ミスタープロレス・天龍源一郎(65)が今年11月に引退試合を行うことが明らかになった。9日に天龍自身が会見を行い正式発表する。13歳で大相撲に入門して1976年にプロレス転向。以降39年間、数々の名勝負を生み出して一時代を築き上げた不世出の名レスラーは、ラストマッチをデビュー戦(1976年11月13日)と同日に設定。会見に先立って、残る11か月間を全力疾走で駆け抜ける覚悟を明かした。
潔い決断だった。生涯現役を宣言していた天龍は、2日に65歳の誕生日を迎えた。腰部脊柱管狭窄症手術のため、2011年12月から翌年12月までプロ入り初の長期欠場。62歳で驚異の復活を果たしたものの、無期限でボロボロになるまで戦うよりは、着地点を決めたうえ、全力ファイトで男の花道を飾りたいという思いから節目の年での引退を決断した。
すでに2月に入ってから近親者との食事会で引退の報告を済ませているという。11月の引退試合は天龍プロジェクト主催となるが、縁の深い新日プロ、全日プロ、ノアなどメジャー団体もミスタープロレスの最後の花道に協力を惜しまないだろう。天龍を中心にしたオールスター戦になるのは間違いない。
天龍プロは3月東京・新木場、4月新宿フェイス、5月大阪・ボディメーカーコロシアム第2競技場で大会が決定。以降は11月まで熊本、故郷の福井、仙台、札幌など主要都市で大会を予定。いずれの大会でも天龍と縁のある選手との試合が組まれる模様で、ミスタープロレスは全国のファンに男の散り際を見届けてもらうつもりだ。
――引退に踏み切った理由は
天龍 来るべき時が来たということ。プロレス人気が回復してきた今だからこそ、身を処す決意ができた。全てやり尽くした。おなかがいっぱいになった。それが理由です。悔いはない。
――生涯現役と宣言していた
天龍 オウ。パッと突然辞めようとも思ったけど、それも違うかなと。明確なゴールを設定して、そこに向かって最後まで全力で頑張って走っていく自分、プロレスにまい進する自分に酔いしれたかったんだよ。体力の限界? それはないね。
――引退試合の日時は
天龍 今になって望郷の念が湧いてきたというのかな。39年前に米国でデビューした日の前後を考えている。会場の都合で多少のずれはあるだろうが…。
――しかし急だった
天龍 実は昨年暮れぐらいから考えていた。キッカケがあったとすれば、大相撲に入った時も、プロレスに入った時も反対した頑固な親父(源吾さん=一昨年9月に死去。享年84)が亡くなったことかな。いつも「息子の負けた姿、弱い姿だけは見せたくない」と踏ん張ってきたからね。自分の人生を振り返る契機を与えてくれた。
――引退試合はそれ相当の舞台が必要になる
天龍 俺はどこでもいいですよ。両国国技館? そうなったら最高だね。もしやれたらもう思い残すことは何もない。
――対戦相手は
天龍 これからじっくり考える。いきなり引退試合をやるわけではないし、11月までは毎月天龍プロの試合もある。コイツだけは戦っておきたいという相手を一人ひとり消去したうえで、オファーを出したい。(引退まで)ゲップが出るまで戦ってやるぞ、コノヤロー。
――一番の思い出は
天龍(東京スポーツ新聞社制定)プロレス大賞のMVPを初めていただいた時かな。しかも3年連続で(86~88年)。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の時代に「えっ、本当に俺がもらってもいいのか?」という気持ちだった。もうヘタは打てないとプレッシャーをかけられた。あの時がレスラーとして新たなスタート地点になった。
――BI砲からフォールを奪った唯一の日本人選手だ
天龍 それを言われると居心地が悪くて仕方がない。馬場、猪木に勝ちながら、大仁田厚やミスター・ポーゴに負けた男だからな(笑い)。その振り幅の大きさもいいじゃない。
――川崎球場、神宮球場、東京ドームでメーンなど今では考えられない
天龍 オウ。大阪ドームと福岡ドームも出てるな(名称はいずれも当時)。これだけの球場に出た野球選手もそういないだろう。名球会も超えたんじゃないか(笑い)。
――ファンにひと言
天龍 ただ感謝しかない。「俺は天龍源一郎のファンだ」と胸を張って歩いていただけるよう最後まで全力疾走します。
☆=てんりゅう・げんいちろう 本名・嶋田源一郎。1950年2月2日生まれ。福井・勝山市出身。63年12月に大相撲の二所ノ関部屋入門。前頭筆頭まで進んだ後に76年秋場所で廃業。同年10月に全日本プロレス入団。11月13日に米国・テキサス州のテッド・デビアス戦でデビュー。86年に天龍同盟を結成。同年から3年連続プロレス大賞MVPに輝く。ジャンボ鶴田と名勝負を繰り広げ3冠ヘビー級、世界タッグ王座などに君臨。90年4月全日本退団。5月にSWS設立に参加。92年7月にWARを旗揚げ。94年1月にアントニオ猪木をフォール。同年5月には大仁田厚と川崎球場で電流爆破マッチ、96年には高田延彦と激闘を展開。98年からフリーとなり、99年12月には史上最年長IWGP王者に。2010年に天龍プロジェクト設立。プロレス大賞ではMVP4回、ベストバウト8回獲得を誇る。現在はバラエティー番組に多数出演中。189センチ、117キロ。
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