2015年2月 9日 (月)

LIVE AT BUDOKAN ~BLACK NIGHT~

 Twitterで本ブログを紹介してくださった人がいて、急にコメントを多く戴いて戸惑ってしまったが、有り難いと感謝しています。
 言い訳がましいですが、NHK新規である私が書く事は、既にファンの間では知られている事が殆どです。それらの情報の点を、極めて主観的に文章で繋ぐのが私のブログの役割であると思っています。
 仕事が詰ると更新が暫く空く時もあるのですが、気長に時々来ては読んで戴ければ幸いです。
 記述に誤りがあれば、是非コメントでお教え下さい。
 ただし以前に書いた文章を後日直す事は基本的にしていません(読み返すとてにをはがグダって恥ずかしいのだが、趣味でやってるので)。


Dsc_0038



 アミューズの物販サイトであるアスマートに、受注担当者は月に2回程度しか出勤しないのだろう。
 昨年の武道館公演は、映像商品としては「赤い夜」「黒い夜」の二日分が収録されているが、CDとしては「赤い夜」のみが発売され、「黒い夜」はBABYMETALファンクラブ THE ONE会員限定で売られている 「LIVE AT BUDOKAN “BUDO-CAN”-THE ONE - LIMITED BOX」というセットでなければ入手出来ない。
 まあ仕方ないと、年明け早々に会員登録をしたが、会員になるにはTHE ONEのTシャツを購入しなくてはならないという。これについている「洗礼の儀」シリアル番号が必要なのだ。入会費的なものだろうが、Tシャツ付なのだから良心的だと思い、すぐに購入手続きをした。
 これが待てど暮らせど送られてこない。
 何か申し込みで不備をしてしまったのかと思っていた頃、やっと配送された。
 やっと入会手続きをして、KONAKA-METALというメタルネームを得て、やっとBUDO-CANを購入――したのだが、これがまた2週間以上もかかった。

 一抱えもある金属缶の中に、既に持っているブルーレイと、「黒い夜」CD、そして特典のオマケというのが――、黒いネック・サポーター(コルセット)。折り曲げられないものなので、この大きさの容器が必要だったのだ。まあこれはいずれ使う日があるのかもしれない。
 もう一種が――、三つの棺桶型キーホルダー。これがムクのゴム製で一つがやたらと重い。三つにはそれぞれ彼女らのサインが印刷されている。しかし、これをキーホルダーで持ち歩ける人はいないだろう。単純に重いからだ。
 商品企画担当の人、もう少し考えようよ。

 BABYMETAL運営陣はライヴ毎にTシャツを製作しており、毎回デザイナーが変わっていて魅力的なものもあった。
 しかし入手するにはライヴ会場の物販エリアで、かなりの長時間の列に並ばねば欲しいサイズのものは買えないという。
 アスマートにもTシャツは販売品目としてあるのだが、どれもこれも品切れ。
 まあ勿体ないというか、もっと沢山作って普通に買える様になれば、どれだけ我々の様な新規が喜ぶばかりでなく、季節が暖かくなれば宣伝にもなると思うのだが。

 さておき、一ヶ月も入手に時間が掛かった「黒い夜」ライヴCDをやっと聴けた。
「赤い夜」が、テッド・ジェンセンによるマスタリングが施されていたのに対し、こちらはそうではない。しかしそうした情報はどちらのライナーにも全く記述が無い。改善して欲しい。

 予想通り、武道館のライヴ録音らしい、やや重心の低いアンビエントのサウンドだった。「赤い夜」が歌声や楽器の分離感がよく、その夜のパフォーマンスを正確に再現したものに対し、「黒い夜」は当日のライヴに参加した人には、その音の記憶を再現出来る様な塊(かたまり)感でまとめられている。
 好みで言えば圧倒的に「赤い夜」の音が好きだし、繰り返し聴けるのだが、「黒い夜」も聴き所は多い。
 セットリストの前半にBLACK BABYMETALのプログラムが二連で入っているのは、まだ疲れが出ていない内に決定版的にやろうという意図だったのだろうか。
「ギミチョコ!!」のギターソロで、MOAMETALだと思うが声を上げて観客を煽りに行くので驚いた。
 二夜連続公演の二日目は、やはり独特なアドレナリンが出るのだろう。We Are Babymetal!という最後のSU-METALの叫びも、明日に喉を残さずとも構わないという思いからか、かつて聴いた中では最もテンションが高く感じられた。
 ――とか思っていたら、すぐにアンコールの『ド・キ・ド・キ☆モーニング』が始まり、SU-METALは15歳に戻ったのかという軽やかな声で歌った。この音源だけを未知の人に聴かせても、よもやあの飛び跳ねる振り付けをこなしながら歌っているとは想像だに出来ないだろう。やっぱりこの人(SU-METAL)は掴めない、底知れないという感慨を抱く。
 セットリストのオーラスは前日事故のあった『ヘドバンギャー!!』だというのも、深読みをしたくなってしまう。「黒い夜」ではYUIMETAL+MOAMETALが揃って元気に観客にヘドバンを強いていた。

 

 いい加減、映像ソフトをきちんと観なくてはとは思うのだが、「あっ、ここにはまだこんなに見てない動画が」というものに出くわし、ズルズルと引き延ばしてしまっている。
 ソフトが出るのが楽しみだった映画のディスクを、何年分も溜め込み数mに積み上げてしまうのが私の悪癖の一つでもある。

 ダウンロードした動画は38GBになった。バックアップ用の外付けHDDを購入したところだ。全く仕分けされていない動画の山。どうしてくれようか途方に暮れる。
 海外の書き込みを翻訳してくれるサイトの、ずっと前の過去ログを読んでいたら、ある海外のファンが「もう47GBを越えたぜ」と書いていて、敗北感に打ちひしがれている。

 

2015年2月 8日 (日)

METAL EVOLUTION

 メタルというジャンルの音楽についてのドキュメンタリ映画は案外と多い。
 一部で話題になった『アンヴィル 夢を諦めきれない男たち』は紛れもなく傑作であり、私も涙無くしては見終えられなかった。監督はその後『ヒッチコック』というフィーチャー・フィルムも撮る程に出世した。
 Metalicaのスランプ期を追った映画も興味深かったが、私が印象深く記憶しているのは、Slipknotの3枚目かについていた特典DVDで、何の説明もない彼らのツアーを記録したドキュメンタリだったが、馬鹿騒ぎの様なツァーをしながら精神的に疲弊していく様が生々しく記録されていた。二度と見返すまいと思った。

 Sam Dunn サム(サミュエル)・ダンという人類学者がいる。RUSHのゲディ・リーをちょっと貧相にした感じのカナダ人で、メタルファンである。彼が2005年に作ったドキュメンタリ映画が「メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー」だ。
 この映画で、彼は多くのメタル・ミュージシャンにインタヴュウをしているのだが、なぜメタル・ミュージシャンの言質を得ようとしたかと言えば、一般的にメタルは社会には害悪だと見なされてきたものであり、バンドにもよるが悪魔崇拝といったギミックでの発言をしてきたアーティストも多く、「本当のところ」を聞きだそうとしている。
 この映画の立脚点は、「メタルはマイノリティのもの」にあるのだ。
 商業音楽の世界では、メタルは過去も現在も、マイノリティに属してきた。
 サム・ダンは自分自身がインタヴュワーとして出演しており、これは普通の若者とは異なる趣味を持って育った自分自身を解き明かす旅でもあった。

 2009年、続編である「グローバル・メタル」を彼は製作する。今度は、世界中で如何にメタルが受容されているかについてのルポルタージュで、特にアジアに目が向けられている。
 中国の様な国でもメタルを愛好し、演奏する若者がいる。音楽表現としてのメタルはまさにグローバルである事を立証して見せた。
 見返していないで書いているので、自分も確証がないが、BABYMETALが何故世界的に(メタル・シーンに於いて)受け容れる人が多かったのかについて、もしかしたらこの映画が一つの答えを持っているのかもしれないと思う。

 この2本の映画は日本でもアミューズ・ソフトから販売されているが、私はWOWOWの放送で観ていた。

 そして2年程前だったか、今度はメタルの進化を辿るという遠大なプロジェクト、「メタル・エヴォリューション」というテレビ・シリーズを製作した。45分番組×11本で、様々なサブジャンルのメタルがどういう系統で成り立っているかを調査したものだが、とても見応えがあった。
 何度か放送されているのだが、つい先日、何度目かの再放送があり、幾つかを見返した。

 これはサム・ダンの人柄なのだろうが、人類学者のフィールドワークという構えたインタヴュウではなく、むしろマニアが憧れのアーティストに会って話を聞くスタンスであるにも関わらず、メタルのプロパー達は専門誌向きなスタイルを作らず、自然体で、本音に近い事を話しているのだ。
 Meshuggah(『悪夢の輪舞曲』のロールモデルと思われる)のドラマー、トーマス・ハーケは実に知性的で、あんな凄まじいドラムを刻むミュージシャンのイメージとは全く異なっていた。その彼が「あいつらは本当に危険だ」という、観客にギターのヘッドで攻撃しようとさえするバンドのギタリストも、自分達が狂った様なステージをする事について淡々と言葉にしていた。

 自然体を引き出せなかったのは、イングヴェイ御大と、Slipknotのスポークスマン、クラウンだけだ。
 BABYMETALはファンを「モッシュッシュ・メイト」と呼ぶが、ファンに固有の呼称をつけるのは昨今の流行なのだろう。Slipkontはファンを「Maggots」(蛆)と呼ぶ。クラウンは、「蛆はやがて蠅になって自由に飛ぶ事が出来る。俺達のライヴは救済なのだ」と、あまり説得力の無い説明をする。実際には、自分達が(社会に於いて)腐乱死体と同じであり、その俺達に集まるお前らというニュアンスの方が先にあった筈だ。
 サム・ダンの「何故君たちのライヴはそう攻撃的なのだ」という問いに、クラウンは「WAR」と答える。
 そういう言い方しか出来ないのだろう。

 Slayerが、一枚だけNuMetal風味なアルバムを出していたのは知らなかった。様々なバンドが華々しい成功を収める一方で、Limp Bizketの様にフェスで暴動を煽ってしまい、KORNのジョナサン・デイヴィスにすら唾棄されている有様はなかなか辛いものがある。

 色々と興味深いディテイルが判るが、なかなか「で、どういう事なの」という結論には行き着かない。何しろ最終話が「プログレ・メタル」がテーマであり、それは確かにDream TheaterやMastodon, Tool, Opeth(全部聴いてるな)などがいるけれど、メタルのサブジャンルとしては一層マイナーなグループなのだ。

 BABYMETALが海外で凄まじい支持を得たというのは事実であるけれど、現代音楽産業のメイン・ストリームでの出来事ではないという事はあまり報道されていないと感じる。
「ギミチョコ!!」のMV再生回数が凄いといっても、Lady Gaga, Taylor Swiftといった時代を代表する存在に比べたら、マイナーに過ぎないのだ。
 むしろ、歌詞を英語にする事すらもせず、日本のドメスティックな価値観で先鋭化したBABYMETALが、「世界でもこうなればいい」という想定を遥かに越える成果を得られたのも、マイナーなジャンルであるメタルであったからだとも言えよう。

 サム・ダンは「NuMetal」のエピソード冒頭で、「~とかのバンドがああいう事したり」とひとしきり説明した後、「俺には我慢がならない」とぶちまけた。NuMetalに存在価値などあるのかという切り口で始まったので期待したが、それからのドキュメンタリ部は割と普通に紹介するばかりで、これは残念だった。

 それまでと違うサウンド、アプローチをするバンドが現れると、新たな括りのサブジャンルが生まれる。それはメタルに限らず、ハードコア、はてはポストロックに至るまでもそうなのだが、メタルに関しては、この10年程の間に特筆すべき動きがなかった。サム・ダンが総括出来たのも、そういう状況がある。
 大きなフェスティバルはベテランが、かつてのヒット曲を演奏するのがクライマックスなのだ。
 そうした状況を、メタルヘッズであるKOBA-METALは感じていたのだと、インタヴュウでも述べている。
 BABYMETALが触媒になって、メタルに新たなサブジャンルが生まれるかもしれないのだ。
「METAL EVOLUTION」をチラチラと再見しながら、ぼんやりとそう思っていた。
 サム・ダンは果たしてBABYMETALを受け容れるのだろうか(笑)。


2015年2月 7日 (土)

活字でBABYMETALを知る

 本ブログの二つ目の記事「BABYMETALの基礎知識」で、間違いを記している事をコメントで教えて戴いた。
 何となく可憐Girl'sから直結でさくら学院が出来たかの様に錯覚していたのだが、一年のブランクがあったのだ。その間に中元すず香はミュージカルに出演したりしていたという。この1年というのも、実はキーがあるのかもしれない。ご指摘ありがとうございました。

B80sj6vcaaazivv

 BABYMETALの言葉やヒストリーを知る上で、オフラインでの第一級資料となるのは、「ヘドバン」誌が随一だ。
 BABYMETALがヨーロッパへ飛べば、(取材予算もあまりなさそうなのに)取材チームを送り、現場の空気をリアルに伝えてくれる。
 BABYMETALへのインタヴュウはそう多くは無いが、KOBA-METALの談話は「そうなのか」と思う話が多い。
 不定期刊のムックで、現在Vol.5まで出ており(+臨時号2冊)、もうすぐ新刊が発売となる。
 創刊号は完売して、一時期はセカンド・マーケットで高騰していたのだが、幾度も重版がかかって、今は全巻も定価で購入出来る(素晴らしい)。

 アイドル雑誌にも、BABYMETALは度々インタヴュウを受けてきたが、流石に全てを集めるのは困難だ。ネットにもまだインデックスを作成する人はいない。

「MARQUEE」誌が、ファーストアルバム発売時に、BABYMETAL特集号を出していた。これまたセカンド・マーケットでは高い値になっていて、暫く躊躇した。しかし背に腹は代えられず入手して読んだのだけれど、「ヘドバン」だけでは判らなかった、BABYMETALを巡る空気感を感じて、ちょっと衝撃を受けた。

 今更ではあるが、BABYMETALがさくら学院からの派生ユニットとして生まれ、さくら学院がどういうシステムなのかを知った後では、BABYMETALの見え方は違ってくるのだ。
 BABYMETALは、「可能な限り続けていく」という安定的なものではない事を、BABYMETALの三人の少女達も、またプロデューサーも常に背後で感じている。
 ヒリヒリした感覚を実感した。
 これについては改めて詳述したい。

「ヘドバン」は、メタル側の理解者が、BABYMETALの軌跡を熟知した上でのインタヴュウであって、私の様な読者にはとても共感出来るものだった。
「MARQUEE」のインタヴュワーは、アイドルというよりは恐らくサブカルのフィールドから、やはりBABYMETALの軌跡を知った上でのインタヴュウであった。
 双方のアプローチからの言質は、重ね合わさるとまた違うものが見えてくる気がした。

「MARQUEE」は初期のBABYMETALから頻繁に登場させ、ミニ連載もあったと知り、慌ててバックナンバーを揃えているが、BABYMETAL特集号以外は概ね定価で新品が買える。
 この雑誌はオールグラビアなので、そうそう増刷など出来ないのだろうけれど、是非復刊して欲しいと思う。

News_xlarge_marquee101_h1

「ヘドバン」誌は、その雑多な情報と送り手の熱気が、ちょっと懐かしいノリに感じた。
 昔の「OUT」とか「ぱふ」とか、まだオタクカルチャーが隠微な存在だった頃に「面白いものは面白い」と切り込んだ亜マスコミ誌だった。
 しかし「ヘドバン」の版元はシンコーミュージックという大手。「BURRN!」誌の今の版元でもある。

 しばしばネットでは、「BURRN!」がBABYMETALの存在を無視している事がネタになっている。
 Sonisphereで6万人のメタルヘッズに圧勝しても、そんなニュースすらも載せなかったという(2012年には、ちょっと紹介記事が載ったようだが)。
「BURRN!」の編集者達が殊更に排他的、権威主義的なのではない。
 今も尚、海外のメタルファンの間では好悪の議論が続いているのだ。YouTubeの「ギミチョコ!!」動画のコメント欄は現在進行形で(未だに!)応酬が書き込まれている。

 そうした「メタルではない」(だから価値がない)というヘイターの攻撃相手は、当然ながらBABYMETALが初めてではなかった。
 いや、新たなサブジャンルがメタルに生まれる度に、それは起こっていたのだ。

 そういう事を改めて思いかえさせてくれる、一級の映像資料がある。
 次回はそれについて述べようと思う。

2015年2月 6日 (金)

好きになる前の心理的状態

 自分がまだBABYMETALを好きではなかった頃の事は、段々忘れてしまいつつあるのだが、ネットでは掲示板でもブログでも、「いつ自分がハマったか」はよく話されいて、それを語りたい衝動を起こさせるのもBABYMETALの特色だという記事を読んだ事がある(リンク失念)。
 それぞれの音楽体験を前提に、なぜBABYMETALに惹かれたかを語りたい、という気持ちはよく判るというか、このブログそのものの存在理由でもある。
 しかし多分だが、これは多くの人が同じ様な心理プロセスを経ている事が大きいのではないだろうか。

 2ちゃんねるの芸スポ+では去年からよく記事のヘッドラインは見かけた。
 クールジャパン担当大臣を訪問したニュースを見て、私などはまず印象を悪く持ったことを今頃思い出す。
 クールジャパンなるものは、多少の助成金出す程度で外貨を稼ぐシステムとして、アニメやアイドルを商材にしているのではと思えてしまったからだ。勿論、訪問したBABYMETALには何の責任も問題もないのだが。

 そして昨年の初夏から夏、秋にかけての怒濤のアメリカ、ヨーロッパ・ツアー(含むレディ・ガガの前座公演)は、いちいちスレッドが立てられては膨大な武勇伝のテンプレートが蓄積されていった。
 当時の掲示板の雰囲気は、「またステマか」というネガティヴなものが主流だった。

 ただ、公演が盛り上がっていたのは事実らしい、という事が段々と浸透しだした。
 画像も貼り付けられる様になったのも大きい。
 しかし、「でも子どもじゃん……。大人の趣味押しつけられて気の毒に」という気分は拭われなかった。

 その時に貼られた動画が、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が多かったのも、個人的にはマイナスだった。
 いや、今はもう120%、全力で支持している曲なのだが、初見ではやはり「歌詞狙い過ぎ、合の手あざと過ぎ」という印象だったのだ。

 既に2200万回再生となっている「ギミチョコ!!」のMVをどの時点で見たか、はっきり覚えていないのだが、この曲の初見の印象も、聴き始めは「ああ、4,5年前にニコで流行った電波ソングのノリね」と冷淡だったのだが、すぐに「お?」と印象が変化していった。

 この曲そのものについてはいずれじっくり書きたいが、最初に「お?」となったのは楽曲そのものではなく、YUIMETAL+MOAMETALの振り付けパフォーマンスだった。これは最早ダンスとも呼べない。リード・ヴォーカルと拮抗する価値観を作ってしまっている。

「これはアリなのかもしれない」

 そう思い始めたのだった。

 それでも暫く、CDを聴いたりビデオを見まくる踏ん切りはついていない。
 だって20年以上もアイドルなど関心外だったのに、今更好きになりたくもなかったのだ。

 そんな状態が昨年暮れまで続き、NHKで彼女らの海外公演を追ったドキュメンタリが放送されると知り、一応チェックしておくかと録画予約をしたのだった。

 その後は「お察し」の通り。

 私の様な人がとても多い筈だ。ご同輩。

 ただ、私がはっきり、「参った! もうこれは好きになるしかない」と観念した瞬間はよく覚えている。
 BABYMETALの三人が、圧倒的なパフォーマンスで観衆を圧倒したその最後、片手を上げて「See You!」とポーズを決め、そのまま袖に胸を張って歩いて行く姿があまりにも神々しかったからだ。
 三人の顔には、やりきった達成感が満ち溢れており、アイドル公演とは思えぬ程に汗を滴らせているのだ。

 アメリカだったと思うが、SU-METALの「See You!」の後、YUIMETAL+MOAMETALの「See You!」に声を揃えて、観衆達が野太い声で「See You!」と叫んだ場面があり、もう可笑しくて暫くニヤニヤニヤニヤと笑っていた。
 BABYMETALの美点の一つが、笑えること、笑顔になれる事なのだ。

2015年2月 5日 (木)

FanCam

 私ばかりではなく、今の新規BABYMETALファンの多くが「落ちた」理由の中でも、YouTubeなどの動画サイトで特にファンカムと呼ばれる、海外公演のライヴを観客が撮影した動画を見た経験は絶大だったと思う。
 日本ではコンサートで観客が録音・撮影するなど不可能だが、海外では規制が緩く、動画サイトにFancam(ファンのカメラ)という在り方が認知される様になっている。
 プロが撮影・編集したものはプロカムという事になるが、ファンカムが何故価値を持つかと言えば、演奏、歌唱について一切の後加工がされていない、生な記録だという点にある。
 BABYMETALがリップシンクではなく、生で歌う様になったのは、活動開始の一年後以降だが、最初はリップシンクも併用し、後半だけ生というところから進めていった。
 そうしたプロセスがドキュメンタリとしてリアルに判るのがファンカムであった。

 今日までの10日間程の期間に、多くのファンカムがYouTubeで閲覧出来なくなった。
 Amuse_Incの申し立てにより閲覧停止措置がとられたと表示されている。
 このブログの最初に貼った、ソニスフィアのファンカム・コンピレーションは、場内の多くの人々がそれぞれに撮った映像を一本に編集した労作で、ソニスフィアのメタルヘッズ達が、最初は物珍しげに集まってきているのだが、BABYMETALと神バンドのパフォーマンスに一曲毎に惹き込まれ、熱狂していく有様が如実に判る秀逸な映像だった。
 スマートフォンでHD画質の映像を撮れてしまう、そうしたテクノロジーのインフラがあってこそ起きた現象である。

 

 去年の武道館ライヴの映像、「赤い夜」「黒い夜」のダウンロード販売が始まっているのだが、ディストリビュータはトイズ・ファクトリーではなくアミューズ。
 オンライン販売に注力する上で、違法映像の摘発は必然ではあろう。

 しかし、私や多くのファンを得たのがそうした動画なのだ。映像ソフトをそのままアップロードする様な行為は抑止されて然るべきだと思うが、実際の受容の在り方を鑑みれば、多少の柔軟性はあっても良いと、個人的には思う。

 かく言う私も、一応はJASCACに登録された楽曲を持つ著作権者の一人ではある。
 アニメの音楽CDに数曲の誌を(厭々ながら)書いたからなのだが。

 そして著述業が主である私にとっても、著作権は大事な問題だ。
 なので、例え非営利であり完全に趣味として書いているブログではあるが、動画や画像を貼る時には一応躊躇いがちに再検討はしてはいる。
 まあ再検討するだけで、やっぱり見て貰いたい動画は貼っているのだが。

 

 NHKの番組を見ただけでは、ここまではまらなかった。
 ネットのリソースがあって、それを見つける事で私はファンになった。
 だから、ネットのリソースになるものを還元したい。そういうブログを書いているつもりだ。


2015年2月 4日 (水)

現実感の無い5年弱


 BABYMETALのこれまでのヒストリーを知りたいという新規ファンには、幸いにも幾つかのファン・ブログがある。
 ニュースのまとめに徹したところばかりではなく、管理人がメタル側の人だったり、訪問者との交流の場としても作られていたりと、それぞれに特色があって、私の様な新規ファンにはとても有り難い。
 私のブログの様に、仕事から逃避して書いてる様なものはさておき、より多くのブログなどが生まれて欲しいと思う。

 BABYMETALが生まれてまだ5年にも満たないのに、現在までの期間に彼女達と彼女達の周囲に起こったこと、周囲の状況の変化というのは桁外れであり、とてもたった5年弱の出来事とは直感的に受け止め難い。
 また成長期にある彼女達の姿は、動画でランダムに見ていくとその変化ぶりに混乱してしまうのだ。

 容姿ばかりではない。特にSU-METALの声の変化は著しい。
『ド・キ・ド・キ☆モーニング』のCD音源で聴かれる声は、完全にまだ子どものそれだ。
 ただ、彼女の基本の声質自体は変わらず、骨格の成長に伴って周波数帯域が変化している印象だ。
 SU-METALが単独で活動する事は基本的に無いのだが、2013年にJAM-Projectのライヴに参加した時の音声のみという動画がYouTubeにあった。
 最初に彼女が歌ったのが『タッチ』だった。オリジナルを歌った岩崎良美は、中学時代の同級生であった事もあり、懐かしく聴いた。
 当然伸びやかに歌っているのだが、時々音程がフラットしている。歌い慣れない曲、現場、モニタの状態など要因は幾らでも考え得るが、つまるところ、中元すず香はまだ全然完成されていないシンガーという事なのだ。
 彼女はBABYMETALというプロジェクトを終えても、シンガーとして人の心を動かしていくに違いないが、何万人もの群衆の前でも、ネットの動画越しにでも既にして人の心を掴んでいるのだから、面白いし、恐ろしい事だとも思う。

 可憐Girl'sでは、一人年少という事もあって一番小柄だった彼女だが、さくら学院と中学校に入るや、身長が伸びていった。
 急に背が伸びる子どもがよくそうなる様に、一時期彼女の姿勢は良くなかった。
 しかしさくら学院にて、ボイス・トレーナーの指導で、背筋を伸ばし、声をより前に出せる様になったのだという。

 YouTubeには、可憐Girl'sに入る以前の、アクターズスクール広島時代の発表会で歌う小学生時代の多くの動画や、キッズモデルとして出演していたCMまで上がっている。
 物心ついた頃からの映像がネットで共有されているというのは、やはり特異な人生だろう。
 しかしそういう事態になっているのは、そうした映像を残したい、アップロードしたいと思う第三者の意思があったからだ。

 幼い頃から、声質自体はアルトなのに、かなりの高域まで伸びる声。
 マイクを高く構え、口よりも上に持って、全身で歌う姿。
 SU-METALの歌う姿を見慣れてから、かつての映像を見ると本当に感慨深くなる。


2015年2月 3日 (火)

ライヴ感覚

 出来れば私は、BABYMETALの事を考えたいのであって、あまりさくら学院についてはなるべく関心を持ちたくないなぁ、と思ってはいるのだけれど、月曜の夕方になるとそわそわしてPCの前で待機してしまう。
 テレビ朝日のストリーミング放送LoGiRLの、毎週月曜19時からの45分間はさくら学院の持ち時間で、現在10名いる院生から4~5人が出演しているのだ。
 今週は菊池最愛と水野由結ら、卒業を控えた中学3年生4人は出演しなかった。その分、後輩達は伸び伸びと発言していた様で、その場にいない(別の仕事で、放送を見ていないという)中3のメンバーについての(かなりバイアスの掛かった)人物評を述べていたのだが、番組終了間際になって、Twitterで中3からの怒りの写真とコメントが流れ、出演していたメンバーがパニックになるという、ちょっと出来過ぎな程の放送だった。


 ああ、こうやって深みにはまっていくのだなぁ。

 これが普通のテレビ放送なら、レコーダーで予約すればいいのだが、ストリーミング放送を予約録画する術を私は知らず、また「そうまでして」という躊躇もあり、しかし放送時間が迫ると落ち着かなくなるので、これは困る。
 来週は講師会議があるんだがなぁ……。

 中3は機嫌を直したらしい。

 

2015年2月 2日 (月)

CD盤に望むこと

 Road of Resistanceが一般ダウンロード販売開始となった。
 映像も、LIVE AT BUDOKANがYouTubeで全編の有料視聴が可能となった。
 CDが売れなくなっている音楽市場で、BABYMETALの収益的な戦略はまだよく判らないのだけれど、かつてであれば海外の大手レーベルと契約し、各国でCDを売るところを、iTunesでのオンライン販売だけでやっていく様に見える。
 日本国内でもCDを積極的にリリースはしなくなっているが、こうした先鋭的な戦略を積極的にとっているのか、これしかないのか。どちらなのだろう。

 私はバブル時代の音楽業界も少し知っているので、今どれほど音楽産業が貧しくなってしまっているかは痛い程に判る。
 原盤製作費はひたすらダンピングをし続けて貧しくなってきた。

 今の若い人は、CD盤を出来れば買いたくない様だ。物体としてのCDを所持する事に、最早デメリットしか感じないのだろう。
 特典、特典会など、アイドル物などは別であったのだが、その商売も全体的には右肩下がり。将来に持続性のある商品展開を真面目に考えるなら、オンラインしかないのかもしれない。

 しかし私にはCDが必要なのだ。
 いや、聴く場合は私も大抵エンコードして聴く場合が殆どなのだが、ダウンロード商品では得られないものがある。
 それはクレジットである。
 プロデューサー、コンポーザ-、アレンジャーという基本情報や、楽曲毎のプレイヤーのクレジットが読みたいのだ。

 私の高校~大学時代はスタジオ・ミュージシャンの黄金時代だった。
 クロスオーヴァーに限らず、ロックでも楽曲毎にミュージシャンが入れ替わる事は多く、同じアルバムで複数のプレイヤーの演奏が収められる場合もある。自ずとそれぞれの個性が際立ち、好みのミュージシャンを見つける事が容易かった。

 BABYMETALのCDに、演奏者のクレジットは無い。これは私がBABYMETALに関して抱く多少の不満の1つだ。
 このギターは誰が弾いているのか、ハーモニーを歌っているのは誰なのか、どうしても疑問が頭に浮かんでしまう。

 例外的に、Road of Resistanceのギターソロは、Dragonforceの二人が担当している事がアナウンスされている。
 この曲については、それ以前の曲も含めていずれレヴュウを書きたいと思っている。

 ダウンロード販売はなかなか収益が出ない、というのがこれまでの音楽業界での常識だった。BABYMETALはその状況を変える事が出来るのかも知れないが、まだ時期的にはちょっと早いという感じも抱かないではない。
 ネットにあるものは無償で入手出来る、そういう認識は以前よりはずっと常識的に補正されつつはあると思うのだが。

 洋楽も、今の最大の収益源はCDやダウンロード販売ではなく、大規模なライヴを数多く開く事となっている。
 BABYMETALの昨年の活動は、幾つかのワンマン・ショウを行い、後はフェスティヴァルに参加していた。こうしたフェスで得られた経験と自信、そこで起こった現象が我々に与えたインパクトは計り知れないのだが、しかし収益的には大きな利益を上げるという訳にはいかなかったと思う。

 既に5月のアメリカのフェスには参加を決めており、ワールド・ツァーも計画されている様だが、BABYMETALがどこに行き着けるのか、ちょっとミステリー・ツァーの様で楽しみになる。

2015年1月31日 (土)

個人的メタル受容史

 今回のエントリーは、私個人がメタルをどう聴いてきたかの一人語りなので、BABYMETALには殆ど関係が無い。

 BABYMETALはメタルか否かは、今現在も国外・内では論議の的となっている。
 この争点が合致を見る事はないだろう。BABYMETAL側は「メタルファンも聞いて欲しい、独自な音楽」だという主張であるのに対して、メタル側からすれば、「メタル要素も無くはない別物」という認識を変える事はないからだ。

 私がBABYMETALを知る以前、ハードな音楽を聴きたいと思う時というのは、耳の中に刺激を与える様な激しいものを求めている訳で、SU-METALの様かはともかくも、女の子の声が入ってるものは敬遠したと思う。

 我々の世代であると、ハードロックは誰しも普通に聴いてきた。
 私が初めて洋楽のコンサートに行ったのは、KISSの武道館だった。KISSは中学生だった我々にも大人気だったが、おどろおどろしいメイクに反して音楽は判り易いロックンロールだったのも大きい。
 すぐその後かに、Deep Purpleを脱退したリッチー・ブラックモアのRainbow公演が武道館で行われた。まあこの頃の武道館のコンサートというものは、音がわんわんと回ってとても音楽を楽しめる様なハコではなかったのだが。

 私がバンド演奏を始めたのも中学だが、今に至るまで純粋なハードロック、メタルをやるバンドに属した事が無い。20年くらい前には、まだ身体が動ける内に一度はロックバンドをやりたいと思った事もあるのだが、とうとう果たせなかった。

 リスナーとしては、80年代のL.A.メタル(現在はヘアーメタルという蔑称もある)が好みで、特にWingerが好きだった。ギタリストのレブ・ビーチは、後にドッケンに入って腕を奮った。
 90年代に入って、脚本家となり、地方局制作のホラードラマを弟が監督する作品があったのだが、盛大にちょっと古いL.A.メタルをBGMに使って貰った。当時のテレビは、既成曲の使用が今よりも遥かに簡単だったからだ。
 しかしビデオ化された際、このBGMは当然使えず、著作権フリーの様なつまらないインスト曲に差し替えられてしまったのだが。

 Metalica, Anthrax, Megadeathといったバンドが、とにかく速いテンポのメタル=スラッシュ・メタルで人気を集めたが、私の好みではなかった。Slayerは好きだった。
 思い返すと、ヘヴィ・メタルとカテゴライズされるバンドはあまり聴いていなかった事になる。Led Zeppelinなどの流れがハードロックとすると、Iron Maiden, Juda's Priestといったバンドがヘヴィ・メタルとして区分されていたが、私はそれらの音楽を好まなかった。
 90年代はオジー・オズボーンがソロ時代で、(そういう意図は無かったろうが)若手のギタリストを次々にスターダムに上げていた。

 この10年程の間に私が聴いてきたものは――、
 最近リユニオンしたExtremeが大好きだった。尤もこのバンドの音は、私のホームであるファンクなのだが。
 その意味ではミクスチュア系も聴いてきた。Korn, Limp Biskets, 等々。

 私はプログレも少し好むので、Dream Theaterは数年前まではよく聴いた。
 しかし一番好んできたのはSlipknotだった。初期は日本人特殊メイクアーティスト、Screaming Mad Georgeがデザインしたグロテスクなマスクを被っているヴィジュアルにまず驚き、しかし演奏する時は流石にもっと通気性のあるものに変えるだろうと思っていたら、あのマスクのままワイルドな(昨今のメタル界ではブルータルなという表現になる)ステージをしていて愕然となった。
 あんなに人数揃える必要があるのかも疑問だったが、パーカッションというにはあまりに野蛮な、ビール樽管を溶接したオブジェを金属バットでぶっ叩く破壊的なパフォーマンスに納得させられてしまった。オブジェには牛の生首が刺さっていた事もある。
 また彼らはステージの上で、バンドメンバー同士が殴り合いの喧嘩までする。
 そうしたバンドなのだが、音楽的には、特に最初の3枚までは独創性に溢れていた。スタジオ盤だけでも充分に楽しませる。

 しかし数年前にベーシストが、ロックバンドの宿痾の様に亡くなってしまい、また事情は判らないながら、ドラマーが離脱してしまった。
 ジョーイというドラマーは、メタルのドラムというよりも、スチュワート・コープランドの様な高いチューニングとフィルの入れ方をしていて、これがサウンドの要であった。そればかりか、オリジナル楽曲の多くにジョーイは関わっていた。
 最新アルバムは、ジョーイ抜きで作られた。やはり、音楽的な面白さは後退してしまっていた。

 昨年の日本で開かれたノットフェスをテレビで見たが、ヴォーカルのコリーが「コンバンハトーキョー」とやたらフレンドリーで驚き、またステージの野蛮さも相当にマイルドなものになっていた。仕方ないのだろうが、寂しかった。

 Slipknotが出始めた時、「あれはメタルではない」という言質を読んで喫驚した。
 それは確かにギミックもあるし、メンバーにはターンテーブル担当もいるのだが、HipHopの要素は殆ど無い。紛れもなくメタルだと思い込んでいた私は、メタルのセグメンテーションの厳格さに、正直に言えば呆れた。
 今はSlipknotの事はNuMetalではあろうが、メタルではないと言う人は流石にいないだろう。

 一方で、メタルとは成り立ちが異なり、パンク出自のハードコア・メタルというものがあって、もう××メタル、××コアといった区分はもう把握しきれないでいる。

 

2015年1月29日 (木)

Over The Future

Babymetal_logo

 BABYMETALのロゴマークには、三人それぞれを象徴する意匠が組み込まれていると知った時、非常に驚いた。
 小さなガイコツマークは、YUIMETALが小学生時から好きなマークらしい(何故)。さくら学院の校章を考えようというお題に対しても、このマークを書いていた(無理に決まっている)。
 モノクロで使われる事が多いので目立たないが、2つのハートマークはMOAMETALのパーソナル・マークであるらしい。
 ではSU-METALのは?
 古いロゴには、ライトニングのSマークが書かれていたらしいのだが(SU-METALのサインには今も書かれる)、今は広げた翼が描かれている。
 これはBABYMETALの母胎であったさくら学院の、更なる前身=可憐Girl'sの、後期のシンボルであった。アニメ『絶対可憐チルドレン』後期オープニング『MY WINGS』で最大にこの意匠が用いられている。

 可憐とBABYMETALは、単に中元すず香が属したユニットの過去現在という単純な割り切りが出来ない。

 YUIMETALこと水野由結は、小学生時に熱烈な可憐Girl'sのファンであった。
 メンバーの武藤彩未(現在はソロで活躍中)とは家族ぐるみの付き合いがあったのが端緒なのだろう。
 この彼女が自ら手書きで記したブログには、ただ好きなだけでは無く、深く想い入れる個人的な事情が極めて理性的、論理的に書かれている(更に厭になる程、字が美しい)。
 さくら学院ブログ 15歳 水野由結

 可憐Girl'sは、アニメ放送終了時の2009年3月に「任務完了ライヴ」を行い解散した。
 このライヴの時、場内なのか場外なのか状況が判らないのだが、完璧な振り付けでずっと踊っていたのが、幼い頃の水野由結だった。

 水野由結と菊池最愛が、さくら学院に“転入”する時のオーディション用と思われるダンス映像があるのだが、この時に彼女達が踊っているのが「Over The Future」だ。

 そして可憐Girl's解散から3年後、2012年12月、BABYMETAL単独ライヴ「I、D、Z ~LEGEND "D" SU-METAL聖誕祭」にて、その時だけ披露された楽曲があった。
 そのイントロが流れ始めた時、場内のファンは一斉に沸き上がった。
「Over The Future - Rising Force Version」を歌い始めたのはYUIMETALとMOAMETALだ。
 可憐Girl'sよりは少し大きいだけだが、踊る姿はオリジナルのイメージに近い。
 しかし彼女らの歌声はより自信に溢れており、振り付けも基本的にオリジナルを踏襲しているが、動き、曲げ、伸ばし全てが洗練されており、より大きなモーションになっていて見栄えが全く異なる。
 BABYMETALの持ち歌にはないストレートな歌を、二人は本当に気持ち良さそうに歌っている。
 このまま二人で歌いきるのか、と思っていたら、曲の半ばから突如SU-METALが舞台に上がり、ソロで歌い始めた。
 すぐに三人は可憐Girl'sのフォーメーションを再現していく。
 やはりSU-METALが歌い出すと、他の二人の歌声は分が悪くなってしまう。
 更にはダンスも、SU-METALの暴虐的なまでの激しさは舞台への視線を独占してしまう。

 こんなに激しい振り付けだったのか。
 可憐Girl'sのそれを再び見直すと、いや、確かに振り付けは同じだし、他の二人より一つ年少で(当時は)一番小柄なSUZUKA(可憐Girl'sでの表記)は、他の二人より大きく動いていた。

 最後のコーラスを終えるや否や、この歌は、チア・コールの様に「You can fly! Over the future world!」と叫んで終わるのだが、このBABYMETAL版「Over The Future」の終わり方のあまりの見事さに、本当に鳥肌が立った。もう何回も飽くる事無くリピートしてしまった。

 このカッコ良さの1つは、SU-METALが歌い終わった後に一旦後ろに振り向くのだが、肩を一旦外に振ってから急激にターンをして舞台後方に数歩歩む。それがあまりにも決まっているところにある。
 てっきり、これはBABYMETALからの振りだろうと思ったのだが、やはり可憐Girl'sのオリジナルを見直すと、SUZUKAの歌終わりのポジションは下手側なのだが、確かに肩を入れる仕種をしていたのだった。

 この「Over The Future」を巡る“物語”は、多くのブログやネット掲示板で指摘されていて、私は後追いで知った。
 BABYMETALは、素顔を隠すギミックを導入している為に(SU-METALの普段の姿は『世を忍ぶ仮の姿』という設定になっている。これは聖飢魔IIに倣ったものだろう)、こうした裏側のエピソードは、ファン側が断片の情報から紡いでいるのだ。

 この動画は、3つの「Over The Future」を一画面に合成して見せてくれる。
 更に、作成者のコメントは深い考察をしていて、とても感銘を受けた。

Over The Future : 思うところ・・

 最初にこの曲を聴いたときの印象は、素晴らしいとまで思えなかった。やたらに転調する楽曲は好みでないのと、サウンドも90年代ぽいというか、Stock, Atkin, Watermanぽいと感じたからだ。
 しかし歌声には不思議と懐かしさをも感じた。考えてみると、いにしえのテレビ漫画主題歌(昔のアニソン)の中には、少年少女合唱団が歌うものがよくあったからだ。

 BABYMETALの "Rising Force Version" を聴いて(見て)以来、この曲は全面的に素晴らしいと認めざるを得なくなっている。
 身も蓋も無いフレーズ「ダイターン」などを織り込みながらも、困難に立ち向かっていく者を鼓舞する歌詞と、それをストレートに表現する曲調(Cメロの二拍三連のところは、力を込める振り付けと共に強い印象を残す)が、幼き水野由結にどれだけの勇気を与えたのかを思うと、こうした楽曲というものはいつの時代にあっても、常に誰かが送り出していくべきものなのだと思った。


 

«タブー感を越える

Amazon2

  • Amazon