振り向き、助けてという目をします。私は交替しました、大した事は言えないまでも、助けてあげたという感覚が彼女を一層傾倒させたのです。
なんと、その後の休憩したベンチで彼女はピッタリと私に寄り添いました。そんな姉妹をみたことがありません。
後にも先にもない出来事が1日に二つ起きました。
以後、恐ろしいシナリオに二人はハマって行きます。それは、その②でお話しします。
追伸・事件から2年経たましたがいまだに問題長老から「彼女は被害者」「 私は加害者として扱われているのです。
はじめまして・または以前見て下さった方は再アップします。
私は、日本に住む、エホバの証人の活動を辞めた元長老,現役幽霊部員です。
アメブロでフィリーの名前でブログをしているので今回ハンドルネーム統一します。
これから私が、どのように『聖霊で任命された』長老の立場を、仲間の長老が不当な仕方で羽交い締めにして削除に持って行ったのか綴って行きたいと思います。そして私は、うつ病にさせられその重さ故に、精神障害者に認定されました。元々脳天気な私を障害者まで陥れたのは他ならない、三人の長老と一人の姉妹です。
家族がその会衆にいますから、会衆名や登場人物の名前はだしません。しかし見る人が見たらどこの会衆の事件かは分かるでしょう。
こうした事を記録に残す事で、1人でも多くの人がエホバの証人の長老とものみの塔協会の削除や排斥の手口に気づいていただければ幸いです。
これは私の生きた魂のいわば「遺書」永遠に残り続けることを願います。
過去の記事を手直ししながら再アップして行きますのでよろしくお願いいたします。