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事業内容


こちらのページでは、弊社の職人が、漆塗り、彩色、錺金具、金箔押し、チャン塗、桐油彩色、唐木染めなど伝統の技術を駆使して行って参りました文化財、歴史的建造物、美術工芸品の修理・修復、施工事例をご紹介いたします。


※各記事にある神社、寺などの物件、また、保有する自治体には承諾を得て掲載させていただいております。
●重要文化財 旧寛永寺五重塔
所  在  地:東京都台東区上野公園地内
工 事 名 称:上野動物園旧寛永寺五重塔改修工事
工     期:平成25年6月28日~26年8月31日
北面より全体を臨む

北面より全体を臨む

初層 軒廻

初層 軒廻

隅木下龍彫刻

隅木下龍彫刻

初層 北面

初層 北面

南面 蟇股彫刻(羊)

南面 蟇股彫刻(羊)


※その他写真は、弊社Facebookにも掲載しております。ぜひご覧下さい。

旧寛永寺五重塔は、寛永8年(1631年)に建立され、同16年(1639年)に 焼失、同年に再建されています。五重塔は当初、東照宮の所属であり、明治3年に 神仏分離に伴い、寛永寺へと移り明治19年には寛永寺の所属となりました。昭和33年 に東京都へ所属は移り、現在は上野動物園内に所在します。
五重塔は初層から四層までは本瓦葺、五層のみが銅板葺となり、高さは地上から宝珠までが36m。初層は高欄のない縁が廻り、中央部板唐戸、脇間連子窓、四方の内法長押上に十二支の蟇股が置かれ、四隅の隅木下には龍の彫刻が施されています。

今回の改修工事は、設計監理・公益財団法人文化財建造物保存技術協会、施工を松井リフォーム株式会社が請負い、初層軒廻りから縁下廻りまでの範囲で修理計画されました。 弊社は塗装工事、金具工事を担当しています。

旧塗装の掻落しが進捗した段階で、木工事の修理も施され、同時に採取された塗膜の科学的分析や目視調査(残存している顔料の確認)などにより、丹塗、弁柄塗などの仕様も推測され、今回の仕様が検討されました。次回修理時に五重塔全体の調査検討を実施することを条件に、一部当初の漆塗りから、漆下地を施さない「打付け(ぶっつけ)塗り」で施工されました。
また、蟇股、隅木下龍などの彫刻類は既存を記録後、見取図を作成し在来工法にて彩色を新たに施し、六葉・唄などの釘隠し金具・扉の八双金具も記録後一旦取外し、金箔押し(漆箔)をし直しました。

今回の改修工事では、弊社現場責任者と協力業者とのチームワークにより限られた工期の中、品質を確保し無事に竣工を迎えることが出来ました。関係者各位のご指導、ご協力の賜物と御礼申し上げます。

仮設工事の解体が終わり仮囲いが外れた動物園では、来園者の皆さんが五重塔の写真を撮影されている風景が、多数見られました。 上野動物園にご来園の際には、ぜひ一度お立ち寄りください。

●亀ヶ池八幡宮
所  在  地:神奈川県相模原市中央区上溝1678-1
工 事 名 称:亀ヶ池八幡宮 社殿並びに神門新築工事
工     期:平成25年3月29日~26年8月31日
御社殿正面

御社殿正面

内法長押上 掛燈籠

内法長押上 掛燈籠

拝殿より内部をのぞむ

拝殿より内部をのぞむ

回廊 化粧裏板の空気孔

回廊 化粧裏板の空気孔

本殿 外陣御扉

本殿 外陣御扉


※その他写真は、弊社Facebookにも掲載しております。ぜひご覧下さい。

亀ヶ池八幡宮は、神奈川県相模原市中央区上溝に御鎮座し、鎌倉時代創建といわれる北相模の古社です。御祭神は「古事記」「日本書紀」に伝わる第14代仲哀天皇の皇子で後に、第15代天皇となる応神天皇(誉田別命)が主祭神として祀られています。
応神天皇はその別名を八幡大神と言い、鎌倉時代、武家―特に源氏の守護神として祀られ、国家安泰・戦勝・武運長久の神として信仰されてきました。時代を経るにしたがって武家から民衆の神様(村の鎮守様)となり、子育てなどの神として信仰されるようになりました。関東大震災後の昭和初期に建築された御社殿は80有余年の風雪に耐えてきましたが、老朽化が進み、将来を見据え、参拝される方への利便性や安全性に配慮され、ご鎮座八百年奉祝記念事業として「平成の御社殿・御神門等御造営」を計画され、社殿・神門他を新築される工事となりました。

工事概要は、日本建築工藝設計事務所が設計、松井建設株式会社が施工し、弊社は神社様から錺金具、掛灯龍の新規製作を請負いました。
総檜造りの御社殿は権現造りで、屋根が銅板で葺かれています。本殿は流造り、拝殿は正面大切妻入母屋造り、向拝は縋る屋根付き大唐破風造り、拝殿からは回廊が東西にめぐり、正面に切妻屋根の神門が配置されています。

内・外部の各錺金具は、設計者により今回のために描かれた意匠(絵様)を基に銅板を打出し、鏨で文様を付け、純金箔漆箔押しにより仕上げ、上部の屋根廻りから順次各箇所に取付けました。回廊、神門の扉廻りを含め、種類と数量の多い内容となりました。
金箔押しの金具が白木造りの御社殿・御神門や銅板葺の屋根に溶け込み、見事に荘厳な調和を醸しだしています。金具の紋章や化粧裏板の空気孔の意匠には亀が題材として用いられ、亀ヶ池八幡宮のイメージをより強く表現されています。
神社様、設計事務所、工事関係各位のご指導、ご協力により無事に竣工を迎えることが出来ました。弊社金工部の職人もベテラン、中堅、新人と各作業を通じて技術を伝えるなど、大変得るもののある工事となりました。この場を借りて御礼申し上げます。
ぜひご参拝いただき、御社殿、錺金具などをご覧ください。

●鹿島神宮
所  在  地:茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
工 事 名 称:重要文化財鹿島神宮本殿ほか3棟保存修理工事(塗装)
工     期:平成24年5月~26年2月
本殿 妻部分

本殿 妻部分

本殿 西面より

本殿 西面より

本殿 正面 御扉

本殿 正面 御扉

本殿 妻部分、扠首羽目板に描かれる龍の彩色

本殿 妻部分、扠首羽目板に描かれる龍の彩色



※その他写真は、弊社Facebookにも掲載しております。ぜひご覧下さい。

常陸国一之宮として、古より篤く信仰されている鹿島神宮。
茨城県東南端に位置する「鹿嶋市」は、千葉県境から広がる水郷のひとつです。
北浦に架かる神宮橋を渡ると、開けた視界に姿を現す西の一の鳥居。
迫力ある朱塗りの鳥居は、高さ18.5m、幅22.5m。これは、水中鳥居として国内最大級の大きさ を誇ります。橋を越え、鹿島灘へ至る広大な森に鹿島神宮はご鎮座しています。
境内に足を踏み入れ楼門を潜ると、深い森の奥へ奥へと続く参道。ほどなく、その右手に今回施 工した御社殿が現れます。東西に伸びる参道に対し北向きの珍しい配置は、一説によると「鬼門 降伏」「東征静謐」等、北方鎮護の役割があるとも言われています。
本工事では、本殿及び石の間・幣殿・拝殿を施工いたしました。(詳細:工事概要参照)
拝殿から本殿にかけ徐々に極彩色が増していく様相は、神域に向かって荘厳性を高めています。 また、絢爛豪華なご本殿は御神木の緑に鮮やかに映え威厳溢れる佇まいです。

県の天然記念物にも指定されている鹿島神宮の樹叢。
繁茂する植物は多種にわたり、南限と北限の植物が同生する貴重な森を形成しています。
その豊かな森の奥へと誘う、御社殿から一直線に伸びる奥参道。両脇に古木が聳え立つ奥参道を 進めば、旧本殿の「奥宮」をはじめ、香取神宮とも縁のある「要石」や「御手洗」など見応え十 分です。近年ではドラマや映画のロケ地としても登場する神宮の森。
朝露の降りる早朝の森を散策しながら、神々しく清浄な神域をご堪能下さい。

工事概要
【仕様】
本殿(重要文化財):
縁板より上の漆は真掻合及び掻合。縁下は上塗直。垂木と縁下は弁柄朱漆。破風や軸及び縁上は 黒漆。箱棟と勝男木及び千木は黒漆塗り。彩色は妻及び琵琶板等絵画。手挟み、蟇股及び向拝の 木鼻は彫刻彩色。外陣内部は剥落止め。箱棟紋章及び八双と脇障子は彫刻に漆箔仕上げ。錺金具 は漆箔直し。
石の間(重要文化財):
内部及び外部の弁柄朱漆の上塗直及び化粧裏板の胡粉塗と連子の緑青塗り。
拝殿(重要文化財):
高欄及び脇障子は黒漆掻合。建具は外部上塗直、内部は摺り漆。
本殿及び拝殿共、仮設工事と大工工事及び本殿の檜皮屋根葺き替え工事は、谷上社寺工業株式会社(和 歌山県)による施工。

【特徴】
社殿は本殿及び拝殿共に北向きである。拝殿は、破風や高欄、脇障子及び建具以外は白木。彩色は蟇股 と向拝獅子頭及び手挟みの彫刻に施されている。

●榛名神社
所  在  地:群馬県高崎市榛名山町
工 事 名 称:榛名神社 神宝殿(市文)保存修理工事
工     期:平成25年9月~25年12月(弁柄単色塗・彩色・漆箔)
神宝殿 全景

神宝殿 全景

初層 獅子頭

初層 獅子頭

初層 正面

初層 正面

初層 獅子頭



※その他写真は、弊社Facebookにも掲載しております。ぜひご覧下さい。

 榛名神社は群馬県西部高崎市、榛名山中腹に所在しています。
広大な境内地は、榛名山山頂の榛名湖へ向かう途中、一つの字(あざ)の規模ほどの15万㎡(東京ドーム約3個分)を誇ります。
 主祭神は火産霊神(火の神)と埴山毘売神(土の神)であり、本殿・幣殿・拝殿・国祖殿・額殿・双龍門・神楽殿など多数の国指定重要文化財があります。

  今回弊社にて弁柄塗りを行った神宝殿(三重塔)は、随神門を潜り右手に流れる清流沿い、本殿へ向かう途中にあります。
神宝殿は、榛名神社が寛永寺の支配下にあった神仏習合時代の名残でもあり、明治初期の神仏分離の際取り壊しを免れた、『三重塔』としては群馬県でも珍しい建造物といわれています。
 今工事は、弁柄塗りの他、初層の獅子頭16体の金箔を漆で押し直し、同じく初層の蟇股12体の彩色を行いました。(屋根銅板葺き直しは株式会社町田工業にて施工)

 参道では七福神が参拝者を順番に出迎え、近年のパワースポットブームもあり、七福神めぐりを楽しむ若い男女や女性グループの姿が数多く見受けられます。
 随神門と神宝殿(三重塔)の途中、清流側の岩崖には〈鞍掛岩〉というアーチ状の岩や、本殿の上部には、先ごろの震災にもビクともしなかったという、今にも落ちてきそうな巨岩〈御姿岩〉等、珍しい岩も見る事ができます。さらに奥には、巨人が岩を積み重ねたように見える〈九折岩〉があり、境内全体に神秘的な力を感じます。

 何千年もの時間をかけ現在に至る自然の中、何百年もの年数を経て現存する建造物に囲まれ、神楽殿では奉納による舞や音楽演奏なども行われます。伝統芸能だけではなく、現代的な演奏も行われ、永い歴史の中で文化の融合を感じさせます。
建造物という有形文化財と、芸術・芸能という無形文化財を同時に触れる貴重な体験も出来るかもしれません。

 榛名神社周辺は観光名所としても有名です。
ご参拝の折には参道脇の個性豊かなお店や、足を延ばして榛名湖畔へ、美しい景色を臨みながらホテルで食事を堪能するのもおすすめです。

●香取神宮
所  在  地:千葉県香取市香取1697
工 事 名 称:香取神宮 拝殿及び神饌所外部保存修理工事
工     期:平成24年8月~25年10月(漆塗・彩色・錺金具工事)
【竣工】拝殿 正面

【竣工】拝殿 正面

【竣工】拝殿向拝柱 金欄巻

【竣工】拝殿向拝柱 金欄巻

【竣工】拝殿 正面(東面より)

【竣工】拝殿 正面(東面より)

【竣工】拝殿 向拝正面建具

【竣工】拝殿 向拝正面建具


※その他写真は、弊社Facebookにも掲載しております。ぜひご覧下さい。

香取神宮は、下総国一宮として古来より人々の崇敬を集めてきました。
千葉県北東部 香取市内、東西に流れる利根川下流域南岸からおよそ2キロ。
「亀甲山」と呼ばれる丘陵に鎮座しています。亀の甲羅に似ていることからその名があるとも言われる香取神宮の森。 現在ではその全体が、県の天然記念物に指定されています。

市街地にある一の鳥居を超え、徐々に亀甲山を昇り始めると、香取神宮の森へと足を踏み入れます。門前には訪れる人々を出迎える土産物店。その先、弁柄色の大鳥居が鬱蒼と生い茂る参道に美しく映え、神域の入口にふさわしい美観を呈しています。
境内へと緩やかに傾斜がつづく参道は、季節ごとに桜や紅葉が彩を添え、参拝者の目を和ませます。
総門・楼門を潜ると正面に姿を現すのは、建物全体に黒漆塗が施され、極彩色が際立つ御社殿。このたび弊社では、拝殿と本殿(一部)の施工を担当いたしました。(詳細:工事概要参照)
黒漆塗単色で仕上げられた建物は、組物や金欄巻の極彩色をより引き立てています。また、建具にはぐるりと面に朱塗を施し、アクセントとして一層効果的な印象を与えています。

樹齢1000年ともいわれる御神木や苔生した屋根の透塀に囲まれ、永い歴史を重ねた境内。この厳かな空間に、ご社殿が美しく輝きを取り戻しました。
四季折々に表情を変える森には、水戸光圀の手植えと伝えられる黄門桜や、鹿島神宮とも縁のある「要石」等、見どころ豊かです。
一年を通して自然豊かな「香取神宮の森」へ、ぜひ足をお運びご参拝下さい。

工事概要
【仕様】
本殿(重要文化財):
屋根檜皮葺き替えに伴う箱棟黒漆塗り及び千木・勝男木・鬼板・箱棟の錺金具の漆箔押し直し。
拝殿(登録文化財):
北面を除く三面の塗り替え。漆は箱棟黒漆塗り、破風・垂木内法長押より下上塗り直し等。建具に関しては、外部を上塗り直し、内側を摺り漆を行い、またガラスと戸車の交換も行った。彩色は垂木より下より内法長押及び向拝金蘭巻等描き直し。錺金具は垂木・建具・高欄・木階等漆箔押し直し。
仮設工事、大工工事及び檜皮屋根葺き替え工事(本殿及び拝殿共):
谷上社寺工業株式会社(和歌山県)による施工。
(本殿の黒漆塗り及び錺金具は谷上社寺工業株式会社より請け負う)

【特徴】
漆塗:
本殿及び拝殿共全体が黒漆塗。建具の出隅の面に朱漆によるアクセントが施されている。 単色の漆塗の為か、落ち着いた社殿に見える。
彩色:
拝殿の蟇股は拝殿正面中央以外には無い。懸魚の覆輪等は金具でなく、漆に金箔押しである。

●群馬県指定文化財 上野総社神社
所  在  地:群馬県前橋市元総社町1-31-45
工 事 名 称:群馬県指定文化財 上野総社神社本殿保存修理工事
工     期:平成25年2月~同年10月(漆塗・彩色・錺金具工事)
【修理前】本殿 東面より

【修理前】本殿 東面より

【竣工】

【竣工】

【修理前】本殿 東面軒廻り

【修理前】本殿 東面軒廻り

【竣工】

【竣工】

【修理前】本殿 正面向拝

【修理前】本殿 正面向拝

【竣工】

【竣工】

【修理前】本殿 背面(北面)に描かれた松

【修理前】本殿 背面(北面)に描かれた松

【竣工】

【竣工】


【小西美術工藝社通信Vol.4】にも掲載しております。ぜひご覧下さい。

 総社神社は、群馬県前橋市に所在し関越自動車道・前橋ICの北東約1.5kmに鎮座しております。群馬県庁、前橋市役所から西へ約2kmという平坦な市街地に位置し、国道17号から住宅地へ入り程なく、前方に総社神社の森が姿を現します。一の鳥居をくぐり境内へ足を踏み入れると広く明るい境内に、参道がまっすぐご社殿へと続きます。

 拝殿は平入りの入母屋造で正面に千鳥破風と唐破風を飾り、拝殿背面に本殿が建てられています。今回の保存修理工事では、元請の株式会社町田工業のもと、本殿の漆塗・彩色・錺金具工事を担当しました。
本殿は間口三間・奥行二間の三間社流造で、全面に彩色が施されておりましたが、全体的に退色・剥落が進んでいました。特に西面(本殿向かって左側)は直射日光の影響を大きく受けており、修理方針は各工事担当者により検討され施工しました(詳細:工事概要参照)。

 本殿は境内の最も奥に位置し、境内北面に隣接する駐車場からは生い茂る木立の向こうにその姿を垣間見ることが出来ます。
 また、境内では頻繁に遺跡調査等発掘作業も行われており、この土地がさまざまな歴史を持ち、永い時を重ねてきたことを感じさせます。今回の保存修理工事により、本殿は約20年ぶりに大々的なお色直しがされました。未来へ向かってまた、工事関係者として携われたことは大変光栄であり、その歴史のひとつに再び刻まれた姿をご覧いただけると幸いです。

工事概要
【仕様と特徴】
漆 塗:
破風、垂木内法長押より下を施工。垂木及び切り目長押は黒漆塗、柱より下は弁柄朱漆塗が施されている。破風板は黒漆塗及び弁柄朱漆で塗り分けられている。
建 具:
黒漆塗に面朱及び鏡板は漆箔及び緑青を施す。
彩 色:
垂木下より内法長押。他、脇障子彫刻。蟇股・手挟み・獏・脇障子は彫刻彩色となり、扠首羽目には龍、大羽目は松・竹・梅が描かれている。長押より上は剥落止め補筆を行い、それより下は描き直した。
錺金具:漆箔
元 請:株式会社町田工業(群馬県)
塗装工事のほか、仮設工事と大工工事及びこけら葺き替えを実施。

●重要文化財 一ノ宮貫前神社
所  在  地:群馬県富岡市一ノ宮1535
工 事 名 称:重要文化財 貫前神社本殿及び拝殿保存修理工事
工     期:平成22年7月~平成25年5月(漆塗・彩色・錺金具工事)
【竣工】本殿 正面妻

【竣工】本殿 正面妻

【竣工】本殿東面より

【竣工】本殿東面より

【修理前】拝殿正面

【修理前】拝殿正面

【竣工】

【竣工】

【修理前】本殿丸桁 龍 置上彩色

【修理前】本殿丸桁 龍 置上彩色

【竣工】

【竣工】


※その他、詳細写真等は【小西美術工藝社通信Vol.4】にてご覧いただけます。

貫前神社は、群馬県富岡市上州電鉄一ノ宮駅の西およそ1km、蓬ヶ丘の北側斜面、綾女谷という渓間に鎮座し約1400年の歴史を持つ、上野国(群馬県)一之宮です。

 春には桜が咲き誇る急峻な参道を昇ると、さらに大鳥居へと石段が続きます。石段を昇り振り返ると、旧一ノ宮市街地を見渡せ、蓬ヶ丘の嶺に立っていることが感じられます。大鳥居をくぐり現れた総門の先には下りの石段が続き、眼下に見下ろす境内は悠久の時を経た古木に包まれ、荘厳な雰囲気が漂っています。参道を下り、鳥居より低地にご社殿があるという配置は全国的に珍しく『下り宮』と呼ばれ、諸説ありますが、鵜戸神宮(宮崎県)、草部吉見神社(熊本県)と並び「日本三大下り宮」のひとつとされています。

 今回の保存修理工事では、本殿及び拝殿の漆塗・彩色・錺金具工事を担当しました。(詳細:工事概要参照)
 拝殿・本殿ともに建物内外部全面に漆塗や極彩色が施されており、本殿は一重二階という、内部が二階建ての独特な構造となっています。内々陣といわれる二階部分に御神座があるその構造は「貫前造」とも呼ばれ、貫前神社特有の建築様式といえます。また、本殿正面妻羽目に描かれた獅子と牡丹の中に、方形にくり抜かれた雷神の画があり、これは元禄期の修復の際に江戸桜田の絵師梶川政利が手がけたもので「雷神小窓」として、信仰の対象となっています。

 深い森の中、約5年にわたる全体工事期間を経て、ご社殿がかつての彩を纏い絢爛豪華に蘇りました。ご参拝の折には、独特な佇まいと特徴のあるご社殿をぜひご覧下さい。

工事概要
【本 殿】
漆 塗:
破風、垂木及び内法長押より下を施工。垂木は弁柄朱漆塗、縁下は弁柄漆塗、他は黒漆塗が施されている。垂木の弁柄朱は経年により、朱の色が鮮やかになる。

彩 色:
入母屋妻、垂木下より内法長押まで、他、脇障子彫刻を施工。蟇股・手挟み・向拝獅子頭・脇障子は彫刻彩色となり、丸桁の龍及び柱金蘭巻は丹の具による置上彩色が施されている。置上彩色とは、丹の具で各部位(例えば、丸桁の龍の鱗)を盛り上げることにより立体感を生み出す技法であり、効果的に表現されている。妻羽目板には獅子・牡丹が描かれ、正面には雷神が描かれた雷神小窓が存在している。また、各彩色は木材の経年劣化等による表面の凹凸等を漆の下地によって平滑にし、その上に彩色を施した。

錺金具:
屋根廻り及び扉は水銀箔 、他、漆箔。
水銀箔(仕上がりは、やや青味を帯びる)と漆箔(赤黄色い)を併用し、垂木や裏甲及び紋章等は墨差しによって文様が目立つように施されている。

【拝 殿】
漆 塗:
破風、垂木、及び内法長押より下を施工。垂木は弁柄朱漆塗。内法長押より下は弁柄漆塗。破風・建具・脇障子は黒漆塗りが施されている。

彩 色:
入母屋妻、垂木下より内法長押を施工。蟇股は彫刻彩色となり、妻羽目には獅子と牡丹が描かれ、内法長押上の小羽目にも絵画が描かれている。下地は本殿同様漆の下地が施されている。

錺金具:
漆箔とし、本殿同様部分的に墨差しが施されている。拝殿は、内部の漆と彩色に関しても一部保存修理を行った。

【本殿・拝殿共】
檜皮屋根葺替工事及び仮設工事、大工工事等:田中社寺株式会社(岐阜県)による施工。

●仙台総鎮守 愛宕神社 天狗尊像
所  在  地:宮城県仙台市太白区向山4-17-1
工 事 名 称:仙台総鎮守 愛宕神社随身像保存修理工事
工     期:平成24年5月~平成25年8月
【竣工】烏天狗尊像

【竣工】烏天狗尊像

【竣工】大天狗尊像

【竣工】大天狗尊像

【修理前】烏天狗尊像

【修理前】烏天狗尊像

【修理前】大天狗尊像

【修理前】大天狗尊像


※その他詳細写真等は、弊社Facebook頁にてご覧いただけます。

 仙台総鎮守 愛宕神社は、仙台駅から南へ3.5km進み、広瀬川に架かる愛宕大橋を越えると西側の仙台市を一望できる高台にあります。青葉山へ伊達家築城と同時、慶長年間にご造営がおこなわれ藩内の安全祈願を行った由緒を持つお社です。

 長い石段の参道を登ると神門があり、その両袖に今回施工させて頂いた2躯の天狗尊像が鎮座いたしております。
江戸時代中期の作と伝えられており、ほぼその当時のままのお姿でしたが、先の東日本大震災により建物とともに被災したため彫刻の一部が脱落し、お身体の全体に亀裂が生じて塗装が大きく剥落している状態でした。

 この度の修理は、破損した尊像を修理することが目的ではありますが、東日本大震災の復興に向けたシンボルとして神社様が行う祈念の事業であることを伺って取り組みました作業です。

 当初は、塗装工事を中心に作業を計画しておりましたが、寄木細工のような小さな部材を組み合わせて形成されており、それぞれの接着が経年劣化により予想以上に脆弱であったことから調査・確認を行い木地の全面的な補修を行いました。

 また、塗装の調査は漆塗、彩色の塗り分けや技法を外観調査し、X線解析調査の結果をもとに顔料の特定を行いました。調査結果から赤、黄色について漆、彩色の2種類の技法と、弁柄、朱、鉛丹を使い分け、さらに黄土や胡粉などを混ぜて塗られていた部分もあり、多彩で表現豊かな色の使い分けがされたことが解りました。

 全体的に漆下地を布着せで堅牢に行い、その上に漆塗、彩色を施しております。漆塗は色漆の塗り分けのほか、仙台絞塗、蒔絵が施されており、彩色は尊顔と手の部分のほか、漆塗りの衣の上に紋章・鉄線が描かれ、細部にいくつもの技法を盛り込んだ作業がされております。
 欠失した錺金具は、所蔵の写真と痕跡などから、当時の絵様を復原しました。

 尊像が鎮座する神門は尊像の御修復と同時に修復が行われ、その際、後補で変更された屋根を江戸期のお姿に戻す復原も行われております。
 御参拝の折には、神門の大天狗・烏天狗両尊像を合わせてご覧いただきたいと存じます。

●重要文化財 旧江戸城外桜田門
所  在  地:東京都千代田区皇居外苑
工 事 名 称:平成24年度皇居外苑「旧江戸城外桜田門」保存修理工事
工     期:平成24年9月7日~平成25年6月30日
高麗門(右)と渡櫓門(左)

高麗門(右)と渡櫓門(左)

高麗門(警視庁側から)

高麗門(警視庁側から)

渡櫓門(大扉閉門時)

渡櫓門(大扉閉門時)

高麗門(大扉開門時)

高麗門(大扉開門時)

高麗門(大扉閉門時)

高麗門(大扉閉門時)


桜田門は,警視庁側が高麗門(こうらいもん)、高麗門を潜って右手にあるのが渡櫓門(わたりやぐらもん)、二つで桜田門となります。
江戸時代の寛永年間(1624~44)に創建されたと推定され、その後明和9年(1772)の大火〈明和の大火〉により焼失しましたが、安永3年(1774)までの間に再建されたとされています。関東大震災で被災したのち大正15年(1926)に解体修理がされました。

今回の修理工事内容は、高麗門・渡櫓門に取付けられている、鉄金具の錆・旧塗膜の落とし及び塗装、腐食・欠失部分の補修及び新規製作を行いました。 前回塗装修理から40年以上経過しているということで、金具全体が錆びついており、手で触るとパラパラと旧塗膜と錆が落ちてくるほどでした。 錆落としに採用されたブラスト処理とは、アルミ製の細かい粒子を鉄金具に噴射し、同時に錆とアルミ粒子を回収するという方法です。吹き付けている時間が短いので、錆・旧塗膜を除去するだけで、金具に損傷が非常に少なく、この方法で錆・旧塗膜はきれいに除去され、そのあとから錆止め塗料、樹脂塗料と塗り進めて行きました。 鉄金具を固定している鋲は、古いものは脚の部分が痩せ、鋲頭が欠失し、鋲の形状も年代によりいろいろな形がありましたが、統一して新規鋲を作成・取付けを行いました。

幾度も災害を乗り越えてきた桜田門、歴史上でも有名な場所ですが、今ではランナーや観光客の憩いの場となっています。

●伊豆山神社(静岡県熱海市)
所  在  地:静岡県熱海市伊豆山708-1
工 事 名 称:伊豆山神社 拝殿及び向拝 彩色・錺金具工事
工     期:平成25年4月20日~平成25年7月31日
ご社殿正面より

ご社殿正面より

拝殿向拝

拝殿向拝

手狭彫刻

手狭彫刻

拝殿正面獅子頭

拝殿正面獅子頭


昨年に引き続き、4月半ばより伊豆山神社 向拝の彫刻彩色、錺金具補修工事が始まりました。今年度工事では足場を設置し、現地での作業が進められ、多くの方々に日々色数を増していく姿をご確認いただけたことと思います。

今回の彩色工事では昨年は手を付けていなかった彫刻類を補修しました。なかでも手挟の内側 籠彫りの雲彫刻2か所には、施工を進める中、象と思しき隠し彫刻が見つかりました(弊社Facebook頁を併せてご覧ください)。この籠彫りとは籠のように内部を透かせて立体的に彫り上げる技法で、外側2か所の牡丹彫刻も同様に籠彫で彫られ、桁隠しの菊と併せて、両側面で阿吽の形式(片側は開き、片側は閉じる)がとられています。虹梁の波や雲の彫刻までもが躍動感に満ちており、殆ど残っていなかった色が蘇ったことで、彫りの素晴らしさが際立っています。

併せて行った錺金具工事では、今回縋破風(すがるはふ)の八双金具、紋章、そして正面の向拝柱4本に取りつく頭巻、根巻金具、また賽銭箱の八双、紋章金具を手掛けました。頭巻、根巻の胡麻幹決り(ごまがらじゃくり)に仕立てられた金具は構成部材が多く、獅子頭、象頭との絡みの部分ではぴったりと彫刻を避けて納まるよう調整され、いかにも手作業の作りです。今回の欠損補足部分もそうでしたが、取付けられた当時も現地で金具を併せながら調整作業が進められていたのでしょう。

実作業にあたりながら、当時の作り手の思いを追体験することが、我々にとっても技術研鑽の大切な糧となっております。長い参道の階段を昇りきると眼前に現れる社殿の姿を是非ご覧ください。

●天祖・諏訪神社
所  在  地:東京都品川区南大井1丁目4-1
工 事 名 称:天祖・諏訪神社 社殿錺金具補修工事 同 末社厳島神社 塗装、
        錺金具補修工事
工     期:社  殿 平成25年4月15日~平成25年7月31日
        厳島神社 平成25年4月15日~平成25年6月5日
拝殿 正面御扉 施工後

拝殿 正面御扉 施工後

本殿 御扉 施工後

本殿 御扉 施工後

末社 厳島神社 施工前

末社 厳島神社 施工前

末社 厳島神社 施工後

末社 厳島神社 施工後

正面 御扉 正面 虹梁、蟇股

正面 御扉              正面虹梁、蟇股



天祖・諏訪神社は、かつては神明宮、諏訪社として立会川を挟んで並び祀られていましたが、昭和40年に合祀され、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、建御名方刀美神(たけみなかたとみのかみ)、小碓命(おうすのみこと)、東海七福神の福禄寿を御祭神に、地元浜川町と元芝の氏神様として仰ぎ親しまれています。

社殿境内にある厳島神社は総本社が広島県の厳島神社であり「弁天様」とも呼ばれ, 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。

今回の工事は社殿内外部扉廻りの金具類、内部の錺金具の補修と、末社 厳島神社の塗装の塗替え、及び錺金具の補修を手掛けました。

【社殿錺金具補修工事】
施工前の状況は、総体的には微細な傷や塵誇りで覆われ、表面には錆の発生や、金箔/鍍金の剥落や磨滅、歪みが生じ、閂などの鉄金具も腐食が進んでいました。今回の工事ではこれら金具の補修工事を行い、また、煽り止めなど一部作り替えを行いました。またこれに合わせて社殿外壁の塗装補修、また木部は灰汁洗いがなされ、明るさと清々しさを取り戻した姿に眩く光輝く金具が荘厳性を増しています。

【末社厳島神社】
施工前は赤系の光沢ある塗料で塗装されていましたが、今回は総本社の広島県 厳島神社に倣った朱色での塗り替えを行いました。地覆の長押、及び縁束は木部の腐食が確認され、一部部材の取り換えや、状態の不安定な部分の補強などの木部補修も行いました。

金色塗料で塗装されていた錺金具類は、漆箔押の仕様へと変更し、輝きも新たに生まれ変わりました。周囲を錦鯉が泳ぐ池に囲まれ溶岩の上に立つ可愛らしいお社ですが、厳島神社の扁額が掲げられる鳥居を潜り、また一つ落ち着きと華やかさを併せ持つ別空間が広がっているのを感じていただけましたら幸いです。

●成田市指定有形文化財 新勝寺薬師堂
所  在  地:千葉県成田市上町496-1
工 事 名 称:成田市指定有形文化財新勝寺薬師堂保存修理第二期工事
工     期:平成23年3月~平成25年6月
須弥壇 正面

須弥壇 正面

須弥壇 中央彫刻

梵字天井板

梵字天井板

外陣 欄間彫刻

外陣 欄間彫刻




成田山新勝寺薬師堂は、京成電鉄及びJR成田駅から成田山へ向かう道沿い、途中大きく開けた三叉路の左側に所在します。
江戸時代初期の1655(明暦元年)年に建立された旧御本堂でしたが、2度の移転を経て現在の位置に移転され、薬師堂と呼ばれるようになったそうです。
真言宗智山派の大本山であり、境内にある仁王門・三重塔・釈迦堂・額堂・光明堂は国の重要文化財、薬師堂は成田市指定有形文化財に指定されております。
薬師堂は前回修復から59年の歳月を経て、この度の修復工事が行われました。

今回の修復内容は、御堂内陣にあります須弥壇漆塗り及び彫刻彩色修復、梵字天井板再現、内部構造材の柿渋塗布を行いました。
須弥壇は弁柄・黒漆にて修復。彫刻彩色は旧塗膜調査を行い、その痕跡をもとに極彩色を再現しました。前回修復から約60年経過しており劣化や損傷もありましたが、一塗り一塗り塗り重ねるごとに彩りを纏い、深みのある須弥壇と一体となることで、再び艶やかな姿に蘇りました。
梵字天井板の修復作業は、弊社が東京国立博物館内に構える美術工芸品部(「修理室」)が担当しました。円形の天井板に描かれた梵字は漆塗膜で形成し、金箔貼りされ配列よく並んでおりましたが、一部剥落していた為、当時の手法と同様に新しく再現しました。
内部構造材への柿渋塗布は、最初に構造材を清掃し、古色塗も兼ねて塗布しました。柿渋は防腐防虫効果がありますが、木部には艶が出て摺漆のような仕上がりとなり、艶出し効果もあるようです。

初代市川團十郎が子授けを祈願し成就させたという、歌舞伎の大名跡「成田屋」との御縁が大変深い御堂です。
どうぞ薬師堂にお越しいただき、御本尊薬師如来に無病息災・健康長寿を御祈願ください。

●重要文化財 霧島神宮
所  在  地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
工 事 名 称:重要文化財 霧島神宮本殿・幣殿・ほか三棟保存修理工事
工     期:平成21年1月~平成25年3月

御社殿正面より

勅使殿 唐破風軒廻り

御社殿南側面より

 登廊下


 霧島神宮は、鹿児島県の中央部に位置する霧島市に、高千穂連峰をいただき御鎮座されています。

 本殿は桁行五間、梁間四間、縁先に軒支柱を立てた縁を廻しているため、実際は縁の分が一廻り大きくなります。全国の重要文化財に指定されている神社本殿の中でも、規模の大きな入母屋造の本殿は、拝殿、幣殿を伴った複合社殿であり、漆塗や彫刻に施された彩色により際立つ装飾性とともに、全国でも稀有な社殿の一つに位置付けられています。

 今回の保存修理工事の概要は、重要文化財に指定されている本殿、幣殿、拝殿、登廊下、勅使殿、附神饌所・渡廊下が対象で、塗装修理と木部等の部分修理があり、塗装の修理は漆塗、丹塗、胡粉塗、黄土塗、墨塗、黒塗、平彩色、彩色剥落止め、彩色補筆を施工しました。また、霧島神宮、文化財建造物保存技術協会により小屋組から縁下廻りまで、旧塗装の掻落し作業と並行して調査が行われ、新たな修理について検討されました。その結果、木地の補修、拝殿の蔀戸框の錺金具の補修など、新たな補修箇所が確認されました。社殿内部の彩色部分の落止めについても同様に保存修理が必要との判断で、東京文化財研究所、国宝修理装こう師連盟が修理を担当することになりました。弊社でも、次回の修理のための記録とて板壁絵、頭貫、蟇股、金欄巻等の彩色現状見取、白描図、彩色見取図を作製いたしました。

 無事に竣工を迎えることができましたことは、霧島神宮様をはじめ、関係各位のご指導、ご協力の賜物と厚く御礼申し上げます。

 なお、今回の工事では弊社の職方が漆工、彩色工、金工それぞれの分野で修理に従事したことで、熟練から中堅へ、中堅から若手へと技術を伝える機会にもなりました。最後に、着手前より関わっておりました、当時相談役の故原登も安堵しているかと思います。

●重要文化財 大井俣窪八幡神社
所  在  地:山梨県山梨市北654
工 事 名 称:重要文化財 窪八幡神社本殿ほか2棟保存修理工事内塗装、錺金具工事
工     期:平成24年6月1日~平成24年12月31日

正面・軒先、向拝柱

破風廻り(南面より)

全景(北面より)

背面(西面より)



山梨県山梨市にある大井俣窪八幡神社は、中央自動車道・勝沼IC から約30 分、笛吹川にかかる八幡橋を渡り、現存する日本最古の木造鳥居をくぐった先に御鎮座されております。

大井俣窪八幡神社(通称、窪八幡)は、清和天皇の勅願により貞観元年(八五九年)に宇佐神宮(大分県)の八幡三神を勧請して以来一千年を超す歴史を有し、中世には甲斐源氏、特に武田氏代々の氏神として崇敬されました。
境内には室町期に、武田信虎・晴信(信玄)父子をはじめとする武田氏により再建・改修された社殿が現存しわが国最大の十一間流造本殿、現存する最古の木造鳥居を含む九棟十一件が、重要文化財に指定されております。

本工事では、御本殿の弁柄丹塗・墨塗りを中心に、彩色見取り及び剥落止め、錺金具、破風漆塗りを行いました。
丹塗の修復方法は、旧塗膜を前鉋(マエガンナ)などの工具を用いて、木地を傷つけないよう手作業で丁寧に掻き落しします。その後平滑な下地を作り、塗りムラが無いよう均一に下塗り、上塗りと仕上げていきます。
弁柄と丹を合わせたものに膠(ニカワ)を混ぜ、旧塗膜に色合わせし塗料を練り作り上げます。鉛や鉄を主原料として作られた弁柄や丹は、重たく混ざりにくい為、力を込めて塗り上げました。現代の樹脂系塗料とは違った風合いや質感があり、弁柄丹の赤と墨塗りの黒がバランスよく配色され、屋根の破風・漆塗りの艶がアクセントとなっています。

彩色見取り及び剥落止めは、御本殿正面の脇間全6面の板壁障壁画及び両側面脇障子を行いました。
当初の痕跡を残す事を目的とし、調査・見取り・剥落止めを行いますが、斜光ライトにより在来彩色図文様等の調査を行いました。
現状の絵自体は表現も細部までしっかり描きこまれ、画題と呼応、阿吽などの狩野派の約束事で描かれているので時代は特定出来ませんが、使用されている絵具から、文化文政期より以前の狩野派を学んだ絵師の手によるものと思われます。
元和偃武(えんぶ)(偃武とは武器を伏せ収め用いないという意)の発令後、長い戦乱が終わり、天下泰平の世が到来した為、元和、寛永以降の建物の主題は花鳥が中心となります。
例えば連続文様なども亀甲文などの平和な感じのものが増えます。
間近でご覧になることができませんので、こちらで各社脇間及び両側面脇障子の画題について簡単にご紹介いたします。

イ.身舎 東面(向かって右)脇障子
     昇り龍(阿形)三ツ爪
ロ.東殿 右脇間
     麝香猫(じゃこうねこ)、唐松に尾長鳥
ハ.東殿 左脇間
     麝香猫親子、竹に椿
二.中殿 右脇間
     竹に番(つが)いの鶴、長春(薔薇)
ホ.中殿 左脇間
     唐松に鶴亀、芙蓉に小禽(しょうきん)
ヘ.西殿 右脇間
     竹に虎、唐松、蒲公英(たんぽぽ)
ト.西殿 左脇間
     竹に虎の子育て(子虎三頭)
チ.身舎 西面 脇障子
     降り龍(吽形)三ツ爪、玉を持つ

わが国最大の十一間流造本殿を、御参拝の際には少し裏手におまわりになり、ご覧くださいませ。

●重要文化財 寛永寺旧本坊表門(黒門)
所  在  地:東京都台東区上野公園14-5
工 事 名 称:重要文化財 寛永寺旧本坊表門(黒門)保存修理工事
工     期:平成23年3月22日~平成24年11月10日

正面(南面より)

菊花紋・菊飾(弁柄漆)

 

潜戸に残る砲丸の穴と言われる痕跡


寛永寺旧本坊表門(黒門)は上野駅公園口より北東約300mに位置する切妻造り、本瓦葺、三間薬医門です。薬医門とは棟が門の中心線上より前方にずれ、本柱上に 冠木 かぶき を載せ控え柱と 男梁 おばり で結び、その上に切妻屋根を載せた門のことを言います。

寛永寺の本坊は寛永2年(1625)に建立されました。
東叡山寛永寺の歴代山主は3代目以降皇室から迎えられており、朝廷より 「輪王寺宮 りんのうじのみや 」 の称号を下賜され、日光(輪王寺)・比叡山の山主を兼任しました。寛永寺の本坊はこの輪王寺宮の住居にあたり、旧本坊表門(黒門)も本坊と同時期に建てられたと考えられています。明治元年(1868)の上野戦争(戊辰戦争)で本坊はことごとく焼失し、表門のみ焼失を免れました。門には官軍の砲撃による、直径1.5㎝の鉄砲の弾痕や直径10㎝の砲丸の穴と言われるものが残っており当時の戦争の激しさを物語っています。

明治15年(1882)に本坊の跡地にジョサイア・コンドル設計の博物館(現・東京国立博物館)が開館し、旧本坊表門は博物館正門として使われました。
大正12年(1923)の関東大震災により大きな被害を受けた博物館の建替えに伴い、昭和12年(1937)、両大師 正面(現在の位置)に移築され、戦後昭和21年(1946)に旧国宝に指定されました。
平成元年(1989)、両大師は不審火により大部分が焼失し、平成5年(1993)にその跡地に輪王殿が建設され旧本 坊表門(黒門)も墨による化粧直しが行われています。(弊社にて施工)

今回の寛永寺旧本坊表門(黒門)保存修理工事では、調査の結果漆塗りが施されていることが確認されました。その結果に基づき門全体の黒漆と菊花紋・菊飾の弁柄漆の塗り替えを行いました。錺金具については、取り外した錺金具の下から出てきた旧錺金具の跡や、木部に残る欠失した金具の痕跡に基づき新規金具の製作や既存金具の補修を行い、 焼漆 やきうるし 仕上げを施しています。

今回の工事でほぼ創建当初の姿に復原されていますが、扉に残る鉄砲や大砲の弾の跡は明治維新の時代のものです。これは、明治維新や関東大震災、空襲という激動の時代を潜り抜け奇跡的に現存する黒門の歴史を語るうえで外せないシンボル的なものです。ただ漆で仕上げ綺麗にするのではなく、弾の跡の歴史的な風合いが極力損なわれないように 生漆 きうるし 固めという手法を施して仕上げてあります。又、建てられてから約390年の年月の経過により木地の風化も進んでおり、下地の作業に多くの時間を費やし黒漆で仕上げています。

上野の森を散策する際は、是非黒く聳える黒門を是非ご覧になって下さい。

●伊豆山神社 拝殿及び向拝 彫刻彩色及び錺金具補修工事
所  在  地:静岡県熱海市伊豆山
工 事 名 称:伊豆山神社 拝殿及び向拝 彫刻彩色、錺金具工事
工     期:平成24年3月30日~平成24年9月19日

 

 


伊豆山神社は熱海駅より東北に1.5 キロ、海抜 170 メートルに位置し、その境内からは伊豆の 海と相模灘を一望することができます。古くは 「伊豆大権現」、「走湯大権現」とも称され、 明治に現在の社名へと改称されました。
平安期の頃から霊験所として知られ、源頼朝の挙兵を助け、源平合戦の際には北条政子が身を寄せていました。また、戦国時代には小田原の北条氏による庇護を受け、そのために秀吉の小田原征伐では焼き討ちに遭い、社殿は焼失してしまいます。しかし、徳川政権期に再建・復興され、新社殿は江戸期の名彫師「波の伊八」の彫刻で飾られました。その後昭和3 年には昭和天皇御大典に際して国幣小社に列格仰出。昭和11 年に彫刻など江戸期社殿の部材を一部再用し、本殿、拝殿、神饌所、雷電社、手水舎などが当時の内務省の手により整備されて、現在の社殿の姿に至ります。

本工事では向拝虹梁上龍彫刻、「波の伊八」作の犀彫刻、大瓶束鯉の滝登り彫刻、唐破風兎毛通し菊彫刻、そして唐破風の錺金具の補修を手掛けさせていただきました。
波を彫らせると右に出る者はいない、として畏れられた「波の伊八」が手掛けた作品に色が施された例はあまり見つかっていませんが、取外した彫刻に彩色絵具が残っていたことから、今回は痕跡資料を基にした彩色の復原を行いました。
また、表面の金箔や墨の多くが失われ、緑青錆も発生していた錺金具は、煮洗い、歪みや破損部の調整、表面の金箔押し、墨差しという工程を経て、金と黒のコントラスト鮮やかな姿へと蘇りました。
伊八によって産み出された繊細かつ躍動感あふれる彫刻に対峙し、その豊かな表現と高い完成度を損ねることのないよう、職人一同精いっぱい作業にあたらせていただきました。

ご参拝の折には、今にも動き出しそうな彫刻と、厳かに輝きを添える錺金具を是非ご覧になって下さい。

●佐野市指定無形民俗文化財 芦畦の獅子舞
所  在  地:栃木県佐野市並木町花岡
工 事 名 称:佐野市 芦畦の獅子舞 獅子頭三面新規製作
工     期:平成23年4月1日~平成24年3月19日

施工前

施工後

「芦畦(あしぐろ)の獅子舞」は、栃木県佐野市並木町花岡に約750年前から伝わり、農耕儀礼、 無病息災、厄除祈願の為に行われる民俗芸能です。 今回、獅子頭の歯や角など木部の欠損や羽根毛の傷みも著しく、激しい動きに耐えられなくなったため獅子頭を三面新調する事となりました。
御獅子の面は、力強い木彫が施された桐材部位と和紙を麦漆(漆に小麦粉や糊を混ぜ合わせた
漆で、古来の接着剤として陶磁器や漆器の補修などに使用される)にて20層程貼り重ねた乾漆造で形成されており、獅子頭の施工としては極めて稀な仕様でしたが、従来の工法に基づき作業にあたりました。
特に乾漆造で頭部を形成していく作業は、仕上がった三面の表情に僅かな違いが生じてしまう為、和紙を一枚貼り重ねる作業にも困難を極めました。 また、永き歴史を刻み込んだ既存の面は保存し、頭の羽根毛も大変貴重なものであったため、 既存の羽根毛を活用いたしました。
羽根毛を交換する際、芯が細い羽根は糸を通せないため和紙で巻いてから膠で固め、一本一本の芯に穴を開けて麻紐を通し、羽根が回らないように糸を通す穴を2 段作るという工程を約1500 本繰り返す、とても細やかな作業の連続となりました。慎重を期す余り、躊躇する場面もありましたが、花岡町の皆様を始め関係各位の想いの詰まった御獅子を新調させて頂き、文化を守り継いでいく事ができました。
「芦畦(あしぐろ)の獅子舞」の末長い伝承と花岡町の更なる御発展をお祈り申し上げます。

●宮城県指定有形文化財 瑞巌寺 陽徳院霊屋
所  在  地:宮城県松島郡松島町町内
工 事 名 称:宮城県指定有形文化財 瑞巌寺 陽徳院霊屋 保存修理工事
工     期:平成18年8月~平成20年12月

全景(南門より)

向拝虹梁から軒裏にかけて(正面より)

向拝軒廻り(北面より)

隅斗組から丸桁の彩色(南面より)

さる平成24 年5 月18 日に開催された文化審議会において、弊社が平成18 年より平成20年に保存修理に携わった陽徳院霊屋が、重要文化財に指定する旨、文部科学大臣へ答申されました。

この建物は、国宝の御本堂・庫裡を有する瑞巌寺の境内北側、境内地の中でも一番高い場所に 鎮座する、9 尺間 宝形造りの御霊屋です。 伊達政宗公 正室 愛姫の墓堂である建物は、伊達忠宗により万治3 年(1660 年)に建立されました。

参道を進み急峻な石段を登りきると、凛とした深い森を背にした御霊屋を拝観することが出来ます。振り返ると、建立当初は遮るものがなく松島湾を一望できたであろう、素晴らしい場所である事が感じられます。

御霊屋外部は、黒漆塗で仕上げられ、隅や散しに多くの錺金具を配した、上品な印象を与えます。台輪より上には隙の無い極彩色が施されており、荘厳さを表しております。建物全体を見ると境内の印象と同様に、非常に落ち着いた仕上りとなっております。内部は、金箔押しが施され、その上に獅子や草花が彩色されている、絢爛な仕上がりとなっております。

弊社は、加飾の漆塗、彩色、錺金具の工事を施工いたしました。350 年前の建立当初の状態に復元する作業でありましたが、加飾の部分についてはほぼ、建立当初の状態で維持されてきたこともあり、特に彩色の剥落、錺金具の欠失が著しく、部材の重なりあう部分や薄く残った痕跡、風化の形状などを基に、資料の確認などを合わせ、根拠を手繰るようにして集めました。

この建物で注目していただきたい点は、金色の配置が絶妙であり、高い意匠性という評価の一因と考えております。

象徴的な箇所としては、建物正面 向拝部分での金色配置が挙げられます。

① 軒桁へ彩色による膠金箔押し
② 虹梁へ漆塗による漆金箔押し
③ 向拝柱へ水銀箔押しの頭巻金具取付

近接した部位に多様な工法が使われたという事は、「永遠の象徴」でもある金に対してのこだわりが見られます。当時の各職が、それぞれの技量を競い合ったのではないかという事を想像させられます。

陽徳院御霊屋(寶華殿)は、「国宝瑞巌寺本堂他7棟建造物保存修理事業」(国宝瑞巌寺 平成の大修理)に伴う特別公開として、平成28 年3 月頃まで拝観を行っております。 弊社と致しましても、この様な素晴らしい建造物に対し、作業をする機会を頂いた事は誠に光栄であり、名誉なことです。

宗教法人瑞巌寺の皆様、並びにご指導頂きました関係各位に感謝申し上げると共に、御慶び申 し上げます。

●国宝 東照宮 東西透塀
所 在 地:栃木県日光市山内
工事名称:国宝 東照宮 東西透塀 彩色工事
工  期:平成19年9月20日~平成24年2月17日

※東照宮提供 無断転載禁止

施工前

施工後

内法長押上欄間

国宝 東照宮 東西透塀
日光東照宮は、元和3 年(1617年)に徳川家康公を奉祀し創建されました。国宝東西透塀を含め、現在の主要な社殿は寛永13年(1636年)三代将軍徳川家光公により造替され、彫刻や彩色などの建築装飾についても、当時の最高水準の技術が用いられました。日光東照宮では本殿・石の間・拝殿、陽明門、東西透塀など8 棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されています。

平成27年(2015年)の御祭神徳川家康公400年式年祭記念事業として、平成19年度から本殿・石の間・拝殿を始め東西透塀、正面唐門など重要な主社殿の工事が計画されており、平成36年(2024年)まで18年間を『平成の大修理』として修理事業が予定されています。その長期計画の下で東西透塀工事も5箇年度工事として平成19年度に着工となりました。

東西透塀は、唐門の左右から延びて、本殿・石の間及び拝殿を囲んでおり、その全長は160メートル、柱間は87間あります。透塀の内法長押上欄間には花鳥、腰長押下蹴込には水鳥の彫刻に平生彩色が施されており、長押面には桐油彩色による亀甲花菱の文様装飾、上下の長押の間には、金箔の格子からなる花狭間格子窓、脇羽目は色鮮やかな置上彩色と高い技術が要求される彩色装飾が集約されています。

寛永の造替から20数回の修理が繰り返されると共に、伝統技術も親方から若手の職人の手に受け継がれ、息を呑む緊張が続く中で一筆一筆が積み重ねられ、造替当時の見事な彩色が甦りました。

●重要文化財 滝山寺三門保存修理工事
所 在 地:愛知県岡崎市滝町地内
工事名称:重要文化財 滝山寺三門保存修理工事
工  期:平成23年10月10日~平成24年1月31日

三門 軒廻り

三門 施工後


●伏見稲荷大社 楼門・廻廊、春日燈籠 外拝殿 内拝殿
所 在 地:京都府京都市伏見区
工事名称:伏見稲荷大社 楼門・廻廊、春日燈籠 外拝殿 内拝殿 修理工事
工  期:平成22年4月1日~平成22年12月10日  平成23年4月1日~平成23年9月30日

楼門施工後

内拝殿施工後


●清安山願成寺 不動院 仁王門
所 在 地:茨城県つくばみらい市
工事名称:茨城県指定有形文化財 不動院楼門保存修理工事
工  期:平成20年12月10日~平成23年08月10日

仁王門 施工後

扁額

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